送迎

「あの森を抜ければ、アベスカだね」


 コゼットは己の腕に止まらせていた鳥をそっと放した。鳥は数周、コゼットの周りをピィピィと鳴きながら飛んで、どこかへと飛び去ってしまった。鳥には道案内を頼んでいたのだ。

 イルクナーを出てから数十時間。一回の野宿を挟んで、彼らは着実にアベスカへと向かっていた。連れてきている人数は必要最小限。あくまで偵察のためだ。大人数で来てしまい、相手を警戒させてしまうのを避けたかった。

 それに足手まといとなる存在が少なければ、逃げ帰ることだって無理じゃない。最悪アンゼルムかオリヴァーが、本国にいる両親へと通信魔術を投げかければいい。少人数であれば転移も可能だし、戦闘を避けて逃げ切ることだって出来る。

 それに「旅行だ」と言い訳すれば問題ない人数にしてある。アンゼルム達が通うストロード学院の長期休暇はとっくに終わってしまっているが、アベスカの人間はそんな事を知るはずがないのだ。


「いよいよか……」

「ちょっと、アンゼルム。戦いに行くわけじゃないんだよ」

「……はぁ、分かっている」


 アンゼルムはそう言いつつも、変に緊張していた。

 それもそうだろう。あの黒い霧の事件。あれのせいで、己のプライドはズタズタにされた。そして到達の出来ない高みを知ってしまった。

 そんな女二人が仕えている存在。もっと強い者、それがいるということだ。

 アンゼルムほどの賢い人間ならば、そこに恐怖や緊張を感じてしまうのも無理はない。もちろん、コゼットだって心に傷を負った。しかし彼女はまだアンゼルムのように高いプライドを持っていない。パーティーでも弱い方だったし、単純に〝恐ろしいものを見た〟という感覚だけが残った。


 オリヴァー達はアベスカに向けて、森の中を歩いていく。この森を抜ければ、アベスカの門が見えてくるはずなのだ。数度かの野宿は避けられないが、真っ直ぐ歩いていれば間違いなく辿り着ける。


「……変だなぁ」

「どうした?」

「森に動物が、すごく少ない気がする」


 コゼットが違和感を呟いた。森の中は昼間だというのに、酷く暗い。木々の下にいるからとか、そういった類ではない。見上げれば太陽が見えるのに、彼らのいる森の中は酷く暗かった。昼間の曇り空よりも暗く、夜の闇よりは明るい。中途半端で、気持ち悪い暗さ。

 森の木々の中を、風がざわざわと抜けていく。ぬるいようで、背筋も凍るような恐ろしさを帯びている。嫌な予感がするというのは、こういう時を言うのだ。

 そして加えて言うならば、コゼットの言葉は間違っていた。〝森の動物がすごく少ない〟のではなく、〝一匹たりとも存在しない〟のだ。これから現れる、恐怖の権化から逃れるため、この森には植物を除いた生命は何一つとして存在しなかった。

 ――そう、コゼットが森の違和感を感じ取ったときには、もう遅かった。


「――やあ」


 突然現れた女の、たった一言だった。軽い挨拶だったはずが、空気が一気に重くなる。ズシリとした重圧が、森の中を歩いていたオリヴァー達を襲った。

オリヴァーを始めとする勇者達は耐えられたものの、補助として一緒に来ていた兵士は耐えきれず、バタバタと倒れていく。

 とはいえ勇者であるオリヴァー達が、完全に耐えきったわけではない。


「ぅ、ぐ……おえっ、うえぇっ」

「コゼ……ット」


 コゼットは顔色が明らかに変わっていって、口元を抑えた。堪えきれずに、後ろを向いて胃の中のものを吐き出している。

 アンゼルムとオリヴァーは、そこまでには至らなかったものの、気分が悪くなったのは確かだ。両足もなんとか地面につけているという程度。


「……お、前……は……」


 やっとの思いで、オリヴァーが声を振り絞る。蚊の鳴くようなかすかな声だった。

 そんな三人の目の前にいたのは、金髪の女性。供回りには軍服をまとった色黒の男、そしてダークエルフの女。どれも三人が見たことのある人物。そして、金髪の女性に至っては、一緒に旅行をした〝一時的な仲間〟であった。


「また会ったね、オリヴァー」

「どうして、お前――君が……」


 オリヴァーの体はガタガタと震えていた。恐怖や怯えなどではない、怒りから来るものだ。それはオリヴァーが、この状況で様々なことを理解していったから。

どうして、か弱そうな女性二人が戦争直前のパルドウィンに、旅行に来たのか。マイラがどうして、アリ=マイアで死んだのか。なぜユリアナを連れ去った相手が、コゼットの姿を利用したのか。

 全ての疑問やピースが、合致していく。そうすれば、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。目の前の女がなんであるかも、頭の中で結論が出ていく。


「オリヴァー、あの横にいるダークエルフ……。僕達が対峙した女だ」

「どうせ、そうだろうと思った……。あの背の高い男も、俺が戦った相手だ……」


 アンゼルムからそれを聞けば、怒りが更に追加される。なんとか平静を保っているものの、爆発するまで後少しだ。


「君達はヴァルデマルに、会いに行くのかな?」

「!」

「やっぱり。だったら残念だけど、ハズレだ」


 女はフッと笑った。かと思えば、体があらぬ方向へと形を変えていく。ぐにゃぐにゃとまるで粘土のように動いて、姿が変わっていく。

 金の透き通る綺麗な頭髪は、老婆のような白髪へと色が抜けていく。ありふれている青い瞳は、不気味な白黒の反転した目へと変わる。肌には爬虫類のような鱗が這って、頭部には角が生えていく。

 女――〝アリス〟という女性は、〝アリス・ヴェル・トレラント〟という化け物へと姿を変えた。


「な……!」

「なに……あれ……?」

「変身魔術……!?」


 それを見た三人は困惑している。驚きもそうだが、魔術に対する耐性や知識が豊富な彼らにとって、これを見破れなかったことが不思議でならない。

 旅行を一緒にしていた頃は、寝食も共にしていた。護衛として片時も離れずに居たはずなのに、オリヴァーですら、最後までその正体を見破れなかった。

 きっと、オリヴァーがあともう1レベル高ければ可能だっただろう。しかしそれは、この世界を支配しているルールが許容しない。オリヴァーは199レベル。それがこの世の最高。

絶対に到達の出来ない、決定的な1レベルという差が、今回の出来事を生んだ。


「この姿では、はじめまして。私は、アリス・ヴェル・トレラント」

「……何者だ、お前」

「ふふ、フフフッ――私は魔王。お前達を殺す者だ」


 オリヴァーは目を丸くする。魔王。その響きは忘れるはずがない。数ヶ月以上前に、彼が制圧した相手。もう二度と悪事は働かないと約束させた相手。それしか知らない。

 眼前に立っている女の魔族なんて、新しい魔王なんて、知識になかった。


「魔王だと……?」

「そ、そんなわけ……」


 アンゼルムもコゼットも、有り得ないと口にする。オリヴァー同様に、本物のアリスの存在を知らないのだ。実力も、今まで潜んでいた事実も。

 オリヴァーほどではないが、魔術に長けた一族の次期当主――そんなアンゼルムが、アリスの正体を見破れなかった。彼は酷く動揺している。


「アリス様を信じないとはッ、不敬極まりないッッ!!!」

「一理あるけどよ。すげー化け物みてぇな見た目じゃねぇし、信用出来ないだろ」

「確かにッ! アリス様はお美しいからな!!」

「ちょっとー、言い過ぎだよ……」


 謙遜しているものの、デレデレと照れているアリス。自分好みに容姿を作ったのもあって、それを褒められるのは嬉しい。本来の〝園 麻子〟であれば否定していただろうが、今この姿は〝麻子〟ではないのだ。

 だから隠さずに喜んでいる。が、口は否定していた。面倒な性格である。


「そんなことはありませんッ! 言い足りないくらいです!」

「も〜……」


 このこの〜、とハインツを小突いて見せる。照れ隠しだ。

 オリヴァー達はそんな異様な光景を、黙って見ていた。頭のおかしな連中なのだから、何を言おうが彼らには響かない。ただただ、相手が動くのをじっと待っている。すぐ応戦できるよう、待っているのだ。


 アリスもそんな馬鹿正直に待っているオリヴァーを、可哀想に思ったのだろう。部下とのじゃれ合いもいい感じに盛り上がっていたが、ふと真面目に戻る。

 視線をオリヴァーに戻して、彼らに向かって口を開いた。


「……あぁ、そうだ。これならば信じるか?」

「……」

「――マイラの葬式は、よっぽど盛大だったようだな」

「貴様ァアーーーッ!!!」


 ブチリとオリヴァーの中で何かが切れた。剣を取って突進しながら、魔術を唱え始める。見開かれた目は完全に殺意を帯びていて、その鋭い視線はアリスを射抜く。

 アンゼルム達が止める隙もないまま、オリヴァーはアリスに向かって駆けて行く。


 ハインツとディオンは、一歩も微動だにしなかった。主であるアリスが狙われているのにも関わらず、表情を変えないままただ側に立っている。

 アリスならば心配ないという気持ちもそうだが、彼女が戦争を決めた以上、オリヴァー・ラストルグエフという存在は彼女のものだ。彼女自ら殺すべき、大切で大事な玩具。それに手を出して傷付けなどしたら、それこそ反逆である。


「おっとっと」


 アリスはオリヴァーの攻撃を、ヒラリとなんの問題も無く避けてみせる。この世界におけるトップ、オリヴァーの攻撃を。

 いや、トップだった。

 彼はアリスという存在を前にして、それ以下に成り下がった。そのことを理解していない彼は、避けられると思っていなかった。だから、アリスが自身の攻撃をかわしたのは、想定外のこと。有り得ないことだった。

 アリスはオリヴァーを避けた先で、魔術を展開する。アリスを知る誰もが慣れ親しんだ、〈転移門〉だった。


「オリヴァー・ラストルグエフ。味方を調節し直して、また来るといい。君の愛するユリアナ・ヒュルストは、まだ生きているよ。少なくとも、今のところは」

「なっ……!」

「また会おう、諸君」


 アリスが指をすべらせると、まるでサイコキネシスのように勇者一行が引っ張られる。展開されていた〈転移門〉へと、掃除機かのごとく吸い込まれていく。抵抗できるすきもないまま、オリヴァーを筆頭にここに来ていたパルドウィン王国の人間は、消え去ってしまった。

 設定した転移先は、もちろんパルドウィンだ。だがこれは、単なる親切ではない。


「良かったのですか、そんなに情報を渡して」

「どうせ彼らはすぐ死ぬし。魔術連合国がきちんと成り立ってから戦争かんげいしたかったけど、向こうから来たんじゃしょうがないよ」

「アリス様のご計画を崩すとはッ! やはり早急に殺すべきですッ!!」

「そうだねぇ」


 自分の代わりに憤慨してくれているハインツを見ながら、アリスはクスクスと笑った。確かに計画よりも随分と早く、勇者達がこちらを嗅ぎ回ってきた。想像よりも優秀だったと褒めてやるべきだ。

 とはいえ、マイラの殺害、ユリアナの拉致。少し飛躍しすぎた。突然勇者の恋人を奪ってしまったのだ。それはそれは、ことを早く進めるだろう。こればかりは、自分の欲を優先しすぎたことを反省している。……後悔はしていないが。


 勇者達が、再びこのアリ=マイアの国に足を踏み入れるには――最短でも数日。かかって、数週間は要する。

 それは、対アリスの編成を組み直してくる時間だ。元々再び起こる魔王戦争に関して備えていたならば、もっと早いかもしれない。巨大な河川を行き来する時間は取られども、戦争を想定して動いていたのならば、すぐにでもやって来るはずだ。

 しかし想定していたとしても、先日今年のジョルネイダとの戦いが終わったばかりだ。圧勝だったとはいえ、疲れがないわけではない。兵士達も休息を満喫しているだろう。


「してッッ、どうするおつもりですかッ!」

「まずは戻ろうか」


 だから、アリス側にも、考える時間があるのだった。

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