第06話   〃 どこで、引き返しますか?


「それで……、村澤さんのお祖母ちゃんって、入院してるん?」


 汽車が鉄橋を渡って多少静かになった車内で、僕は小夜ちゃんに尋ねた。すると彼女はコクリと小さくうなずき、「たしか、先月の終わりくらいから……」と返事をする。


「体、悪いん?」


「えっと、よくわからへんのやけど、手術するとか、したとか美紀ちゃん言ってたような」


「そうなんや。具合でも悪くなったんかな」


「そこまで深刻そうな感じやなかったんですけど、でも、尾崎センパイには謝っといて、って、美紀ちゃんが……」


「ああ……、いや、別に、そんなん気にせんでもええけどな」


 僕は顔の前で手を振って、気落ちしている小夜ちゃんを慰めた。


 とはいえ、この事態に僕がかなり困惑していたのは事実だった。さっきまでは後輩女子二人を引率するお兄さん、のつもりでいたし、小夜ちゃんには失礼だったけれど、七割方は村澤さんのことを考えていたのだ。


 村澤さんは社交性もあって、僕が相手でも何かしら会話が続くような女の子だった。だから三人で出かけても気まずい雰囲気にはならないだろうと、ある意味で楽観視していたのだ。ところがいま目の前にいる小夜ちゃんは、明らかに村澤さんとはちょっと違う感じの大人しい女の子だった。この子と一日デートのようなことをする自信が、この時の僕にはあまりなかったのだ。


「そうか――」


 『そうか、これじゃあまるでデートやん』と、僕が思わず呟きそうになったのを、小夜ちゃんに不安げに見られる。


「え、いや。なんでもないで。アハハ」


 僕が恥ずかしくなって慌てて誤魔化すと、小夜ちゃんは意を決したように口を開いた。


「あの、尾崎センパイ。どこで、引き返しますか?」


「はあ?」


 頭の中でひとかけらも想像していなかったそんな言葉に、僕はの頭は混乱した。


「そやから、その、今日、美紀ちゃんも来うへんし、えっと……、尾崎センパイ、どこで引き返す……んかなって、思って」


 小夜ちゃんは肩掛けの可愛いバッグを体の前で握りしめながら、切れ切れにそんなことを口にする。その視線は僕の方をまったく見ていなかった。


「えっ、引き返すって……、帰るん? 切符買ったのに? マジで?」


「え?」


「いや、だって切符買うたんやろ? 倉本さん」


「うん……」


 そう答えた小夜ちゃんがハーフジーンズのポケットから切符を取り出す。その手にはキッチリと七百五十円区間の切符があった。


「ほら、せっかくやからとりあえず、アニメイトまでは行かな勿体ないんと違う? いや、俺も行きたい電気屋とかあるし、ここから引き返すって……」


 その時の僕には『引き返す』などという選択肢はまったくなかった。


 ところが小夜ちゃんは違ったらしい。村澤さんが来ないという事態になって、僕が「じゃあ戻ろうか」と言い出す可能性の方が高いと思っていたようだ。


「そしたら、行ってくれるん……ですか?」


 真面目な顔をして小夜ちゃんがこっちを見て言った。


 村澤さんに比べると確かに目立たない小夜ちゃんだったけれど、こうして面と向かって相対すると年相応に可愛い女の子だ。そんな子に真面目に見つめられて意味深にドキドキするほどに、この時の僕は純粋ではあった。


「え……、いや、倉本さんが嫌やなかったら、俺は、別に……ええけど」


 ちょっと視線を外して僕が言うと、小夜ちゃんがさっきよりも大きな声を出した。


「いっ、嫌とか、そんなん違います! こんなん、センパイに迷惑ちゃうかなと思って。美紀ちゃんもおったから、センパイもついて行ってくれるんかな、って思ってて……、そやから……」


 ちょっとだけ拗ねたような目になった小夜ちゃんは、最後の方はモゴモゴと口ごもって視線を窓の外へと向けた。


 汽車は渓谷沿いの線路を進み、何度目かのトンネルに入って行く。窓の方に目を向けた小夜ちゃんの顔が、真っ暗になった窓ガラスに映る。


「べつに俺は、倉本さんが嫌やなかったら、全然構へんよ。さっきも言うたけど行きたいとこもあるし。あっ、倉本さんもついてくる?」


 多少の緊張感を持ちながら僕が聞くと、小夜ちゃんは微妙にジトッとした目で言ったのだった。


「えっと、私、パチンコ屋はちょっと……」


「なんでや! そんなんこの状況で行くわけないやん、常識的に!」


「アハハ、そうですよね。よかった」


 それは、その日初めて小夜ちゃんが見せてくれた笑顔だった。

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