第二章 アリスの旅行

その頃

 パルドウィン王国。

それはこの世界の北東に位置する国の名である。小さな国々から成り立つ「アリ=マイア教徒連合国」とは違い、一国で広大な土地を誇る。

自国は領土が世界で二番目だと豪語しているが、それを否定する国もある。

 北部にはヘイナルオマ山脈、北東にはユハナ山地という山々に囲まれ、そのさらに奥へ向かえば雪原地帯がある。

雪原に住んでいる人間も確認されているものの、普通に住まうには過酷すぎるその雪原地帯には、亜人種が多く観測できる。

――これは世界最大の国リトヴェッタ帝国でも同じである。


 そしてパルドウィン王国を語る上で必須なのが、河川を挟んで南に位置する敵対国家のジョルネイダ公国。

その二国間で毎年のように戦争が起こることは、どの国でも知っていることだ。

だが知っているだけだ。戦場もこの二国間の土地で行われ、他国にかかることはまずない。

だから誰もそれに気を止めないし、助けようともしない。


 理由としてジョルネイダ公国の有する砂漠地帯が、年々居住区へと侵食をしているからである。昔はもっと少ない地域に存在していた砂漠地帯だったが、現在は四割以上を覆っている。

 なんと言ってもその砂漠地帯にはモンスターも住まい、人間が生活するには危険が伴う。

 このままでは完全に国が飲まれるのも、時間の問題であった。ジョルネイダ公国は焦るように毎年のようにパルドウィン王国に戦争を仕掛けている。

 だが今年もまだパルドウィン王国が存在していることから、ジョルネイダ公国が勝ったことはないのだ。


 そして今年も例年通り、戦争の時期が近付いている。





「オリヴァーは戦争に参加すんの?」


 そう青年に尋ねるのは、コゼット・ヴァレンテだった。

オレンジ色のセミロングヘアに、茶色のつり上がった瞳。誰がどう見ても勝ち気な少女だと分かるその容姿。

 身に纏うのは、パルドウィン王国に存在する学校――ストロード学院の制服だ。青のブレザーに白のプリーツスカート。男子生徒は白いスラックスを着ている。

胸ポケットには黄色い刺繍が施されている。知っている人間が見れば誰もがわかる学校の印――ワシの描かれた校章だ。

 普段なら誰もが怒るであろう、「机に座る」という行為を許容されているのは、彼女とその周りの人間達が優秀であることを示している。

教師ですらそれを咎められないのがそれをよく表しているのだ。

 コゼットがその飴玉のような瞳を少年に向けていると、別の少女が口を挟んできたではないか。


「お、オリヴァーくん、戦争に行っちゃうんですか!? わたし、ちょっと嫌だな……」

「ちょっと早とちりしないでよね、ユリアナ。アタシが聞いただけだっつの」


 少し食い気味に聞いてきたのは、ユリアナ・ヒュルスト。

本来ならば大人しい少女なのだが、愛するオリヴァーのためならば何でも首を突っ込む少女だ。

恋とはどんな人をも盲目的にさせる。そういうことだろう。

 水色の美しい瞳がオリヴァーを見つめ、潤んでいる。勢いをつけてぐいっと割り込んできた反動で、彼女のきれいな金髪がさらりと流れた。その髪はよく手入れされているのがよくわかる。

 そこでようやっと話の中心にいたオリヴァーと呼ばれる少年の口が開く。


「安心して、ユリアナ。俺は戦争には出ないよ。そんなことしたら、相手の国が……」

「ま、そーよね。良かったぁ。アンタが出るっていうなら、アタシらもでなくちゃだし」

「た、確かに!」


 ユリアナはオリヴァーとコゼットに諭されて、ホッと胸を撫で下ろす。

オリヴァーは、パルドウィン王国よりもジョルネイダ公国よりも、戦争よりも、オリヴァーの身の心配をしてくれたユリアナを愛しく思った。


 ――オリヴァー・ラストルグエフ。

英雄と称される冒険者の夫婦に幼い頃から剣術魔術の英才教育をされ、その力は規格外。

剣術をやらせれば国一番の剣士を負かし、魔術を使わせれば大魔術師と崇められてきた老師を跪かせ涙させた。

親から離れて学校に通うようになってからも変わりはない。あいも変わらず功績を生み出し、国に貢献し、民を守り続けている。


 そして何よりも、彼は所謂「勇者」であった。

魔王軍が生まれたと聞いて、真っ先に白羽の矢が立ったのは彼だ。そして誰もが納得した。あの大英雄たちの一人息子。

国一番だった剣士も、大魔術師の老師も、誰もそれを咎めることはなかった。

――彼ならばやり遂げ得てくれると。


 彼は期待を裏切らず、予想通りの結果を出した――というわけではない。国、世界としてはヴァルデマルを葬ってほしかった。

だが彼はそれをしなかった。優しさか、甘さか、慢心か。それは彼にしか分からない。

 しかし文句を言えども、厳しく口を挟める人間はいなかった。

それもそうだろう。彼はこの世界で唯一最大レベルの「199」に到達している人間なのだ。彼の両親ですら190台だというのに、その息子はそれをゆうに越したというのだ。

文句を言ってオリヴァーを怒らせて危険なことになる……なんて考えはオリヴァーの人柄考えられないが、世界を救ってくださった英雄サマ勇者サマの考えを否定するのも至難の業だ。

そんなことすれば国民やその他狂信者から何をされるか。


 もちろん、全員が全員、国民のすべてがオリヴァーの判断を許しているわけじゃない。特にアベスカを始めとする被害者が多い国はそうだ。

家族を失って絶望している彼らは、その犯人がまだ生きていることをよく思わないだろう。

いっそのこと殺してくれたのならば、少しは復讐心や傷ついた心が癒やされるというものだが、あの小僧はそれをしなかった。

 人を無残にも殺していったあの魔王を野放しにして生かしている理由が分からない。勇者のような崇高な人間はそんな考えに至るのだろうか。

いくら考えても、一人の少年の考えは被害者家族には分からなかった。


 さてそんな彼は、今年でストロード学院最終学年である。成績優秀で常に首席をキープしてきた彼にとって、このまま卒業することなど容易い。

友人にも恋人――ユリアナにも恵まれ、何不自由なく楽しく過ごしてきた。

 しかし少し前に魔王との戦争があったり、ここ最近は学院内でも学期末の忙しさを受けている。

オリヴァーとしては、卒業前にみんなで(個人的にはユリアナと二人で行きたかったが)旅行にでも行きたいと思っていた。


「……なぁ、みんな次の長期休みはどうする?」


 オリヴァーが申し訳なさそうに声を上げると、みなが顔を見合わせて驚いていた。何を言っているのだろう、と。

 英雄の子であり、彼自身も英雄なのだ。彼が「こうしよう」といえば誰もが従うだろう。だがそれをしないのが、オリヴァーの好かれるところなのかもしれない。


 コゼットとユリアナが驚いて困惑しているなか、グループにいた一人の少年が話の輪に入る。

男にしてはよく整えられたプラチナブロンドの頭髪に、紫色の瞳。その瞳の色を見ればどこの一族出身だか誰もがわかる。……少なくとも、パルドウィン王国に住んでいる人間は。

 名をアンゼルム・ヨース。ヨース家の跡取りである。

ヨース家といえば、紫色の瞳だ。遺伝子情報が強く、生まれてくる子供には必ずと言ってその色が現れる。

その瞳の色は強い魔力を示しているため、兄弟姉妹がいる場合は色の濃さで跡継ぎが決まるのだ。

 両親はオリヴァーの両親とともに国に貢献した。腕利きの騎士団団長の父と、それを補助する策士兼後方支援型の魔術師の母だ。

 オリヴァーとアンゼルムは、今でこそ幼馴染で仲のいい親友であるものの、出会いは親繋がりだった。

戦場を共に駆けたラストルグエフ夫婦とヨース夫婦とで、戦後も仲良く付き合いがあったのだ。


「行きたいのだろう、旅行」

「旅行? ならユリアナとだけで行けばいいじゃん」

「ふえ!?」

「そ、それもいい、けど! でも、みんなで一緒にいられるのは、これで最後かもしれないだろ」


 オリヴァーが言うと沈黙が流れる。それは誰もが分かっていたことだ。

学院を卒業すれば、みんな各々の道を進み極めることになる。そのまま次の段階の学校へと進学するものもいるだろうし、学院で学んだ技術と知識で冒険者になるものもいるかもしれない。

勇者の仲間として魔王との戦争に参加した彼らであれば、各所から誘いが来ていることだろう。

 しかしどんな未来を歩もうとも、彼らが再び集結するのは難しいのだ。

彼らがそうして進んでいってしまえば、こうして世界を救った仲間同士一緒に遊べるのも残り少し。学生でいる時の間だけだ。


 オリヴァーとユリアナは恋人同士であるから、一緒に旅行に行こうと思えばいつでも行ける。だが他のメンバーは?

 オリヴァーと二人の旅行、という提案に一瞬だけ浮かれたユリアナは自分を恥じた。そして改めて、仲間達と旅をしたいと思った。

ユリアナもオリヴァーと同じく、この一緒に戦った仲間が大好きだったからだ。


「わ、私もみなさんと旅行したいです!」

「ったく、仕方ないわね」

「ユリアナ嬢に言われたら仕方ないな」

「お、おい、アンゼルム!」

「冗談だよ」


 一同で笑い声が響いた。こうやって笑っていられるのも、選ばれた人間であるオリヴァーが魔王を懲らしめてくれたからだ。あのまま世界を混沌の渦に巻き込もうとしていれば、きっと卒業どころか笑い合うことすら難しかっただろう。

 それに彼らも先の戦いには参加していたし、オリヴァーの強さを実感している。だからといって、他の人間と同じように距離を取るわけじゃない。一緒に戦ってきた仲間として、こうしてつるんでいるのだ。


「オリヴァーくん、行き先は決めてるんですか?」

「んー、ずっとト・ナモミに行ってみたくて」


 ト・ナモミとは、海に浮かぶ島国のこと。ヨーロッパ風の文化が魔術を織り交ぜて発展してきた他国と違い、それはまるでオリヴァーのかつての故郷に似ていたのだ。

 海を司る神との契約を交わし、国を守っているという特殊な国。


 それはもちろん、日本である。


 オリヴァー・ラストルグエフは、一度日本で命を落としていた。そして目が覚めると、神とは形容しがたい様相の年寄りが目の前に居た。

とてつもなくラフな格好で、Tシャツに大きく文字が書いてあるものの、それを信用すべきか悩ましいくらいの。

 自称神は死亡した彼に、新たな人生を与えた。強い能力、前世の記憶を持った彼はすくすくと育った。今やこうして英雄と呼ばれる領域までに達した。

 この世界で生まれ育った彼にとって、今の故郷はパルドウィン王国だ。しかし前世の記憶がある彼にとって、ト・ナモミの存在は大きい。いずれ訪問して、過去の思い出に浸りたいなどと思っていたのだ。


 「キモノ」と呼ばれる衣服に、「コメ」と呼ばれる穀物。そして海産物。懐かしい日本での思い出がフラッシュバックする。

 もちろん美しい海に囲まれているので、友人たちとの旅行にもピッタリの場所だった。


「いい考えだが、距離を考えてるのか? それこそ、君達二人で旅行をするべきじゃないのか」

「うぐ……そうだね」


 彼らの住んでいるパルドウィンとト・ナモミは真逆の位置に存在する。たとえ思い出を作るための旅行となれど、金も時間も必要になる。

 前者はどうとでもなるだろうが、問題なのは時間だ。彼らはこれから様々な道を歩むにあたって、与えられた時間は少ない。


「やっぱり国内にしよっか。回ってない観光名所だってあるもんね」

「そーそー。ト・ナモミとなったら、アンタ達二人で行きなよ! 新婚旅行とか!」

「なっ……」

「も、もう! コゼット!」


 結局旅行は近隣で済ませることになった。

 それになんと言っても、国内旅行であればアンゼルムの名前を用いて特典を得られる。

先代英雄が一人、ブライアン・ヨース。己の騎士団を率いて戦争に貢献した男。

そしてその妻であり策士、ノエリア・ヨース。後方支援の魔術にも長け、同じく戦争で活躍した。

 オリヴァーの両親である元冒険者の英雄とは違うものの、アンゼルムの両親もまた国のために力を尽くし、名を馳せていた。

純粋に貴族というのもあり名が通っているため、国内でヨース家の名前を出せば大抵悪いことはない。


「僕の名前を出せば贔屓にしてもらえるしな」

「勇者の名前も、よね〜?」

「まあそうだけど……」

「じゃあ僕はこれで失礼する。マイラ嬢には僕から伝えておくよ」

「あぁ、頼む」


 そしてここにはいない当代英雄の一人、マイラ・コンテスティ。国一番のヒーラーと呼ばれており、その実力はオリヴァーの魔術をも凌駕すると言われているほどだ。

しかし実際それを扱うのはオドオドとした少女で、一抹の不安を感じさせる。

 だが患者を目の前にした彼女は、普段から考えもつかないほどしっかりと立ち回る。それがあったからこそ、オリヴァーに付いてきて戦場で力を発揮したのだろう。


「ねぇ、オリヴァーはさ、卒業したらどうするの?」

「……世界を見て回りたいと思ってるよ。父さん達みたいに冒険者になるのも悪くはないかなって」

「ふーん。ユリアナは? ついてくんでしょ?」

「ふえ!? い、いいの……?」

「え!? あ、う、うん! いいよ!」

「はー、あほくさ。当て馬はとっとと行きますわ」


 コゼットは手を振りながら去った。それはまるで幼子の恋愛ごっこに巻き込まれた気分だったそうな。

 その場に残されたのは、オリヴァーとユリアナの二人になった。

戦争前から付き合っていた彼らだったが、未だに進展はない。手を繋ぐことですら緊張している初々しいカップルだ。

 それでいて戦地では熟練夫婦のような連携プレーを見せるのだから、みなが口々に「不思議だ」と言っている。


 だが二人はそれでよかった。魔王も落ち着いて、戦争もなくなった世界でゆっくり愛を育くめばいいのだから。


 恥ずかしさを覚えながら、オリヴァーは手を差し出した。ユリアナははにかみながらそれに応える。

伝わる手の感触が熱い。二人共まだこの手を繋ぐ行為にすら慣れていない。

 誰がどう見ても初々しいカップルなのは見え見えだった。


「そ、その――一緒に旅行の計画を立てようか!」

「う、うん! そうしましょう!」

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