153.思い出の花園
長い足をしたスタイルのいい男性は、広大なヘイゼル家の敷地の方をジッと眺めていた。
今はまだ午前中で綺麗な秋空が広がっているけど、ここの朝焼けというのもとっても綺麗で、以前それを見に行った時に狩猟祭帰りの彼がモヤの中からボロボロの姿で仲間達と現れたことがあったな……
なんてことを思い出しながら、私は彼の方へと近づいていった。
「アルフリード、お待たせ。伝えたいことって……何かな?」
多分、多分今度こそ。
一生に一度着る衣装かと思ってたら、皇族騎士団の制服をプレゼントされた時みたいな事にはならないはず。
どこかで、そんな期待を私はついしてしまっていた。
ふっと、こちらの方を彼は振り向いた。
しかし、なぜか彼は鋭い表情をしていて、まとっている空気感はピリピリとしていて、ともすればこちらを睨みつけているという表現が正しいような目つきをしていた。
昨日ここに来て欲しいと言っていた時は、普通だったのに……
「ア、アルフリード、どうしたの?」
私はたじろいで、彼から少し後ろに下がった。
すると彼はこちらを睨み付ける表情をしたまま、さっと片手を私の前に出した。
その手には……
分厚い原稿用紙の束。
王子様が……王子様が紛失してしまった、私の黒歴史らしきものが掴まれていたのだ。
目を見開いて、ガタガタと震え出しそうになった私に向かって、彼は低い声を発した。
「昨日、エルラルゴがいた前の部屋のクローゼットの奥の方に落ちてたのを見つけたんだ。この字はエミリアのものだよね? ソフィアナは死ぬは、そのせいで僕が色んな令嬢達と遊び歩いた挙げ句、命を落とすって……一体どういう事なんだ?」
あ、あ……
つまり、王子様は新しい部屋に持ち込んだつもりでいたけど、本当は前いた部屋にずっと置きっぱなしだったんだ。まるでアルフリードに見つかるのを待ってたかのように、誰の目にも触れられる事なく……
”このような過激なものを見せれば今度こそヤツはどうなってしまうか……完全に気が触れるか、この話の最後と同じ末路を辿ることになるだろう”
皇女様に見つかってしまった時、彼女が言っていたセリフが頭の中にコダマしていた。
うあぁぁ……
どうしよう……
「アルフリード、ごめんなさい……今さらこんな事を言っても遅いかもしれないけど、それが1年前あなたの事を傷つけてしまった全ての理由なの……訳あって王子様の手元に届いてしまったのだけど……」
声が震えるのを抑え、顔を下に向けながら、私はやっとそれだけ言うことができた。
この場に皇女様やお兄様がいれば彼らがそう思っているように、これが私がエスニョーラの能力を発揮して予知した未来だと補佐してくれたかもしれないけど、私1人では彼を納得させる事は不可能だ。
もう言い訳なんかしたって、どうしようもない。
彼がこんなに怖いオーラを放っているのは、アル中から回復した彼に“エミリア復刻作戦”とかいってしつこく思い出を再現したり、観光ツアーに連れ出した時に怒鳴られてしまった時以来だ。
こんなもの書かなければ良かったのに……
それか、人に管理をお任せするんじゃなくって、その場で燃やすでもなんでもして抹消してしまえば良かったんだ……
そうすれば、ベストセラーとしてこの世界でも発表されることもなかっただろうし。
私の瞳からは後悔の涙がフルフルと溢れてきた。
視界が滲んでくると、フーーという長いため息の音が聞こえた。
「本当は、君が願ってやまなかったソフィアナの女騎士を納得いくように務め上げたタイミングで、もう一度結婚の申し込みをしようと思ってたのに。いくら妄想力が強いといっても、ここまでの内容にするなんて……」
それを聞いた途端、涙だらけの顔からさらに血の気が引いていったのを感じた。
やっぱり……彼はそのつもりで、私のことを呼び出したんだ……!
それなのに、それなのに……
「分かったよ、あなたの……あなたの考えている通りにして。私はもう、あなたに何も言える立場じゃないから」
意気消沈している私を彼は眉間にシワを寄せてみやると、スッと掴んでいた用紙の束を私に差し出した。
「もう、これは君に返すよ。わざわざ呼び出させたのは悪かったけど……考え直させてくれ」
そうして彼はクルリと私から背を向けると、大舞踏室の方へと歩み始めてしまった。
その姿は半年間お別れする前に見た、彼の最後の姿と重なって見えてしまった。
”もう、僕の前に現れないでくれ”
そう言って、泣き叫ぶ私の方を見向きもすることなく、ガンブレッドに飛び乗って遠くの方へ駆けて行ってしまった彼。
まさか、あの時と同じ気持ちを再び味わう事になってしまうなんて。
でもあの時とは違って、私は追いかけようともせず、諦めにも似た呆然とした気持ちで遠ざかっていく彼をただただ見つめていた。
本当はとっても優しい彼だから、こんな酷い話を書いたとしても許してくれるんじゃないか、そう心の片隅で思っていた。
だけど、皇女様たちが言っていた通り、彼にとっては深刻で精神的に相当なダメージを与える物だった、ということなんだ。
本当はずっと、ずっと彼と一緒になれる日を待ち焦がれていたけれど、それもまた振り出しに戻った訳だ。
彼がこの件を心の中で消化して、私にまた向き合ってくれる時まで……
すると、急に強い秋風が後ろの方から吹いてきて、持っていた原稿用紙の最後のページがピラッと風に持って行かれてしまった。
それはヒラヒラ ヒラヒラとクロウディア様の庭の横を舞っていって、歩みを進めているアルフリードの手前にちょうど落っこちていった。
アルフリードは立ち止まると、そこに片足を立ててひざまづき落ちた紙を拾い上げた。
しかしそれから彼は立ちあがろうとせずに、固まったようにそのままの姿勢でなぜかその紙をずっと見つめていた。
私はオズオズと、ドキドキとしながらもそんな彼の方へ近づいていった。
そして恐る恐る、彼が凝視しているものを覗き込んでみると、そこには何かが書かれていた。
なんだろう……私の筆跡じゃない。
そこにはメモのように、こう書かれていた。
『これはとある1人の少女が、とある1人の男の生涯を予知し、その全記録を収めたものである』
そしてその下には、日付といくつかのサインと印鑑が記してあった。
その日付は、私が誘拐されてしまったリュース邸から戻ることができた翌日のものだった。
そして、サインと印鑑の方は……
「ソフィアナに皇太子殿下、それに兄上のものに、ユラリス殿下とリリーナ姫のものまである」
アルフリードが目を見開きながら呟いたように、あの日、執務室のミーティングルームで尋問を受けた場にいた3人のメンバーのサインに、女騎士の派遣契約をした時にも自慢げに使っていたリリーナ姫の印と、似たようなデザインのユラリスさんの印が横に押してあった。
「昨日見つけてザッと読んだだけだから、こんなページがあったなんて気づかなかった。予知ってことはまさか……この話はエミリアと出会う時期より後から始まってるけど。これは実際に、起こりうるはずの事だったっていうのか……?」
まさか、あの方々がこんな事をして下さっていたとは……
メモだけだったら信じるに値することはできないけど、側近職として毎日のようにアルフリードが目にしていたはずの皇太子様と皇女様のサイン。
それらを彼が見間違えるはずがないから、この簡単なメモにも強力な説得力がもたらされているに違いなかった。
「じゃあエミリアが、僕の前に……僕の前に現れたのは……」
アルフリードは紙を両手で持って見つめたまま、ひざまづいた状態から立ち上がった。
「あ、あのね、私がこれまでして来たことは全部、ここに書かれた通りにならないためだったの。あなたの事を深く傷つけてしまったのは、完全に間違いだったけど……」
私が言い訳がましく、あの時の事まで口に出して弁明しようとする中、全部を言う前に彼は突然、
「ハハハハッ、ハハハ!」
と笑い始めたのだ。
「ア、アルフリード!?」
彼が壊れてしまったのかと思って、私は紙を持っている彼の腕を両手で強く掴んでしまっていた。
笑いが収まってきたところで、彼は少しだけ滲んでいた涙を指で拭った。
「なんだ、そうだったのか。いくら本当に起こることだったとしても、これの内容は酷すぎると思うけど……もうその事はどうでもいいよ。それより、僕はずっと勘違いしていたんだな……」
内容のことは、どうでもいい? それよりも勘違いしていた?
「アルフリード、どういう事なの? 一体、何が言いたいのかサッパリ分からないよ」
私が戸惑いながら問いただすと、彼はさっき放っていた怖いオーラなど飛んでいってしまったように、朗らかな様子で私を覗き込んだ。
「君が初めて僕の前に現れて、ソフィアナの女騎士になりたいと言っていた時……君が向けていたその瞳は、完全にソフィアナに向けられていたのかと思っていたんだ」
私の瞳……?
そういえば、白い皇族騎士団の制服をプレゼントしてくれた時にも、彼は言っていた。
”とてつもない信念を持った、迷いを知らない力強い眼差しだった。僕はあの時のことを今でも鮮明に覚えている”
そう。そう言っていたのだ。
「だから僕は、こんな事を言ったら惨めな気分にしかならないけれど……ソフィアナに対して嫉妬心みたいなものを持っていたんだ。どうして、君の瞳は僕に向いてくれないのかって……」
彼は腕を掴んでいる私から目線を外して下を向いた。
「だけど、そうじゃなかったんだ。君は……君は現れた時から、ソフィアナの方を見ながら僕のためにその瞳を輝かせていた……そういう事なんだろう!?」
アルフリードは下に向けていた顔をバッとあげて、涙が
私は同じように、涙で濡れた瞳を彼に向けながら答えた。
「アルフリード……当たり前でしょ。私はずーーっと、最初からずーーーっと、あなたの事しか考えていなかったんだよ?」
そう言って彼に笑いかけた途端に、瞳に溜まっていた涙が一気にこぼれ落ちた。
「……エミリア!!」
彼はそう叫ぶと同時に、私に勢いよく抱きついてきた。
その弾みで、私の手からは原稿用紙の束が落ちていって、400枚近くあるそれが風によってバサバサと宙に舞い上がっていった。
そうして、それらがテラスの向こうにあるヘイゼル家の敷地の方へと流されていってしまうと、彼は抱きしめていた腕の力を抜いて、スッと私の顔を覗き込んだ。
「アル……アルフリード? あなた……」
その覗き込まれた顔を見つめた瞬間、私はつい目を見開いて、戸惑いの声を上げてしまった。
その表情は……その表情は、ある時点からもう見ることができなくなってしまった、私の大好きなあの表情。
口元や目元に浮かんでいる、爽やかなのに、どこか控えめで、とても上品な……
あの、あの微笑みだった……!!
その表情で見つめたまま、彼は私のことをお姫様だっこすると、移動してきてしまった元いたテラスの方に戻って、しばらく私のことを見つめると、スッと顔を寄せてきた。
そして、お互いに目をつむって、私たちは深く、深く口づけをした。
3年前の婚約披露会の時、初めて口づけをしたこの場所で。
唇が離れた後も、しばらくその爽やかな微笑みを前に見つめ合った後、彼はおもむろに抱き上げていた私のことを地面に下ろした。
そして、自らの懐に手を入れて、丸められた紙らしきものを取り出すと、
「エミリア……愛してる。僕と結婚してください。どうか僕の妻になって欲しい」
そう声に出して、丸まっていた紙を広げて見せた。
それは……縦半分に亀裂が入った、だけれども綺麗に修復されてきちんとくっついている、帝国の婚約証だった。
「これは……公爵様とお父様のサインが入ってる……1番最初の婚約証……わ、私が破ってしまった……」
もはや次から次へと溢れ返ってくる涙を止めることはできなかった。
「ああ、そうだよ……僕もこれがどこに行ってしまったのか知らなかったんだけど、メイドのロージーや他の使用人たちが回収して補修してくれたものを、執事のゴリックから渡されたんだ」
そ、そうだったんだ! 彼らの主人であるアルフリードをズタズタにしてしまったのに、彼らは……ありがとう……皆、ありがとう……
そう心の中で唱えながら、きちんと、今度こそ彼にお返事をしなければと、私は呼吸を整えた。
「アルフリード。私もあなたを愛してます……あなたと結婚させてください」
私たちはこの世界に2人きりしか感じられないくらいに見つめ合って、微笑み合った。
そして、もう一度、顔を寄せ合って口づけを交わすと、彼は私の手を取った。
「向こうで婚約証にサインをしてこよう」
気づくと、お庭とつながっているサロンルームの方から腕を組んだ公爵様とクロウディア様が穏やかに談笑しながら出てきて、近くにあるベンチに腰掛けるのが見えた。
私はアルフリードに向かって小さくうなずくと彼の横に寄り添い、2人して一緒に歩き出した。
お互いの手は、指を絡め合う彼のお気に入りの恋人繋ぎで。
オレンジ色の花が咲き乱れて、その香りがあたり一面に広がっている、私と彼の思い出が詰まった庭園の中へと。
*****
ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございました。これで当初から考えていた内容が書き終わりました。他のエピソードの追加など今後も時間をみて細々と好きなように続けていけたらなと思います。
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