『呪い』

さくらぎ(仮名)

 

 僕が小学二年生になる直前に両親が離婚した。理由は分からない。とにかく僕と二つ歳下の弟は何も知らないままなぜか母に引きとられて、なぜか母の実家の近所に引っ越してなぜか転校もして、それから十五年以上母子家庭だった。必然的に母は毎日のように働いて、僕も弟も鍵っ子だった。

 学校から帰ってきてドアの鍵を開けようとした時に初めてそういえば今朝鍵を持たずに家を出たことに気付いて、母が帰ってくるまでの二時間を開かないドアの前に座りこんで何もせずただぼんやり過ごすなんてことは何度もあった。

 話がかなり脱線したけど、まぁだから僕は、大人のおっさんが――世間一般で言う父親が家にいるってのがどんな感じなのか全く分からない。いや正確には幼稚園に通っていた頃の記憶が朧気にあるんだけれど、それもなんとなく現実味がないというか、まぁそもそもあの頃は「家族とはこうあるべし」みたいなことを全く意識していなかったから、やっぱりどこか違う世界線の話みたいで……やっぱり現実味がない。夢を見ていたような気がする。僕がそうなんだから弟は尚更だろう。想像したくない。

 高校生の頃、義理の兄弟みたいに仲の良かった後輩にこの話をしたら、すごく哀しい顔で「先輩。そういう話やめましょ」みたいなことを言われた。この時のことを僕はたぶん一生忘れないだろう。


   *


 彼とは全く会っていなかったわけではなくて、何年かに一回、僕らが夏休みだったり春休みだったりの長期休暇に入ったタイミングで会っていた。僕が小学六年生の頃だったか、弟も一緒に二泊三日の沖縄旅行に連れて行ってくれたこともある。首里城は写真で見るよりも大きくて広くて美しかったし、国際通りのすぐ近くにある公設市場で丸く大きく膨れて針を剥かれたハリセンボンが何匹も吊るされているのを見て複雑な気持ちになったり、肉屋の片隅に当たり前みたいに豚の頭が置かれていてそれが思ったより大きくてたじろいだりもしたし、ご飯は全部美味しかった。こんなご時世じゃなければあの時食べた海ぶどうとラフテーと黒豚餃子ともずくうどんをもう一度食べるために今度は一人で沖縄に飛んでいただろう。

 また話が逸れたけど、まぁそんな風に今でも彼との思い出は残っているのだ。でも僕はあの時どうしてもぎこちなかった。強いて言うなら「これは家族旅行だけど、でもなんかその、ママがいないよね?」というのが近いだろう。少なくとも僕にとって「親」とは母のことで、だからどこか穴が空いているような複雑な気持ちで、今から思えばすごくすごく淋しかったのだ。彼が僕らに気を遣えばその分だけお互い顔には出さないけどそういう空気が濃くなるのがよく分かって、僕は帰りたくなった。「せめて今ここにママがいてくれたら」と何度思ったか分からない。

 同時にそれからもっと先の、いつか二人で会うことになったときのことも薄々想像していた。したくなかったけど、せざるを得なかった。そして実際何度か機会があって、学校生活や進路やお金や仕事の話も少ししたけれど、でもやっぱり気まずかった。

 なんだか不時着みたいになってしまったけれど、僕は二十歳になってから今の今まで、あるひとつのことをふとした瞬間に考えてしまう。

 それは彼の葬儀のことだ。


 彼は今、僕らが住んでいる場所から遥か遠くの某県にいるらしいのだが、もし仮にある日突然、不謹慎だけど例えば明日にでも彼が急死したとしたら、僕は彼の葬儀で喪主を務めなければいけないんだろうか?

 物心ついてから彼と過ごした思い出はさっきの沖縄の話以外にもまぁあるにはあるけれど、それでもやっぱり僕にとって彼はもういっそ血が繋がっているだけの赤の他人と言ってしまったほうがしっくりくるぐらいなのだ。だから死んでしまって思わず泣いてしまうとか、そういうことは正直、ないと思う。想像すれば少し哀しくなるけれど、でもどこか他人事のような、いつか忘れてしまいそうな気がしてちょっと怖い。

 僕は彼のことを本当になにも知らないし、これから知ろうとも思わない。だからもし本当に彼が死んでしまった時には、なんかそれっぽいことをなんかそれっぽい表情でなんかそれっぽい感じで喋らないといけないのだろうか?全く面識がない彼の親戚らしき人たちの前で?

 嫌すぎる。

 これは誤解を招く言い方だけど、でも。

 それだけは本当に本っっっ当に嫌なのだ。

 本当に勘弁してほしい。冗談じゃない。

 そんな空間には居たくない。

 でもこれって断れるものなんだろうか?親の葬儀で喪主を務めるのはだいたいその子どもだというけれど、僕や弟がきっぱり「嫌だ」と言えば他の誰かがはいそれじゃあとすんなり代わってくれるものなんだろうか。めちゃくちゃ怒られるかめちゃくちゃ哀しい顔をされるかのどちらかなんじゃないだろうか?「それでも世界でたったひとりの父親なんだから」とか、「いやお前誰?」って突っ込みたくなるような理不尽で勝手なことをまた言われるのだろうか?

 あ〜〜〜〜〜もう本当に嫌だ。

 想像もしたくない。

 全部なかったことになればいいのに。

 このどこにもぶつけようのないいろんな感情をどうやってどうすればいいのかまだ分からなくて、僕はいま本当に困っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『呪い』 さくらぎ(仮名) @sakuragi_43

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る