第三話「サシャの経歴」

 サシャ・ヴィーナスは、実は半妖精族ハーフエルフである。


 半妖精族ハーフエルフであるためやや幼く見えるが、現在二十三歳で立派な大人だ。

 妖精族エルフの寿命は二百年と長いため、人族から見ると成長が遅く、幼く見えるらしい。

 

 一般的に妖精族エルフは緑色の髪をしているのだが、母親が妖精族エルフで父親が魔族という混血だったため、父親の髪色が遺伝してピンク色の髪をしている。

 そのため、今まで迫害を受けてくることも多かった。


 生まれはトゥクレア大陸の西方にある田舎村だった。

 父親は母親を孕ませた後、どこかへと消えてしまったらしく会ったことはない。

 母親は、それでも女手一つでサシャを育てようとしたのである。


 生まれてからは、母親の両親、もとい祖父母のもとで暮らした。

 サシャを育てながらでは働くことができないため、母親は祖父母に助けを求めたのである。


 祖父母は娘の頼みなので受け入れたが、あまり良い気はしなかったようだ。

 なにしろ、祖父母と消えてしまった父親はかなり仲が悪かったらしい。

 そのため、父親と同じピンク髪の孫を見ると許せないようだった。

 それがある日を境に、サシャは祖父母から虐待を受けるようになる。

 

 最初は、なにかと理由をつけては怒られるというものだった。

 それが段々とエスカレートして、殴る蹴るの暴行を受けるようになる。


 当時まだ五歳ほどだったサシャには、なんで殴られているのかわからずにただ泣くことしかできなかった。

 母親は、仕事から帰ってきてそのことに気付き、「娘は父親と関係ない!」と祖父母に主張するも、取り合ってもらえない。

 泣く泣く、母親はサシャを連れて祖父母の家を出たのだった。


 その後、二人はトゥクレア大陸を出た。

 サシャの髪色で、妖精族エルフと生活すると虐待や差別を受ける可能性が高いからだ。

 

 近年の妖精族エルフは、魔族に対して憎悪に近い感情を持っている。

 魔族が妖精族エルフをレイプし、慰め者にする事案が増えているせいだという。

 妖精族エルフは、その美しい外見から他種族に好かれやすいが、好色の者が多い魔族はその筆頭なのだとか。


 そのため、妖精族エルフの中では魔族に近づいてはいけないという教えが広がっており、サシャも髪色で魔族と判断されて差別されてしまう可能性が高いのだ。

 そこで母親は、獣人族以外の種族に対しては割と寛容である人族が多く暮らすポルデクク大陸に移住することに決めたのである。


 ポルデクク大陸北部に位置するダマヒヒト王国で、母親は娘を宿に預け、冒険者として活動をしていた。

 妖精族エルフである母親は、生まれつき魔力量が高く魔術の才能もあったので、魔術師として働くことが出来た。

 それにポルデクク大陸の北部地域は、バビロン大陸との境界が近い紛争地帯でもあったため、魔術師が必要とされていたから雇われやすかったのである。


 しかし、問題があった。

 朝に仕事をしに出かけ、夜に宿に帰ってくる母親。

 反対に、やることもなく宿でずっと暇をしているサシャ。

 サシャの不満は溜まっていく一方だったのである。


 サシャは外に出たいと母親に言った。

 だが、外は紛争地帯が近いこともあり危険である。

 母親はどうにかサシャが宿を出ないようにしようと考えた結果、サシャに魔術を教えることにした。

 

 魔術といっても、火や風をおこすといった危険な魔術ではなく、教えたのは治癒魔術だけだ。

 治癒魔術であれば、部屋にある観葉植物を使えば練習できるし、宿に被害を及ぼすこともないと考えたのだ。

 それに、もし母親がいない間にサシャが怪我でもしたら大変だ。

 そのときに自分で治癒できる能力があるといいだろう、と考えたのである。


 結果的に、この母親の案は功を奏した。

 サシャは魔術というものに触れるのが初めてだったため、観葉植物が再生されていく様子がおもしろく感じ、治癒魔術の練習にのめりこんだ。

 母親が宿に帰ってくるたびに、治癒魔術の理論や新しい呪文を教えてもらった。

 

 そうこうしているうちに月日はたち、サシャは十歳になった。

 その頃には、サシャは上級治癒魔術である「広範囲治癒ワイドヒール」の発動までできるようになっていた。


 しかし、この頃になるとサシャは再び不満を感じ始めていた。

 原因は単純で、あまりに魔術が上達しすぎたサシャは宿でできることが無くなってしまったのである。


 新しく会得した「広範囲治癒ワイドヒール」は、広範囲(およそ半径50m)の生物を対象に治癒魔術をかける、上級の治癒魔術である。

 宿で発動させたところで、効果を確認することができない。

 それが不満だったサシャは、母親が仕事をしている間に外へ出ることにした。


 日ごろ、母親から外に一人で出てはいけないと言われていたサシャは、一人で外に出ることにある種の憧れを持っていた。

 それに、たまに母親と外の街中に外出することがあったため、そこまで外に対する危機意識のようなものはなかったのだ。


 ある日、母親が仕事に言っている間に、サシャは外へ出た。

 いつもお世話になっている宿のおばちゃんに「どこへ行くんだい」と聞かれたが、「ちょっと買い物!」と言って嘘をついた。

 

 サシャの本当の目的は、治癒魔術を他人にかけることだった。

 家の観葉植物と自傷したときの自分にしか治癒魔術をかけたことがないサシャは、誰かに治癒魔術をかけてみたかったのだ。


 サシャは、街中を走り回ってけが人を探した。

 しかし、怪我をしている人なんていなかった。

 ダマヒヒト王国は衛兵が多く治安が整った街である上に、紛争地帯からやや離れているため平和な国だったのである。


 そして、サシャは母親の言葉を思い出した。

 母親は「ここより北に紛争地帯があるから冒険者はお金を稼ぎやすい」と言っていた。

 この紛争地帯という言葉でピンときた。

 

 ここより北は怪我人が多いらしい、私が治してあげなきゃ。

 そう考えたのだった。


 思いついたらすぐ行動するサシャは、勢いよく街を飛び出し北へと向かった。

 門番の衛兵には「どこへいくんだ?」と聞かれたが、「ちょっと買い物!」と言ってその場をやりすごした。

 嘘をつくのも慣れたものだ。

 衛兵は怪訝な顔をしていたが。


 北へとまっすぐ歩き続けて何時間か経ったころ。

 怪我人どころか、人にもまったく出会えない。

 もうすでに日が落ちかけていたが、サシャは道に迷っていた。

 まっすぐ歩いてきたつもりだが、もう帰り道は分からない。

 こんなことなら外に出るんじゃなかったと後悔するサシャ。

 すでにもう泣きそうだった。


 右は密林、左は岩壁。

 そんな道なき道をとぼとぼと歩いているときだった。

 密林の方から何か気配を感じた。


 サシャはそちらに恐る恐る目を向けると、とんでもないものを目にして思わず息を飲んだ。

 そこには顔面血だらけで服も切り傷だらけの大怪我をした人がうずくまっていたのである。


「うわああああああ」


 思わず叫んでしまった。

 サシャは今まで人がこんなに怪我をしているのを見たことがなかったのである。

 死んでいるのでは、とすら思った。


 だが、サシャの声に反応するように、その怪我人の口がわずかに動いたのである。

 

「た……たすけて……」


 怪我をしすぎてピクリとも動かないような怪我人は、サシャに今にも死にそうな声でわずかに唇を動かしてそう言ったのである。

 

 サシャは、その声を聞いてハッとした。

 自分はなんのために治癒魔術を練習してきたのだ。

 暇つぶしにやってきたのか?

 いいや、違う。

 

 目の前に死にかけている人がいる。

 この人を救うために今まで練習してきたのだ。

 サシャは急いで詠唱を始めた。


「慈愛に満ちた天の主。

 生物を愛し、尊ぶ、神の名を冠する者よ。

 苦痛に滅びを!

 血肉に愛を!

 神聖なる天の息吹を我に与え、かの者の傷を癒せ!

 完全治癒パーフェクトヒール!」


 何度も練習した呪文詠唱。

 それはこのときのためにあったのだと悟った。


 サシャの手が光り、怪我人の傷を癒す。

 みるみると怪我人の血がおさまり、傷が癒える。

 服はボロボロのままだったが、怪我人は助かったのだった。


 次の瞬間。

 がしっと怪我人はサシャの手を掴んだ。


「う…うわあ!」


 いきなり手を掴まれて驚いた声をあげるサシャ。

 しかし、手をふりほどけない。


「あ…ありがとう……もう死ぬと思っていました……の」


 そう言ってサシャの小さな体にもたれかかる怪我人。


 サシャは怪我人の大きな胸の弾力が体に当たり、女性であることに気づく。

 顔を良く見ると、金髪碧眼の綺麗な顔立ちのお姉さん。

 目を瞑りスースーと寝息を立てていた。


「ど、どうしよう……」


 どうやらお姉さんは相当疲労がたまっていたようで、サシャにもたれかかりながら寝てしまった。

 サシャはどうしていいかわからず、寝てしまった金髪のお姉さんを抱いたままその場でじっとしているのだった。



ーーー



 しばらくすると金髪のお姉さんは目を覚まし、サシャの体に抱き着いて寝ていたことを恥ずかしそうにしながら自己紹介を始めた。


 名前はレイラ。十五歳。

 バビロン大陸の南方にあるメリカ王国の貴族なんだとか。

 

 どうやらダマヒヒト王国の貴族との大事な会合があり、護衛をつけて移動していたのだが、その会合が罠だったらしく襲われたところを命からがら逃げのびたらしい。

 護衛は全員死に、レイラは一人でこの密林に逃げ込んだが体は傷だらけ。

 出血多量で死にそうなところにサシャが訪れて助かった、というわけだった。


 サシャは貴族がなんなのかあまりよく分かっていなかったが、騙されたのは可哀想だなと思った。


「なにはともあれ、助かりました。

 あなたは命の恩人ですわ。

 なにかお返しがしたいので是非屋敷に……」

「おっと、こんなところに姫様はっけん!

 探しましたよ、メリカ王国の姫さんよ!」


 レイラがサシャに話しかけるのを遮って、密林の奥からドスの聞いた男の声が聞こえた。

 振り返ると黒い甲冑に大きな剣を持つ男が立っていた。

 男は二ヤリと笑いながら、その大剣を構える。


「そちらのお嬢さんは誰だい?

 悪いことは言わないから、そこのボンボン貴族をこちらに渡しな!」


 怒鳴るようにして、こちらに叫ぶ男。

 サシャは怖かった。

 あんな大きな大剣を持った人に逆らったら、殺されてしまう。


 隣のレイラは、男をにらみつけていた。

 強気なレイラの表情に少し安堵したサシャだったが、レイラの足や手は震えているのに気付き、再び不安になる。


 段々とこちらに男は近づいてくる。


「来ないなら、こちらから行きますよっと!」


 そう言って、男は走りこんできた。

 その瞬間。


「大地にはりめぐらす、陸の化身。

 自然を愛し自然に愛される、土の精霊よ。

 大地を揺らせ!

 岩々を放て!

 我に大地の力を貸し、かの者を殲滅せよ!

 土石流ディブリーフロウ!」


 魔術の詠唱が上から聞こえてきた。


 すると、密林の反対側にそびえ立つ岩壁が勢いよく崩れ、サシャとレイラを避けながら甲冑男を襲う。


「ぐわああああああ」


 男は、無残にも岩の洪水に流れていった。

 そして、密林の奥へ奥へと流され、いつの間にか見えなくなっていた。


「サシャ!」


 そう叫びながら岩壁から降りてきたのは母親だった。

 母親の目には涙がたまっている。

 その顔を見てサシャも自然と涙が溢れる。


「サシャ!

 宿からいなくなってて、すごい探したのよ!

 衛兵の人がこっちに行ったって言うから来てみたら……これはどうなってるの!」

「お母さん…!

 ごめんなさい……ごめんなさい!

 怖かったよう…ひっぐ……ひっぐ……えーーん!!」


 母親に怒られ、サシャは大泣きである。

 先ほどまでの死の恐怖、母親が来てくれた安心感、約束を破ったうしろめたさで感情はぐちゃぐちゃ。

 感極まって泣くことしかできないでいた。


「......もう、泣き虫ね。

 とにかく無事でよかったわ……サシャ」

 

 そう言って、サシャを強く抱きしめる母親。

 言いたいことはたくさんあるが、サシャが生きていたことにまずは安堵する。


 レイラは、その様子をポカンと眺めていた。



ーーー



 後日、レイラはサシャの母親護衛のもと、メリカ王国に送り届けられた。


 その道中、レイラはサシャと母親のこれまでの経歴を聞いて、


「それでは、サシャさんは私の専属メイド、お母様はメリカ王国の宮廷魔術師をなさってみてはいかが?」

 

 と提案した。

 その提案には、サシャという命の恩人とサシャの母親のような素晴らしい魔術師を自分の手元に置きたいという目的があった。

 そしてそれは、母親にとっては願ってもない提案だった。

 

 宮廷魔術師というのは、賃金も高く、経歴に箔がつく、魔術師にとってこの上ない高級な仕事である。

 なりたくてもなれない者であふれている宮廷魔術師になれるというのだから、ならない手はない。


 レイラの専属メイドという提案であるが、レイラはメリカ王国でも有名で、第一王子と婚約を果たしている大貴族の娘である。

 こんな身分の高い方の命の恩人にサシャがなったというのは驚きであるが、大貴族の専属メイドになるというのであれば、この先サシャの人生は安泰だろう。


「謹んでお受けいたします、レイラ様」


 母親は提案を受け入れた。


 こうして、サシャはレイラの専属メイドに、サシャの母親はメリカ王国の宮廷魔術師になったのである。


 その後レイラは妊娠し、命の恩人であり一番の信頼を置くサシャを息子の専属メイドに任命したのだった。

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