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 サウンドメディカル第一製造工場。


 大型の機器がまるで碁盤の目のように規則正しく並べられている屋内。 その一つ一つが、大きさに見合わない極小サイズの部品を生成する為の物だが、現在はその全てが停止している。


 サウンドメディカルの心臓部とも言える施設が停止している中で、天井より照らされた明かりを受けながら動く影が二つ。 セレン・レイノルズと那須厚貴の二人が、そこにいた。


 だが、セレンも那須も互いの顔は見えていない。 正確には、通路の真ん中で立っている那須のことを、背後からセレンが見続けているという奇妙な構図になっているからだ。


「随分と大胆なことをしてくれたものだ。 まさか、本社にあるデータのフォーマットについで、工場のデータ破壊と施設の破壊工作とは。 一体いくらの損失額になるか……。 まったく、君たち親子には面倒を掛けられてばかりだな」


 那須は落ち着いた様子で、まるで世間話のように話しているが、その四肢は一切微動だにしない。 傍から見て、セレンの術中に嵌っている様に見えた。


「そこまでしないと直接会いに来てくれなかったでしょう?」


。 などとホットコールをもらえば、行かざるをえないだろう。 社長室で判子を押している場合ではないからな」


「安心して。 そんな日々も今日でお終い。 金勘定する事も二度とないわ」


 それはどちらの意味にも取れる言葉だ。 那須に先が無いのか、会社に先が無いのか……どちらにしろ、死の宣告と同義の言葉に、しかし那須は一切動じていない。


「まさか、本気でこの程度の工作活動くらいでどうにかなると思っている訳じゃあないだろうな。 君の行動力には確かに感服しているが、だとしたらそれは甘い認識だと言わざるを得ない。 例えメインサーバーがクラックされようと、重要なデータはしっかりとバックアップをとってある。 機材も、また新調すればいいだけの事だ」


「ええ、そうだと思っていたわ。 そうでないと困るもの」


「ほう……」


「きっと、自分にしか開くことが出来ないところにでも隠しているのでしょう? 父を人質にしなければ、女一人扱えない小心者なのだから。 それこそ、父も、私も、会社の誰も知らないところに抱え込んでいるのでしょうね」


 大きく声色は変わってはいないが、そこには明らかな侮蔑が含まれていた。


 俯瞰的に見れば、セレンは冷静さを保ったまま那須と話している。


 整った顔立ちは感情のを窺い知ることができないほど無表情で、それがむしろ、激情を必死に抑えている事の裏返しにも見えた。


「だからこそ、何もかも丸く収まる方法が簡単に取れる」


 セレンはそこで言葉を区切る。


 間が必要な空気がそこにはあったからだ。


 那須も一呼吸おいて、この工場に来た時から察していた事を初めて口にした。


「なるほど。 君は……あれかね? 私をここで殺すために連れてきたのかね?」


 まるで、夕食のメニューを聞く位のニュアンスで那須は聞いてきた。


 恐怖や緊張と言ったものは全く感じ取れない。 自分の死を語っているはずなのにだ。


「……そうよ」


 セレンはそれを若干訝しんだが、はっきりと肯定を示した。


「ほう、どうやって? いや、確かに私は今君から受けている催眠効果の最中だ。 首に縄でも掛けられたら死んでしまうだろうがね」


 那須の言う通り、セレンの術中に嵌っているのなら、彼の自由は現在首から上のみ許されている。 自分の意思ではその場から一歩たりとも動けない案山子も同然の今なら、小さな子供ですら鼻と口を押えるだけで那須の命を奪えるだろう。


「バックアップがどういう方法で封印されているのか分からない以上、あなたの指紋も網膜も、声紋どころかDNAすら残しておくことは出来ないわ」


「なんだ、君は私に消滅して欲しいのか? それも、物理的に。 顔に似合わず恐ろしい事を考えるな」


 そう口にするが、やはり先程と同様、不気味に思えるほど那須の様子には変化が無い。 この状況下、普通の人間なら見せるであろう恐れ、怯えの表情が、この男には一切無いのだ。


「ええ。 ハッキリ言ってその通りよ。 こうして顔を合わせているだけでも、衝動を抑えるのが大変」


「しかし、人間一人を完全に消し去ることなど不可能に近い。 いや、それこそドラム缶一杯のアルカリ性溶液で溶かすともなれば話は変わってくるがね。 残念ながらこの工場にはそんな物は用意していないが。 さて、どうする?」


 その問いに、セレンは初めから解答を用意していたかのように答える。


「ここには、父が作った私の力を増幅させる初期段階のサウンドデバイスが、研究目的で置かれているでしょう。 まずはそれをあなたに最高出力で使って、廃人になってもらうわ」


 研究当初、プロトタイプとして作られたシステム・セイレーンを利用した実験用のサウンドデバイス。


 当然安全性は考慮されているが、出力測定の実験時のみ、セーフティーは働かず、際限なく効果の度合いを高めることができる。


 しかし、それは聴覚から脳へのダイレクトな信号を高負荷で与えることになるため、脳神経へのダメージは計り知れない。


 良くて植物人間。 最悪ショック死に至るだろう。


「まずは事実としての死ではなく、自己の消失としての死か」


「その後で、あなたの死体をどうするか考えるわ。 ……そうね、別にあなたの体が見つからなければいいのだから、沖合に沈めるでも、山中に埋めるでも、選択肢はあるわね。 希望があれば、出来る限り聞くわよ?」


「これはお優しい。 だが、死んだ後のことについては無頓着でね。 動物の餌なり燃やすなり、してくれてもかまわんよ。 特別何かの宗教に入っている訳でもないのでね」


 那須の表情は変わらず飄々とした緊張感の欠片もない顔だ。


 今自分の置かれている状況など歯牙にもかけない。 そんな態度も見て取れる。


「……怖くはないのね」


 幾度となく人道を外れた事をしてきた男だ。 呪い返しが自分の身に降りかかってきても、動揺一つない。


 ある程度は想定していたとは言っても、これ程とはセレンも思っていなかった。


 舐めていたと言えばその通り。 だが、那須厚貴という男は前任から会社を奪っての五年間、ただ社長室で踏ん反りかえっているだけの男ではなかった。


 父親と共同研究している時から、野心の塊だった男だ。 けっして考え無しの楽天家だったわけではない。


 そんな計算高い、打算で動く人間。


 外道の道を行くのにも、覚悟は必要だったはず。


 それはこの男も例外ではなかったはずなのだ。


 だからと言うべきか、現状圧倒的優勢に立っている今にしても、セレンは面白くなかった。 より正確に言うなら、彼女は今現状に苦慮していると言ってもいい。


 セレンは那須の表情に恐怖、畏怖、後悔、危機、悲嘆を見たかった。


 父と自分の人生を弄んだこの男が、今この瞬間に後ろ盾を殆ど奪われ、自分を守る物が殆ど無いという状況を叩き付けられ、絶望に表情を歪ませた所を見たかった。


 その後で、廃人にした那須の処遇を決めるつもりだったのだ。 本当に殺すまではいかなくとも、二度と人としての生活を送れない様にしてやるくらいには考えていた。


 だが……この男は、これだけ不利な状況に置かれても、目の前に自分の死をちらつかせても、一縷の怯えも恐怖も表さない。 


「死ぬことがかね? 正直に言えば、今私は何の恐怖感も抱いていない。 それは目の前にある死が、私にとっては驚異となっていないからだ」


「どういうこと?」 


 追い詰めているのは自分のはずだと……優位はこちらにあるのだとセレンは自分に言い聞かせる。


 それなのに、この拭い去れない不安からくる胸騒ぎは何だというのか……。


 だが、不気味なまでに平静を保つ那須への懸念は、次の那須の一言で完全にセレンの中から霧散した。


「私は死なないと言うことさ」


「……え?」


 セレンはそれが理解できなかった。 しかしそれは、那須が言った言葉にではない。


 催眠状況下にあり、首から上だけしか自由がきかないはずの那須が、ゆっくりとセレンの方に振り返ったからだ。


「もう歌わないというのなら、君はもう必要の無い人間だ。 父と一緒に、ゆっくりと休みたまえ」


 催眠状態にあるはずの那須がセレンに振り向き、動けないはずの腕がゆっくりと持ち上がり、スーツの胸元に差し込まれる。 


「まぁ、どの道初めからこうするつもりだったがね」

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