第29話

「じょ、冗談だよな?僕が悪いのは分かっている、もう分かったから!だから許してくれ!僕のことが、好きなんだろ!?」

「ねえ、アマリア。ウィリアム様もこんなに反省しているのだし、許してあげたら?」



 いまだに往生際の悪い婚約者に、母が控えめに援護する。

 その言葉がいつになく弱々しいから、一応自分たちが不利だと分かっているようだ。



「私は、そんな都合のいい女ではありません」

「あ、アマリア……?」



 婚約者からはもう、あの恐ろしい気迫はない。

 初めて私に真正面から拒絶の言葉を突きつけられ、理解できないといった様子だった。



「確かに、私は貴方のことが好きでした。でも、その恋心を、貴方は踏みつけて、引き裂いて捨てたんです」

「ごめん、違う。本当に違うんだ!」

「何が違うんですか?貴方は間違えたんです。はっきり言いますね。私がウィリアム様を好きになることは、今後、二度とありません」



 私の言葉に絶望的な表情をした婚約者の口から、は、とか、うあとか言葉にならない声がしきりに漏れていた。

 そして突然ハッとしたかと思えば、勝ち誇ったように笑い出した。



「そ、そうだ!そもそも話がおかしな方向に流れたのは君のせいじゃないか!爵位が惜しくなったから僕を陥れたかったんだろ!?だからそんな簡単に僕を振ったんだ!」

「……もしかして、ウィリアム様は何か誤解していませんか?」

「誤解?」

「この家の第一継承権は私にあります。もし私が居なくなってもオリビアがいますので、入婿ではない貴方の手に渡ることはまずありません。ウスター侯爵様から何もお聞きになっていないのですか?」



 妹でも知っていた話なのだが、どうやら婚約者は本気で自分が伯爵家を継ぐと思っていたらしい。

 開いた口が塞がらないといった様子で、本気でショックを受けているようだ。



「そ、それじゃあ、婚約がなくなったら、僕は」

「除籍なんてされなくても、今の暮らしは無理ですね」



 その言葉を聞いて腰が抜けたらしい婚約者は、噓だ嘘だとうわ言のようにつぶやいていた。

 普通、貴族の三男ともなれば家を継ぐ可能性は薄く、幼い頃から軍か教会に入る。しかし、完全に伯爵になると思い込んでいた婚約者には、そんな素振りがまったくなかった。


 貯金も特技も人脈もない目の前の男が"婚約者"でなくなった時、その未来は容易に想像できる。



 燃え尽きた灰のようにうなだれる婚約者。

 状況を把握できずオロオロしている妹。

 世界の終りのように顔を覆っている母。

 怒鳴りつけたくて仕方がないのに、イルヴィスに圧倒されているせいで鋭い視線をよこすだけしかできない父。


 それを見て少し気分が良くなった私は、きっと性格が悪いのだ。



「伯爵夫妻、お二人の考えを伺っても?」



 柔らかな声ではあったが、求める答えは一つだけだと、イルヴィスの目がそう言っている。

 俯いたままの母に代わり、父が重々しく口を開いた。



「そう、だな。このまま婚約を破棄してやりたいのは山々なんだが……いかんせん、この時期ではアマリアの結婚が遅くなってしまわないかと」



 父は、とりあえずイルヴィスを納得させればいいと思っているのだろう。この場をやり過ごそうとして、しかし今日イチの笑顔を浮かべたイルヴィスがそれを阻止した。



「ああ、そういうことでしたら心配は不要です」



 何を考えているのかとイルヴィスを見上げた瞬間、とんでもない爆弾が落とされた。



「私がアマリアを貰いますので」



 は、と短く息を切ってもらしたのは誰だろうか。

 今まで俯いていた母が、期待するようにイルヴィスを見た。



「公爵様、それは」

「はい。アマリアが私の婚約者になる、ということです」

「まあ!」

「な、」

「ちょ、それは、わっ!?」



 どういうことだと聞こうとした私の腰に手を回し、そのまま抱き寄せられる。

 そのままフリーズした私をよそに、イルヴィスは私たちはこんなにも仲がいいんですよと笑った。



「そ、そんな!?」



 当然妹は声を上げるが、父ににらまれて嫌々引き下がった。



「ランベルト公爵様にそう言っていただけるとは、アマリアも幸運なことだ。しかし、」

「おや。まさか伯爵家を継げる者がいなくなってしまう、とは言いませんよね?この国においては、次女にも継承権がありますので」



 イルヴィスがすっと目を細めると、両親は気まずげに目を逸らした。妹がまともに領地を運営できるとは思ってないからだ。


 やっと少し冷静になって、イルヴィスの背中を軽く叩いた。私に拒否する気持ちがないのを確認すると、少しだけ力を緩めてくれた。……腕は相変わらず腰のところにあるけど。



「オリビアの事が心配でしたら、ウィリアム様と結婚させてあげてはいかがでしょう。お二人とも、思い合っているようですし」



 その言葉で、時間が止まったかのような静けさがやってきた。


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