第47話.とある執事の最後の日
長らく主人に仕えてきた身ではあるが、まさか一つの家門が廃れる瞬間に立ち会ってしまう日が来るとは思いもしなかった。
暗く沈んだ雰囲気は使用人たちを怯えさせ、広間の片隅にのみひっそりと明かりがともり続けているせいで幽霊屋敷のようだ。
旦那様はいら立ったように足を踏み鳴らし、奥様は落ち着きなくうろついている。あの傍若無人なオリビア様ですら、緊張しているように座っているのだ。
そんな異様な空気を変えたのは、たくさんの書類を抱えて入ってきた青年だった。
公爵家から派遣された管理者であるらしい彼は、人畜無害な顔をしてなかなかの遣手だ。彼がやってきた当初、私どもは伯爵家を乗っ取るつもりかと疑ったものだ。
最も、一番危機感を覚えるべき旦那様は仕事をやらなくて楽だと仰っていましたが。
「大変お待たせ致しました。書状が全て揃いましたので、確認をお願いします。あ、この部屋暗いですね。しっかり確認して頂くためにも明るくしますね。そこの君、至急してくれ」
「は、はい!」
突然声かけられたメイドは慌ただしく広間から出ていく。……管理者の口調がとても砕けていたが、書類に熱中している旦那様は気づいていないようだ。
書類を運びつつ、こっそり目を通す。その内容に脳裏に浮かんだのは、明日の職の心配だけだった。
「ねえ、貴方。公爵さまはなんとおっしゃっていましたか?わたくし、やっぱりあれは公爵さまの本心じゃないと思うの。きっと、きっとお姉さまに何か言われたに違いないわ!だって、わざわざ人目を避けてくださっているもの」
事情を知る使用人はみな、その場違いな明るい声に戦慄した。
中でも、管理者は隠すことなくはっきりと顔を歪めた。その目にはありありと嫌悪感が浮かんでいる。
「この期におよんでまだそんなことを言っているんですか?その前向き思考、尊敬しますよ」
「嬉しいわ」
「……はっ、ついでにいいことを教えてあげますよ。ランベルト様が人目を避けたのは、あんたじゃなくてアマリア様のためですよ。実家の不祥事を大っぴらにしても、迷惑するのはこっちっていう話です」
オリビア様は管理者の言葉を理解できなかったのか、不思議そうにしている。しかし、公爵様に目をかけられた訳では無いとは分かったらしい。
「そ、そんなっ!それなら、それならわたくしはっ」
「オリビア、黙りなさい」
「っ!お母さま!何をおっしゃるのですか!?このままではわたくしは修道院に行ってしまうのよ!?そうしたら、伯爵家はどうなるのですか!?」
それまで血走った目で書類を読んでいた旦那様は、泣き出したオリビア様を視界に入れることなく署名した。
そしてそれを管理者に渡すと、表情のない顔でオリビア様を見下ろした。
「ローズベリー伯爵家は消える」
「え?」
「裁判所から書状が来てな。私の爵位を剥奪するそうだ。拒否をすれば正式に罪人として捕らえるそうだ」
「……?」
「お前のせいだ。私がこうなったのは全てお前のせいだ!お前がぺらぺらとしゃべったせいでッ!!」
「きゃっ!」
こめかみに青筋を張った旦那様は、怒りのまま持っていた書類をオリビア様に投げつけた。それに驚いたオリビア様はバランスを崩して倒れてしまう。
「今すぐライベルンの修道院に行け。荷物は必要ないだろう、暗いうちにさっさと出ていけ!」
「ライベルン!?そ、そんな!あそこは罪人が行くところでしょう!?わたくしはまだ死にたくありませんわ!」
旦那様が告げた修道院の名前に、思わず息を呑む。
ライベルンの修道院は雪山の中にある、牢獄のような場所だ。秘密裏に処理する必要のある罪人を閉じ込めておく場所で、その環境は劣悪だと聞く。
「あ、貴方!爵位を剥奪されたって……わたくしはどうなるの!?」
「知らん!私だって自分のことで精一杯だッ」
奥様もオリビア様を庇うことはせず、旦那様に詰め寄る。改めてこの家の醜さを目の当たりにしてしまって、胃が痛くなる。
「あー、奥様にはご実家に帰っていただきます。違法薬物はどうやら類似品だそうで……今回は見逃すそうです」
「良かったとでも言うの!?実家に帰るだなんて、なんて言われるか……!」
「では、町宿に住むおつもりですか?」
管理者がありえないものを見るような目で奥様に問いかけた。自分がどれだけ無謀なことを言っているのか気づいた奥様は、気まずそうに顔を逸らした。
「おおかた話は済んだようですし、ローズベリー殿も準備したら出発しますよ」
「なっ、私をどこに連れていくつもりだ!?」
「公爵領の隠家ですよ。監視もありますが、まさか没落した身でこの屋敷に住み続ける気でした?」
「そ、れは」
「そーいうことです。さ、夜のうちにとっとと引っ越し済ませてしまいましょうね。セバスさん、屋敷の管理ともろもろの相談があるので、執務室にいらしてくださいね」
「承りました」
広間を出る前、もう一度主人たちの姿を目に焼き付ける。
呆然と涙を流し続けるオリビア様。
爪を噛みながら、広間をうろつく奥様。
そして、書類を破き捨てていく旦那様。
この結果は彼らの自業自得だ。
それを哀れに思うことはないし、特に情もない。でも。
それでも。
少しだけ、胸が痛んだ気がした。
「あ、そうだ!今回の件は表向き違う理由で処理されているので、間違っても口を滑らせないようにしてくださいね。今度こそ、命の保証はできませんよ」
まるで忘れ物をしたかのような軽さで告げられた言葉に、ひきつった悲鳴が上がる。管理者はそれを気に留めることなく、広間を後にした。
――――こうして、私が数十年仕えたローズベリー伯爵家は一つの幕引きを迎えたのだった。
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