第3話

いつもなら既に夕食を食べ終えている時間だが、母親がなかなか帰ってこないので、スープを温め直して先に食べることにする。

以前も母親が急な泊まり込みの仕事になったことがあるので、母親が帰ってこないことに対してそこまで心配はしていないのだが、今回は何があったのだろうか?


母親の仕事は探索者ギルドの職員だ。

たまに受付もするらしいが、基本的には裏で書類をまとめていると聞いている。

職員の数は十分足りているらしく、基本的には定時で帰れるらしいのだが、何かトラブルが発生した場合には残業になる様だ。

以前母親が帰ってこなかった時は確か、『ダンジョンからモンスターが多数出てきた』と言っていたような気がする。


そう、この世界には異世界もの定番の『ダンジョン』が存在するし、『モンスター』だって存在する。

ダンジョンの探索・調査・モンスターの間引きを行う人たちのことを『探索者』と呼び、その探索者の為に作られた組織が、私の母親が勤める『探索者ギルド』だ。

その他には『傭兵』という人たちと、『傭兵ギルド』という組織があるらしい。

こちらはダンジョン以外の場所で確認されたモンスターの討伐や、村や街から運ぶ荷物の護衛、盗賊や野盗の討伐など、多岐にわたって仕事を引き受けているらしい。

残念なことに『冒険者』はいないみたいだ。

『冒険者』を名乗りながら、街の中の雑用しかしない生活を送ってみたかったのに……。


そんなことを考えながらパンとスープを食べていると、母親が帰って来た。


「ウィル。良かった、ちゃんと食べているみたいね。ダンジョンからモンスターが出てきたみたいで私はすぐに戻らないといけないから、しっかりと扉に板をかけてから今夜は眠るのよ。」


「分かった。とりあえず夕食は母さんの分も用意してるから、仕事はこれを食べてから戻ってもいいんじゃない?」


「……そうね。じゃあスープだけ頂こうかしら。」


そんな訳で、私はほぼ食べ終えているが、母親と2人で夕食だ。

私のためにほぼ毎日一生懸命働いてくれている母親なので、体だけは大事にして欲しい。

母親には、父親のことは聞いていない。

時々母の代わりに面倒を見てくれるおじさんがいるのだが、前に『リグの野郎、こんないい子とクラリサを置いて、いったいどこに行ったんだ……。』とこぼしていたので、父親の名は『リグ』というらしい。

『クラリサ』は母親の名だ。


「ありがとう。今日も美味しかったわ。それじゃあ私は仕事に戻るから、ちゃんと扉に板をかけて眠るのよ。」


「いってらっしゃい。気を付けてね。」


母親はスープだけを食して足早に行ってしまった。

普段はそうでもないが、何かあったときは本当に忙しいのだろう。


基本的にダンジョンで生まれたモンスターがダンジョンの外に出てくることはない。

私はまだダンジョンに行ける歳ではないので分からないが、ダンジョン内に縄張りがあるのか、それともダンジョンという存在に縛られているのか、もしくはダンジョン内の特殊な環境下でなければ生きていけないのか……。

そんなモンスターが唯一外に出るとすれば、ダンジョンが急にモンスターを大量生産し、余りにも多くなりすぎたモンスターが外へと逃げ出してくるスタンピードくらいだ。


スタンピードとは、モンスターの暴走を表す言葉だ。

スタンピードが起きた際、モンスター達はとにかく暴れ回るらしい。

特に目的があって暴れるのではないので、近づかなければ問題はないのだが、この街の結構近い位置にダンジョンがあるらしいので、スタンピードが起きれば何かしらの被害が出るだろう。

そんな危険性のあるダンジョンの近くに街を作ったこと自体が間違いだと思ったのだが、この街が大きくなった後にダンジョンが発生したらしいのでどうしようもない。


今回も何事もなく事態が収束するよう祈りながら、外から誰も家に侵入できないよう扉に板をはめ込み、使った鍋や食器を洗ってから眠ったのだった。




翌朝。

家には誰も入れないようにしてあるので、当然ながら母親の姿はない。

探索者ギルドには職員が泊まるための部屋がいくつかあるらしいので、仕事が早く終わったとしても、家には帰らずにギルドで仮眠を取ってから、今日の仕事を始めるのだろう。


とりあえず扉が開かないように固定していた板を外し、外に出て空を見上げ、今日の天気を確認する。

空を覆うように雲がかかっているが、雨雲という感じではない。

今の段階では雨の心配はなさそうだ。


顔を洗いながら(今日は何をしようか)と考える。

年齢的にもそろそろ読み書きの勉強をするべきだと思うのだが、貧乏ゆえに教材など一切ない。

今私が読める文字は、数字といくつかの野菜の名前だけだ。

少し前に母親が『5歳になったら読み書きの勉強をしようね。』と言っていたので、たぶん数日中に母親から教わると予想しているのだが、まぁ忙しいのならば仕方がない。


朝食にパンを1つ食べ、家の中の掃除を軽く行ってから、まずは日課の運動を始めるのだった。


当然のことながら、5歳の子供の体重は非常に軽い。

余りにも軽いので、逆立ちして腕立て伏せをしてみても、特に負荷を感じないのだ。

そんな訳で逆立ちしながら家の中を移動し続けて遊んでいたのだが、扉がノックされた。

家に来る人物は数人しかいないのだが、ノックの強さからしてたぶん近所のおじさんだろう。


「おうウィル。今日も無愛想な顔だな。クラリサはいるか?」


「昨日何かあったらしくて、夜に一度家に戻ってきたけど、すぐ仕事に戻ったよ。」


愛嬌の化身である私に対して『無愛想』とは失礼な。

……ポーカーフェイスの自覚はあるよ。


この失礼なおじさんは『ガリュー』さん。

探索者ギルドと傭兵ギルドの両方に所属しているらしく、自称『戦闘面での腕はそこそこいい』らしい。

以前父親と思われる人物の名前を私に漏らしたのもガリューさんだ。

面倒見もよく、稼ぎもよく、腕もいいらしいおっさんは、妻と2人の子供を持つ既婚者だ。

そしてその2人の子供が昨日追いかけてきたいじめっ子の中の2人だ。


「そうか……。強制招集が来ていないから問題ないと思うが、後でギルドに顔を出しておくか。おっとそうだ、ウィルも5歳になったんだろう?今からリュークとミーシャに剣を教えるんだが、ウィルも一緒にどうだ?1人で家にいても退屈だろう?」


剣か……。

勿論少しは興味があるのだが、あの2人と一緒というのが気がかりだ。

今のところ実害はないし、いざとなれば返り討ちに出来ると思うのだが、正直一緒にいるだけで面倒臭そうだ。

だけど剣を習う機会を不意にするのも……。

……まぁ、1度くらいは我慢して教わろうかな。


ということでガリューさんの家にある広い庭へとやって来た。

庭では2歳年上のリュークと、同い年のミーシャが地面に絵を描いて遊んでいた。


「あ、ウィル!父さん!ウィルにも剣を教えるのか?」


「ついでだからな。ほら、木剣を持て。素振りを始めるぞ。」


ガリューさんから木剣を1本受け取り、とりあえず素振りを開始する。

ガリューさんの動きを観察し、真似するように動こうと思うのだがなにかしっくりこない。

ゴルフでの素振りは、実際にボールを打つイメージが重要だったと思う。

もう少し目の前に人がいることを想像して、その人の頭をかち割るイメージで剣を振ってみるべきだろうか?

まぁ、適当でいいだろうし問題ないか。


何度も頭を叩き割るイメージで剣を振っていると、少しづつ動きに無駄が無くなっている様な気がしてきた。

振り下ろした際に地面に当たってしまっていた剣も、腰の辺りで止まるようになり、振り上げてから振り下ろすまでの動作も、非常にスムーズになった様な……?

実際に何かを叩いてみたいな。

いや、縦振りから横振り、横振りから縦振りへの切り替えも素振りで練習しておくべきだろう。

縦だと頭を全力で叩き割るイメージだったからやりやすかったけど、横に振る場合はどんなイメージがいいんだ?

剣道はやったことがないから勝手なイメージだけど、胴を払う時はすれ違いざまに薙いでいる様なイメージがある。

そういえば狩猟ゲームで、太刀を横に振りながら移動していた様な……?

少し動いても周囲の邪魔にならないことを確認し、縦振りから横振りへの連携をイメージしてみる。

頭に全力で振り下ろして下がりながら胴体に線を引くように……。

結構難しいな。

横から縦につなげる方が簡単な気がする。

踏み込んで横薙ぎ、もう1歩踏み込んで兜割り。

……いい感じなのではないだろうか?


「……ル!ウィル!……聞いてねぇな。どんな集中力してんだ?」


ガリューさんに呼ばれていたようだ。


「呼んだ?」


「お、おう。素振りが随分様になってるが、剣を教えて貰ったことがあるのか?」


「ないよ、適当に振ってるだけ。」


「……そうか。」


ガリューさんがなにか言いたげな表情をしているが、どこか素振りがおかしかっただろうか?

自分の子供に教えるついでで参加させてもらっているとはいえ、悪い所や直すべきところがあるのなら教えて欲しい。

ついでにこちらをジッと見ている子供2人を何とかして欲しい。


「ちょっと打ち込んでみろ。」


言葉と共に、ガリューさんが剣を構える。


「……ガリューさんに攻撃すればいいの?」


「そうだ。」


剣を振り始めてまだ初日だが、打ち込みも経験できる様だ。

学校の剣道部のイメージがあるから、剣を習い始めの頃はひたすらランニングと素振りを繰り返すのかと思ってたが、異世界では教育方針が違うのだろう。

とりあえずガリューさんを思い切り殴るために、間合いを測りながら実際に叩くイメージをしてみる。


当然のことだが、大人のガリューさんと5歳の私では頭の高さが全然違う。

頭を突き上げるのならともかく、上から振り下ろすには少しジャンプする必要があるだろう。

だがジャンプしてから剣を振る素振りは1度もしていない。

頭を叩き割るのではなく、体に縦の線を描くつもりで剣を振ってみるか。


剣先を真っすぐガリューさんに向けて構え、その場で1歩軽くステップを踏んでから、私の間合いにガリューさんを入れるため、大きく2歩踏み込んだ。

そしてもう1歩踏み込みながら木剣を振り上げ、出来るだけ勢いを殺さないまま最後の1歩、そして縦に思い切り振り抜く。


……当然ながら私の1振りは、ガリューさんの持つ木剣に防がれてしまった。

手のひらが痺れる程の衝撃が肩にまで伝わって来る。

やはり打ち込みをするには、まだ体が出来ていない様だ。

しばらくは素振りを続けて、もう少し大きくなってから打ち込みの練習をしてみよう。


「……なかなか良い感じだったぞ。少し休憩していてくれ。リューク、次はお前だ。」


特に何も指摘されることなく、私への指導は終わりの様だ。

(少し素振りをして1回打ち込んだだけなのに、剣って意外と疲れるな~)と思いながら空を見上げてみれば、太陽の位置が結構進んでいた。

集中していて気づかなかったが、意外と長く素振りをしていた様である。


日陰に座って休みながら、ガリューさんに打ち込むリュークの動きを見て、(踏み込みだけは私の方が上手いんじゃないかな?)と、自画自賛するのだった。

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