第2話 長崎のマリア様

それは大吾と訪れた浦上天主堂と

爆心地モニュメント広場。

かつて堂々としていただろう旧浦上天主堂の

柱とマリア様の首に出会った。


大吾は漠然と思いを馳せているようだった。

祥子はそんな大吾を見つめていた。


何をこの人は想いを馳せているのだろう。

親でもなければ親戚でもない、

ましてや朝鮮の懲役囚の命までも

悼んでいた。


ただ、この今ある平和を感謝し、

犠牲となった人々や悲惨な体験をした人、

そして現存する

被曝した石像、マリア様の首にまで

哀悼の意を表していた。


祥子は死であったり病気であったり

不調であったり。

正に対して存在する

負の感情をなるべく避けてきた。

元夫と広島に旅行した時でも

原爆ドームへは近寄れなかった。



だがなぜかこの大吾だとどこへでも行けた。

大吾は軍艦島へ行こうと

誘ったこともあったが廃墟島と言う

生々しい場所へはなるべく行く意思がわかず

保留にした。



長崎から帰った祥子は涼と会うことにした。

名古屋を案内してもらう。

道すがら興味深い建物を目にした。

栄のとある交差点に立つ

日本基督教団名古屋中央教会。

コロナの影響で教会内は閉鎖していた。

庭をズンズンと歩く祥子、

ゆっくりついてくる涼。


ベストポジションを決め

iPhoneシャッターを切る。

iPhoneに映り込んだ景色には

逆光ならではの

不思議な光たちが輝いていた。

マリア様はいる、自分の中に。

祥子が確信した瞬間だった。


大阪に帰った祥子は取り憑かれたように

映画館に足を向けた。

単館上映しかしていない七藝。


祈り −幻に長崎を想う刻−

戦後の長崎キリシタンの物語だった。

被爆したマリア様の首も登場した。


祥子にとって縁を感じるのがキリシタン、

ガラシャ。

明智光秀の娘でありながら

戦国大名の妻として、そしてキリスト教に

ひかれキリシタンとなった女性。


祥子はゆかりある土地に婚姻時に

すまわっていながらカトリック玉造教会には

一度も足を踏み入れたことがない。


ある雨の日。悪い足元にもかかわらず

玉造駅で下車した。

だが礼拝堂までは雨に打たれなかった。


どう言うわけか祥子は弘樹との一件で

雨との縁が切れたのか

土砂降りにあったことがない。

働いている訪問入浴でも

雨脚が強いのは決まって車内。

荷物の運び出しをする際は小雨になる

パターンが多かった。


もちろん雨の多い長崎でも夜しがたしか

雨にあったことはないし

少し濡れる程度だった。

必ず晴れるわけではないが

雨の日は雨が止む外出が多かった。





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