第30話

 意外にも、最初に声を上げたのは元婚約者だった。どうやらこちらの話には耳を傾けていたらしい。



「はっ、僕にオリビアと結婚しろっていうのか!?」

「あら、何を驚いているのでしょう。ウィリアム様も、こうなる可能性があると知っていたはずです」

「いや、それ、は……」

「それに、私よりオリビアの方がいいとおっしゃっていたじゃありませんか。その気持ちが叶うのかもしれませんよ?」



 元婚約者は怯えたような顔をすると、力なく首を振った。まあ、さっきまで妹を見下していたようだし、当然の反応だろう。



「あれは、僕の気の迷いだったんだ。君以外は考えられないよ!」

「そんな紙より薄い言葉、私が信じると思っています?ああ、もしかして爵位が惜しくなったんですか?」



 先ほど言われた言葉をそのまま返せば、今度こそ元婚約者は下を向いてしまった。心当たりがあるからだろう。

 話が堂々巡りになり始めたところで、イルヴィスは口を開いた。



「話を伺うほど、アマリアには公爵家に来ていただくのが一番だと思うのですが……一体伯爵は何が不満なのでしょう」

「いやぁ、恥ずかしい話ですが、オリビアはあんまり賢いとは言えんのです。ですから、領地を上手く取りまとめられるか心配でな」

「その不安もごもっともでしょう。しかし、次女であれば万が一に備えてきちんと教育が施されているかと思います。親として心配してしまうかもしれませんが、一度試されてはいかがでしょう」



 妹が勉強を嫌がったせいで基礎知識すら危ういなんて、とてもイルヴィスには言えない。父は何か返そうとして、しかし上手い言い訳が見つからなかった。

 結局、あいまいに賛同する言葉を並べると、それっきり黙ってしまった。当然、その隙を逃すような妹ではない。



「ふふ、公爵さまはわたくしを信じてくださるのね!ねえ、お父さま、お母さま。公爵さまもこう言ってくださっているのよ?お姉さまにできるのでしたら、わたくしだってできますわ」



 内容を一つも知らないのに、その自信はどこから来るのだろう。

 父がすごい形相でにらんでいるが、イルヴィスに励まされたと思っている妹には全く効いていない。



「ウィリアムさまもそう思うでしょう?」

「ふざけるな!誰がお前みたいな」

「今、ウィリアム様が頷けば、まだ伯爵家の婚約者でいられますよ。もちろん断って頂いて結構ですが、侯爵様はなんとおっしゃるのでしょうね?」

「君は一度、しっかり考えるべきです。自分が何をしたのか、よく思い出した方がいい」



 元婚約者が余計なことを話す前に、両親に聞こえないように小声で話す。


 イルヴィスの言葉に、元婚約者は眉間にしわを寄せながら、考えあぐねるように視線をさまよわせている。

 やがて「どうすれば」と意味のない独り言が聞こえたとき、元婚約者は何かに気付いたように自嘲した。



「……僕は」



 自分の未来と気持ちを天秤にかけて。

 泣きそうな顔をした元婚約者は、ふらりとよろめきながらも立ち上がった。



「ごめん、アマリア。君を傷つけてしまって、最低なことをした。今更だけど、本当にごめん」



 しっかりと頭を下げる元婚約者の姿を、信じられないものを見た気分で眺めてしまった。


 元婚約者から本心からの謝罪を貰ったのは、初めてだったのだ。



「ウィリアム、その謝罪は」

「伯爵様、今回は本当にご迷惑をお掛けしました。僕は」



 恐る恐るといった父に、婚約者はしっかりと返した。



「アマリアとの婚約を破棄して、オリビアとの婚約を受け入れます」



 その言葉に、私はやっと解放されたのだと実感できた。


 喜ぶ妹の声と嘆く両親の声が聞こえる。腰に回された腕に力が入ったのを感じて、イルヴィスを見上げた。

 まるで自分のように喜んでくれたイルヴィスが目に入り、私はやっと自分の体が少し震えていたのに気づいた。



 ちらりと、全てを手に入れたと喜んでいる妹を見た。

 ずっと私を見ていたのか、目が合えば勝ち誇った笑みを浮かべていた。


 先日まで私を苦しめていたその笑みだが、今は心底愚かだと笑い飛ばすことができた。



(短い夢の時間を楽しむといいわ)



 もうすぐ現実を見ることになるだろうから。




 私は妹のこれからを想像して、ローズベリー伯爵家は今代で終わるかもしれないなと、ぼんやり考えた。



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