洗礼の湖2

 戦闘が終わったのは日が暮れ始めた頃だった。

あの魔物たちに出会わなければ夕方には到着していたはずだったのだが、少し歩いただけで辺り一帯が夜と化してしまった。


「ごめん、アリス。今日はここで野宿だよ」

「し、しょうがないよね……」

「別に構わないよ。気にしないで」

「野宿かぁ、だるいなぁ……。アンゼルムぅ、精霊出して警戒しといてね!?」

「はぁ? どうして僕がそんなことしないといけないんだ? 別に野宿は珍しいことではないだろう。物音がしたら起きて確認すればいい話だ」

「そ、それが出来るのは、あ、アンゼルムとオリヴァーだけ……ね」


 幸いにも野宿が出来そうな場所を発見したため、今晩はそこで休むことになった。

周囲には村もなく宿も取れないため、しかたなくの野宿だ。

 ガブリエラが少し腹を立てていたが、なんとか我慢させた。

無論ガブリエラが苛立ったのは、アリスにこんな場所で一晩過ごさせることへの怒りだったが。


 簡易的な寝床も準備ができて、いい頃合いだ。マイラは慣れたように食事を作り始め、それを囲んで会話が始まる。


(こいつらが居なければ、適当に魔術空間で寝泊まりしたけど――まあこれも旅の醍醐味、ってことかなぁ)

「ホントなら一日で着くんだけどねー!」

「嘘つくなコゼット。依頼主に無理をさせる気か?」


 陽気にしゃべるコゼットに、アンゼルムがツッコミを入れた。

さすがのアリスも気になって、アンゼルムに質問を投げる。


「それなら普通は何日かかかる場所なの?」

「あぁ。大人なら二日、もしくは三日かかる。体力バカだったりすれば、一日程度で着くだろうが――君の旅は急ぎではないのだろ?」

「まあね」

「ならば急がなくていいだろう。湖は逃げないしな」


 丁寧に答えてくれるアンゼルムを見て、そろそろアリスに対する警戒も緩んだことだろうと心のなかでほくそ笑む。

 もう何時間も一緒にいるというのに、アリスとガブリエラにかけた魔術も見破られることもない。

この先にある湖が難点だが、今の時点では全て合格だろう。


「夜中に動くのは危険だ。いくら僕らがいるからって、守りきれるわけじゃない」

「そうだよねぇ」

「ご、ごめんなさい。折角の旅行なのに、野宿なんて……」

「いんだよー、気にしないで」

「ねぇねぇ! アタシちょっと焚き木拾ってくるねー」

「! それ、私が行ってもいいかな?」


 マイラの夕飯作りを待っている間、暇そうにしていたコゼットが立ち上がる。

彼女の言う通り焚き木は必要だ。夜は魔物だけではなく野犬や狼、熊なども驚異となりえる。

焚き木を絶やさず燃やしておけば、そういった心配も少しは軽減するのだ。

 だから誰かしら、必要数探してくるのが普通だ。今回はたまたまコゼットだったが、アリスはどうしても代わってほしかった。


(ハインツへの定期連絡をしないとだし――何よりこの空間がキツイ)


 この場にいるのは十代のうら若い少年少女である。

勇者の中の人の年齢は知らないが、誰がどう考えても人生が一番楽しい時期である十代と、くたびれた三十代手前の働くだけの会社員とでは価値観が違いすぎる。

 それに純粋にアリスが、この空間に耐えられないのもあった。


「で、でも依頼主にそんなコトさせるのは……ね」

「マイラの言う通りだな」

(マイラーーーッ! アンゼルムーッ!! 今は正論とかどうでもいいから、私の言うとおりにしろーー!!)


 無理矢理作っている笑顔が引きつり始めるアリス。学生のノリについていけない大人は、胃が痛むのだ。


「……はぁ。ハッキリ言うけど、あなた達とは違うんです。正直この空気感が合わないと言うか。年齢も違うので。すこしくらい二人の時間をくれませんか?」

(……がっ、ガブリエラ……!! いや、ガブリエラ様!!)


 アリスが言いたくても言えなかったことをバッサリと言い捨てたのは、ずっと黙って聞いていたガブリエラだった。

オリヴァー達はその言葉にポカンとし、開いた口が塞がらない様子だ。

アリスはアリスで、ズケズケと単刀直入に言ってくれたことに酷く感激していた。


 ようやく慣れてきた異世界と、魔王という地位。

しかしながら相手を思いやる日本人精神というのは、アリスもとい麻子の中にしっかりと染み込んでいたようで。

 本来であればガブリエラを待たずとも、ハッキリと言うべきなのだろう。だがそれが出来ないのは、アリスの魂を縛り付ける日本人という心なのだ。


 それになんと言ってもこの旅で一貫して、ガブリエラは勇者に対してつっけんどんな態度をとってきた。だからこそ咎められずに、この発言を許されたともいえよう。


「そ、そっか。そうだよね!」

「そうだよな。アリスとは十歳近く離れてる……んだっけ?」

「おい、オリヴァー。女性に対して年齢の話は失礼だろう」

「オッケー、じゃあアリス、ガブリエラちゃん! 焚き木よろしく!」

「あ、う、うん。ありがとう」


 まさしくガブリエラのお陰で九死に一生を得た感覚だった。まさかこんなところで別の意味で死にかけることになるとは、アリスも思わなかったのである。

 無事に勇者パーティーから離れられたアリス。

ある程度彼らから距離を置いて、会話も聞こえないと言うほどの場所に来る。


「ごめん、ガブリエラ。私はハインツと定期連絡をしたいんだ」

「分かってますよぅ! えへっ、焚き木……いっぱい集めてきますね!」

「よろしくね」


 ガブリエラが森の中に消えていったのを見送りながら、アリスはふと思った。

今は夜である。獣を心配して一晩中、火を絶やさぬようにするくらいだ。現在も森の中に獣が存在する。

 ガブリエラのレベルでそれらを対処できるか――といえば、些か不安が残る。

襲われて死んでしまったら元も子もないし、激しい戦闘音が聞こえればせっかく置いてきた勇者達がこちらに来てしまうのだ。


「〈流水のアクアティック・踊り子ダンサー〉」


 これは先程アンゼルムが使用した魔術だった。現れたのは不安定な人の形をした精霊――ではなく。

一瞬人と見間違うかのような完璧な形。明らかな水ではなく、まるで人のよう。

浮遊すること無く地面に足をしっかりと着けて立っており、見に包む衣服も踊り子というより舞踏会の華だとも思える。

華やかなレースたっぷりのドレスを身にまとい、貴族のような優雅な立ち振舞いだ。


「あれ、アンゼルムのとなんか違うな」

『一緒にしないでくださいませ』

「喋るの!?」

『わたくしはこの世の頂きに立たれた貴女に作られし、完全な踊り子に御座います』

「へーえ」


 この世界の魔術は同じ魔術でも、術者によって性能が左右されることがある。

属性付与の矢を降らせる魔術であっても、その使用者の魔術適性や魔力量、魔術攻撃力などで全てが変わってくる。

一本しか撃てないものもいれば、何分にも及ぶ数百もの矢を撃ち込めるものだって存在するのだ。

 魔術にはランク付けされており、最低でEランクからAランク、Sランク。そして今は誰も見たことのない神の領域……人は到達し得ない場所――Xランクが存在する。

Xランクは、はるか昔大賢者や大魔術師を数十人召集して成し得た、とされるが実際は不明である。


 もちろんアリスにはこの世の全てが入っているわけで、その伝説級のXランクですら習得している。

もっと言えば魔術適性も攻撃力も魔力量も、この世界の常識を超えてカウントストップしている。

 だから今生成された踊り子がアンゼルムと違う形、完成された踊り子となっていたのだ。


『何なりとご命令ください』

「じゃあ、森で薪拾いしているサキュバスがいるから、そっと見守ってて。獣や魔物に襲われたら守ってあげてくれる?」

『お任せください』


 踊り子はそう答えると、パッと水蒸気になってガブリエラの向かった方向へと漂っていった。

突然形状を変えたことにアリスは驚いたが、あんなドレスで森の中を歩かれても逆に目立ってしまうので気にしないことにした。


「さて……。ハインツ」

『はっ! 如何致しましたッ』

「定期連絡だよ~。一日じゃたいして進展はないだろうけど……どうかな?」

『滞りなくッ!』

「そっか。良かった。じゃあさ、ちょっと聞いてほしいんだけど――」


 アリスはハインツに、昨日の報告から起きたことを話した。

勇者の実家に行くことになった話と、途中で湖に寄ることになった話だ。

 勇者が同行している時点で危ないと言うのに、その実家にまで招待されたとなると更に危険だろう。

アリスを信じて何でも許容してきたハインツでも、反応があまり良くない。


『実家、ですか!』

「ごめんねえ」

『いえ! もうここまで来てしまえば仕方がありませんッ。これだけ一緒に行動されても、擬態が見破られてませんので問題はないかと!』

「ありがと……」

「アリスー! 食事が出来たよー!」

「! ……ごめん、ハインツ」

『はい! ではまたッッ』


 大声で叫ぶコゼットの声でハッとする。

それを聞きつけたガブリエラが木々の間から現れる。両手いっぱいに細い枝を持っていた。

背後に水蒸気が漂っていたのを確認すると、アリスはすぐに〈流水のアクアティック・踊り子ダンサー〉を解除した。




「す、スープ、簡単なの、出来た……ね」


 野営地に戻れば、マイラが鍋を抱えて微笑んでいる。見た目はとても美味しそうには見えるが、そこから漂う匂いは普通のスープには思えない。

野菜や薬味などとは違う青臭い何かが香るのだ。


「わぁ! 美味しそうです!」

「うげっ、微かに漂うこれはなんの薬草〜?」

「秘密、だ……ね」

「うぇ〜」


 入っているのは薬草であった。ヒーラーだけあって、こういったことをよくやるらしい。

見た目は普通のスープ同様美味しそうなのに、その隠し味のせいで変な苦味と青臭さなどがあるのだ。

もちろん効果はきちんとあるのだが、普通のスープを飲みたいのにこんな時にまで薬を味わいたくないのだ。


 アリスもスープを受け取って口をつける。味は……あまり良いとは言えない。

どうせ効果も意味をなさないし、腹に入れど膨れるわけではない。

 美味しいものを食べるということが嫌いではなかったため、なんとか〝娯楽〟として昇華出来ているものの。この食事はその娯楽にすら値しない。


 だが彼らにとってはそれでいいのだろう。まずいスープだろうがなんだろうが、青春というスパイスと仲間というトッピングで、最高の料理になり得るのだ。

ほんのり温かい食べ時のスープであっても、アリスには酷く不味く思えた。

 仲間がいないからか。それとも、目の前の光景が甚く腹立たしいからか。


(あーあ、楽しそう。普通の学生みたい。この子達全員、私が殺すんだよなぁ……。そんなの……)


 アリスはスープに視線を落とした。小ぶりな具材の中で揺れるスープ。かすかに映る自分の顔。

それは園 麻子であったときの顔とは全く違う。


「……絶対、楽しいなぁ……」

「どうした?」

「え、いや……。皆さん仲が良いんだね」

「そりゃ……色々経験してきた仲間だから」

(仲間ねえ……)


 同じ時間を共にして、命を預けて戦ってきた仲間なのであれば。

殺すときもじっくりと時間をかけてやろう。じわじわと、いやらしく、相手を追い詰めてやる。

 一人ずつ切り離して、絶望を相手に撒き散らすのだ。次は誰だとも教えず、一人、また一人と姿を消してやろう。

 そして決まっているメインディッシュ。勇者・オリヴァー。

仲間が誰も居なくなったその状況で、全てを明かしてやるのだ。

組合で出会った二人組は。道中で魔物から必死に守ったあの女は。あの時に一緒にスープを飲んだ女は誰か。

 きっといい顔を見せてくれるのだろうな、とアリスは微笑む。


「……素晴らしいね」

「ありがとう」



 翌朝。

悪い天候に見舞われることもなく、出発も快調だった。

 昨日の魔物襲撃もあってからか、一同の警戒心は強かった。とはいえ結局湖に辿り着くまで、戦闘行為は一度も行われなかった。

アリスとしてはあの時に戦闘に参加しなかった、コゼットとマイラの二人の実力も見たいという気持ちがあった。それ故に少しだけ残念でもある。


「うわぁあ! 見てください、アリスさん! とーっても綺麗ですぅ!」

「どう? ガブリエラちゃん! 綺麗でしょ!」

「あなたは話しかけないでもらえますか?」

「も~っ!」


 確かにガブリエラが嫌いな人間の前で、はしゃいでしまうほど綺麗な場所だ。……コゼットに話しかけられた瞬間、真顔になってしまったが。

果てしなく水が透き通り、まみえる水底もゴミや汚れなどなく美しい。

しかしながらそこには魚などの生命や、水草が生えていたりもしない。それはこの湖の主がそれを許容していないからだ。

 言うなればこの湖は家だ。精霊が許可しない限りそこに生命のたぐいは存在出来ないのだ。


「適性を見る気にはなったか?」

「……やっぱり怖いので遠慮しておくよ」

「そうか。僕は久々に確認してもらおうかな」


 これはアンゼルムなりの気遣いだ。アリスが精霊の査定を断っても、その美しい姿を見せてやろうということなのだ。

アリスとしても勇者ですら称賛する存在を見られるのはいい機会だった。


 アンゼルムは湖の前に立つと、己の魔力を湖に注ぎ始める。

言わばこれはお賽銭のようなもので、適性を聞くための対価である。

 何よりもその注がれた魔力からその適性を見出すため、素材の提供とも言える。一石二鳥なのだ。


『私を呼びましたか、人間の子よ』


 ざぱぁ、となにもなかったはずの水底から、一人の精霊が姿を現した。

男とも女とも見受けられるその中性的な容姿だった。だがハッキリ言えるのはその顔が美しいということ。

 長い金髪に、妖艶な白い瞳。古代ギリシャを思わせるキトンを纏っていた。

 パッと見ただけでは人と見紛うだろう。だがその湖の上にふわふわと浮いている姿を見れば、この者が人間ではないと理解できるはずだ。


「以前に適性を見ていただいた、アンゼルム・ヨースと申します。本日は改めてそれを調べて頂きたく……」

『おぉ、ヨース一族の子か。覚えておる。我の診断を疑うのかと返したいが――成長したのだと実感したいのだろう?』

「ええ。失礼だとは思っておりますが……」

『良い、気にするな。ふぅむ、そうだな――いっ!?』


 ふと精霊が目線を外した時だった。視界に映ったのは、アンゼルムを眺めていたアリス。

精霊はビクリと震えた後、引きつった笑顔を作った。


《喋るな》

(ヒッ、はい!)


 アリスは咄嗟に精霊へとテレパシーを送った。幹部でもない初見の相手だったが、うまく行ったようだ。

精霊もそれに倣って心のなかで会話を始める。


《魔力を判定できる力があるのならば、きっと私の正体も見破れているのだろう》

(お、仰るとおりです! ハイ! 貴女様のような強大な力に、気付かない馬鹿がおりましょうか!)

《今目の前にいるだろう……。まあいい。私のことには触れるな、それだけでいい》

(ひ、はいぃ……)


 精霊が奇声を発した後だんまりを貫いていれば、アンゼルム達も怪しむというもの。

とにかく身分さえばれなければいいアリスはとっとと会話を済ませて、精霊がその査定を済ませるよう急がせた。


 アリスの真の姿を知ってあれだけ怯えるとなれば、結局勇者が勧める精霊であってもアリス以下ということになる。

期待していたわけではないが、あまりにもつまらなかった。


『――ということだな。う、うむ。前よりも成長していますね!』

「ますね?」

『して、おるな!』

(あの馬鹿……)


 湖の精霊たるものがアリスに怯えて威厳を失っているさまは、見ていてヒヤヒヤしたという。

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