第五章
第40話
いつの間にか季節が変わり、風が少し涼しくなってきたころ。
よく晴れた空の青さが、沈みそうになる気持ちを明るくさせてくれた。
今日のパーティーで、私とイルヴィスの婚約が正式に発表される。イルヴィスは身内しか呼んでいないと言っていたが、それでも緊張してしまう。
本来なら婚約発表のパーティーなんて、王族でもなければささやかなもので済ませてしまうものだ。主に金銭的な事情で。
しかし、イルヴィスが張り切ってしまったせいで、もう今日結婚するんじゃないかと思うほど気合が入っているのだ。公爵家と伯爵家の懐事情の差を改めて実感したが、両親が事業を成功させられるとは思えない。むしろ騙されて破産しないか心配である。
私はエマたちや公爵家のメイドたちに支度をしてもらいながら、今日の予定を頭の中で繰り返している。
来客の顔を思い浮かべながら、その名前が間違えてないかチェックする。以前ならさらりと流していた貴族も、今ではしっかり覚える必要がある。必要あることは以前よりもはるかに多い。
マナーや準備に明け暮れた日々を思い出し、思わず渋い顔をしてしまう。
「化粧が崩れるので動かないでください」
すかさず化粧をしてくれていたミラから注意が飛んでくる。
ちらりとエマの方を見ると、彼女は公爵家のメイドとともに私の衣装を整えていた。二人とも、すっかり公爵家に馴染んでいるようで安心する。
「今日はお嬢様を一番の美人にしますよ!」
そういってエマが手に取ったのは、人気のブティックで今日のためにオーダーメイドで仕立てたドレスだった。
プリンセスラインのふんわりとしたドレスは涼しげなアイスブルーで、白レースのハイネックと袖には見事な刺繍が施されている。緩く巻かれた髪はダリアの花で飾られ、最後に半透明のショールを羽織ればメイドたちがやり遂げた笑顔を見せてくれた。
「すごい……」
「アマリアお嬢様はスレンダーでいらっしゃいますので、涼しげな色が大変お似合いです」
「公爵様もきっと惚れ直すに違いありません!」
「からかわないで」
聞かれてしまったら恥ずかしいという気持ちを込めてエマをにらむも、軽く流されてしまった。いつもならさりげなく注意してくれるミラも無言で、公爵家のメイドは微笑ましいものを見るような目をしている。
そんな私だけが居たたまれない気持ちになっていると、部屋の扉がノックされた。
「お嬢様、公爵様がいらっしゃいました」
ミラの言葉にうなずけば、すぐにイルヴィスが姿を現した。瞬間、メイドたちが息を呑む気配がした。
「アメリー、私のレディ。迎えに上がりま、し……」
不自然に途切れた言葉が気になって、思わず逸らしていた視線を恐る恐るイルヴィスに向ける。
私のドレスと同じデザインのフロックコートを身にまとい、いつもおろしている前髪を右側だけ掻きあげて横へ流している。イルヴィスはもともと色素が薄いので、今のようにアイスブルーの礼服を着てしまったらいっそ神々しいまである。
もう見慣れたと思っていたが、それは私の勘違いだったと分かった。かっこいいって、ずるい。
「……絵画の中から飛び出してきたのかと思いました」
「はっ、いえ。それは私の台詞です。覚悟はしていましたが、今日は一段と美しく……すみません、貴女に見惚れてしまって、気の利いた言葉が浮かびませんでした」
耳まで赤くなったイルヴィスを、今度こそ私は直視できなくなってしまった。
しかし、顔を逸らした先に満面の笑顔を浮かべたエマたちが目に入り、さらに気まずくなってしまった。
それはイルヴィスも同じだったようで、私たちは言葉を交わすことなく部屋から飛び出した。
とはいえ気になるものは気になるので、私はバレないようにイルヴィスをこっそり見つめた。歩くたびにいい香りがして、また顔に熱が集まるのを感じる。
「ずいぶんと熱い視線ですね。溶けてしまいそうです」
「き、気づいていたのですか」
「ふふ。今度こそ、私に見惚れてくれましたか?」
「ええ、それはもう」
素直にうなずけば、イルヴィスは面白いほど驚いた顔を見せた。そしてわざとらしい咳払いをすると、顔を逸らされてしまった。まあ、その耳が真っ赤なので意味はあんまりないのだが。
ふと、イルヴィスが初めて伯爵家に来たときのことを思い出した。あの日も、似たようなやり取りをした気がする。
階段にさしかかり、イルヴィスがくるりとこちらを向いた。
そしてとろけるような甘い笑顔を浮かべると、私に手を差し出した。
「レディ、お手をどうぞ」
そのセリフに、イルヴィスも同じことを考えていたことに気付く。
「ありがたいですけど、何です?そのセリフ」
「おや、気に入りませんでしたか?アメリーはこういうのが好きだったと思いますが」
「時と場合と相手によりますね」
「では、今はいかがですか?」
「……いいと、思います」
「それは良かった。貴女のことをたくさん知れましたからね」
嬉しそうに眼を細めるイルヴィスに面映ゆい気持ちになる。自分の気持ちの変化に驚いたが、それは不快なものではなかった。
イルヴィスは私に遠慮して手を差し出したが、エスコートでは本来なら腕を取らなければならない。だから私は、思い切ってイルヴィスの腕に手を置いた。
たぶん、この時のイルヴィスの顔を、私は一生忘れることがないだろう。
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