第三章 幕間 リーレイの旅

リーレイ、はじめてのおつかい

 魔王城を出てアベスカを突っ切り、イルクナーへと到着したリーレイ。

アリスの旅行時と違って相方がいないぶん、自分のペースでサッサと旅路を進められるのだ。

何よりも〝旅行を楽しむ〟アリスと違うのは、目的地へとっとと到達して調査任務を開始しなければならないこと。

 これはアリスに創造されて初めての仕事。

最初のテストを失敗してしまった以上、この仕事で挽回しなければならない。


 言動こそふわふわとしているものの、彼にとって〝神〟とも等しいアリスのことは最大限尊敬している。

だからこそこの仕事の重要性と責任は、しっかりと理解していた。


「アリス様はショッピングしていいと言ってたけどぉ……やっぱりそんなの二の次だよねぇ。アリス様のご期待に添えるよう、精一杯頑張らなくっちゃ……!」


 リーレイもリーレイで、アリスを崇拝して敬愛する部下なのである。

 そんなリーレイは、イルクナーの港にやって来ていた。

戦争が間近ということもあって出入りしている船は、圧倒的に少ない。

魔術もそれなりに扱えるリーレイにとって、海のような川程度問題なく渡れるのだが、これから何が起きるか分からない。無駄な魔力や力を使うわけにはいかないのだ。

 出来るだけ船を利用したほうがいいとアリスも考えていたようで、もしも船がなければ頼ってほしい船を事前に教わっていた。


「えぇっとぉ、赤い、船……。うわぁ、あれかなぁ?」


 港に停泊する、一隻の真っ赤な船。あまりにも目立ちすぎるそれは、疑いたくなるほどに人目を引く。

しかしながら港の人間は、それを避けるように動いている。

 だがこの戦争の時期に動いている貴重な船だ。向かう場所はパルドウィンではなくリトヴェッタであるが。


「アリス様のご提案だから乗るけどぉ……。僕が乗るにはちょーっと、センスが男臭いんだよなぁ」


 少々苦い顔をしながら、歩を進めた。自分が〝可愛い〟リーレイにとって、〝可愛くない〟この船は合わないのだ。

 リーレイは仕方なく船へと立ち寄る。

船の側では呼び込みでもしているのか、いかつい船員がウロウロとしている。呼び込みというより威嚇にも見えるそれは、余計に人を避けさせている。


「こんにちはぁ!」

「おう!」

「客かい? 珍しいな!」

「リトヴェッタ帝国までって~、乗せてもらえますかぁ?」

「やってるぜ! どうせ今日はもう客は来ねぇだろうから、さぁ乗った乗った!」

(……ふーん、邪魔者が居ないのは楽だなぁ。アリス様が使われるのも分かるかもぉ)


 基本的に人間に対して、リーレイは良い感情を持ち合わせていない。

それは他の幹部も同じだ。だがリーレイが少しだけ特殊なのは、アリスが付け加えた設定のせいだった。

 彼の人間に対しての考え方は、その性別によって変わってくる。

相手が男であれば比較的優しい態度を取り、女であれば厳しく――そう、まるでゴミのように接することだってある。

 これはアリスがリーレイを「男が好き」と遊び半分で設定したせいだ。

もちろん、リーレイの中での基準は、一番にアリス。そしてその次がハインツとパラケルススだ。

ゾンビのパラケルススでさえも〝おじさま〟と呼称して、語尾に「♡」とつけるほど愛を感じている。


 とはいえリーレイにも好みはある。この赤い船のように男臭いものは好きではない。

彼は〝美〟を愛している以上、清潔で美しく逞しく強い男が好みなのだ。

つまり、ハインツやパラケルススということなのだが。


 それはそうとして。

船に乗ってさえしまえば、あとは部屋にこもっていればいい。

食事も必要のない体だし、航行中の暇な時間帯は人形である自分の体をメンテナンスでもしていればいい。

 当然だがアリスによって創られた完璧な体であるがゆえに、メンテナンスなど必要ない。

これはただの自己満足であり、ある種の美意識に過ぎないのだ。


「誰それ」

「客っす!」

「!」

「……チッ、女か。あとは私が案内するから、もう良いわよ」

「うっす!」


 船に乗っていた女が、リーレイを見て舌打ちをする。風貌からして魔術師なのは分かっていたし、聞いていたとおりだ。

 リーレイはアリスから、船について幾つか聞いていた。

この女もそのひとつだ。アリスが牽制してあることと、既に当人の問題は片付いていることで面倒事は起きないはず……とも。

 とはいえリーレイに対してこの態度。

彼女のことを考えれば、〝取られる〟という心配のもと出てきた不機嫌と舌打ちなのだが――リーレイはそれを知るはずもなく。


(こいつがアリス様の言っていた女か。威嚇してくるかもって言ってたけど――なぁんだ、心配ないじゃん)


 女のステータスを確認すると同時に見えた、腹の中。心の内というわけではなく、本当の肉体の中の話である。

 微かに感じ取れる生命反応は、ほんの数日前くらいに生まれたのだろう。


「えへへ! 安心してよぉ、僕ぅ男だからぁ!」

「は、はあぁあぁ!?!?」

「それにぃ……君妊娠してるよぉ?」

「…………っ!? 何言って……!」

「タイミングからしてぇ、アリス様と出会ったあとかなぁ?」

「……! アリス!?」


 女――リュシーはそこでハッとした。

最近船に乗せたあの怪しげな女。あの女のお陰でヘルマンとくっつけたわけではないが、それでもあの女が下りたあとに二人は結ばれた。


 ずっとヘルマンを思い続けてきたリュシーと、いつかは諦めると思って我慢していたヘルマン。

「俺が船乗りをやめたら」というヘルマンからしたら有り得ない理由は、リュシーが諦めてくれると思って出した言い訳だ。

 魔術師としての才能もあって、小さくて可愛らしいリュシー。

そんな彼女が自分を好いてくれるなんて、奇跡にも近いことだ。だからヘルマンは、リュシーの勘違いかなにかかと思っていた。

 しかしながら結果は二人とも幸せになった。


「……そう。――ヒッ!?」


 リュシーがゾワリと悪寒を感じ取る。目の前の可憐な少年だった存在から、酷く恐ろしい死の匂いが漂っていたからだ。

言わば呪い。国一つを飲み込めるようなそんな強大な呪いが、一気に溢れ出ている。

 リーレイの肉体からは、ピキパシ、ミシミシなどと不思議な音が漏れている。

人形の体が呪いにより変形しているのだ。

とはいえまだまだ肉体が耐えられる程度の呪いのため、大きく破損することはない。


「――訂正しろ」


 普段のリーレイとは思えぬほどのトーンで喋る。エンプティが心配するようなふざけた喋り方などなく、冷たい見下す視線とともに口を開いている。

リーレイが怒りを含めて喋っただけだというのに、あたりの空気が一瞬にして重くなる。

 これこそまさにアリスが旅行時に何度も危惧していた「ガブリエラではなく、幹部を連れてきていたら……」という問題だ。

アリスのことを一瞬でも笑い、貶し、馬鹿にするようならば――その場には一瞬にして死体が積み上がるのだ。


 突然態度を変えたリュシーは、ブルブルと震えながらなんとか間違った言い方を正す。

あの魔術を打ち消した化け物の知人とあらば、ここで逆らえば――と彼女も察したようだ。


「あ、ぃ、えと……あ、あの女性の、お知り合い……なの、ね……」

「…………そう、崇高なあのお方の部下。二度と〝あの女〟などという言葉を使うな」

「ご、ごめんなさい……」

「チッ、申し訳ありません、だろう。口の利き方に気を付けろ人間の雌が。僕は部屋にこもる。誰も寄越すな。食事もいらない」

「申し訳ありません……わ、わかりました……」


 リーレイは怯えるリュシーの横を通り過ぎて、用意された部屋へと進む。

リュシーには一瞥もくれずスタスタと歩いていった。




「はーあ、つまんなぁい。アリス様にご連絡しよーっと。――アリス様、今お時間ありますかぁ?」

『――はいよー。どしたの? 定期連絡かな?』

「はぁーい! えっとぉ、今ぁ船ですぅ」

『おぉ。ヘルマン達は元気そうだった?』

「えーっと、女は妊娠してましたよぉ」


 リーレイがそう伝えると、アリスから感嘆の声が上がった。彼女にとって喜ばしい報告だったようで、リーレイは得した気分だ。

少しだけあのアリスを馬鹿にした言動を許そうと思ったのだ。――完全に許すつもりはさらさらないが。


『そっかそっか。それじゃあまた国に到着したら、連絡をちょうだいね』

「もちろんですぅ。……あのぉ、アリス様って今ってぇお暇ですかぁ?」

『んー、ごめん。これからちょっとベルとやりたいことがある、かな……』

「そうですよねぇ、ごめんなさいっ! 次の連絡をお待ち下さぁい!」

『うん。よろしくね』


 ぷつりと通信が切れると、リーレイはため息を吐いた。

航行は数日に及ぶため、暇な時間はどうしても出来てしまう。少しでも尊敬する主人と会話をして、時間を潰せれば……と思っていたのだ。

だがうまくいくはずもない。


「あーん、もう! メンテナンス、メンテナンス! いっぱい走ったから、脚からぁ!」


 やけくそになったリーレイは、脚を外してメンテナンスを開始した。

メンテナンスに集中しすぎていたリーレイが、ノックに気付かずあわや騒ぎになりかけたのは別の話。

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