第09話 チョロいなんて思ってへんよ


――『野田くん、昨日のこと学校にチクらんといてよ。お願いやから』


 待ち合わせ場所に指定された公園に行くと、学校帰りの広池がそう言って俺に手を合わせてきた。まあ一パーセントの可能性も完全に消滅した訳だけれど、もともとが一パーセントだったので当時の俺もショックなんて受けなかった。


「あれなあ広池、なんで電話で言わへんかったん? あんなしょうもない口止め」


 当時を回想しながら訊くと、広池はすまし顔で答える。


「だって野田くん、真面目やし、正義感強いやん。意地悪なとこは無いけど、正義感でアツくなって万が一っていうことがあったら嫌やなと思って。『学校サボってロケ見に行くなんて許せへん』みたいな。だから電話で言うたら逆効果かな、とか用心したんやけど」


「そんなわけないやろ……」


 俺はいまさらながらも呆れてそう言って、氷の溶けたアイスコーヒーの残りを啜る。もうほとんどコーヒーの味なんて残ってはいなくて、喉を通ったそれはただの水っぽい何か、だった。


「でも野田くん、タクシーで目が合ったときに、どっか冷めてる感じがあったし」


「いや、あのな、火葬場から帰りのタクシーでニコニコしてる方がおかしいって。普通はそんなヤツおらんやろ」


「そやけどそんなん知らんかったやもん、公園で野田くんから聞くまで」


 確かに広池はなぜタクシーに乗っていたのかを、あのとき俺に聞いてきた。『火葬場の帰り』と言うと、広池は『あっ』と言ったきり、しばらくばつが悪そうにしていたものだ。


「野田くんのお祖母ちゃんが亡くなったのは知ってたけど、まさかタクシーで会うなんて思うわけないやんか。それにあの時は『あ、見つかった』って思う方が強かったし」


「ややこしいヤツに見つかった、って?」


「ううん、不幸中の幸い、って思った。野田くんやったらお願いしたら多分チクらへんと思ってたから。それをネタに脅迫されることも無いやろし、でも黙ってたらアカンかなと思って」


「脅迫、って」


 俺は広池の表現に思わず苦笑をしてしまった。


「そやから野田くんはそんなことせえへん、と信じてた。で、実際電話したら公園に出てきてくれたやん」


「チョロい、って思われたやろな。ハハハ」


 よくよく考えればチョロいのは今回も同じだ。広池に電話を掛けられてホイホイと出てきて話を聞く。俺は高校時代と何も変わってはいない。変わったのはお願いされる話のシリアス度合い、ということだろうか。前回は学校をサボった口止め、それに比べて今回は……妊娠。


 俺の表情からこちらが何を考えているのかを、頭のいい広池は感づいたのだろう。ちょっと顔つきを暗くして息をフウッと吐き出した。


「私、野田くんのこと、チョロいなんて思ってへんよ。あの時も、それから今も。チョロいなんて思ってる男の子に、同意書のお願いなんか無理やん。どこで口を滑らせるかわからへんし、私にとっては恥やし……。今回のことは私になりに色々考えたんやけど、野田くんしか頼まれへんかった。この話を頼んで断られてもしょうがないな、でもその時は私の気持ちもわかってくれた上で断ったんやろな、って私が想像できる男の子は……野田くんくらいしかおらへんかった。ごめん、野田くん。変なことに巻き込んで」


 広池千佳は言い訳のように長々と喋って、そして頭を下げた。


 いったい俺の何がそんなに高評価に繋がったのか、結局のところ学校をサボった口止め以外には分からなかったけれど、俺は広池に協力することに納得をした。


「別に、謝らんでもええやん。俺が同意書にサインするのは広池を助けたい気持ちもあるんやし、俺も広池も納得してたら誰にも迷惑かけへんやん。だから――」


 だから気にしなくてもいい。と俺は広池を諭した。


 この時自分の頭の中には、いま付き合っている彼女のことが脳裏にチラつきはした。けれど彼女は話せば分かってくれると思っていたし、あとで実際に広池に対して同情して俺の考えを分かってくれた。だから俺(俺の彼女を含めて)と広池が納得すれば、この件は誰にも迷惑をかけない話だと思っていた。でもそれは俺が勝手に思っていただけで、広池千佳という女の子にとっては違っていたことを後で知ったのだけど。


 とはいえこの日、俺は広池の希望を受け入れて同意書にサインすることに納得をした。話が終わると広池はバッグの中から一枚の紙切れを出した。もちろんそれは例の同意書、ただし今日は印鑑を持っていないので受け取るだけでここで署名はしない。同意書の中身がどういうものか確認はしておいて欲しい、と広池は紙に目を落としながら言った。


 次に会うのが三日後、そして手術の日程は病院と相談する。そのことを決めて、俺と広池は喫茶店を出て別れた。


 別れ際に広池千佳は一度だけ振り返り「ありがとう、野田くん」と頭を下げたのだった。

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