ストーカー探偵
へーコック
前編
ジリジリと太陽が照らしていて、もう水分が出ないんじゃないかというくらい汗をかいている。おまけにセミが近くの木で鳴き続けていて、周りの気温が上がったと錯覚しそうだ。セミを恨めしげに見つめる。高いところにいるせいで追い払うこともできなさそうだ。
苛立つと余計に頭がぼーっとしてくる。
こまめに休憩を取らないと倒れてしまいそうだ。木陰に向かって座り込む。工事現場には様々な重機があって、各々がそれぞれ作業している。まだ基礎工事の段階だが、はじめの更地と比較すると随分変わったものだ。ぼーっと、観察していると男が近づいてきた。
「おい、何休んでんだ大城!納期は休んでてもやってくるんだぞ。さ、立て立て!」
ゲンさんに見つかってしまった。ゲンさんというのは50代の職人で、いわゆる親方というやつである。厳しい人だ。
「す、すみません」
長居をすると更に説教が続いてしまうので帽子で顔を隠して足早に作業へ戻る。
昼休憩が待ち遠しい。
昼休みになって昼食をとっていると、近くにゲンさんがやってくるなり、
「あーもう疲れた、冷えたビールでも飲みてぇなあ!」と話しかけてきた。
ゲンさんでもそういうことを考えるのか、と少し親しみを感じて返答する。
「え、あ、そうですね。でも勤務中は流石にまずいんじゃないですか?」
しかし彼はビックリすると、気味の悪いものを見るような目で遠くに行ってしまった。
……どうやら、またやってしまったようだ。
昔から極稀に、相手が喋っているかのようにリアルな幻聴が聞こえてしまう。医者はストレスが原因の統合失調症じゃないかとも言っていたが、詳しいことはよく分かっていない。この症状のせいで周囲からは避けられる事が多く、それを気にして仕事をやめてしまうことも度々あった。人との関わりが主体になる仕事は私には向かなかった。
だが、今の建築会社の日雇いは朝礼を除けば、指示は基本的にボードに記載されるし、業務中は重機の音がうるさくて会話なんてできたものではないのでハンドサインで済ませる事が多く、最低限の会話ですむ。
そう考えるとこの職場はやりやすい方だろう。だが、流石に日雇いだけでは食べていけないので、他にも副業をやっている。
「横、いいかな?今日も疲れるねぇ」
職人の椎名さんが後ろから話し掛けてきた。私よりかなり年上だが、稀にこうして話しかけてくれる。
「お疲れさまです、あ、今日もお弁当ですか。毎日よく作れますねえ」
「ははっ、料理は得意なんだよ。とは言っても振る舞う相手がいないんだがね。」
「親御さんとかには?」
「もうかなりの年だからさ、なかなか食べるのは難しいと思うよ、あ、そうだ、今日か。忘れてた。急いで行かないと。」
「あれ、何か用事ですか」
「親の病院に見舞いさ、結局この年になっても結婚もできず孫の顔すら見せてやれなかったしさ……せめて私だけでもと。」
「いえ、そんなことは。椎名さんが顔を見せるだけでご両親はきっと嬉しいと思いますよ」
「ははっ、大城くんは優しいねえ、じゃ、急いでいかないとだから、また明日」
「お疲れさまです」
せっかく弁当を作ったのに食べないなんて勿体無いな……と考えつつコンビニ弁当をつまむ。……少し分けてもらえばよかった。
昼飯を食べ終えて作業に戻る。いつの間にかセミはどこかに飛んでいったようで鳴き声は聞こえなくなっていた。よし、午後も頑張ろう。ボードを確認しに行く。とりあえずは…荷の移動かな。よし、いこう。
2時間ほど経過した頃、所長の声が聞こえた。
「おーい、皆ちょっといいかな……よしみんな集まったかな。こちらは今日から入る現場監督で係員の清澄白江さん。まだ新人だからね。もし何か困ってたら職人の方々も助けてやってください。」
清澄白江は小柄な女だった。現場仕事なのに色が白い。普通この手の仕事をやっていたらある程度の日焼けはしているものだが……この業界は初めてなのだろうか。美人というわけではないが、愛嬌のある顔をしており、20代後半に見える。あれ?今目があったような……気がする。なんだろう。どこかで会ったことあるような?間違いなく話したことはないと思うが。
おしとやかながら芯の通った声で彼女は挨拶した。
「清澄と申します。新米なので色々学んで行けたらと思います。よろしくお願いします。」
最後にふっと微笑む。
「おぉ……」
現場ではこの年代の女性はあまり見ないため皆から思わず声があがる。見とれてしまっている人もいるようだ。
私ももう少し眺めていたかったが、すぐに目線を逸らした。日雇いの自分にはあまり縁のない人だ。
「はい、みんな仕事に戻って頂いて……あ!それと、明日は風がかなりあるようだから、職人と日雇いの方々はとりあえずお休みにしようと思いますんで。しっかり休んで明後日からまたよろしくお願いしますね」
工事現場は天候に左右されるから急に休みになることも多い。突然休みと言われても特にやることも無い。仕方ないから家でゆっくりしよう。
翌々日、仕事に行くとロッカールームで椎名さんとゲンさんが話していた。
「そいや、ゲンさん、昨日はしっかり休めたかい?」
「おう、まあ結局今日の工程のこと考えてたがね。」
「流石だねえ、ゲンさん」
「そいやお前休みの連絡受けてたのか?早退してたよな?」
「あー、強風で急遽休みにしたんだっけ、所長から直接聞いたよ」
「お、何だ知ってたか、よかったな。」
「うん。それにしても、あの清澄さんって娘、随分と頑張ってるねえ…」
「たしかに。よく頑張っているな。」
ゲンさんカラカラと笑った。
え……ゲンさんが、笑ってる!?
驚いた。職人は気難しい人もいて、ゲンさんの笑顔など一度も見たことがない……少なくとも私は。
思わず彼を見つめているとジロッと睨まれた。慌ててロッカールームを出る。
またなにか言われそうだ。急いで作業場に向かう。
現場ではアクシデントはつきものだ。やれる仕事は早いうちにやってしまわないと納期に間に合わない。私も作業に集中しよう。
それから一週間ほどは特に何も問題なく過ぎたが、突然声が聞こえた。
「助けて!」それは清澄白江の悲痛な叫び声のようだった。
「えっ」
彼女の方を見やるがいつもどおりメモを片手に熱心にゲンさんに教わっている。明らかに幻聴だろう。
内容が内容なだけに気になるが……それに幻聴以外にも気になることもあるし。
それ以降も毎日聞こえた。
ここ何日か働いてみても彼女はずっと叫んでいる。彼女の事が気になって仕方がない。ずっと目で追ってしまう。
顔を合わせれば挨拶を交わす程度の関係だが……さりげなく……今日こそさりげなく聞いてみよう。
私は、いつも通り彼女の帰り道についていく。彼女は現場から20分ほどはなれた場所にあるマンションに住んでいる。5階建てで白と灰色の中間程度の色合いであり、宅配ボックスがついている。
帰宅時間は9時前後で朝は早く7時頃には家を出ている。部屋は5階で階段を上がって一番奥の部屋だと思う。505号室。
今日こそ話しかけようと思い、エレベーターが来たタイミングで慌てて同じ箱に乗り込んだ。
「こ、こんばんわ。」
「きゃっ」彼女は驚いてエレベーターの壁に自分の背を貼り付ける。
「はあ、すみません。私です。現場の大城です。」
彼女の警戒はまだ解けない。どうしたのだろう。「あ、失礼しました。多分ですけど……505号室ですよね」急いでエレベーターのボタンを押す。
「それにしても、いつもは9時15分とか、いつもそれぐらいにご帰宅されるのに今日はやけに早いんですね。あ、もしかしていつも見てらっしゃるアニメの特別版が放送されるからですか?」
彼女はおもむろにスマホを取り出し「警察ですか!?すみません!助けてください!場所は……」と言い出した。
何が起きたんだ!?早くやめさせなければ。
「えっ、待ってください。何故です!」
「何故はこちらのセリフよ!なんでそんなことまで知ってるのよ!おかしいでしょ!」
「私の部屋、あなたの隣なんですよ!」
「え……いや、嘘でしょ?信じられないけど今の状況で言われても」
私は504号室の鍵を差し出して見せる。
「とりあえず……早く電話を切ってくれませんか」
「あ、ごめん。てかホントにうちのマンションの鍵だわ。もー、ならもっと早く言ってよ、不審者かと思ったじゃない。というかどこかで見た事あるなぁーって思ってたけど同じマンションだったのね。」
彼女の方も既視感を覚えていたらしい。
「そうですよね。すみません。ご挨拶しようと思っていたんですけど、話しかけるタイミングを見失っていただけなんです。」
「はぁ。もういいわよ。」
「でもストーカーは酷いですよ……にしてもちょっと過剰に怯えすぎているような」
「それはほぼほぼ貴方の言動のせい……いや、まあそれだけじゃないけど…」
やはり、あの声の事だろうか。
「なにか困りごとがあるんですよね?」
彼女は未だに不審がっているようだった。まずい、いきなりすぎたか。大丈夫だ。この場面は想定していた。私にはアレがある。
「実は私副業で探偵をやっているんです。なにかお力になれるかもしれません。」
そういって大手探偵会社の名刺を見せる。名前くらいは見たことがあるだろう。
「あ、そうなの。うーん確かに警察に相談しても難しいって話だったし…」
しばらく悩んでいたようだったが不意に顔をあげた。決めたようだ。
「分かった。そしたら…えーと今からでもいいかしら?」
「では近くのファミレスとかどうでしょう」
「そうね」
彼女と近くのジョナサンに入った。この近辺は住宅街で家族連れが多いのか夜はほとんど人は出歩かない。ファミレスにも誰もいなかった。彼女と席について注文した。
「えっと、実はストーカー被害にあっているかもしれないの」
「ストーカーですか」
「うん、一人で歩いているとね、誰かにつけられてる気がして」
もしかして私のことだろうか。
「ここ2週間くらいかな、もうずーっとよ、誰かに見られてる気がして」
私が彼女に話そうと思ってあとを追いかけ始めたのは三日前くらいだから違う。良かった。ホッとしてため息をつく。
「ふぅ~。なるほど、見られてる気がする。というのは具体的には?」
「仕事から帰るとき、あとは朝もかな。姿を見たことはないけど…多分つけられてる」
「相手が全く特定できないのでは流石に捕まえるのは難しいでしょうねぇ」
「えぇ、警察にもそう言われたわ。でもこのあたり夜は人一人で歩いてないでしょ?この仕事は遅くなるときもあるし流石に一人だと不安で……」
彼女は私の方をチラと見たあと
「貴方何か、運動とかをやってたの?」
なにか嫌な予感がする。
「え、いや特に経験はないですが」
「ふーん、まあ大きいから盾には使えそうね、じゃ、私をずっと護衛してよ、いざってときは頼むわよ」
いざって時と言われても……自分が想像していたよりなかなか強かな性格をしているようだ。
その日以来、護衛という名目の盾扱いとして彼女につきあわされることになった。
特に料金はいらないと言ったのに、それは悪いと言って、バイト料として夕飯をごちそうしてくれることもあった。
だが最近は彼女の愚痴につきあわされることが多くなったような気がする。
「ほんともうムカつくわあの親父。」
今日はかなり酒が入っているようだ
「現場監督さんって大変ですね」
「そうなのよ、それに力仕事は一切させてくれないし。女扱いしてほしくないのよわたしは!」
「まあ、可愛がられているということじゃないですかね。それにしてもいつもと性格違いすぎますね本当に…」
「仕方ないでしょ、男ばっかで気を遣うし大変なんだから。たまにはストレス発散しないとね」
「ほぼ毎日しているような気がしますが」
「うるさいわね!私だって一人のときはこんなんじゃないけど、貴男、黙って聞いてくれるからさ。話しやすいのよ。だからあなたのせいってわけ」
「それは、すみません。」
それは私も同じだった。彼女と話していると素の自分でいられる。彼女が本音をさらけ出してくれているからだろう。僕ももう少し彼女に自分の事を話してみてもいいかもしれない。
「貴方、普段からもっとそういう感じでいればいいのに。」
「いえ、自分には難しいですよ…清澄さんとは何度も顔を合わせているので慣れただけです。本来人と話すのが苦手なんですよ……あのちょっと変な話してもいいですかね」
「んん~、なに?」
よし、今なら大丈夫そうだ。
「実は僕、幻聴が聞こえることがあって、それで人と話すのが苦手になってしまったんですよ」
「ふーん、何が聞こえるの?」
「近くにいる人が突然喋ったように聞こえるんです。しかもなんか変な内容が多いですし」
「私のときにももしかして聞こえてたから声をかけたの?」
「それはその……はい。『助けて』そう聞こえたものですから、心配になって。」
「そ、そう。ありがとう。でもさ、あながち完全な間違いってわけではないのかもね、それ。確かにあのときの私は助けを求めていたわけだし。というか本当にただの幻聴なのかしら」
「そりゃそうですよ、幻聴の内容について何度か本人に聞いたことありましたが、全員がそんなこと言ってない、思ってすらないと否定して大抵険悪になるんです。」
「馬鹿ね、本心を言い当てられたくないことだってあるのよ?それなら、違うって嘘ついてたってことじゃない?」
「でもそうすると私は人の心が読めるということになりますが…」
「面白いじゃん、じゃあ今考えてること当ててみてよ」
「えーと、すみません。全然わかりません。そもそもたまにしか聞こえませんし」
「んー、何だかよくわからないわね。とにかくもう少し当てにしてみてもいいんじゃない。何かの役に立つかもよ」
目から鱗が落ちたような気分だった。彼女がすんなりと受け入れてくれたこともそうだが、まさかこの幻聴を役立てようとは。考えてみたこともなかった。
「ありがとう……ございます……」
嬉しくて泣き声なのがバレないよう呟くのが精一杯だった。
彼女と過ごす毎日はあまりにも楽しくて私はストーカーの存在をすっかり忘れてしまっていた。だが、問題はまだ何も解決していない。むしろ進行していたのだ。
ある日、一緒に帰宅していると普段は饒舌なはずの何故か彼女が一言も喋らない。
「あの、どうしたんですか」
白江はあたりを見回しながら耳打ちしてきた。
「……実は職場のロッカー整理してるときに奥の方から手紙を見つけたのよ。いつからあったのか分からないけど気持ち悪くて」
「どんな内容だったんですか?」
渡された手紙を読むと、
『愛しの白江、お前は今とても仕事が大変そうだね。毎日毎日色んな男にペコペコして、見ていて可哀想だ。私が助けてやる。待ってなさい。』
驚いて飛び跳ねる。
「これ……ストーカーからの手紙よ、ついに職場にまで…」
「えっと、つまり例のストーカー?本当にいたんだ」
その言葉に彼女が反応する。
「……なに?本当にいたって、まさか信用してなかったの?なんで信じてくれないのよ!」
「いえ、あの、すみません、そういうつもりでは」
「もういいわよ、役に立たない護衛なんて」
彼女はそう言うと走って行ってしまった。
彼女にかけられた言葉もショックだったがそれ以上にいつのまにか問題を軽んじていた自分に呆れてた。
彼女は私の話を信じてくれたのに、私が信じないなんてなんて酷いことをしてしまったんだろう。人から信じられないことをあれ程嫌っていた私なのに何故……!
アスファルトには項垂れる大城の影だけが月夜に照らされていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます