カエルとソーダライト
絵空こそら
カエルとソーダライト
カエルのポストカードを買った。
何の役に立つのかよくわからないものばかりが並ぶ、お気に入りの店がある。今日はたまたま近くに用事があったので、帰り際、久しぶりに寄ってみた。
小さい店である。店内には鉱物、天体を模したライトや、恐竜の模型、エジプトから取り寄せたらしい洒落た香水瓶などが所狭しと、しかし整然と陳列されており、「素晴らしすぎて作業に集中できない作業用BGM」系の音楽が流れている。
私は最初、鉱物を見ていた。ひとつのソーダライトに目を引かれたのである。さながら夜が山の形を模したかと思われるほどの、濃く深い青の小さい、でこぼこした三角形であった。ラピスラズリやソーダライトは平面がもっとも美しい姿だと何かに書いてあったが、そんなこともないと思われた。よしこれを買おうとレジの方に歩いて行くと、男性が絵を描いていた。店の片隅に小さなテーブルを設け、小さな長方形の紙になにやら熱心に描き込んでいた。
その手元を私はじっと眺めた。私はもともと、絵を描くよりも見るほうが好きである。実際に人が描いている姿は、学生時代以来見なくなって久しい。どうやら男性が描いているのはカエルのようであった。何というカエルかは知らないが、恰幅の良いカエルであった。「千と千尋の神隠し」の温泉に浸かっていそうな風情である。男性が手を動かす度、紙面に陰影が刻まれ、貫禄も増すようであった。
視線を感じたのか、男性は顔を上げ、私と目が合うと笑って会釈をした。私も会釈をして踵を返し、レジには行かず、そのまま狭い店内を徘徊した。青い三角を手の中で弄びながら、頭の中で天秤がぐわんぐわんと揺れる。店を一周し、もう一度机の上を見た。ますます貫禄が増している。出来心で声をかけてみた。
「そちらの絵を購入することは可能でしょうか」
絵描きは驚いたように笑った。相場は5000円ほどということだった。その額に少なからず面食らった。しかし、イラストレーターに有償依頼をすると何万円という相場を聞いたことがあったし、ピカソの逸話なども思い出して、まあそのくらいはするだろうと思い直した。絵描きは気の毒に思ったのか、4000円でもいいとまけてくれた。また頭の中の天秤がぐらぐら揺れる。買うべきか買わざるべきか。長方形の紙面いっぱいにボディを広げたカエルが悠々と笑っている。「よし買っちまえ!」と脳内の江戸っ子が叫んだ。
絵描きと連れ立ってレジに行き、絵を購入したい旨を伝えると、店員全員が泡を食ったような表情になり、さらに金額を伝えると同情するような苦笑を浮かべた。とりあえずレジに絵を預け、絵描きは机に戻り新たな作品に取り組み始めた。私は、今度は件のソーダライトと見つめ合いながら、これをどうするべきか脳内の天秤の揺れが収まるのを待っていた。そこへ店主が小走りにやって来て、本当に先刻の絵をあの値段で買うのかと確認しに来た。私は再度天秤の揺れに耳を澄ませた。納得しているし問題ないと伝えると、店主は申し訳なさそうな顔で「ありがとうございます」と言い、レジに戻った。
最終的にポストカードは3000円で買った。店主が絵描きと交渉してくれたのである。石の方は購入するのを止して、ソーダライトの群れの中にそっと戻しておいた。
帰り際、絵描きと挨拶をし合って店を出た。気の利いた台詞の一つでも言えたらいいのだが、あいにく杓子定規な言葉しか出てこなかった。
断っておくが私は裕福ではない。結局のところ、私は絵描きから直々に原画を買うという素敵体験をしたかったのだろう。偶然居合わせ、完成されていくカエルを見ていたあの瞬間を、切り取って持ち帰りたかったのである。ただの紙切れと思う勿れ。このカエルには、絵描きの数十年の経験が詰まっており、まったくの偶然性を以って私と出会い、この手の中にあるのだ!しかも100万ドルではなく3000円なのだから安いものである。
などと声高に宣言したところで、あまり理解はされないのだろう。ゆえに私はただ黙って持ち帰り、黙って彼を部屋に飾る。今度一枚、見合う額縁を探しに行こうかしらと、少しわくわくしながら。
カエルとソーダライト 絵空こそら @hiidurutokorono
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