次の仕事

 アリスは城に戻ってきていた。一つの目標は達成されたことで、根本的な問題を片付けるからだ。

――軍の拡張。それにあたって、離れていった魔族の再招集。

 アリスが魔王城の玉座の間にテレポートしてくると、エンプティが待っていた。慈愛に満ちた微笑みでアリスを迎えている。


「お帰りなさいませ、アリス様」

「うん、ただいま。襲撃とかはなかった?」

「はい。問題御座いません。エキドナの防衛作業も無事進んでおります」

「そっか。よかった」

「早速で申し訳ないのですが、アリス様にお見せしたいものが御座います」


 アリスは玉座へと足を進めている。今やこの城ではアリスが全てのトップ。誰の目を気にすることなく、真っ先に椅子に座り休んで良いのだ。

園 麻子だったときのように、誰かにペコペコする必要もないというのは、清々しい気分だった。


 アリスはエンプティの渡した紙を取る。そこには達筆な字で書かれた名前が連なっている。これはヨナーシュに頼んでおいた魔族のリストだった。

 これを見る限りこの世界の文字というものは理解できるのが分かる。言葉も通じる時点で何となく察しがついていたが、実際見てみると分かりやすいものだ。

とはいえ完璧なリストではない。国を手にしたのに暇を持て余すであろうアリスのために、急ぎで仕上げてもらったものだ。


 内容は、対話がのぞめる者達のリストだ。

 この選別は、エンプティの「短時間とはいえ旅をされてお疲れだろうから」と戦わずに済む相手を選んでほしいという願いからだ。

しかしながら戦わないということは、頭を使う羽目になるというのも考慮しているのか。アリスは少し嘆息した。


「ん? サキュバスなんているんだ」

「………………………………そのようですね。お気に召しましたか?」


 大層長い合間のあと、エンプティが言葉を紡ぐ。サキュバスの特性を把握していれば、嫌悪するのは確かだろうが、あまりに違和感がありすぎてアリスも不思議になる。


(なんだその間……。また過保護発動なの?)

「……ご希望であれば、私もそのように振る舞いますが」

「いらないよ! まぁでも種族には興味はあるかな。ルーシーでも連れて行ってみようかな」

「そ、そんなぁ、アリス様ぁ……」


 アリスの中では悪魔や天使はこの世界には存在しないものだと思っていたが、そうではないらしい。

もしかするとサキュバスは悪魔ではなく、魔物としてカテゴライズされているのかもしれないが、それでも存在することはするのだ。

 それにルーシー。彼女は堕天使だ、仲間といえば仲間だろう。連れて行って何か得られるかもしれない。


 エンプティは自分を連れて行ってくれないことに不安感をつのらせているようだが、アリスとしては信頼出来る側近が本城を守ってくれるというのがありがたかった。

 もちろんエキドナという防衛に関してはトップの存在がいるから、エンプティを連れて行っても問題ないだろう。

だがまだ何が起きるかわからない。魔族全体に、新たな王が生まれたことも知れ渡っていない。再び愚かな者共が攻め入るかもしれないのだ。


「連れて行けなくてごめんね、エンプティ。でも私はエンプティに帰る場所を守っていて欲しいな」

「……!! わ、わかりました。このエンプティ、アリス様の城を守り抜いて見せますとも!」


 なんとか言いくるめることに成功したアリスは息を吐く。ただ偉そうに座っている上司は楽だと思っていたが、自分の思いどおりに動いてくれない部下を持つのも大変だと実感した。

しかしそれでもアリスの作った理想の容姿に、能力を持っている。少し空回りしようが、全てはアリスの好み通りのこと。

多少は許容するべきか、とアリスは思う。


「そういえば、アベスカの話になりますが……」

「うん?」

「早かれ遅かれ、いずれ他国にアリス様の侵略行為は気付かれます。その場合はどうされるおつもりでしょう?」


 いくら魔術が発達しておらず情報の共有に時間を有するとはいえ、いずれは他国に情報が漏れる。

特にアベスカの所属している「アリ=マイア教徒連合国」は、五つの国から成り立つ連合国家だ。

 逐一――とはいわずとも、相手の動きは多少把握しているだろう。

それでなければ「連合」なんて名乗る資格はない。ただの同じ宗教に所属する国々だ。

 なんと言っても、魔王城の被害が膨大に出たのはアベスカだ。

魔王がまだ存命の間は、余計に警戒して監視しているはず。

 アリ=マイアの技術がどこまで発展しているか不明だが、結局は時間の問題だろう。


「出来るだけ軍を拡張しておく――というのは、得策じゃないね」

「はい……」


 エンプティは俯いて答える。アリスはその様子から、今回の作戦は彼女の中では良くないものだと思っていると解釈した。

主人にそんなことをホイホイ言える立場ではないため、心のうちにとどめておいたのだろう。アリスとしては言ってほしいものだったが、「私を信用しろ」と豪語した手前そんなことは言いづらい。


 そこでアリスはハッとした。浮かんだのはあの妙に顔の良かったわがまま国王。今は――元国王とでも言うべきか。

ライニール・ニークヴィスト六世。

 最初に会って国を奪うと話を決めてから、アリスは会っていない。

大臣らとは調整のために十数分ほど会話をしたが、ライニールはどこかに去ってしまって見かけていなかった。

 アリスもあんなことがあれば会いたくなくなるのも分かる。が、しかし相手は絶対的存在。失礼な態度を取ればどんな事が待ち受けているのか分かるはずだ。

それでも無礼な態度をとってしまうのは、今まで彼が絶対的存在として君臨していた表れであろう。

 元々殺す気は無かったが、国王であった地位を利用できるのであれば、今がその時だろう。


「ふーん、そうだな。じゃあライニールに動いてもらおう」

「ライニール……といいますと、アベスカの国王でしょうか?」

「うん。なんとかごまかしてもらう……なんて馬鹿かな。流石に相手によっては、ルーシーに記憶や精神の操作をしてもらうよ」

「なるほど……。ライニールという男は、さしずめ時間稼ぎのようなものでしょうか」

「まあそうだね。目には目を、じゃないけど。人間をごまかすなら人間を、かな」

「かしこまりました。ではそのように」


 ぺこりとお辞儀をするエンプティ。このまま下がると思ったが、アリスの前から離れていかない。彼女も城での仕事が溢れているはずなのだがと見やれば、目が合う。

 頬を赤くして、瞳を泳がせている。


「……アリス様、お疲れでは御座いませんか?」

「いや、全然」

「そんなこと御座いませんわ。きっとお疲れでしょう。この城からもアリス様の放たれた魔術は見えましたわ。あのような力を使っては、疲れているに違いありません。いえ、疲れていますわ。魔力が微量でも減っていればそれは疲れている証拠ですとも」


 ジリジリと距離を詰めるエンプティ。アリスはようやく理解した。彼女が自分と寝るのを望んでいる。

――語弊があるが、睡眠という意味でだ。

 睡眠時に彼女にはアリスの健康チェックを頼んでいた。おそらく心配したエンプティがそれを促しているのだろう。


 それに最近分かったことだが、エンプティはアリスが作った時よりも頑固だ。アリスには別にそういう風に作ったつもりはなかった。過保護が頑固を強化させるのだ。

 結局今回もアリスが折れて、エンプティの強制添い寝が始まったのだった。




 翌朝。

エンプティはただ寄り添うつもりが、主が身を委ねてくれた喜びから安心したのか、そのまま眠ってしまっていた。

目が覚めるとその主は姿を消していて、エンプティに嫌な予感が走る。

 しかし遠方から微かに聞こえる声に安堵を取り戻した。距離からして廊下、喋っている相手はパラケルスス。仕事の話だ。

ほのかに残る主の匂いを堪能しながら、再びウトウトとし始めれば声が降ってくる。


「エンプティ! アリス様が起きてんのに何まだ寝てんの、超ありえないんですケド」

「……目覚めが最悪ね」

「あーしで悪かったね」


 モゾモゾと体を起こす。出来ればアリスの匂いに包まれてこのまま仕事を放棄してまで眠っていたいが、そうはいかない。

崩れた衣服を直して、乱れた髪を整える。魔術で一瞬にして戻す幹部もいるが、与えられたこの体を大事にしたいという意味では、エンプティは自分の手で行うことが多かった。

 綺麗になったところで扉を開けて外へ出る。仕事の話はちょうど終わったようで、アリスが笑顔を向けてきた。それだけでもエンプティは嬉しいのである。


「玉座の間に行こう。今日以降の予定をすり合わせようか」



 玉座の間――

 アリスが入ると既に他の幹部やヴァルデマル達がそこにはいた。アリスを見つけるとすぐに跪いてその敬意を示す。

アリスとしては「別にそこまでしなくてもいいのに」と言うことだったが、エンプティを始め幹部達の強い押しに負けてこういう形になった。

 最奥に用意された玉座に座ると、幹部達も目の前に綺麗に並んで再び跪く。


「おはよー」

「お早う御座いますッッ、良い朝ですねッ、アリス様!!! 幹部を代表し、このハインツがご挨拶申し上げ――」

「はーい、今後の打ち合わせね」


 軍人気質に作り上げたせいで、ハインツの性格は真面目で堅苦しい。このタイミングでアリスが止めなければ五分以上もの間彼の言葉で時間が消える。

アリスとて効率を重視したり時間の浪費を避けたりするタイプではないが、面倒だったり、いわゆる校長の話みたいなものはあまり好かない。

 直接言ってしまえば真面目な彼のことだからショックを受けて改善に当たるだろうが、それ自体が面倒なのでこういう形で切り上げるのがベストなのである。


「今日から私はサキュバスのいる集落に向かう。同行者はルーシー。ヴァルデマル側からも一人欲しいな。パラケルススはアベスカでお願いしたことをやってもらう。みんなは彼の救援が来たら嫌がらずに行ってね」


 アリスが笑顔で話していく。みなが各々で「了解しました」とつぶやいて、それを確認して話を続ける。


「で、ヴァルデマルは誰をつけてくれる?」

「サキュバス相手でしたら……」


 ヴァルデマルとヨナーシュは同じタイミングで一人の男を見た。残されたこの場にいるヴァルデマルサイドの存在は一人だけだ。

 フィリベルト・ドラパーク。

 初日にアリス側の圧倒的強さによって震え上がった、頭までも筋肉で出来ている男。今の今まで魔王城では他二名に比べると大した役割を与えられず、雑用レベルで留まっていた。

 しかし今こうして光を浴びることになったのだ。

その理由としては――


「彼はサキュバスと関係を持ったことがありまして」

「えっ」


 ヴァルデマルの言葉にアリスは固まる。筋肉で物事を考えて、本能のままに生きる彼であればサキュバスをいわゆる――セックスフレンドのように取り扱うのも納得がいく。

 そういえどただでさえ元は魔王軍幹部。そんなおちゃらけた考えもとい、股間でやっていけるのかと。


 言葉の足りないヴァルデマルを補うように、ヨナーシュが急いで口を挟む。


「ほ、ほら、アリス様。サキュバスは強い異性の精力を取り込んで力を得ています。つまりフィリベルトは適任だったのです。はい。そういうことです。ええ」

「それじゃヴァルデマルでも良かったんじゃ……。まあいいや、そういうんじゃないな。面識があるなら助かるよ。ただ知人だからといって、私達が優しくする理由にはならないからね?」

「その点に関しては大丈夫っす! あいつら酷くされると興奮――」

「黙ろうか、フィリベルト!!?!?」


 穏便派かつデスクワーク向けのヨナーシュの、綺麗な右ストレートがフィリベルトの頬を襲う。

何事も無かったかのように乱れた様相を整えて、倒れるフィリベルトをよそに笑顔のヨナーシュが小さく言った。


「……失礼しました」

「あ、うん」


 アリスとしては彼らが反抗する意思がないのであれば、部下として普通に受け入れているつもりだった。

今もこうして「無礼なことをした」と恐れられているが、フィリベルトに対するヨナーシュの焦りと荒れ具合が面白いので黙っていたのだった。




 こうしてメンバーも決まった。アリス達の出発は翌朝からになり、それまでの時間アリスは幹部達と更に詳しい指示を行っていた。


「しかしサキュバスですか!! エンプティではないですが心配です!」

「ハインツ様に同意ですわ……。不安だわ、不安だわ……」

「そーお? だって私女だし何もないでしょ」

「アリス様の魅力は男女問いません、問いません……」


 エンプティが満面の笑みで頷きながらアリスを見ている。アリスはそれを横目で見たものの、あえて触れずに話を進める。


「でも結局サキュバスの精を吸い取るのって、魔術やスキルの一種なんでしょ? 魔術耐性の高い私とルーシーなら大丈夫だよね」

「一理ありますが、もし万が一が心配なんですぞ……」

「でもさぁ、それならさ。この世界で存在しないレベルの私達を、魅了できるってすごくない?」


 アリスの目がキラキラと輝いている。そんな有能、存在するなら自軍に無理矢理引っ張ってでも持って来たい。そんな欲望でまみれて光っている。

 無邪気な表情を見せる主を誰が咎められよう。


 そして何より心配する部下もそうだが、アリスの言う通り彼らはこの世界で設定されている最高レベル〝199〟を優に超えた200レベルの集団だ。

 そんな世界の摂理を逸脱した彼らを、手のひらの上で操れるような魔物や人間が存在するか。もちろんノーだ。

 いるとすればアリス――園 麻子をこの世界に送り込んだ神という存在だけだろう。

だから心配するというのも無駄だということだった。

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