ふざけたあだ名を取り消したい~俺と生意気な後輩の仁義なきバトル~

晩白柚

第1話

 前橋莉子。

 俺が所属しているテーブルゲーム部の後輩で、腕前は強くも弱くもなくそこそこと言ったところか。

 新入生には不人気な我がテーブルゲーム部にとって、大切な後輩の一人である。

「ところで先輩」

 ある昼休み、少し離れた机でスマホをいじっている前橋が口を開いた。

「何だ後輩」

「先輩っていっつも一人でご飯食べてますよね。友達いないんですか?」

「……っ」

 急なDisに俺は読んでいた本を閉じ、食べ終わった弁当の横に置いた。

「何だ?どうした急に。そもそも俺は一人でご飯を食べる派なんだ。人と話しながら食べる必要がどこにある」

 ……俺にとっては大切な後輩の一人ではあるが、あっちにとっては俺のことを大切な先輩だとは思ってはいないようだ。

「まあれんちゃん先輩ってそういう人ですもんね」

 相変わらず前橋は視線をスマホに固定したままだ。

「それを言うなら前橋も毎日昼休みここ来てるからな?おあいこだよな?」

「私はスマホを見つからずに使うためにここ来ているだけですよ?」

「そういえば俺、前橋が友達と一緒にいるところ見たことないなあ?クラスに友達いないのかなあ?」

「それは私のことを全然見れてないだけですよ?ちゃんと見てても友達があんまりいないれんちゃん先輩とは違いますからね?」

「はあ?」

 くっそうぜえ……。

 さっきから前橋が言っているれんちゃん先輩とは俺のことで、井上漣太の下の名前からとってれんちゃん先輩となっている。

「何だかれんちゃん先輩って言われる度に悔しそうな顔してますね?でも、全部先輩がババ抜きで負けたのがいけないんですからね?」

「くっそ……」

 悔しいが前橋の言うとおりなのである。

 この間やった真剣ババ抜き。俺は前橋に対して一ヶ月間連続の部室掃除当番をやらせること、前橋は俺に対して好きな呼び方で呼ぶということを賭けて行った。

 結果は惨敗。何故か俺のジョーカーの位置がことごとく読まれ、運良く勝てた一回は一度もジョーカーが来なかった一回だけであった。

「先輩わかりやすいですからねえ。心理戦とか出来るんですかね?れんちゃんは」

「……まあ前橋は勘だけは良いからねえ。勘だけは」

「……へえ?面白いことを言いますね。れんちゃん先輩は」

 前橋がぼーっと眺めていたスマホを少し操作し、スカートのポケットにしまった。

「心理戦も出来ないし、運もないれんちゃん先輩?」

「すぐ熱くなって冷静に考えることが出来てないって去年から言ってるんだけどな?前橋よ」

「それ先輩も出来てないですよね?」

「ああ?」

 前橋としばしにらみ合い、ふいと視線をそらす。

「ふん」

「……まあでも、どうしてもっていうならちゃんと井上先輩って呼んであげてもいいんですけど?」

「何?」

 俺はそっぽを向いていた視線を前橋に戻した。

「ふふっ、そんなにれんちゃんって言われるの嫌なんですか?」

「そりゃ嫌だろ。母親と同じ呼び方だぞ」

「それは奇遇ですね」

 あら、とわざとらしく大きく目を開く前橋。……関係ないけどこいつ眼でかいな。

 前橋が立ち上がり、部室の隅っこにあった紙と鉛筆を持ってきて言った。

「私にだって尊敬している先輩のことはれんちゃんじゃなくしっかり井上先輩と呼びたい気持ちもあるんです」

「嘘つけ」

「なので――」


 ゲームをしましょう。

 俺は前橋の言ったことに頷くしかなかった。




 俺と前橋は机をくっつけて互いに向かい合った。

「ルールは簡単です。お互いが紙に一つ名詞を書いて、それを交互に質問して当て合うというゲームです。質問者はイエスかノーで答えられる質問しかしてはいけません。そして答える側は質問に対して嘘をついてはいけません。先に単語を当てた方の勝ちです」

「なるほどね」

 いわゆる二十の扉といわれるゲームだ。

「何か質問は?」

「書く単語は名詞だな?固有名詞はありか?」

「お互いが確実に知っている場合は有りにしましょう。つまり、その固有名詞は知らないと言われたら駄目です」

「ふむ」

 知らないと言われたら駄目か。当てられなかったが、知らないと言われたら反則になってしまう。なら固有名詞は得策じゃないな。

 固有名詞じゃないけど知らない名詞。これが一番狙い所だと思う。

「なるほど……。よし、決めた」

 俺は前橋に見えないようにして『バラン』と書き、内ポケットにしまった。

 バランとは弁当にたまに入っている緑色のプラスチックで出来た草みたいなやつの名前だ。さっき食べていた弁当に入っていたから思い出したが、名詞で、前橋が知らなそうで、それでいて固有名詞ではない。何なら形と用途は分かるのに名前だけ分からないものの一つだ。急な思いつきにしては我ながら完璧な気がする。

「賭けるのは……先輩が勝てば、私は今後井上先輩と呼ぶというので良いですかね?」

「いいよ。前橋は何賭ける?」

「そうですね……。じゃあ私のことを莉子ちゃんと呼ぶ、というのはどうですか?」

 くそっ、こいつまたそんな恥ずかしい感じの事を言いやがって……。

 にやにやしながらこっちを見る前橋。

「ちゃんと公序良俗に反してないことにしてるつもりですよ?」

「いや、そうだけど」

「まあ勝てば問題ないんですよ?れーんちゃん?」

「こいつ……。やってやるよ!ええっと、じゃあそれは日本語の名詞ですか?」

 にやにやしていた前橋の顔が、少し歪んだ。

 ふっふっふ。敢えて質問して確定させなかったルールの穴をつかせてもらった。

「何だ?どちらが先に質問するかは決めてなかったよな?ルール違反はしていないぞ?」

「先手を取られましたか……。まあいいでしょう。質問の答えはイエスです」

「なるほどね」

 とりあえず知らない英単語ってことは無さそうだな。

「では次は私の番です。……そうですね、では生物ですか?」

「ノー」

 当然プラスチックなので生きてはいない。

 次はこちらの番だ。

 日本語の名詞って言われても広すぎるな。もうちょい絞っていかないとな。

「じゃあ実体があるもの、形があるものですか?」

「実体……。ああ、イエスですね」

 実体があるものか。これでとりあえず漠然としたよく分からない名詞ではない事が分かったな。

「えっと、じゃあ私ですね。うーん、何かしらのものだとは思うんですよね。……お金で買えますか?」

「イエス」

「ああ、なるほど。何かしらの商品と」

 うんうん、と頷く前橋。

 ……随分と余裕そうじゃないか。

 一気に近づけてそのすました顔を動揺させてやりたいところだが、俺はじっと我慢する。

 焦るな。まだ相手だって全然わかっちゃいないんだ。

「そうだな……。前橋の身の回りにあるものか?」

「はい」

 だいぶ範囲は狭まったはずだが、未だにその涼しげな顔を崩さない前橋。

 身の回りにあるものまで絞れた。何だろう。机などの家具とか、学校にある黒板とかありきたりなものを果たしてこいつが書いてくるだろうか。

「そうですねえ……」

 前橋が斜め上を向いて少し考えた後、口を開いた。

「もしかして、今この部屋の中にあるものですか?」

 どくん、と心臓が跳ねた。

「……イ、イエス」

 やばいやばい。ふわふわと遠くの方にいたくせに急激に近づいてきた。

「あれ、動揺してるんですか?れんちゃん先輩?」

「……いや?してないが?」

「ええっ?おかしいなー」

 んー?とこちらをのぞき込んでくる前橋。

 俺は口から細く息を吐き、ゆっくりと深く息を吸う。

「あ、やっぱり動揺してた」

 落ち着け。前橋の声に耳を貸すな。

 こっちが先に答えたらこっちの勝利なんだから。

 身の回りの、もの……。

 ええい、面倒だ。負けた気がして嫌だったけどルール上は指摘されてない。前橋と同じ質問をしてやる。

「それは、生物、ですか?」

「あら?先輩、私の真似ですか?まあ良いですけど。答えはイエスです」

「よし」

 謎の敗北感とか知ったことではない。どんな手を使っても勝ちに行ってやる。

 こいつの身の回りの生物が書いた答えだ。

 しかし身の回りの生物、ね。よくペットで飼われている犬や猫、その辺にいる鳥とか虫とかだろうか。あとは人間という可能性もあるか。

 ……人間だった場合は個人名、つまり固有名詞の可能性があるな。

 こちらをのぞき込んでいた前橋が椅子に座り直した。

「先輩の答えもだいぶ限定出来ましたけど、私のも結構限定されちゃいましたね」

「そうだな……。俺が絶対勝つ」

「そんな気合い入れてこの間ジョーカー思いっきり引いたの忘れたんですか?」

「……」

 スルーだスルー。気にするな。

 俺は眼もつぶって精神統一する。

「れんちゃん先輩眼つぶってるんですか?じゃあちょっとくらい答え見せてもらってもばれませんよね?」

「……残念ながら俺の内ポケットに入っているから無理だな」

「ちっ」

 俺は悔しがる前橋を薄目で見ようと少しだけ目を開ける。

 すると、向かい側に座った前橋がにこにことこっちを見ているのが分かった。

 ……こいつ楽しんでやがるな。

 何か悔しいので俺は眼を完全に開いておくことにした。

「まあとりあえず私の質問の番ですけどね~」

「そうだな。早く質問してくれよ」

「一応ルール確認ですが、質問に対して嘘の回答は禁止ですよ?」

「ああ、分かってるよ」


「じゃあ質問です。……今、先輩には女の子として好きとか気になる人はいますか?」


「はっ?」

 ようやく落ち着いた心臓が再び高速で動き出す。

 えっと、好きな人……?

 前橋はさっきまでしていたにやにや顔を止め、真剣な顔になっていた。

「……聞こえました?」

「えっ、ああ、聞こえたけど」

「回答は?」

「ノ、ノーです……」

 俺の回答をかみしめるように聞く前橋。

 いや、ちょっと待ってくれ。

 俺の答えに関係ないじゃないか。いや、関係ない質問をして損するのはそっちだから別に良いんだけど、目的は何なんだ……。

「先輩の質問の番ですよ」

「そ、そうだな。ええと、それは固有名詞ですか?」

「はい」

 眼を伏せて答える前橋。しかし、よく見ると頬に少し赤みが差しているようにも見える。

 何か、可愛い……じゃなくて。

 何のつもりなんだ、一体。

「私の番ですね。……じゃあ先輩は、今特に気になる人はいないけど、彼女は欲しいなあ、って思ってますよね?」

「うぐ……はい」

 もはや既に決め打ちで聞かれてしまった。

 顔が熱い。

 まともに前橋の方を見れない。

 くそっ、何なんだよ一体。

「その、質問、関係ないんじゃ……」

「はい。でもルール違反ではないですよ」

「そうだけど、さあ……」

「先輩の番ですよ」

「じゃ、じゃあ……それは、好きな人とか?」

「はい。……あんまりこっち見ないでください」

 互いに目をそらす。

 もう何も考えられなくなってしまった。

 その紙に書かれた答えを見たい。早く!

「私の番です。……先輩は、私のこと、女の子として見れますか?」

「みれ……見れないことは、ないけど……」

「……じゃあ、先輩の、番ですよ」

 ごくっと喉を鳴らす。

 裏返しになって、机の上に置かれたその紙。

 その裏に、答えが……。

 俺は震える声を落ち着けて、言った。

「その紙に書かれているのは、俺、井上漣太ですか……?」


「……あ、違います」


「はっ?」

「よーし、じゃあ次私の番ですねー。えー、質問どうしようかなあ」

「前橋……?」

 何だ……?どういう、ことだ?

「いやー、それにしても『みれ……見れないことは、ないけど……』って何ですかその反応は」

「今のは……?」

「ま、まあブラフの一種ですよね。相手を動揺させるっていうやつですよ。ええ」

「お前……!」

「えーっと、じゃあ質問です。部室にあるボードゲームに関係ありますか?」

「ないけど……!こいつ騙しやがって……!」

「あらー、人聞きの悪い。騙したつもりなんてありませんよ?れんちゃん先輩?」

 さっきまでの表情はどこへやら、しらっとした顔でうそぶく前橋。

「……絶対許さん。覚悟しろ。……そいつは女性か?」

「はい。ええと、では、先輩の持ち物の中にありますか?」

「イエス。じゃあこっちの番だな」

 俺は先ほどの質問でもうほぼ答えを確定させた。

 震えて待ってろ前橋。

 俺は腕を組んで眼を閉じて細く長く息を吸い、そして吐いた。そして視界の中心に前橋を捕らえる。

 前橋はこちらの様子が変わったことにどうやら気づいたようだ。

「何だかやけに自信満々ですね。もう分かったとでも言うのですか?」

「そうだな」

「……へえ」

「最初の質問からまとめると、前橋の身の回りの生物の固有名詞で、前橋の好きな人って事だろ?」

「まあそうですが」

「そもそも俺はさっきも言ったがお前が所属しているコミュニティのことをこの部活しか知らない。そしてこの部活にはほかに女子がいない。つまり好きな人で当てはまりそうなお前の友達や家族なんかはそこに書けないんだ。なぜなら俺はそいつらのことを知らないんだから」

 あとはこいつが俺の男友達を好きになっている可能性もあるが、それは最後の質問で除外した。あとは同性愛者であるという可能性はあるが、まあ多分無視して良いだろう。

「そうなるとどうなるんですか?」

「俺が知っているお前の身の回りの女性。それはお前しかいないんだよ。つまり、その紙には前橋、お前の名前が書かれている」

「……」

 前橋は不機嫌そうな顔で頬杖をついた。

「何だ?イエスか?それともノーか?どっちなんだ?」

 俺が問い詰めると、前橋が小さい声で何かをつぶやいた。

「…………ルール的には、その……」

「え?何か言った?」

「……ルール的には負けですが、ちゃんと紙に書いてある通りに指摘されないと、負けたって認めたくないです」

 ルール的には負けだけど、負けは認めていないと?

「ふーん。じゃあとりあえず勝負は俺の勝ちって事だな?」

「でも私が納得してないので私を納得させないと駄目ですけどね?」

「ははっ」

 俺は子供みたいな言い訳を堂々とする前橋につい笑ってしまった。

「じゃあ勿論お前からの質問は禁止な。紙には前橋と書かれている?」

「……いいえ」

「前橋莉子?」

「いいえ」

「莉子!」

「…………正解です」

 ぺらっとめくった紙には鉛筆で『莉子』と書かれていた。

「はっはっは」

「……なに笑ってんですか先輩」

「お、ちゃんとれんちゃん先輩とは言ってないな。感心感心」

「ええ、賭けには負けましたからね!約束は守りますよ!」

 前橋は立ち上がり、不機嫌そうに部屋の出口へ歩いて行く。

 ガラガラとドアを開け、こちらを振り返った。

「今日はもう戻ります!」

「おう。気をつけて戻れよ!」

 ぴしゃん!と音を立ててドアが閉まった。

「はあーっ、大変だった……」

 俺は前橋がいなくなって一息つく。

「何だかんだあったけど、とりあえず勝てたから良いか」

 俺は今日の勝負を思い返す。

 身の回りの生物まで絞れたのが良かったな。前橋も結構近づいてきてたし。

 まあ、その後は、その……。

 思い返すだけでどくどくと心臓が主張を始める。

「あれは、一体どういう……」

 突如キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り響く。

 時計を見ると、もう昼休みも終わりの時間だ。

 とりあえず午後の授業受けよう。

 俺は弁当と本を抱え、前橋が置いていった紙も拾った。

 そして『莉子』と書かれた紙を折りたたんで内ポケットにしまい、そのまま自分のクラスへと帰って行く。胸に確かな充足感を抱えながら――。




 前橋莉子はその日、バイトだったため、授業が終わるやいなやさっさと帰った。

 バイトも終わり、家に帰って着替え、すぐにベッドにダイブする。

「はあああ」

 学校もバイトも終わり、疲れ果てているはずの莉子の顔は非常に上機嫌だった。

 思い返されるのは、今日の昼休みの勝負。

 先輩の『みれ……見れないことは、ないけど……』と言ったときの可愛い顔。そして、論理的に自分の書いたことを当てに来ていたときの迫力。そして最後、形は違えど『莉子!』と下の名前で呼んでくれたその声。

 思い返すだけで顔が熱くなってしまう。

 莉子は録音アプリを起動し、今日の昼休み中ずっと録音していたものを編集する。

 編集が終わり、再生ボタンを押すと同時に『莉子!』という声が再生された。

 それを聞いて満足げな顔をした莉子はベッドサイドに置いてある人形をぎゅっと抱きしめた。

「今度は、ちゃんと名前を呼んでもらおうっと……」

 穏やかな月光が莉子の寝顔を照らしていた。



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ふざけたあだ名を取り消したい~俺と生意気な後輩の仁義なきバトル~ 晩白柚 @Banpeijunos

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