スライネン王国
ディオン・ヒミネ・スライネンは、ダークエルフの国であるスライネン王国の長女である。
しかしその〝ディオン〟という名前は、主に男性名として扱われる。
父親であるグレーゴーア・ヒミネ・スライネンは、あえて彼女にこの名を授けた。
それは、グレーゴーアが第一子の性別を男であることを望んだからだ。
生まれた瞬間、性別が女であることが判明した瞬間。ディオンの人生は決まった。
名前を男性名にされ、男であるように育てられた。
マナー、立ち振舞い、そして戦い方。グレーゴーアの望みではなかった彼女は、グレーゴーアの望みに添えるように矯正され、育てられた。
そんなディオンが己を失わなかったのは、母であるオネルヴァ・ヒミネ・スライネンのおかげであった。
暴君とも言える夫のやり方に、優しき母たる彼女が許せるはずがない。
愛するディオンが、まるで人形のようにいいようにされている姿を、笑顔で見れるはずがない。
――貴女は強くて優しい、良い子。そして誰よりもかわいい女の子なのよ――
それがオネルヴァの口癖であった。
訓練と勉学の合間を縫って、ディオンがオネルヴァへ尋ねたときはいつもそう言う。
汗だくで傷だらけの顔や体を、優しく撫でながら。
ディオンは幼い頃から父親によるスパルタ教育を受けてきていたが、別段グレーゴーアを嫌っているわけでもなかった。
自分が生まれた環境を早くから理解し、そして父親の期待に添えなかった自分を見つめた。
性別などは、もはやディオンには関係のないことであった。
否、そう父親に思わせるほど、彼女は強くなった。
「チッ……。ハイエルフのいけ好かない魔術師どもめ……」
「ディオン隊長も、よくまぁあんな頭の固い年寄りどもに噛み付きますね」
「仕方ねぇだろ。気になったもんは気になるんだよ」
「でもハーフエルフの問題は、しょうがないですよ」
ディオン率いる小隊は、父であるグレーゴーアに頼まれた魔物討伐任務に駆り出されていた。
スライネン王国の末端である僻地に、エルフを襲う魔物が侵入したとの報告を受けたからだ。
そしてそこはちょうど、ハイエルフの国との国境地点。となれば必然的に、ハイエルフとかち合うわけで。
ハイエルフもハイエルフで、彼らの自領に及ばぬよう数名派遣されていた。
何と言ってもハイエルフはプライドが高く、自身の部族に誇りを持っている。そしてそんな彼らは、ハーフエルフという人とエルフのハーフを忌み嫌っている。
「一応少しは俺達の血が入った――仲間なんだぜ? それを〝汚らわしい〟だの〝蛮族〟だの……頭がおかしいだろ」
「ダークエルフでもそこまで心配してるのって、隊長くらいですよ」
「そうかぁ?」
「でも、次期国王であるディオン隊長が心配するなら、もっと国民の考えも変わるでしょうね」
――次期国王。
ディオンはそのために育てられたと言っても過言ではない。
だがそんなディオンに不幸が訪れた。
ディオンが生まれて数年経った頃に、オネルヴァが再び身籠ったのだ。
そして数ヶ月経て生まれたのは、グレーゴーアがあれだけ望んでいた男であった。
グレーゴーアは、ディオンの教育と訓練を放棄した。
ほしかったオモチャを手に入れた子供のように、今まで我慢して使っていたものを簡単に手放した。
それこそディオンの心が、本当に壊れるところだった。
オネルヴァが常に彼女を励ますように言っていなければ、きっとディオンは完全に心を閉ざして折れていただろう。
弟であるヨルクの教育に力を入れるグレーゴーアをよそに、ディオンは一人黙々と特訓を続けた。
グレーゴーアがヨルクへスパルタ教育、たまに見せる溺愛と賛美。その間にまだ幼いディオンは隊について回り、危険地帯や魔物の狩りに明け暮れた。
グレーゴーアが気付く頃には、ディオンは隊を率いる一人の戦士となった。
ディオンが率いた部隊の死亡率は圧倒的に低く、部隊に入りたいと志願するダークエルフも多かった。
厳しいながらもしっかりと一個人を見て、指摘をしつつ褒めてくれるディオン。
そんな人徳ある彼女は、王に相応しい存在となっていた。
「次期国王ねぇ……。本当に俺でいいのやら」
「何を言ってるんですか。ヨルク様は確かに第一王子であらせられますが、酷い噂も聞きますし」
「……あー、部下を殴って躾けてるって話か」
ヨルクの問題は、上げたらキリがない。
部隊員の言うパワーハラスメントもといほぼDVに、わがままな王子気質。
グレーゴーアにマンツーマンで教わったせいで、現場の事情もあまり良く知らない。
それに比べてディオンは、王からの教育もさることながら――独学で学び、全て現場で得た知識と経験が今を支えている。
一時期は「女が王だなどと!」といって、文句を上げていたダークエルフも多く居た。だがヨルクの荒い面が段々と顕になって、現在ではディオンを王にする動きが強い。
「ヨルク様を王にしてしまいますと、国が滅びかねませんよ。それだけじゃなくとも、魔王が再び顕現したという話もありますから」
「んだそれ? 俺は知らねぇぞ」
「国としては、正式な調査をしていませんからね。国王陛下も隊長に伏せていたかもしれません」
「……詳しく頼む」
部下は見聞きした情報を、ディオンへと話した。
ここ最近再び魔王軍が活発化していること。サキュバスとインキュバスが、魔王軍に取り込まれたこと。
森林地帯に発生した巨大なクレーターに、多数の魔族が続々と魔王軍側に再び付き始めたこと。
「この世の頂点に到達した――勇者を目の前にしたヴァルデマルがですよ。あの彼が屈したそうなんです」
「なんだと?」
「うちも早めに魔王軍に顔だして恩を売ったほうが――ってもっぱらの話題ですよ」
「恩、ねぇ……」
エルフ達は先の戦争では、どっちつかずの存在だった。
どちらかと言えばヴァルデマル率いる魔王軍側ではあったが、それは力に屈して仕方なく傘下に入っただけのこと。
元々は知らないフリをしておくつもりだった。
だが戦地が彼女らの住んでいる地区まで及んだせいで、己を守るために人間と戦わざるを得なかった。
何と言ってもハーフエルフに至っては、半分が人間だ。
それだというのに人間と対峙して戦わなくてはいけないのは、どうにも困惑し混乱するだろう。
せっかくそんな面倒事が終わって、やっと日常が取り戻せたというのに。
邪悪という存在は、休みを許してくれない。
とはいえヴァルデマルが頭を下げた、化け物とも言える勇者を凌ぐ存在。どう考えても敵に回すべきではない。
「……まぁ、今回の討伐報告がてら、父上に聞いてみるさ」
「そうしてください。動くとなれば、我々も関わってきますから」
「あぁ」
◇◆◇◆
「おぉ、ディオンか。どうだった」
「無事完了致しました。ですが、少々ハイエルフといざこざがありまして」
「またあの貴族共か。よい、こちらで何とかする」
「ありがとうございます。……ところで、母上のご様子は」
「……あぁ」
オネルヴァは、数年前から体調が芳しくなかった。
原因は通称・黒い呪縛、ブラック・ロベリアのせいだった。
グレーゴーアを狙った暗殺者が、茶会の茶器にブラック・ロベリアの朝露を塗っていた。花弁よりも威力はないものの、長い時を掛けてジワジワとオネルヴァの体を蝕んでいる。
元々魔術には精通していない、武術での発展を遂げたダークエルフの国・スライネン。
症状を緩和することはできても、完全に癒やすことは出来なかった。
日によっては体調が良くなることもあったが、それはたまたまだ。基本的には年々、オネルヴァの体調は悪くなるばかりである。
いつだったか、そんなオネルヴァに対してヨルクが言った一言に、ディオンは胸ぐらを掴んで激怒したことがある。
『――いっその事、即死の花弁であれば母上も楽だったでしょうに』
ヨルクを殺さんばかりに憤怒したディオンは、グレーゴーアと小隊の仲間に押さえられてやっと落ち着いた。
ディオンにとっては、己を失わずに今まで成長できた大切な母親だ。
そんな愛する家族を侮辱されて、怒らないものがいようか。
「今日はまだ楽なようだ。供回りをつけて、庭園で花々を眺めておった」
「そうですか……」
「話は変わるが――ウッドエルフ、ハーフエルフから通達が来てな」
「通達?」
「うむ。最近魔王軍が活発化しただろう。どうやら、新たな魔王が生まれたらしいのだ。その二部族は手土産を持って、挨拶に行くらしい」
ディオンも馬鹿ではない。この流れからすれば、何を頼まれるか分かっている。
グレーゴーアは母が心配だから、国を離れられない。――彼女があの状態になってしまったのは、元々自分を狙った暗殺者のせいだからだ。少なからず、責任を感じているのだろう。
ヨルクは手に負えないわがままで自己中心的な王子だ。誰かに媚びへつらって仲を取り入ろうなんて、彼には到底出来るはずがない。
むしろ悪評を立てて、ダークエルフの信頼を地の底まで落とすことだって出来るかもしれない。
となれば残されるのはディオンのみ。
小隊や他の国民からも認められる彼女ならば、なんとかうまくやってくれるだろうと。
「俺が向かえばいいのですね」
「すまないな。料理人はこちらで選定しておくゆえ」
「では、他族との日程調整をして参ります」
「頼んだぞ」
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