こどもかんけいのおしごと。~ほいくえん編~

秋野 柊

ざっくり。

 僕はずっと子ども関係の仕事をしている。

 保育士をしていた、と言えたら簡単だけど、保育園以外の保育系の仕事もしているので、説明がめんどくさい。

 なので、自分の職業を人に言うときは「子ども関係のお仕事」と伝えている。


 そんな僕の、今までの体験について話したい。

 いろいろネタはあるけど、まずはざっくりおおまかなことを話そうと思う。


 まず、就職活動について。

 当時は男性保育士はまだまだ数が少なく、就活をしていても「男性は着替える場所がない」と言われて断られることが多かった。

 一番びっくりしたのは「男性が使えるトイレがない」と言われて断られたこと。いったいどんなトイレなんだ。


 僕はあまり就活をしていなかったけど、2~3つ応募した保育園からそう言われたものだから、他の子たちはもっと厳しかったと思う。


 大学生の頃は、保育士の公務員試験を受けようと思ってた時期もあった。

 

 しかし自分の受ける市町村の過去の公務員試験を調べたら、数百人の募集にも関わらず、ある年度の男性保育士の合格者は20人程度だった。残りの数百人の合格者は女性。つまり男性差別なのだ。


 ちなみに僕は、新卒で保育園に就職をして2年後くらいに公務員試験を受けた。前髪に金のメッシュを入れて。

 もちろん最終面接で落ちた。しかし、その年の合格者は全体で50人、その中で男性の合格者はたった1人だけだった。男性差別なのだ。

 

 僕は学生時代、一人暮らしをしていた。でも大学卒業と同時に実家に戻っていた。

 友達はみんな既に内定をもらっている。保育実習で大半の子は心が折れて、一般職への就職を決めている子が多かった。


 焦った僕は、近所の保育園が保育士を募集していると知り、見学に行った。

 そこは昔からある保育園で、建物も古く、トイレも和式という個人的にはどうなんだろう…という園だった。


 しかし、結果として。その保育園が大当たり。

 園長先生は穏やかでとってもやさしく、子どもたちの雰囲気もいい。しかも男性保育士が一人いる。更に僕と同い年の女性保育士もパートで四月から入るとのこと。

 どうしよう、と思っていると、給食室で働く先生が声を掛けてくれた。

「この園いいとこだから。一緒に働くの楽しみにしてるね〜」


 その言葉でここで働こうと決めた。


 保育士一年目は、基本的に乳児のクラスを担当する。乳児クラスは複数担任なので、新人に色々教えやすいし、ミスもフォローできるからだ。

 僕はベテランの先生二人と、二歳児の担任をすることになった。


 朝に出勤すると、仕事着に着替えて職員室へ。

 そして、その日の各クラスの保育の流れ、早番・遅番・お休みの保育士の確認をする。他には昨日あったトラブルっぽいこと、今日起こりそうなトラブルっぽいことを軽く報告する。

 そして各々、自分が担任するクラスに行くのだ。


 新年度の保育園は大変だ。

 子どもたちは進級し、担任がそのまま持ち上がることもあれば、変わることもある。新入園児も増える。環境が変わるので、子どもの心が荒れに荒れる。


 特に朝の保護者との別れの時が地獄だった。

 なぜなら、子どもが泣き叫んで保護者から離れようとしないからだ。

 更にそんな自分の子どもを見ていると、保護者も切なくなって、なかなかお別れができない。

 子どもが新しい環境に慣れたら、朝のお別れもなんて事はなくなるのだが、新年度は毎年そうなっていた。さすがに幼児になるとそれはなくなるけど。


 お母さん!今がチャンスだ!お仕事へいってらっしゃい!というタイミングができたのに、そのチャンスを見逃す保護者には「…」となるときもあった。

 上手く子どもとお別れできても、「わすれもの!」と言って戻ってくる保護者については、逆におもしろくて癒された。


 しかし、なかにはわざと自分の子どもを泣かせる保護者もいた。「もうママ行くよ?いっちゃうよ?」と意味不明に子どもをあおるのだ。行かないで欲しいと思われたいのはわかるけど、お互いの協力あっての保育でしょうと。

 そんな保護者には心からイラっとした。そしてそういう保護者は大抵、クレーマーというオチだった。


 保護者とお別れして、すぐ泣き止んで遊ぶ子もいれば、しばらく泣き続ける子もいる。とりあえず抱っこするのだが、毎日長時間抱っこをするので、腰と腕がやられる。ものすごくだるくて痛くなる。常に子どもと目線を合わせたり、かがんだりするので、腰は一つでは足りなくなる。


 そして、子どもの泣き声が地味にきつい。泣き声って十人十色で、バズーカみたいな泣き声や、金切り声、すんすんと泣く声、おろろーんと漫画みたいに泣く声など様々あった。

 僕は金切り声が苦手だった。すんすんした泣き声が好きだった。


 そのあとは、朝のおやつを給食室へ取りに行き、子どもたちに食べてもらう。


 二歳児なので、手を洗ってもらうのも、手をタオルで拭くのも大変。付き添わないといけない。というか、基本的に全てに付き添う。


 子どもがケガをした時に、「いつ」「どこで」「どうやって」ケガをしたかを、保育日誌に書くし、保護者にもおたより帳と口頭で報告しなければならない。

 いつの間にかケガしてしました。ではもちろん許されない。もちろん、たまにはそんなこともある。こちらも人間だもの。その時は保護者にものすごく謝った後、「おそらく」とつけて説明した。


 おやつを食べたら、紙芝居を読み、園庭や、公園に行って遊ぶ。


 もちろんお外へ行くときは、子どもたちには靴を履く練習もしてもらう。公園は子どもたちが新しい環境に慣れたな!と担任が判断してから行くようになる。


 靴に関しては左右の違いから子どもに教える。「はかしてぇ」と言う子がほとんどなので、そこはなんとか一緒にがんばる。僕はとにかく子どもを褒めてやる気を出させた。でも、めんどくさい時は僕がちゃっちゃと履かせていた。


 今でもとにかく子どもは褒めている。褒められていやな子はいないから。そうすることで、いざ叱るときの威力も全然違ってくる。いつも子どもにやさしい分、めっちゃ効く。

 

 乳児の外遊びはほんわかしている。泥団子を作って「おいしそー」と言ったり、砂のお山を作ったり。基本、砂。


 遊んだあとは子どもたちの足をタオルで拭いて、部屋に戻って給食の時間になる。

 そもそも部屋に戻りたがらない子もいて、ただ部屋に戻すだけでもとっても大変なのだけど。


 そして、給食も大変だった。

 好き嫌いが激しい子もいれば、少食の子もいる。ものすごく食べるのが遅い子もいる。

 そして子どもの食事の補助をしつつ、保育士たちも給食を食べる。幼児なら楽だが、乳児だときつい。


 更に僕はものすごく少食なので、給食を食べるのが特にきつかった。給食室の人たちも、「男の子だから」と言って大盛にしてくれるのだ。

 僕は静かに食べるのが好きなのだ。フードコートが苦手なのだ。

 しかし、食育の観点から、担任も子どもと一緒に食べよう、となっていた。


 ごはんを食べた子から着替えてお昼寝をする。

 担任はこぼれたごはんでぐっちゃぐちゃになった机や床を片付け、子どものところへ行く。


 ふざける子どもを目で威嚇したり、一喝しつつ、付き添わないと寝ない子のそばに行き、その子のお腹や足をなでたり、とんとんする。

 一人で眠れるのに、「せんせ~、とんとんしてぇ」と言ってくる子がほんとにかわいい。


 しかし、こちらは順番に休憩に行かないといけないので、寝させないと!と焦る。なので、騒がしい子には本気でいらっとする。


 子どもが落ち着いたら、おたより帳の記入をする。

 他の先生たちはおたより帳を、「今日は~して遊んでいました」という内容で終わらせていた。2~3行である。


 しかし、僕のおたより帳の内容はものすごく長かった。最低でも半ページは使っていた。子どもの様子を細かく伝え、しかもなかなかふざけた内容を書くので、保護者からは好評だった。


 僕を名指しして「返事をくれ」とおたより帳に書く保護者もいた。おたより帳のおかげで保護者と仲良くなるのは早かった。


 ただ、園長にも注意されたのだが、僕の字はとても小さい。保護者の中には「おばあちゃんが虫眼鏡で見てます」と教えてくれる人もいた。


 休憩時間は男性用のロッカーで過ごす。休憩室もあるのだが、ベテランの女性保育士ばかりで緊張する。とても休憩にならない。


 男性用ロッカーと言っても、実際は倉庫のすみっこにある隙間のことだ。一人でやっと入れるところで、いつも僕は体を縮めて休憩していた。


 園長が大らかなので、休憩時間に外へ行くのは許可されていた。

 なので、僕はよくコンビニへ行ってコーヒーを飲んでいた。


 おもしろいのが、もう一人の男性保育士の先輩と休憩時間が被ると、先輩と一緒にそのスペースで過ごすことになる。


 二人で一人分のスペースを共有するのだ。もうぎっちぎちである。そんな時は二人で体育座りをして、何とか半分こしていた。


 その先輩はとてもずる賢くておもしろい先生だった。趣味も合ったので、人見知りの僕はすぐにその先生に懐いた。とても心強い存在だった。


 僕と同い年で、一緒に入職した同期の女の先生も、ものすごく明るくて、おもしろくて、あっけらかんとして、大食いだった。

 今は結婚して、アメリカへ移住してしまったが、今でもたまに連絡をとっている。


 休憩後は、子どもを起こして、トイレへ行ってもらい、おむつを替える。おむつ離れを進めている子もいるので、そんな子は布パンツ。

 トイレについては本当にその子に寄るので、援助の仕方も個々でだいぶ変わる。


 ちなみに、中国人のめちゃくちゃ性格の良い保護者から、「3歳になるまでにおむつ離れができないと、中国では笑われる」と教えてもらったことがある。本当かしら。


 おむつ離れは、いつか絶対にできるので、別に焦らなくてもいいと思う。一人っ子の家庭の保護者はおむつ離れにすごく敏感だった。「一般的には」を気にしてしまうからだと思う。


 おもらしした子がいれば、布団や服をビニール袋に入れて保護者に渡す。洗濯はしない。衛生管理的にやらない、と保健師の先生が決めていた。


 うんちのついたパンツも、落ちるものはトイレに流せるが、ゆるいうんちだった場合はそうはいかない。なので、そのままビニール袋へ入れていた。

 それがすごく保護者に申し訳なかった。


 仕事で疲れて、子どもを迎えに来て、保育士からうんちべったりのパンツを渡されるのだ。帰ってそれを洗うことを考えると、僕は保護者に「がんば!」って気分になったし、実際にそう保護者に言っていた。


 そのあとは午後のおやつ。この園は必ず手作りのおやつが出た。それがとてもおいしかった。

 そして、遅番の先生が来るまでクラスの子と過ごす。遅番の先生が来たら、1~2歳児は一緒の部屋で過ごす。


 そうなると、早番の先生はおつかれさまし、普通番の先生はそこから退勤時間まで事務仕事ができた。


 「やだ、やだ」と子どもが自分から離れない時はうれしくなる。あのめんどくさい保護者の気持ちがわかる瞬間だった。


 そして、書類仕事や製作、打ち合わせなどをして、退勤時間になったらおつかれさまする。


 最初は家に帰っても、お風呂も入らずソファーで寝て、次の日はそのまま出勤することもあった。


 それも、仕事に慣れたらやらなくなったけど。

 

  


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