愛と別れ

「コゼット、あぁ、もう……どうして……〈上級・治癒ハイ・ヒール〉、〈上級・治癒ハイ・ヒール〉……」


 オリヴァーがアリスと戦闘をしている。

 アンゼルムはその音が耳に届いており、何度もそちらを確認している。

死んでいる仲間を治癒したところで、治るはずがない。見切りをつけて、オリヴァーを補佐するべきだった。

しかし、彼は治療の手を止めない。腕の中に眠っているコゼット・ヴァレンテのために、己の魔力を削っている。

 魔術は発動され、キラキラと彼女の体が光っている。しかしそれは効果をなしていない。

 当然だ、彼女は死んでいるのだから。


「僕はまだ君に、言ってないことがたくさんあったんだ……! いつも喧嘩になってすまない、素直になれないだけなんだ! 僕は君が大切で、唯一で……」


 アンゼルムは、腕の中の少女をギュッと抱きしめた。

 いつも言い合っている軽口も、嫌味も、返事すらない。抱擁が返ってくることもなく、だらりと重力に従って垂れ下がった腕は、上がる様子すら見られない。

 呼吸もせず、心臓の動きすら感じられない。どれだけ頑張っても、コゼットが起き上がることはなかった。

 アンゼルムもそれを分かっていたのか、今の今まで心の中に秘めていた感情を吐露していく。もう二度と届くことのない、愛する少女に向けて。


「好きなんだ、死なないでくれよ……」


 アンゼルムがそう言うと、彼の真後ろでパチパチパチと拍手が聞こえた。こんな血なまぐさい空間で、あまりにも異質であった。

 はらはらと流れる涙を拭うことなどせず、アンゼルムは振り向いた。

 その目線の先に立っていた女を見れば、彼はヒュっと息を飲んだ。


「……え?」

「感動的だ。素晴らしい。なんていい台詞なんだろう」

「は? え?」


 そこにいるのは、魔王。アリス・ヴェル・トレラント。この見た目を間違えるはずがない。

 だがアリスはたった今、オリヴァーと戦っているはず――そう思ったアンゼルムは、目の前の戦いを再び見つめた。

 オリヴァーは依然としてアリスと戦っている。一進一退の攻防を続けており、もしかしたら王国側が勝てるのではないか、と希望すら抱けるほど。


「あれは私が先程、生成したスライムだ。入れ替わりに気付かなかったかな? ……まあそろそろ耐えられなくなって、壊れるだろうけど」

「……スライム……? だ、だって、あれじゃ……」


 だってあれじゃ、互角に見える――。

 思った言葉を全て吐き出さず、アンゼルムは飲み込んだ。目の前にいる女が本物のアリスだとするのならば、オリヴァーは彼女が生成したスライムにも、まともに勝てないことになってしまう。

 そんなはずがない。オリヴァー・ラストルグエフは、パルドウィン王国の勇者なのだから。


「今日はとても気分がいい。誰にでも優しくなれそうなんだ。だから愛する人との別れを経験した君には、穏やかな死をあげよう」

「やめ……」


 アリスはそっと微笑んで、アンゼルムの肩に手を置いた。

 この手を振りほどかねば、死がやってくる。それがわかっているのに、動けなかった。

 腕の中にはコゼットの遺体がある。下手に戦闘をすれば、まだ綺麗な状態の彼女はどうなってしまうのか。

 そして、彼の中に一瞬だけ過った「この魔王に抵抗したところで、どうせ死ぬのだ」という、ネガティブな考え。

 オリヴァーが聞いたら、きっと叱咤では済まされない。勇者一行として名を連ねてきたアンゼルムが、考えてはいけない内容だった。


 その二つにより、アンゼルムの反応が少しだけ遅れた。

 本来は詠唱を必要とする強大な魔術を、ただ囁くように簡単に発動したアリスを、止めることなど出来ない。


「――〈安寧〉」

「あ……」


 アンゼルムは、ふらりと倒れた。体が力を失って、重力に従いゆっくりと傾く。

 アリスはそれをそのままにすることなく、そっと受け止めて、そのまま床へ寝かせていった。アンゼルムの腕には、まだコゼットを抱いたまま。

 これが〝死〟でなければ、誰もが美しい光景だと思っただろう。

 だがアンゼルムもコゼットも、心臓の動きを止めている。コゼットの肩には矢が深々と突き刺さっており、防具を血液で汚していた。

 安らかとは言えない表情だったが、アリスはそれを見て満足気に笑っている。


 丁度良く同じタイミングで、オリヴァーと戦っていたデコイが破裂した。オリヴァーの攻撃に耐えきれなくなり、その耐久値の限界を超えたのだ。

 突然戦っていた魔王が破裂したことで、オリヴァーは驚いている。

 だがその表情は「勝った」と言えるものではなかった。

 あれだけの強さと、未知の魔術を扱う魔王だ。こうも簡単に死ぬはずがないと、頭の奥底で分かっていたのだろう。


「うーん。死体がもったいないな。死んだあとでも細胞は、ホムンクルスの素材に出来るのかな?」


 高レベルの〝素材〟が手に入るのは、めったにないことだ。出来るならば、皮膚片までも全て、有効活用したいもの。

 最近は現地で調達した部下達が育成されてきていたので、ホムンクルスの軍隊を作るという話は停滞していた。この新しい素材によって、それが再開できるかもしれない。

 何よりも勇者の相手をしなくてよくなる。別国の勇者も控えているが、まだその時期ではない。

 暫くのブランクが開く以上、新たなことを始める時間はあるのだ。


 何にせよ、素材云々よりも前に、この空間にいる少年を倒さねばならない。


「お前、何をしてる!! コゼットと……アンゼルムを戻せぇえッ!」


 少年――オリヴァーは、アリスの独り言によって全てを察した。ピクリとも動かずにアリスの足元で眠っている親友を見れば、何が起こったのか悟る。

 もう「嘘だ」「ハッタリだ」なんて言っている余裕なんてなく、ただ何も考えずにアリスへ立ち向かう。剣を強く握り、命ある限り目の前の女を倒す――殺すと。


 誰かが生きて帰れないのは、国を出るときに知っていた。だが、誰かは生きて帰れると思っていた。

 それは自分であっても、アンゼルムであっても、コゼットであっても。

 誰も彼もすべて、勇者パーティーと言われた全てが。死んでしまうだなんて。彼にとって――パルドウィン王国にとって、それは想像し難い現実だった。


 オリヴァーは叫びながらアリスの立っている場所へと駆け出した。その姿は勇者というよりは、復讐に燃える男。

 復讐心によりオリヴァーの身体能力は、格段に向上していた。弾丸のように飛び出した体は、今までの中で一番速いとも言える。

 さすがは勇者ともいえよう。この戦いの中で、何度も成長していた。

 視認すら難しいであろうその速度を保ちながら、怒りの矛先であるアリスへと向かう。

 時折呪文を唱えれば、剣に魔術が付与されていく。絶対に彼女を殺すという意思が、そこには感じ取れたのだ。


「魔王ぉおおオォーーー! お前を殺して、世界を救うッ!!」

「……はぁ。うるさいなぁ、もう!」


 オリヴァーの剣が、アリスの顔面に迫ってきていた時だった。アリスがゆっくりと動きを見せた。

 そして、次の瞬間――ゴッという鈍い音を生み出した。それはアリスが剣戟を受けた音ではなく、アリスの拳がオリヴァーへ当たった音だった。


「がっ……!?」


 メキリ、と肉と骨が軋む音がして、オリヴァーの肉体は勢いのまま吹き飛んだ。彼が走ってきていた方向とは真逆の、壁の方へと吹き飛んでいく。

 大きな音を響かせて壁にオリヴァーがぶつかる。部屋一体がグラグラと揺れて、ぶつかった衝撃で壁が崩れてしまった。

 瓦礫はオリヴァーの倒れたところへと降り注いでいく。もくもくと粉塵がその場を埋め尽くしていた。


 オリヴァーがその中から這い出て反撃してくる様子もなく、声が聞こえる様子もない。パラパラと舞う崩壊した壁の音だけが、部屋にこだましている。


「あれ、やばい。死んじゃったかな……?」

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