第5話
寝る前の不安は杞憂だったようで、特に何事もなくいつも通りの朝が来た。
扉の板を外して外に出ると、今日は素晴らしい青空が広がっている。
天気がいいし、朝食を食べた後は洗濯をしよう。
顔を洗い、昨日のスープの残りを温め、朝食を食べる。
やはり店で買ってくるパンと自作のパンに大した差がない。
『時間と手間を買っている』と思うこともできるのだが、貧乏ゆえに金銭の消費が少なくなること最優先なのだ。
今回初めて『自分でパンを焼く』と母親にお願いしたのだが、これなら今後も続けるべきだろう。
朝食を食べ終え、食器や鍋を洗った後は、洗濯に取り掛かる。
洗濯物は非常に少ない。
不衛生な自覚はあるが、同じ服を洗わずに数日着るのはこちらでは普通だし、体をタオルで拭くのも数日に1度。
ベッドのシーツなどは、体の小さい私が汚さずに洗うのはまだ難しいので放置。
となるとタオルや今着ていたものしか洗うものが無いのだ。
洗剤もないので魔法で出した水に服を浸け、汚れを擦るようにして洗う。
それほど時間はかからずに洗濯は終わり、家の前に紐を結んで服を干した。
これでやるべきことも終わったので、(軽く筋トレしてから素振りでもしよう)と考えてストレッチをしていると、来客が来た。
名前は聞いていないが、昨日探索者ギルドで最初に声をかけたお姉さんだ。
少し慌てている様子だが、母親に何かあったのだろうか?
「ウィル君!クラリサさんがモンスターに襲われて大怪我をしてるの!すぐにギルドに来て!」
「分かった。」
母親の仕事は裏方の書類作成ではなかったのだろうか?
いったい何があればモンスターに襲われることになるんだ?
とりあえず急いでギルドに行こう。
まだ乾いていない干し始めたばかりのシャツを着てから、待っていたお姉さんを置いて全速力で走りだす。
屋根を走り道路を飛び越え家からギルドまで最短距離をほぼ直線状に移動し、歩いて20分程かかる距離を2分で走り抜け、勢いそのままにギルドに突入したが中は大混乱だった。
しっかりとした装備を身につけた探索者が何名も治療を受けていて、映画で観た野戦病院さながらの状況。
あのお姉さんは母が大怪我をしたと言っていた。
となると母がいるとすれば椅子や地面に座っている人達のところではなく、奥にいる寝た状態で治療を受けている人達のところだろう。
人とぶつからないように注意しながらも、急いでそちらに移動する。
「ウィル!こっちだ!」
ガリューさんに呼ばれそちらへ向かうと、肩から胸の辺りにかけて酷く出血した様子の母親が横たわっていた。
必死に魔法で出血を抑えようとしているみたいだが、傷そのものを塞がないと長くは持たないだろう。
急いで魔力を放出し、魔法による血管の接合を試みる。
「ウィル……?ごめんね……。何もしてあげられなくて……。」
私の存在に気づいたのであろう母が弱々しく話しかけてきた。
私を生んでから5年もの間、1人で育ててくれたのだから、謝らないで欲しい。
「母さんは頑張ってるよ。傷は治すから、少し休んで早く元気になって。」
大きな血管は全て繋げたと思う。
だが余りにも出血量が多すぎたせいで多臓器不全を起こしかけている。
もう猶予は全くない。
今すぐ輸血が出来れば助かる可能性があると思うのだが、周囲を見ても輸血をしている人など1人もいない。
となると魔法で血液を作るしかない。
もっと深く、骨の内部にまで魔力で干渉する。
「愛してる……ウィル……。」
魔力で深く干渉していたからだろう。
母の心臓・肺・脳の活動が停止し、何か大きなモノが体から抜けていくのを感じ取った。
間違いなく、母は死んでしまった様だ。
「今までありがとう……。ゆっくり休んでね。」
私はそう言って、母の目を閉じた。
初めて見た時からあまり変わっていない、綺麗な顔だった。
「クラリサ!!死ぬんじゃねぇ!!子供を置いて逝く気か!?目を覚ませよ!!」
「ガリューさん……もう死んでる。」
「ふざけんな!!お前の母親だろう!!諦めたようなこと言ってんじゃねぇ!!」
全くもって正論なのだが、今のこの世界ではどうしようもない。
せめて怪我をした直後から治療が出来ていれば可能性はあったと思うが、最期に声が聞けただけでも良く持った方だろう。
転生時の記憶を持っている身としては、後悔に縛られることなく、母の次の人生が幸多いものであることを祈るだけだ。
そういえばこの世界での一般的な葬儀はどのように行うのだろう?
勝手に持って帰って、燃やしたり埋めたりしたら不味いだろうから、誰かから聞いておかないと。
そんなことを考えていると、兵士を連れた、明らかに身分の高そうな男性がこちらに歩いてきた。
その男性を見てガリューさんが叫ぶ。
「リグ!!今までどこに行ってやがったんだ!!クラリサは……!クラリサが……。」
掴みかからんばかりに近づいていったガリューさんを、近づかない様必死に兵士が拘束している。
『リグ』ということは父親なのだろうか?
明らかに身分が平民ではないのだが……。
母はいったいどこでこの男と出会ったのだろうか?
「クラリサが……死んだのか?」
身分の高そうな男が問う。
「はい、先程。」
答える人が誰もいなかったので私が答えた。
男はこちらを見向きもしない。
ただ母を真っすぐ見ている。
この様子だと、この男が私の父親で間違いないのだろう。
今度は私を呼びに来てくれたお姉さんが来た。
完全に置いてきて忘れていたが、このお姉さんが知らせてくれたおかげで母の最期に間に合ったのだ。
きちんとお礼を言わなければならない。
「クラリサさんは……?」
「先ほど死にました。おかげで間に合いました。ありがとうございました。」
お姉さんはへたり込み、泣き出してしまった。
母と仲が良かったのだろう。
よく『職場の人は皆いい人』だと、母は言っていた。
『ギルド長は少し気難しい』とも言ってたが、それはまあいいだろう。
とりあえずこの後母をどう埋葬すればいいのかを聞きたい。
未だに兵士に抑えられているガリューさんに聞くのがいいだろうか?
身分の違いというものがある以上、ガリューさんがこの男に掴みかかるのは色々と拙いだろう。
母のためにこれほど怒ってくれているガリューさんを放っておくわけにもいかない。
ガリューさんに声をかけることにする。
「ガリューさん。母さんはどうすればいい?」
男に詰め寄ろうとしているガリューさんの動きが止まり、長い沈黙が流れる。
「この街の墓地に埋葬する。埋める前にやることがあるが、それはこっちで手配しておく。」
「なにかやることは?」
「大丈夫だ。俺とギルドの皆で全てやっておくから心配ない。」
「分かった。」
ガリューさんが全部やってくれると言うのなら任せよう。
ここは酷く血の臭いでむせ返っていていて、長くいると気分が悪くなりそうだ。
一旦ギルドの外で新鮮な空気を吸ってこよう。
こうして私はギルドの外に出た。
大きく息を吸いながら見上げた空は、朝見た時と何も印象は変わらない。
理性では悲しんでいる。
でも一切『悲しい』という感情が湧いてこない。
強すぎるショックで一時的に感情が麻痺してしまっているのだろうか?
この時初めて、私は私の異常性をハッキリと認知した。
この世界の埋葬は火葬してから土葬する様だ。
昨日はギルドに寝泊まりし、朝から母親の遺体が骨だけになるまで燃えるのを見て、骨を集めて墓地に埋めに行き、死体がアンデットモンスターにならない様、特別な石に母の名前を刻み込んで設置した。
これで葬儀は全て終了である。
意味などないかもしれないが、たまにはここに花を供えに来よう。
埋葬にはギルド職員の皆さんとガリューさん、それにガリューさんの奥さんであるミサーラさんと聖職者らしき方が1名が参列した。
昨日の私の父親と思われる男が来なかったことを考えると、身分の違いから今後関わる気はないのかもしれない。
つまり、これからは1人で生きていかなくてはならないのだ。
元々貧乏だった家だが、完全に収入が無くなってしまったので、今いる家に今後長くは住めなくなる可能性もある。
人生設計を1から見直す必要があるだろう。
「ウィル……。家に来るか?」
ガリューさんからのありがたい提案だ。
ありがたいのだが……どうもそういう気にはなれない。
あまり猶予はないと思うが、すぐに居場所がなくなるわけではないので、しばらくの間は1人で生きてみようと思う。
だが、最終的にはガリューさんに頼ることになるのだろう。
断るのではなく、保留する回答をしておこう。
「考えておく。」
「そうか、いつでも来ていいからな。」
昼前には家に戻った。
タオルや替えのズボン、下着などを干したまま忘れていたので片づけ、現状を把握するために家の中の物を整理することにした。
元々家にあるものは少なかったが、母の荷物は必要最低限しかなかった。
少ない服と髪を整えるための櫛、僅かばかりだが母のヘソクリかタンス貯金も見つけた。
ギリギリの生活をしながらも貯蓄をしているとは、若いのにしっかりとした母親である。
買い物の際に使用していた革の袋は貰っておこう。
これだけだった。
物として残る母親との思い出なんて1つもない。
母は私の世話をしながら常に働いていた。
ただ一緒に暮らす以外、思い出を作る暇なんて1度もなかった。
なぜ母はあれほど苦労しなければならなかったのか。
……父親がいなかったからだろう。
この世界ではそういうものなのかもしれないが、母を捨ててのうのうと生きている、いいご身分そうな父親を全力で殴りたくなってきた。
あの私が死ぬ原因となった新人を殴った時みたいに……。
気がつくと日が沈んでいた。
物は少ないのに、思っていたよりも長い間片付けをしていたのだろう。
部屋の中がだいぶ暗くなっている。
魔法で光源を作り、明るさを調整する。
ドアがノックされた。
……来客の様だ。
こんな時間に誰だろう?
特に警戒することなく、私はドアを開けるた。
ドアの前に立っていたのは、いかにもガラの悪そうな複数の男たちだった。
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