特殊能力『他人の貯金額が分かる』の有効活用方法。

雨宮 未來

他人の貯金額が見えるという能力って……いる?


26年間生きてきて、生まれて初めてかもしれない程の高熱が出た。

どっちかと言うと今まで丈夫に生きてきた方なので、『ああ、私はこのまま死ぬかもしれない』と思った程だ。

解熱剤も効かず流石に丸2日下がらないので、実家の母に助けを求め命からがら病院へと行ったら、原因不明すぎて入院となってしまう。

だが4日目のお昼を過ぎたあたりから嘘のように熱が下がっていき、みるみる元気になった私は病院もとっとと追い出されてしまった。


「……いったいなんだったんだろうね……」


母が帰りのタクシーで何度も呟いた言葉である。

……それは私が一番知りたい。


二人して受付で、『吉沢京香さーん』と聞きなれたはずの自分の名前を何度も呼ばれていることに、気が付かないほどの放心状態だった。

まるで狐につままれた気分の私と母だったが、お腹も空いたので帰りに近くのファミレスに寄ることにした。


その時ふと気づく。


……あ、頭の上にある数字はなんだ……!?


さっきまでメガネをかけていなかったのでさほど気にならなかったが、すべての人の頭の上に数字が書いてあるのだ……。

メガネを綺麗に拭いて、かけ直す。


母親に抱かれる赤ん坊にはない。

多分見た限り子供にはほとんど数字はない。

ほぼ大人だけだけど、稀に小さな子供にも数字が見える。

大人もマイナスが付いているものもいれば、莫大な数字を抱えているご老人もいる。


何だこれ。

高熱でうなされている間に死神の目でも手に入れたのか……!?

その割にはマイナスが付いてるのもあり、混乱状態。

出されたお水を握りしめ、訳がわからず固まった。


何度も目を擦り、いろんな人の頭の上あたりを険しい顔で見つめる怪しい娘を、母がかなり引いた顔で見つめていた。


「……あんた、熱のせいで頭おかしくなったんじゃないの……?」


「……そうかも知れない。」


思わず自分で認めてしまうほどの衝撃。


注文した食事も喉を通らず、母が溜息をつきながら私の分まで食べだした頃。

何となく数字の法則がわかってきた気がした。


まさか私にもあるのかと、カバンから手鏡を出す。


恐る恐る頭上を見ると、あります数字。

毎夜毎夜と趣味のように見ていた、見覚えある数字が。


「……分かったこれ。貯金額だ。」


小さな声だが、母がピクリと反応した。


「……あんた貯金いくらになったの?」


「……流石に親にまで詳しい事は言いませんけど、マァマァかな。」


「あんた昔からお金貯めるの大好きだったからね……」


呆れた顔で私を見つめるので、笑って誤魔化した。


「使うとこにはちゃんと使ってますう。でも生きてく中でお金が頼りだと教えたのはお母さんでしょ?」


「……育て方間違えたわ。」


私のデザートまでに手を出し始めた母が、また深く溜息をついた。


だが私は見てしまった。

そっと見上げた母の頭上にある数字の数を。


『……そう言うあなたも結構溜め込んでらっしゃいますわね』なんて言える筈もなく。

また誤魔化すように笑うしかなかった。


とりあえず母を見送り、一人暮らしのマンションへと戻ってボケっと考える。


他人の貯金額が見える能力なんて、いったいなんの為になるのか。

いや為になんてなる筈もない。

だってただ貯金額が見えるだけなのだ。


私だって見たくはないし、知りたくもない。

知った所でそのお金を見えるだけの私が、どうこう出来るわけでもないからだ。


「……なんて損な能力だろう。」


思わずボソリと口から出た言葉。

これじゃただの覗きと一緒だ。


誰だか知らないけど、何故私にこんな能力を……。

思わずしばらく落ち込んだが、結局なんの利も損もないと気が付き、こんな能力を気がつかなかったことにして、無視して生きることにした。


まぁいつかは消えるかも知れない。

熱が出て脳がちょっと疲れているだけかも知れない。

……きっと、そうだ。


とりあえず会社に退院を伝えると『出社は来週からでいいよ』と言われたので、残りの数日をダラダラと過ごすことにする。


久々の平日休みに心が踊り、さっき分かった変な能力のことなど忘れかけていると、SNSの通知音がスマホから聞こえた。


開いてみると入院を知った古き友人たちが、急遽今夜退院祝いをしてくれることになった。

と言うかお見舞いに来る予定だったらしく、退院しちゃったので飲み会になったと言う。

1ヶ月ぶりにみんなに会えるので、入院して良かったなんて不謹慎なことまで思ってしまった。


高熱で入院してたとはいえ、何事もなく治ってしまったので、とても元気なんだよね。

むしろゴロゴロしてた分だけ、普段より元気かも知れない。

ゴソゴソと起き出して、今夜着ていく服なんかを選び始めた。

女友達と会う方が気合が入るような。

まぁ1人、男子もいるんだけど。


夜早い時間にいつもの居酒屋で待ち合わせる。

私は楽しみにしすぎたのか、少し早めに着き、席の奥に座った。


女子のほうは高校ぐらいからの友達で、大体未だ月イチで飲みに行ってる付き合いの長い仲間たち。


みんなを待つ間、頭の上に見える他人の貯金額を眺めて推測する余裕も出来てきた。

……案外見慣れると、人間って強いな。適応力半端ない。


あそこで飲んでるサラリーマンのグループなんて、側から見てるだけなら面白い。

上司っぽい人の上には3千万近いマイナス額。

あれは、もしや金額的予想で、家のローン額かな?

貯金額でマイナスはなさそうだから、銀行ローンってことかしら。


家を建てる人って結構奥さんが貯蓄してる感じだろうから、ローンの名義になってる旦那さんはマイナス表記で、奥さんにプラスがつくと言うことかな?

あーでも、物的資産は換算されないとか?


こっちのおじいちゃんは、数字がない。

無いというか、横棒が並んでいる。

もしやタンス貯金派!?

銀行に預けていないと無記名になるのかな……。


あっちの暗そうな部下はすごいな……数字が私と肩はれるほどありそう……。

趣味が合いそうだが、ちょっと性格は合わなさそうだ。

さっきから喋るのにめっちゃ飛ばしてるお汁が見えているし。


……はっ!もしや。

神様は私の趣味を考慮して、貯金金額を見て将来の旦那を探せと言うことかしら!?


確かに貯金額が私と同額とかそれ以上などは、人間的に魅力的かも。

だけど貯金額=理想の結婚相手はちょっと違うなぁ。


結婚した途端重度のケチだとわかったら、目も当てられない。

生活費一切出さないとかシャレにならない結婚となり得るわけで……。

……まぁ、この能力に関しては……新たな趣味が増えただけ。

ただそれだけの事だ。


一人で色々妄想を捗らせていると、美奈が私に向かって手を振っていた。


「……美奈、久々ー!」


思わずハグして迎えてはしゃいでしまい、声の大きさに目立ってしまってないかと周りの目を気にする。

美奈も嬉しそうに笑って、私とハイタッチ。


美奈は自称じゃないサバサバ系の美女で、社交的で付き合いやすい。

その性格を武器に現在、美容アドバイザーをしている。

スッピンは化粧した顔よりは平凡だが、化粧の腕は自分で自慢出来るほど。

銀座の百貨店にお勤めだ。


そして美奈の後ろから顔を覗かせたのは。


「京ちゃん元気だった?」


キラキラと眩しい笑顔を振りまく美少女……ではなく、美青年。


「元気だったよ!一瞬入院してたけど!」


「あ、そうだった!入院してたんだったね。」


小さく舌を出して笑う玲くん。

彼は小学校の頃からの幼馴染みで、中学、高校、大学でも性別を越えて仲良くしてた子だ。


綺麗で整った顔をしている割に大人しく控えめで、あまり目立つことを嫌っていた。

私もどちらかと言うとそんな感じなので、とても波長があった。


あ、……顔以外で。


私はどちらかと言うと、『京香』と言う名前に負ける程のガサツな地味系。

中学で急激に落ちてしまった視力を補うために、大きな黒縁のメガネが顔の大半を占めているし。


性格は似てても、玲くんの顔とは大違いである。


しかし趣味が貯金という所も、仲が深まるポイントだった。

小学校の頃からコツコツお年玉を貯めると言う喜びを共感しあったほどの仲。


それをまだ変わらずある事に、玲くんの頭上を見てホッとした。


「……玲くんも結構貯めたわね……!」


「……え?貯める?」


可愛く首を傾げると、サラリと彼の前髪が頬に触った。


「あっいや、相変わらず貯金が趣味かなって思っただけ!

……アレ?でも、先月見たよりなんか、思った以上に貯まってない気が⁉︎」


思わず私も首を傾げると、玲くんは少し戸惑いがちに目を伏せ、ぎこちなく笑った。


「ああー、うん。

貯金ね、それなりに頑張ってるよ!」


『……見えるからわかってる!』なんて言えず。

嘘くさい笑みを浮かべ、ウンウンと頷いた。


でも、アレ?やっぱなんか引っかかるというか、違和感が……。


玲くんとはお互いに、結構貯金額を教え合っていたのだ。

だからこそ思うんだけど、先月言っていた額より明かに減っている気がする?

ほぼ誤差はあっても私とほとんど変わらないはずだった。

なんかむしろ、お互い無駄に貯金額を競っている傾向にあったし……。


まぁ、だけど。

マンションの更新でもあったのかもしれないし、電化製品買い換えたのかもだし。

きっと気のせいだと気を取り直して、もう一人の姿を探す。


「……あれ今日、梓は?」


私の問いに他の二人がサッと顔を見合わせる。


あれれ……なんだか不穏な空気?

梓に何かあったのかな。


私が戸惑ってると、美奈が困った様に笑った。


「梓、遅れてくるって。

……詳しい話は後で本人に聞いて……?」


ななな、何なんだ。


少し低い美奈の声のトーンに、体が震える。

怖い……なんか梓の身に起こったのか…⁉︎


私が不安そうな顔をしていると、玲くんが笑いを堪える様に私の頭を撫でた。


「……完全に美奈に騙されてるよ。もうすぐ来るから、そんな不安そうな顔をしないでね。」


「……え?」


私の顔を見て美奈が吹き出した。


「ブフッ!!もうダメ!私口滑らしちゃいそう!」


「はぁ⁉︎」


私を置いてけぼりにして二人は大笑いしたのだった。


いったいなんなのー⁉︎

一頻り笑い終わったとこで、梓が笑顔で手を振りながら慌てる様にやってくる。


だが顔色が悪く、退院した私より病人ぽい……?


「……ごめんごめん、遅れちゃって!」


席に着きながら梓はそっと額の汗をハンカチで拭った。


「梓どこか悪いの?」


心配する私に、梓も『ブフッ』と吹き出した。

呆気にとられる私を他所に、満面の笑みで自分のお腹を優しく撫でる。

「ああ、悪阻よ。今10週入ったところで、残念だけど私だけ飲めないんだ!ごめん!」


そういうと幸せそうに笑う梓を見て、思わずホッと胸を撫で下ろした。


「なんだよ、なんか重い病気かと思って心配したよ!

……おめでとう‼︎」


私の心底ほっとする顔を見て、またみんなが笑う。

それにつられて私も思わず吹き出してしまった。


「みんな、元気そうでよかった。」


『みんなの貯金額も元気そうでよかった。』


そんな私の『余計なお世話』と一緒に、久しぶりの再会をジョッキのぶつかる音で祝う。


玲くんや私ほどではないが、美奈も梓もそれなりに貯蓄している様で安心する。

しかも梓はこれから結婚、出産とお金がかかるだろうけど、旦那さんと一緒ならなんとか乗り越えられるんじゃないだろうか。

……というか、旦那さん誰だろう?

月一であってた割に、友達の恋愛事情に疎くて、梓に彼氏がいた事さえ全然知らなかったな……。


「そういや、お腹の赤ちゃんのお父さんは誰?」


ジョッキのビールを一気飲みしてふと、私の疑問が口に出た。

梓は幸せそうに笑い、また愛おしそうにお腹を撫でる。


「同じ会社の人なの。付き合って2年になるから、そろそろ結婚を意識して同棲も始めてたんだけど、速攻で授かっちゃって……

だから大急ぎでバタバタと籍だけ入れたの。結婚式は挙げないんだけど、ちょっとした食事会はする予定だから、みんな来てね!」


梓が本当に幸せそうで、思わずホロリと親の気分になる。


高校の時、奥手すぎて男の子とも喋れなかった梓が……‼︎

お母さん、嬉しい‼︎

いやぁビールが進む訳ですよ。


「……京ちゃん、声に出てるよ。」


『ハッ』として顔をあげるとやっぱりみんなが笑ってて、私も照れ臭くなって笑った。


「確かに梓、男子と喋れなかったよね。」


「僕、無視されてたよね、ずっと。」


「そんな事ないよ!玲くんの事は京ちゃんが『男の子と思わなきゃいい!』って言われてからは喋れる様になったもん」


「え、待って⁉︎今までアズちゃん僕の事、男だって思ってなかったって事⁉︎」


梓の衝撃発言に玲くんが思わず立ち上がる。

アワアワと狼狽える梓が玲くんに言い訳を始めたが、またそれが言い訳になっていなかったので玲くんがひどく落ち込むのだった。


それを見て美奈が、玲くんを励ます振りをしてからかって笑った。


玲くんは少女の様に口を尖らせていたが、あんまり美奈が笑うのでつられて笑ってしまう。


美奈の笑い声は豪快で、いつでも場を和ませた。


「そういえば入院って大丈夫なの?」


「そうだよ、どこが悪かったの?」


「……てか、そんなお酒飲んで大丈夫なの……?」


話題は唐突に私の入院の話となる。


「……熱が下がらなくて、原因不明で、医者にサジ投げられた瞬間に……下がった。」


みんなが怪訝そうな顔で私を見ているが、事実なんだって……。

そして熱が下がったら『他人お貯金額が見えるという能力』が付与された……けど、言えない。

言うと『もう一度病院に行ってきたら?』なんて言われそうだし……。


「……原因不明の高熱って……。」


梓が心配そうに私を見る。


「感染症とかではないから安心して。海外にも行った事ないし、行った人と接触もない。」


「そうなのね……」


妊婦さんを不安にさせる前に自分から言っちゃう。

まぁ原因不明、怖いよね。


私も死ぬかと思ったもん。


「なんか漫画とかにありそうだよね、超能力に目覚める!みたいな。」


玲くんはキラキラと子供の様に目を輝かせて言った。


『うん、まさに変な能力なら目覚めた。』


これは心の中で呟き、ただニコニコ笑うしかない。

冷や汗ダラッダラである。


「京香が超能力とかに目覚めても、ヘンテコな能力が芽生えそう!」


『あながち間違ってないぞ、さすが美奈さん。よく分かってるぅ』


心の中で『グッジョブ』と親指を立てた。


「京ちゃんだったら……下着の色が当ててる能力とかありそう!」


「わかる!すっごいくだらない、絶対世界平和とかに役に立たなさそうな能力が芽生えそうよね。」


「そのパンツの色は男子限定でしか見られない!とか?」


「……あんた達ねぇ、ちょっと。私が変態みたいな言い方しないでよ。

異性でも同性でも、パンツの色なんてまーったく興味ないわよ。」


目の前で悪口に花を咲かせられて、思わず突っ込んだけど。

『確かに』なんて思ってしまった。


だって他人の貯金額知ったところで、世界は平和にならないし……。

あーなんで貯金額……。

されど貯金額……。


『トホホ』なんて言いながら、私のお酒は枝豆とともに進むのだった。





楽しい時間はあっという間に、終電間際に解散となった。

私はベロンベロンの値がマックスとして、かろうじてベロン位の酔っ払い具合で止まった様だ。


なので楽しく家路に着く。


楽しく千鳥足である。


帰りの電車は玲くんと二人だった。

首都圏から離れる電車は満員状態だったが、うちは逆に首都圏側に帰る電車。

案外混んでなくて、二人で席に座ることができた。


「……ねえ京ちゃん、覚えてる?」


「んー?」


酔っ払いの適当な返事をよそに、玲くんは少しはにかんで、下を向いた。


「僕さ、京ちゃんに高校卒業する時に『告白』したじゃない……?」


「……そうだっけ?」


結構な溜めを作ってしまったが、動揺が慣れていないだろうか。


いや、そんな大事な事忘れてなんかないけどさ。

でもなんか照れ臭くて、覚えてないフリをする。


なんなんだ突然!

私の嘘臭い平常心を他所に、玲くんはボソボソと続けた。


「京ちゃんさ、僕の事云々じゃなくて……『自分は恋愛的な好きが分からないから』って、あの時僕、振られちゃったけどさ。

実は最近までずっと京ちゃんを忘れられないでいたんだ。」


『スンッ』と酔っ払い具合が素面に引き戻される。

ベロンベロンの『べ』の字さえ、去っていかれた様子。


顔には出さないが、玲くんが今『僕明日から女の子になる』なんて言うのと同じぐらいの衝撃だった。


まだベロンの演技を続けながら、『へー』なんて気のない声を出しながら窓の外を見る振りをして、狼狽えている。

本日二度目の、冷や汗ダッラダラである。


だが玲くんはこっちを見ずに下を向きながら、トートバックを揉んでいたので気づいてない。

なので安心して狼狽えていた。


「それでね、あのね……」


まさか、また告白か⁉︎

……ドウスル⁉︎ドウスルノワタシー‼︎


突然のことに、玲くんとの思い出が走馬灯の様に蘇る。


中学も一緒で、高校に大学とずっと一緒にいて。

そりゃ大人になってみて『意識するなら玲くんはいい彼氏になりそう』なんて思った事はあったけど。

趣味(の貯金)も合うし、堅実的に良い関係でいられそうだし。

でも今更、こ、恋人になれるかって言われると……。


私も俯いてモジモジと鞄を揉み出す。

玲くんもモジモジとしていて、言葉に詰まっている。


そうこうしてたら、すぐに私の最寄り駅に着いてしまった。


「あの、私はここで……」


いそいそと電車を降りようとして、フワッと腕を掴まれた。


「明日、僕のために時間作ってくれない?だ、大事な話が……京ちゃんに聞いて欲しいんだ!」


小柄だと思っていた玲くんは、いつの間にか私より背が伸びて、なんか、良い匂いがした。


くあああ‼︎変態か私‼︎

良い匂いとか‼︎


『ハイ……』


なんてボーっとした赤い顔で答えると、玲くんは私の腕を名残惜しそうにゆっくりと離した。


それを待っていたかの様に電車の扉が閉まる。


ボーっとしている私に玲くんは、スマホを指差して『後で、連絡するね』と口パクで言った。

私は頷くことしかできず、走り去る電車をずっと見つめ続けて頭を抱えた。


……乙女か‼︎

少女漫画の1ページか‼︎


もう何がなんだか。

自分がよくわからない。


お酒のせいでは無さそうな頬の熱さに、思わず両手で触れる。


告白されたのは憶えてる、勿論です。

その時の玲くんは私より身長が低くて、目がくりくりの女の子みたいだった。

髪型もその当時はオカッパだったし。

正直梓が言ってた通りに、誰も玲くんを男の子として見てなかっただろう。


でも玲くんは違った。

彼はガサツな男子寄りな私を、まさかの女子として見ていたのだった。

なのに私は、それに答える事はできなかった。


玲くんに言った言葉、『恋愛的な好きがわからない』はまさに私にぴったりの言葉だった。


そろそろ20も半ばに差し掛かり、結婚する友達も出てきた頃なのに。

いまだに私は『恋愛的な好き』が分からずにいた。


それでも社会人になってすぐ、周りに恋人が出来だすと言う変な空気に『置いていかれまい』と焦ったのが理由で、

内緒の合コンで一瞬彼氏がいた事はあるものの……やっぱり好きが理解できず、すぐに別れてしまってからは誰とも付き合ってない。

あ、これ玲くんや美奈達には内緒で。

正直相手にも申し訳ないことをしたし、黒歴史すぎて絶対説教を頂いてしまうことになるだろうから……。


だけどさ。


『うわぁ、ずっと好きでいてくれたのかな?』


そう思うとなんだか感動したと言うか、ものすごく嬉しいと言う気持ちが湧き上がってきた。

自分を誰かがこんな一途に思ってくれるなんて。


高校の時からでも考えると、10年は経っているのだ。


悶々と歩きながら考えて、家につくなりベッドに倒れ込む。

ゴロゴロと転がりながら再び自分の頬に触れる。

熱い頬を自分の気持ちを確認する様に、指先で撫でていた。


もし明日玲くんに好きって言われたら、私はどうする?


み、美奈に相談したい……‼︎

あ、でもまだ言われてもないのに、言われた体で相談するのもなんか違う。


あああ、誰か……‼︎

……どうする私⁉︎


ベッドの上で悶え苦しんでいると、ピコンとスマホが鳴った。

慌てて飛び起きて、正座でスマホを開く。


『京ちゃん、明日なんだけど。

僕、明日の土曜、午後休なんだ。だから一緒にランチでもどうかな?

場所は……』


私はまだ休暇中なので‼︎

いつでも大丈夫です‼︎


無駄にビックリマーク多用ですが……。

あー、これ朝見てまた叫ぶヤツだ。


よくランチに行くお店。

いつものお店。


しかもウチの近所……!


私の体を気遣ってくれたのだろうか。

……くっ、優しいじゃないか……!


てかどうしたの私!

なんか動揺と高揚が半端なくて、もう息切れしそうなんですけど⁉︎


昨日眠れず悩み抜いた告白の答えは、多分勿論……。

キュンと痛む胸が答えなんだろう。


それにしてもここで気がつく私も鈍いなぁ。


もしかすると、もうずっと好きだったのかな。

気持ちって、こんな突然気がつくものなんですね。

少女漫画のキュンとするページでも教えてくれなかったよ。


10年も待たしてしまった事は、ちゃんと謝ろう。

そして、お礼を言おう。

痛む胸を少女の様に両手で押さえ、大きく息を吸い込んだ。


**


早く来すぎたので玲くんを待ちながら、そしてソワソワとコーヒーを飲む。

くぅ、なんかコイスルオトメみたいな自分に、恥ずかしさが込み上げてくる。


一人でワタワタしながら、窓際の席でカップを指で撫でながら。


くぅぅ、なんじゃ私……!

なんだこのこそばゆい気持ち……!


一人で百面相をしながら、外をふと見上げると。


遠くからでも見慣れた姿が歩いてくるのがわかる。

向こうも私に気がつき、手を振ってくれた。


『く……、可愛いじゃないか……!』


改めて玲くんの可愛さを反芻し、ぎこちない手を振り返す。


急いでお店に入ってきたのに、ゆっくりと扉からこっちに歩いてくる。

少し額に汗が滲んでいた。

それがまたキラキラと輝き、私の目を補正していきやがる。


私の向かいに座った玲くんは、手の甲で汗を拭い、パタパタと手で仰いだ。


「ごめんね、待った?」


「いや、早く来すぎちゃって……大丈夫よ。」


「よかった、ねえ何食べる?」


『……くっ‼︎』


なんだこれ!

なんだこの会話‼︎


もうだめ恋愛初心者にはキツすぎる。

何この甘い会話‼︎


いや実際甘い会話ではないのかもしれない。

だが私には全てがピンク色に補正されて行くのだった。


今ベッドの上だときっと悶え苦しんでいます。

ええ、絶対に。


顔に出さず脳内で悶える私に、玲くんは頬を染めて微笑んだ。


「京ちゃん、ほんとに今日会ってくれて、ありがとう。

僕、嬉しい……!」


そう言うと、私の手をギュッと掴んだ。


萌え死にそうな自分の感情を押し殺す。

ええ、右の足の踵で左の足を踏み抜いて耐えます。

足の甲に風穴開いても、我、本望でござる!


目の前で動く『スキナヒト』を凝視できないため、思わず眼鏡を外し、ピントをぼやかした。

じゃないと話も聞けないだろうから。


そんな私を他所に、玲くんはとっとと二人分の注文を決めて、背筋を伸ばし座り直した。


「それでね、話っていうのがぁ……」


『キタ……!』


体全体に鼓動が響くほど、ドッコンドッコン跳ね上がる。

今なら太鼓の達人がめっちゃ上手くできそうなほど。


高鳴る太鼓を必死で押さえつつ、平常心を保ちながら微笑んだ。


「それでね……僕、ずっと京ちゃんが好きだったんだ……」


「……そ、そうなのね。」


明らかに声が上擦ったが、それを誤魔化す様に咳払いをする。

私の動揺を他所に、玲くんは頬を染めながら、恥ずかしそうに目を泳がせていた。


「キモいよね、本当は小学校の時からずっと、最近までずっと好きだったの。」


申し訳なさそうにジャケットの裾をもみだした。


「……いや、キモくは……キモくは無いけど……?」


慌てて擁護する様に言葉を吐き出す。

なんか声がまたひっくり返った気がするけど……!


うわあああ!


自分自身の『初めての気持ち』と『これから貰う期待する言葉』に、あああ、脳味噌が沸騰しそうで目が回る。

うまく言葉が聞き取れない。


今すぐ奇声を上げてここから飛び出したい心境をグッと我慢する。

我慢しなきゃ、明日から近所を歩けなくなる。


「それでね、京ちゃん。僕……」


喉がゴクリと音を鳴らした。

玲くんにも聞こえてたらどうしよう。

恥ずかしさにさらに鼓動が高鳴る。


「僕、やっと京ちゃんから別に目を向ける事にして、彼女ができた。」


その瞬間。

一瞬で私の世界が変わり、私の目の前から全ての色が消えた。


……は⁉︎何これ⁉︎

私、今うまく笑えてる……?


まるで崖から蹴り落とされた様な、そんな心境に、その後の音が一切耳に入らなくなった。

まさに『シャットダウン』


私の無表情に玲くんが気がつき、私の目の前で手を振っている。


落ち着け。

落ち着くのよ、京香。

とりあえずリセットよ。


一切脳内リセットして、家に帰って考えれば良いの。


私は自分に暗示をかける。

そして玲くんに笑いかけた。


「あ、ゴメン。お腹空きすぎて意識が飛んでた。」


「もぉ、京ちゃんてば!もう直ぐ来るよ、ハンバーグランチ。」


私の笑顔に玲くんはホッとした顔で笑いかけた。

……ダメ!まだ泣くな‼︎


「……それで、なんだっけ?」


「ああ、それでね。今度僕の彼女に会って欲しいの。

彼女がどうしても京ちゃんに会いたいって言っていて……」


「なんだそんな事?いいわよ、勿論!」


私の頑張った言葉。

喉の奥に張り付いていたのを、振り絞って出した言葉。


そのあと必死で味のしないハンバーグを押し込み、私は笑顔で玲くんと別れた。

『何かあったらなんでも相談して!』なんて余計なことも言っちゃって。

何度も振り向いて私に手を振る彼を、いつもの笑顔で見送った。


家に着いた途端止めどなく流れる涙に、私はこれでもかというぐらい泣いた。

初めての恋に気がついた途端、速攻で振られるというこの状態。


もっと早く気がつけば。

後悔ばかりが後から押し寄せてくる。


泣きながら美奈と梓のSNSにグループ電話する。

二人とも仕事で出れなかったけど、すぐに折り返しのメッセージがきた。


『失恋した』


この言葉だけで、友達思いの彼女達は仕事を速攻で片付け、すっ飛んでうちに来てくれたのだった。


「馬鹿だわ、この子。」


「だから言ったのにぃ。」


友達思いの彼女達の私に対する優しい言葉。


「だから、失恋した私にとどめさす事ないでしょ‼︎」


クッションを抱え、グズグズと泣く私に2人は言った。


「大学2年の時、私言ったよね?

玲くん絶対まだ京ちゃんのこと好きだと思うよって。」


「……言った。」


「あの時チョコ渡したら?って言ったけど、京ちゃんバレンタイン自体を忘れてたじゃん。」


「……忘れてた。」


「去年の夏にみんなで海に行った時も、玲くんずっと二人になろうと頑張ってたけど、京香ったら馬鹿みたいに気付かなくて、ことごとく雰囲気ぶち壊してたしね。」


「……それは知らなかった。」


『はぁ』と2人が大きくため息をつく。


「まぁ遅過ぎたんだよ。気付くのおっそ!!」


「そうだね、京ちゃん……。京ちゃん自体もずっと前から玲くんを好きだったと思うんだけどねぇ」


「だよね⁉︎京香よく玲くん目で追ってたし。絶対二人付き合うと思ってたんだけどなぁ……」


「私は大学のサークルで玲くんが他の女の子と話しているときの顔が忘れられないけどね。」


「……どんな顔してたのよ‼︎私……!」


泣き叫ぶ私に二人は顔を見合わせ、また壮大な息を吐く。


「「嫉妬に狂う女の顔。」」


「嘘でしょ⁉︎」


私は自分の頬を両手で挟み、叫んだ。


「……てかね、京香。決定的だったのが、あんたが彼氏作った事だと思うよ。」


「そうだよ、京ちゃん私たちにバレてないとでも思ってるの?」


「あれは、玲くんショックだったと思う……。私めっちゃ付き合わされたし、今みたいに。」


ヤバイ。

胸に何かでっかいナニカがグッサリと刺さった。

抜けない……苦しい……。

何これ……?


「……結局は私が自滅したのね。」


私の言葉に二人が深く頷いた。

……何度も。

そんなに頷くと、首が取れますよと言いたくなる程に。


その頷きに、全てが終わったと私に告げた。


「……そっか。ならばもう……」


玲くんの幸せを祈る側に回るしか無い。

私のシカバネを超えて、どうか幸せになってくれ……。


「……老兵は去るのみ……」


グスッと鼻を鳴らして、息を吸った。

そして立ち上がり、泣き過ぎて腫れた顔に気合を入れる。


「応援する‼︎玲くんの彼女に会って、おめでとうって笑顔で言ってくる……!」


私の気合いに梓は拍手してくれたんんだけど、美奈はため息をついた。


「……まぁ、私はあんまり長く続かないと思うけど。」


美奈はそういうと頬杖をつく。


「へ?美奈会った事あるの?」


「会ったことあるんではなくて、見かけただけだけど。」


「……ふ、ふーん、なに?……可愛かった?」


めっちゃゲスい顔している自覚はある。

動揺めっちゃしてますけど‼︎


私の問いに美奈が微妙な表情を浮かべ、目を泳がせた。


「……私の個人的な印象だから、違ってくれたらいいんだけど。」


美奈はそういう前置きを置いた。


どうやら美奈が玲くんを見かけたのは銀座の高級バッグが売っている店だった。

そこはとあるブランドで、バッグだけじゃなくてアクセサリーや時計も置いてあるらしい。

勿論全部手袋しなきゃ触れない額の商品しかないお店。


美奈の職場の近くに新しくできた店舗らしいのだが、そこから腕を組んだ二人が出てくるところを見かけた様だ。

大きな買い物をしている感じではなかったが、玲くんの腕にギュッと豊満なバストが貼り付けられていたらしい。


いや、バストはいいんだ。

顔だ。

顔が知りたい。


食い入る様に美奈の話を身を乗り出して聞く。


「顔は正直めっちゃ可愛い。喩えるなら毛足の長い高級感のある猫。

まぁ、見たらわかるよ。この表現がぴったり。

後は金と手間暇かけて磨き抜かれただろうの、魅惑のボディ、ね。」


くぅぅ……!

ボディについては、ぐうの音も出ない。


全てにおいて、普通。

と、いうより自慢じゃないが、さほどの凹凸はない。

ちょっとだけ下っ腹が気になる、そんなボディ。


思わず自分の下っ腹を見つめる。

そんな私の下っ腹を美奈も梓も見つめる。


「……まぁ、同じ女としてかなり色々負けてそうな感じなのは分かった……!」


別の意味、涙目の私を梓がギュッと慰める。


「京ちゃんは小悪魔系ニャンコとは違う別の魅力があるから自信持って!」


「……例えば?」


「すごく普通なとことか‼︎」


「それ取ってつけたよね⁉︎

てか普通って褒め言葉じゃないよね⁉︎」


梓の平謝りと美奈の大爆笑の声に、『分かった、普通を極めることにするわ……』と遠い目をした。

……普通ですいませんね‼︎


そして、その時は直ぐ来たのだった。

私の失恋の余韻も感じる暇もない、昨日の今日という異例のスピードで。


何なの⁉︎

玲くんせっかちなの⁉︎



次の日の日曜日。

同じお店同じ時間で私は……あ、今日は紅茶にしました。

昨日とは打って変わる気持ちと、昨日とは別人の様な野暮ったい顔で、同じ席に座っている。


そして玲くんとその横に並ぶ、小悪魔系ニャンコの姿。

二人が顔を見合わせて、私に自己紹介を始める。


魅惑のボディを包み込む、ギャップある清楚な色の前開きブラウスに、ハイウエストのフレアスカート。

そして美容院は欠かした事ありません的に綺麗に染まるハニーブラウンの髪の毛。

肩から少し長いくらいに揃えられた、均一に整ったストレートの髪の毛を、サイドに編み込みで後ろにワンポイントの小さめのリボン。


そうまで完璧でも目が行くのは、ピンクに煌くぷっくりと下唇。


まるで恋愛小説なんかに出てきそうな、『ヒロイン』だ。


……フッ。

コイツ、出来る……!


全身全霊で負けている。

負け確。


この子がヒロインなら、差し詰め私は悪役の女。


こりゃ私のことなんか簡単に忘れるわ。

こんな子が彼女なんて、ブラジルにも届きそうな声で自慢したいわ。


……玲くん……幸せになれよ……!


あ、ちょっと泣きそう。


鼻をこっそり啜りながら笑顔で挨拶をした。


「えっと、この子が僕の彼女で、美しい音って書いて、美音っていうんだ。

同じ会社の後輩でーー」


あ、やべえです。

全然話が頭に入ってこない。


「始めまして、美音です。玲くんからいつも京香さんのお話を聞いててぇ、会って見たいなってわがまま言ったのは私でーー」


適当に相槌だけ打って、笑顔だけ作って。

ボンヤリと空を見つめる。


……そしてふとあることに気がつく。


あれ、昨日からまた30万ぐらい貯金が減ってない……?


……昨日の今日で30万も……?


変な話、私も玲くんも倹約家だ。

だからといってケチというわけではないのだが、閉めるとこはきっちりしてる筈。

無駄に30万も大金、じっくり考えず使うとはいったい何が……⁉︎


上の空がさらに上の空になる。

もう30万の行方が気になって仕方ない。


そんな時小悪魔系ニャンコが口を開いた。


「京香さん、お化粧とかどこのブランド使ってますか?

肌、綺麗ですよねー。羨ましいですう」


そう言って片手をやんわりと顎に置き、ギュッとバストを寄せた。

清楚なブラウスのボタンの隙間から、丸みを帯びた肌色がチラリと見える。

まるで覗き穴の様に。


紅茶を持ってきた店員の目が釘付けとなる。

そしてよそ見した店員の手から、紅茶がカップごと私に滑り落ちた。


「あっつぅ‼︎」


派手に頭からかぶり、紅茶まみれに。


私の叫びに慌ててマスターが飛んでくる。

店員も焦っているせいか、そこにあった台拭きで私の頭を拭った。


その時ニャンコのふっくらとした唇が、少し歪んだ。


なんとも惨めだ。

これはいわゆる牽制というやつなのだろうか。

分からんけど、今のはタイミング的にわざとな気がする……。


しかも、今……笑ったよね?


台拭きで頭を拭かれるわ、失恋した相手に彼女を紹介されるわ、散々の私は。

心配してくれる玲くんを気もそぞろに、紅茶を理由にトボトボと家に帰らせてもらった。

なので結局30万の行方も自分のことでいっぱいになって、聞けないままになった。


……そのまま1ヶ月が過ぎる。

なんとなく連絡できずに、時があっという間に過ぎたのである。

まぁでも、失恋を乗り切るにはなんとなく乗り越えられる時間は確保できた気がする。


……と、思う。


次に玲くんと会ったのは偶然だった。


玲くんは会社の飲み会で、私は別の友達と飲みに来ていて、どちらも会計の所でバッタリ……という偶然だったのだが。

明らかに玲くんはやつれていた。


というより貯金額が。


1ヶ月で180万。

前の30万入れたら210万である。


そんな大金が玲くんの頭の上から消え去っていた。


まさかと思うが……玲くん小悪魔ニャンコに、貢がされてる⁉︎

度肝を抜かれる金額に、玲くんに声をかける前に固まってしまった。


「……京ちゃん?」


「ンア⁉︎どどどど、どうした?ひ、ひさし、ぶり……!」


失恋した相手に偶然あったからじゃなく、210万が1ヶ月でなくなる恐怖に体が震えた。

……いや私の財布じゃないんだけど‼︎


「……京ちゃん……」


玲くんは不自然に吃る私に気付かないのか、何か言いたげに口を開いたが、グッと唇を噛むとヨソヨソしく私の前から去っていった。


……?

なんだ今のは。


違和感しかない態度……は、負けてないんだけどさ。


でもあれはなんか、違う!


私は友達と解散し、玲くんを追った。


走るのだけは得意なんだよね。

これは追いかけて問い詰めるチャンスなのでは?


私の足はあっという間に玲くんに追いつく。

案外この子、足遅いしね……。


声をかけても振り向かなかったので、グッと背中を掴もうとして……前屈みに倒れ込む。

あっという間に玲くんの背中に張り付く様な形になり、くっついた本人が一番驚いた。


「わあああ、ごめん……」


背中から抱きつく(様に見える)私と、激しく動揺する玲くん。

自らベリッと剥がれて、咳払いをする。


「なんで逃げた?」


「……逃げて、ない。」


と、動揺を隠す様に下を向いた。


私はそんな彼を見て眉を掻く。


「言い訳苦し過ぎるんだけど、どっから突っ込んだらいい?」


「……言い訳、違う!逃げて、ない、ホントウ。」


「なんでカタコトなんだよ!」


私のツッコミにビクッと体を強張らせた。

……いや、バレた!みたいな顔してるけど……普通にバレるわ!


今度は頬をポリポリと掻いて。


「もしかして、彼女になんか制限されてる……?」


実は思い当たることがある。

1ヶ月前彼女を紹介してくれてから、玲くんは私たちのSNSグループに一切既読がつかなくなった。

美奈が梓の出産祝いの件で電話かけた時も、文字で言って欲しいと電話に出ることはなかった。


それで美奈がピンときたと、そう言っていたのだ。


『ありゃ彼女に監視されてるね。文字でなんて、絶対見せるためでしょ』


玲くんは私の質問に、とてもわかりやすく反応した。


目が、めっちゃ泳いでいる……。

綺麗に弧を描く様に。


「……はぁ、やっぱり。」


「ち、違うんだ。美音が泣くんだよ……。僕が京ちゃんのことずっと好きだった事知ってるから……。僕ずっと美音に京ちゃんのこと相談してて……それなのに、その……」


典型的なテンプレってヤツですね……。


好きな人の相談をさせて、聞くフリして、想いが叶わないと思い込ませ、自分を売り込む。


私だって知ってる。

ラブロマンス系の漫画とかでよくあるヤツ。


だがそれはヒロインじゃなく、それは悪女のする事じゃ‼︎


「もういいや、そんな事より知りたいことがあるんだけど、質問していい?」


「……え?えっと……」


否応なしにぶっ込んでいく。

今がチャンスな気がするし。


勢い、大事。


「えっと、最初の飲み会から210万一体何に使ったの?」


私の言葉に玲くんは大きく目を見開いた。


ああ、綺麗な瞳。

睫毛もなげえな、羨ましい。


その長い睫毛がシパシパと瞬きをたくさんしている。


そして、またその綺麗な瞳が弧を描く。


「……」


私の質問に言葉を失ったまま、瞬きをしまくっている目の前の生き物。


業を煮やし私が先に口を開いた。

私がヤカンなら沸騰を超えた。


「私さ、信じられないかもだけど!

高熱で入院した時にどうしてか、他人の貯金額が見えてしまう能力を授かってしまったらしいんですよね。

……凄くどうでもいいから、全く世の中には役に立たないと思っていたけど、多分この為にできた能力なんじゃないかと今、思っているんだけどどう思う?」


「ふェ⁉︎」


「いや、マジよ。信じないなら今の貯金額、一円単位で言えるけど、どーする?」


「……まって、なんか、アタマが、オイツカナイ……」


玲くんはそういうと、その場にへたり込んで意識を失った。


意識を失うほどか‼︎

ていうかこんなところで気絶するとか女子か‼︎


……流石に、このままに出来ないので、引きずる様に連れて帰った。


しかもここからだと玲くんの家が近かったのだが、問い詰めるつもりで逃げない様にしたいので、私のアパートまで引きずって……嘘、タクシーで帰った。


私より身長も高くガッチリした彼を、私が抱えるのは無理でした。

チッ、気づかないうちに大きくなりやがって。


……いや本当は気付いてたんだろうけど。


身から出た錆だよね。

私が悪い。

彼の好意に甘んじて放置してた結果だ。


ずっと好きでいてくれると、勝手に思っていたんだと思う。


そんなわけ無いよね、私が悪い。


だからこそ、こんな能力。

罪滅ぼしにはならないが、玲くんのために使えって、助けてやれってきっと神様が言っているのだ。


……だから。


泣いても嫌がっても、彼の貯金は、私が守る‼︎

それが私の出来る、世界平和だ!


悪役は小悪魔系ニャンコで、私はヒーロー。

ヒロインは、玲くんだった‼︎


なんだか夜風が染みるのか、鼻がスンッと鳴った。

もし次にいい人と巡り合えるなら、結婚資金に貯金絶対あったほうがいいし。

あんなバストお化けの悪役に、簡単に取られていいもんじゃない。


ああどうか、玲くんにいい子を見つけてあげてください。


私はタクシーの中で、いるかいないか分からない神様に祈った。

きっといるよね、こんな能力私に与えたんだもん。


祈りながらお酒も少し入っている所で、タクシーの運転手さんが引くほど、ベソベソとまた泣いてしまう。

失恋の傷はまだ癒えてなかった様だけど……。


今まで貰っていた分、今度は一生懸命私が返す番。


祈りながら、白目剥いてへにゃっている玲くんのデコを……デコピンした。

しっかりしろよ!バーカ‼︎


そんな玲くんは、2時間ぐらいで目を覚ました。


大変だったよ、こいつ抱えて3階まで運ぶのは。

玄関で転がすわけにもいかないし、リビングのソファーまで引きずって……。

アタマちょっとぶつけちゃったけど、ごめんね?


おかげでデコピンしたのバレなさそう。


彼は私の顔を見た瞬間、また固まったけど。


「ねぇ、私の話どこまで覚えてる?」


「えっと、あの……他人の貯金額がどーの……」


「ねえ、信じないなら貯金額、言おうか?」


「いや、210万の事当てただけでも驚いてるし……誰にも言ってないから……」


「……ふーん」


ソファーから起き上がって、何故か正座している玲くんに、そっとコーヒーを渡した。

それを両手で受け取り、口をつける。


まだお互い、目線は合わない。


「ちなみにここは私の部屋。

逃げられない様に、連れ帰った。

玲くんちに行こうとしたけど、小悪魔ニャンコがきても困るなって思って……」


「……美音はうちには滅多にこないよ……。」


「……ふーん」


それで。


とっとと210万の行方を聞きたい。


彼女の無駄な情報は、私の心を抉るだけなので……出来るだけ聞きたくは無い。

落ち着ける様に、私もお気に入りのカップに口をつけた。


「それで、話してくれる気になった?」


この際私の能力を信じてなくても構わないが、目は覚まして欲しい。


相変わらずトートバッグを揉みながら、何も言わない玲くんの前に座った。

そしてジッと目を見る。


玲くんはやましいのか私から視線から目を逸らす。

それでも私は、ジッと見続けた。


観念したのか大きな息を吐くと、ボツボツと話し始める。


「……美音のお母さんが病気でさ……あれ、事故が先だったかな?」


目を泳がせ、トートバッグがシワになる程握りしめた。


「……210万、全部その病気のお母さんの治療費とか言わないよね?」


「あう……ち、違う。えっと……」


「始めは……。」


玲くんがゆっくりと語り出す。


初めは、ただの可愛らしい後輩だった。

彼女はいつも会社の中心で、僕は目立ちたくないからあまり関わらない様にしていたんだけど……。

会社の飲み会にどうしても行かなきゃならなくなって、参加した時に初めて話したんだ。

お酒も入ってたこともあって、自分の趣味や、結構コアな話もしちゃって……。

そしたら『私が相談乗りますよ』って言ってくれたのがきっかけだった。


そこから何度か二人で飲みに行く様になって、その時何でそうなったか思い出せないんだけど……酔った勢いかなんかで、美音と付き合うって約束しちゃったらしくて……。


僕が言い出したのに自分の気持ちを弄ぶのかと美音に泣かれて、自分の気持ちもよくわからないまま、約束したのであれば好きになろうと付き合うってことを自分で折り合いつけたんだ。


その時に付き合って一週間記念になるものが欲しいと言われた。

お店に連れて行かれ値段に躊躇していたら、美音が何もいわず僕を置いて一人でお店から出て行ってしまった。

相談やら色々お世話になっといて、恋人になったら用がないのかと泣かれて……。

最初は愛を信じてもらうのに、30万のブレスレットをプレゼントした。


……正直あれは僕にとって始めての高額な買い物だったよ。

仕事用のノートパソコンでも10万ちょいで、3ヶ月悩んだと言うのに……。


その次は1ヶ月記念が来て、バッグをねだられた。

それから一週間しないうちに『あれよこれよ』とねだられて、流石にプレゼントは躊躇し出したら、お母さんが事故に遭って手術しなきゃいけなくなったとかで……えっといくらだったかな……、と。


事故……病気はどこへ行ったのだろう。

もう感覚が分からなくなるのか。

立て続けに捲し立てられて、正常さを失わせる。

考える時間もなく、お金が渡っていく……なんて、詐欺の手口じゃないか。


怒りが込み上げてくる。

体が震えるほど。


静かに怒る私を、玲くんはジッと見つめていた。


「京ちゃん……僕……」


「悪いけどさ。私『玲くんは悪くないよ』『騙されて可哀想』なんて言わないから。

騙すほうが一番悪いけど、騙される方も悪い。

でも、私のせいだよね……!」


グッと自分のスカートを掴んだ。

座っている太ももが少しヒリヒリとした。


「ごめん、京ちゃん全然関係ない!悪いのは僕だ……!」


そう言って玲くんが私を見た。

やっと目があった。


「いあ、今更いろいろ考えさせられて、後悔ばかりで。

その上、自分にも腹を立てている。

私のせいじゃないって言ってくれるの嬉しいけど、やっぱどう考えても私のせいなんだ。

私が早く気がついて、ちゃんと気付いてたら……」


「……京ちゃん?」


玲くんの顔が一瞬緩んだが。


「あ、なんでもない。

ともかくだ、私たちがすることは一つ。

……お金を返してもらう事。」


一刀両断。

そう言って私は立ち上がり、玲くんの両肩を強めに掴んだ。


私の気迫に玲くんはたじろぐ。

ニヤァと笑う私に、玲くんの喉がゴクリと鳴った。


こっから、反撃開始。

……の前に。


「てかまだ好きなの?」


「え⁉︎」


「まだ好きなら警察に突き出すのは止める?」


「警察って……京ちゃんなんか悪いことしたの⁉︎」


「なんで私なの‼︎バカなの⁉︎

小悪魔ニャンコのことよ!」


ボケんのも大概にしろなんてマジなツッコミをしたが。

何度聞いても頭に入ってこない彼女の名前だけど、それはもう置いといて。

彼の目が覚めないのなら、先に覚まさないと、だ。


色ボケしたまま警察に行ったとこで、本人目の前にしたら許しちゃったら意味がない。

というか、美奈と梓にも協力要請しなきゃ。


美奈達には貯金額能力の事は言わなくていいか……。

その辺はハブいとこ。


玲くんはジッと一人で考えて、ふうと息を吐いた。


「……うん。なんだか目が覚めた様な気分。

美音の事は、今はなんだかどこが好きかって聞かれたら、わかんないや……。

そもそも相談してた自分辺りから、まるで自分じゃない様な感覚だった気がするし……

そもそも僕のタイプじゃなかったはずなんだけど……」


ブツブツと自分に問いかける様に玲くんは呟いた。


「……まああんな可愛い子に好き好き言われたら、誰でも落ちるって……。

修行が足らなかったと思って、精進したらいいよ……。」


「……そうだね。」


「玲くんはカッコいいし、優しいし。

きっとすぐ、いい人見つかるよ……」


「……」


これはもうね。

顔見て言えなかった。

失恋の傷が癒えてませんからね‼︎


涙目で言ったって説得力無いでしょ?


玲くんから返事は聞こえなかったけど。

どんな顔してるか見てないけど。


きっと小悪魔ニャンコには懲りてくれたはず……!


美奈と梓からはすぐ返信が来た。

大体の流れをグループ通話で話す。


覚醒した玲くんも、とても冷静だった。

何だか私が知ってる玲くんじゃないみたいだった。


ちゃんとした一人の男性に見える。

……まぁでも、女の子に騙されちゃったんだけど。


我々の綿密な通話は、その後明け方まで続くのだった。


気がついたら、私はソファーにもたれて寝ていた。

慌てて玲くんの姿を探そうと目を擦ると、目と鼻の先に長い睫毛が見えて、『うぎゃー』っと叫びたいのを我慢した。


至近距離で寝ていた。

……一緒に。

なんでだなんで横に!?寝返りでここまで飛んで来たのかな。


きゃぁあぁ‼︎


叫びたい。

でも我慢。


失恋の傷、全然癒えてないし。


でも今日ぐらい、寝顔堪能してもいいよね?

玲くんが起きたら、友達の顔に戻るから。


ああ、また泣きそうだ。

でも。

く……、泣かない。


私の役目が真っ当するまで、頑張らなきゃ。


ちょっとウルウルする目に、最近涙腺弱いなぁと欠伸でごまかした。


「……あんまり見つめるから、起きられないんだけど!」


突然ぷはっと息を吐き、長い睫毛がパチっと上がる。


「……睫毛長いから、羨ましすぎて、毟り取ってやろうと思って見てた。」


「……えっ」


若干引き気味の玲くんですが。

よし、うまくごまかせた。


寝顔堪能とか絶対バレたくないし。


ゴシゴシと袖で涙を拭い、顔を洗いに洗面所へ向かった。


歯を磨きながら、大学のサークルの時を思い出していた。

あの時は男女雑魚寝でも全くどうも思わなかったのに。


ずっとあの至近距離で玲くんが寝ていたのだと思うと、心臓が胸を突き破って出てくるほどの動揺がやってきた。


落ち着けー落ち着けー

私、落ち着けー


考え事をしてたせいで、いつもより多く歯を研いでしまった。

いつもより、うがいの水が歯に染みる……。


「京ちゃん……ごめんね。」


突然に背後に現れた玲くんに、小さくヒィと叫んでしまう。

そんな私にはお構いなく、玲くんは私を背後から包み込んだ。


「京ちゃん、僕さ……多分寂しかったのかな?」


「……それは、本当にごめん……」


「いや京ちゃんのせいじゃないんだ……僕が弱かっただけで……」


「出汁に使われてたわけだから、昆布にも罪があるんだ……」


「……昆布?」


「……なんでもない!」


後ろから抱きしめられて動揺しているせいか、励まそうと思って出た言葉が訳が分からず。私が発する意味わからない理由に玲くんはクッと笑った。

そして髪の毛に玲くんの息がかかる。

それがどうしても恥ずかしくて、叫びながら玲くんの腕から逃げた。


なんだアイツ!

寂しいからってニャンコの代わりにすんな‼︎


洗面所から何故か追いかけっこしながら走って、リビングに来たタイミングで、玲くんのスマホが鳴った。


空気が一瞬で凍ったのがわかる程。


彼女専用の着信音。

彼女が好きな曲を彼女が設定した。


チラリと玲くんを見る。


玲くんも固まって動こうとはしない。


「……見て、いい?」


青い顔の玲くんは、ゆっくりと頷く。


そっとスマホを取って、玲くんの親指を押し付ける。

スマホがホーム画面に切り替わり、SNSのアプリの上に数字が光る。


それを私がそっと押し、開くと。


目に飛び込んできた文字は、ニャンコの『緊急』だった。


「……玲くん、助けて。お昼までにお金用意しなきゃ……」


私が読み上げると、玲くんは眉を寄せ、片手で顔を覆った。


「……今度はいくらだって?」


「……50万らしい。」


「……」


玲くんは大きな溜息を吐く。


「よぉし、ちょっと早いけどこれを待っていた。

打ち合わせ通りに『50万用意するけど手渡しじゃないと渡さない。』と返信して欲しい。そこから返事を待とう。」


私は落ち込む玲くんの背中をポンポンと叩いた。

玲くんは静かに私を見つめ、頷いた。


「……振り込みはお金を譲渡、貸した記録になるからコピーして取っとこ。」


「……いや、いつも手渡しだよ。」


「領収とかきってる?」


「ううん、そんなのはない。」


と言うことは、『手渡しで』と言うのは向こうも好都合ってことか。

返せと言うと、借りてないもらったとか言うやつか。

小狡い女嫌いじゃないが、こう言うのは違うんだよなぁ。なんて思いながら、彼女からの返信を待った。


お昼までには美奈と梓もウチに合流する。


彼女との待ち合わせは勿論、近所の……お気に入りの店じゃなくて、ちょっと離れたところの普通のファミレス。

玲くんを一人で座らせ、私たちはその後ろの席を陣取り、隠れた。


美奈と梓が裏で色々動いてくれていたおかげで、超強力な助っ人も確保できた。


しかもなんと‼︎


梓の旦那様が、弁護士さんなんだって。

なんたる奇跡……。


元々梓は、とある弁護士事務所で受付業務をやっていた。

そこで射止めた敏腕弁護士の旦那様。

可愛い妻の友達のためならと、協力してくれる事となった。


そのおかげでとてもスムーズにここまで来れた。


後は……!

ニャンコを待つのみ。


***


ドキドキしながら待っていると、ニャンコはお金を要求しといて15分も遅れて登場した。

キョロキョロと周りを気にしながら、マスクをし、帽子を目深にかぶってきた。


「美音……!」


「玲くぅん、お金持ってきてくれたよね?」


「……ああ、だけどさ……。」


「ねえ!そのお金ないと、私売り飛ばされちゃうんだよ?だから、早く持って行かないといけないの!」


「なんで……え?お母さんが、事故にあったんじゃなかったの?

……どうしてそうなった?」


「だからぁ、パパが借金してたの!それで今日の昼までに返さないとって言われて……ねえ私のこと信じてないの?」


ニャンコの目にウルウルと涙が溜まる。


「玲くん私の事好きになってくれるって言ってくれたよね?

美音を玲くんのお嫁さんにしてくれるんでしょ?

ねえ、一緒に住む家探してくれた?」


矢継ぎ早に玲くんに質問を捲し立てる。

玲くんがまた混乱してきたところで、私たちは立ち上がった。


まず、ドカッと梓の旦那さんと梓が玲くんの横に滑り込む様に座った。

そして私と美奈がニャンコを挟む様に座る。


ここのファミレスはボックス席が窓側以外にもあって、どちらの左右からでも入り込める形になっている。

挟めば逃げられまいと、ここをチョイスした。


ニャンコは驚いて立ち上がろうとしたが、私と美奈が両サイドでガッチリと腕を組み、席に座らせた。

その状況にニャンコが舌打ちをした。


「はーん、見えてきたわ。これ、何?玲くん。」


「美音、君にプレゼントや貸したお金がトータルで250万を超えたんだ……流石にこれ以上貸すのは……」


え、250万も⁉︎

210万は目視で確認できたけど、まさかまだあったとは。

最初に見た違和感が、ストンと腑に落ちた。


私の驚きとは別に、彼女はとても冷静に微笑んだ。


「ん?プレゼントって強制したっけ?そんな証拠ないよね?」


「……だけど、その……」


玲くんはニャンコを前にすると何も言えなくなるようだ。

まぁ怖いわ、正直。


小悪魔系ニャンコは進化して、獲物を狙う女豹の顔になる。


可愛い顔して言葉巧みに相手に隙を与えない。

敵ながらあっぱれである。


やりとりを聞いてた梓の旦那さんがニッコリと梓に微笑んだ。


「なんですか?ずっと見つめて……」


ウルウルの瞳で弁護士さんを見る。


どこからやってきたかわからない好青年風のスーツの男性に、様子見るための誘惑を始めた様だ。

なんだ今度は泣き落としで弁護士さんを誘惑する気か!


驚いて文句言ってやろうとしたら、弁護士さんに制止された。


「キミ、美音ちゃんっていうんだっけ?」


「はいぃ、そうですぅ……」


ニャンコは女優になった様だ。

巧みに片手を顎に乗せ、バストを寄せだした。


弁護士さんは姿勢を崩さず、ニャンコに微笑む。

ニャンコの頬がピンクに染まり、ぷるんとした唇が震えた。


「あの、私。どうかなるんですかぁ?てか、あなた達誰ぇ?」


そっと上目遣いで弁護士さんと手に自分の手を重ねる。

今目の前にいる彼氏の前で、だ。


そして横に梓という奥さんがいるというのに、だ‼︎


流石の玲くんもドン引きして見守る中、ニャンコはこれでもかと言わんばかりに色気を振りまいた。


「君は玲くんに結婚をちらつかせてお金を借りていたという事だけど……返す意思はあるの?」


「そんな……私、嘘なんてついてませんし、借りたわけでもないです……だから返すも何もないっていうかー」


「と、言いますと?」


弁護士さんは再びニャンコに微笑みかける。

その微笑みにトロンと目尻を下げると、コテンと首をかしげた。


「確かに結婚するとは言いましたけど、お金は玲くんがくれた物です。

プレゼントだって、玲くんの好意で私にくれたんです。

私が強請った訳では……」


しれっと答えるニャンコに、玲くんの顔も青ざめた。


「嘘だ……!美音、君は僕に貸してくれと言ったじゃないか。

カバンだって、ブレスレットだって、全部君が指定したものを買わないと、僕が……」


「はぁ?そんなこと言ってないけど?

……証拠は?

貸すって言った証拠、あるの?」


さっきまでの態度を辞め、足を大きく組んだかと思うと、クルクルと髪の毛を指で絡ませながら迫力ある目で玲くんを睨んだ。 


角度は斜め45度。


「証拠は……!」


玲くんはそこでまた黙ってしまう。


毎回手渡しだった、とさっき言っていた。

買い物した領収や銀行の下ろした明細だけでは証拠にならない。


さっき打ち合わせしてた時に、梓の旦那さんにも確認した。


『証拠なんてあるはずがない』


彼はそう落胆した。


その様子を見て、ニャンコが嬉しそうに微笑んだ。


「ほらぁ、やっぱりね。

私が要求したなんてそんな証拠あるわけないのよ!」


ニャンコはそういうと勝ち誇った様に笑った。


その様子をまた黙って聞いてた弁護士さんも微笑んだ。


「玲さん、明細、領収など見せて貰えますか?」


先ほど証拠にならないと思ったものを要求されるため、キョトンとする玲くん。

そして慌てて鞄からファイルを取り出した。


中には今まで要求されたであろう、銀行や買い物の領収書が細かに入っていた。


その紙の束を見て、ニャンコは鼻で笑った。


「だからぁ、そんな物、証拠にならないって。」


髪の毛をクルクルさせ、玲くんに向かって微笑む。

弁護士先生はその紙を一枚づつ丁寧に並べると、ニャンコに向かって微笑んだ。


「このブランド店って、何ヶ月か前に出来たばかりだよね?

ここは防犯設備が整っていて、防犯カメラも最新のものらしいよ。」


「……だからなんだっていうの?」


ニャンコは綺麗に整えてるネイルを確認しながらそう言った。


「最新式だから、顔もはっきり写ってるんだよね。日付けもそんなに経ってない。」


「……だから?」


「君さ、ブランド品、彼に強請ってないって言ったよね?」


「ええ、彼が私に似合いそうだって好意でくれたの。」


「それはおかしいな。」


「はぁ?」


弁護士さんはニッコリと微笑むと、タブレットを取り出して、ニャンコに見せる。


「これ、お店の防犯カメラの映像。

君の顔、ハッキリ写ってるのわかる?」


「だからなんなの?防犯カメラに声でも入ってたわけ?」


「声なんか要らないよ。だってスローにして口の動き分析すればいい。」


「……はぁ⁉︎」


ニャンコは眉を寄せ、弁護士さんを睨みつけた。


「今ね、とても技術は進んでるんだよ。知ってた?」


弁護士さんの微笑みに、ニャンコが『バカにしないでよ!』と声を上げた。

ここはファミレス。

他のお客さんもいる為、気まずそうに椅子に座り直す。


「この分析結果だとね、まずここね。

『私のこと、愛してないの?』

次ここ。

『愛を、形で示して』

そしてここだ。

『この、ブレスレットで、いいわ』

これを君はどう思う?」


笑顔を崩さず、弁護士さんは淡々と進める。


「……こんなの証拠にならないわ。」


「君はそう思うかもしれない。

でも裁判になったら陪審員はどう思うかな?」


「は⁉︎」


「君、わかってないから教えてあげるけどさ。

これ立派な犯罪なんだよね。

わかる?詐欺なの。

そして結婚の約束ちらつかせてる時点で、結婚詐欺になるわけ。

さっき君が紙切れと言ったこの明細だって、この日付けと時間の防犯カメラを銀行に提示して貰えば、君がお金を受け取った映像が出るかもしれない。

その時の映像をまたスローにして専門なところに解析頼めば、またボロボロと出てくるかもしれないよね?

……君の言う、大好きな証拠ってやつが。」


「は⁉︎詐欺って何よ?どういう事よ!」


「さっき私が聞いたよね?『返す意思はあるのか』と。

君は『もらったから返すも何もない』と言ったよね。」


ニャンコは黙ってしまう。

自分の発言が不利になるかもと小さな頭で考えた様だ。

自慢の唇をギュッと噛み締めて、弁護士さんを睨みつける。


「借りたものを返す意思がないということは、確実に詐欺罪が確定したんだよ。

もし君が返す意思があると言えば、そうならなかったんだけど……」


「は⁉︎何、私捕まるの⁉︎」


「玲さんが被害届を出せば、ね?」


「ちょっと玲くんそんなことしないわよね⁉︎」


「それは恐喝かな?」


「ち、ちがう!」


「ともかく君は嘘をついて玲さんからお金を借りた。

もうそれだけで立派な犯罪なんだよ。

それを理解した上でもう一度聞くが……お金を返す意思はあるのかい?」


ニャンコは青い顔をして何度も頷いた。


そして。

私がとどめをさす様に立ちあがった。


「あんたわかってる?

あんたの預金92万4千280円、残ってるの知ってんだからね!

誤魔化したりしたら私がタダじゃおかないから!」


ああ、これが私の、ヒーローとしての決め台詞。

……殆どは弁護士さんの手柄だけど、ね。


私の言葉に目を見開き、ガックリと肩を落とすニャンコ。

キラキラのフワフワな毛並みはもう、見る影もない。


お金は半分以上クラブやホスト遊びで使ってしまい、プレゼントした物品も既に質に入れてしまっていて、回収出来たのは半分も行かなかったけど。


残った金額は念書を書いてもらい、月々返すと宣誓してもらった。


「一度でも遅れたり、払わなかったら、その時点で警察に行くことになるからね。

最後のチャンスだと思って頑張るんだよ。」


笑顔で念を押していくスタイル。

梓なかなか頼もしい人を捕まえたんだなあと、私はとても嬉しくなった。





「しかし、貯金が見えるって本当だったんだね。」


「嘘だと思ってたのか」


「信じてないわけじゃないけど、預金額当てられた時の美音が今日一番驚愕してたからスッとしちゃった。」


「それはよかった……。」


「……ごめんね、京ちゃん。」


「何が?」


再び私のマンションに戻った玲くんと私。

何だかひどく疲れたので、二人でまったりとソファーに座ってテレビを見ていた。

というか、付けているだけでまったく頭には入ってこないけど。


「京ちゃんはもう僕のことガッカリしちゃったよね……」


玲くんはソファーの椅子を背もたれにして、床で足を伸ばしていた。

そしてやっぱりトートバッグを揉んでいる。


「そんなことぐらいで嫌いになんかなれないよ」


『何年の付き合いだと思っているんだ』と。

しかも嫌いどころか、今はめっちゃ好きなわけで。


私の邪な思いを悟られない様に、玲くんと同じ様に私も床に座り直す。


「こんなことがあった後なんだけどさ……。

でももう今言わなきゃタイミングがもう一生こない気がするからさ。

……もし、僕がさ、まだ……。

いや、返事はいつかでいいんだけど……まだ京ちゃんのこと好きって言ったら……」


玲くんが言いかけて言葉を詰まらせた。


いや私も『今かよ!』って思ったけどさ。

でも美奈にも『素直になれ』と二人で背中バンバン叩かれながら言われたし、今しかなかったのかもだけど……。


私は大きく息を吐き出した。

そして玲くんの両手を自分の両手で包む様に掴んだ。


突然手を掴まれビックリする玲くんに、私は不敵に微笑んだ。


「私も好きだよ。というか好きって気がついた、今回の件で。」


「京ちゃん……」


玲くんの顔がほころぶ。

ウルウルと綺麗な瞳に涙が溜まっていった。


「玲くんは女性にすぐまた騙されそうだから……もう私で最後にしたほうがいい。」


「……初めから僕は、京ちゃんがよかったんだよ」


「……フラフラするからバカな女に騙されるんだよ!」


自分のことを壮大に棚にあげた私がそう言うと、玲くんは小さく『京ちゃんもじゃん』と唸った。

ほんとそれ。遠回りしすぎなの私たち。

それがもうおかしくて、私は大きな声を出して笑う。


だけど玲くんはとても真剣で。


「京ちゃんがずっと僕のそばにいてくれるなら、もう大丈夫だね。」


そう言うと玲くんは嬉しそうに笑った。


そして。


「ていうか……あぁ、良かった。

貯金額戻ったらにしようとか言われたら、どうしようかと思った。」


そういう玲くんに私は。


「……その手があったか。」


また意地悪く微笑むのだった。



***



玲くんの貯金額は1年経たずに私と並んだ。

私の頭上への目線に気がつき、得意げにドヤるほど。


ニャンコからの返済は、彼女が別の男と逃げてしまったため途中でなくなってしまったが、玲くんは勉強代だと諦めることにしたという。


私はどっちでも良かったけど、玲くんがそれでいいならまぁいいかなって。


梓が元気な男の子を出産したので、また美奈を誘ってお祝いに行くつもりである。

その時に私と玲くんも、みんなにいい報告ができそう。


「てか左手が重ーい‼︎

こんな高くなくて良かったんじゃないの⁉︎」


「ダメだよ、ちゃんとしなきゃ。

騙されたとはいえ、あの人のことを一切リセットするのに、自分の中で一番最高のものを京ちゃんに送るって決めてたんだから。」


「でも左手が、指が、緊張する……!

無くしたらどうしよう……ずっと指を監視してなきゃじゃん‼︎」


「いや、監視なんかしなくていいよ‼︎」


「だってぇー‼︎」


左手が疼くぜポーズのまま半ベソ描く私に、玲くんは『しかたないなぁ』と微笑むのだった。


「てかもう時間だよ!急いで行かなきゃ。

京ちゃんとうちの親が勝手に先に挨拶して仲良くちゃうよ?」


「あああ、待って鍵が……!

あれ、テレビ消したっけ⁉︎」


扉を閉めたとこで、慌ててまた部屋へと飛び込む。


つけっぱなしのテレビからニュースが流れていた。


「ーー未明、ーーの容疑でーー逮捕されました。」


『逮捕』という言葉に思わず消そうと思った手が止まる。

ジッとテレビに見入ってしまっていた。


私が遅いので、玲くんも後からやってきた。


「ーー逮捕されたのは、無職、杉池美音容疑者(24)で、今年5月、知人らに結婚を匂わせ、お金を騙し取った疑いが持たれています。

なお他にもまだ余罪があるとみて、警察は……」


警察に囲まれ、なにかをかぶせられた映像に、小悪魔系ニャンコの面影はなかった。

唯一見える頭上の数字は、何だかドロドロに汚れて確認できない。

俯き辛うじて見えた自慢の唇も、もう輝いてはいなかった。


私は途中でテレビを消し、最後まで見ることはなかった。


そして、玲くんを見上げて微笑む。


「……行こうか。」


玲くんもなにも言わず微笑み返す。

私は玲くんの手を取ると、ゆっくりと玄関の扉を閉めた。

二人で同じ歩調で歩き出す。

頭上を見上げると、お互いの数字が重なるほどの距離感に何だか清々しい思いがした。




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特殊能力『他人の貯金額が分かる』の有効活用方法。 雨宮 未來 @micul-miracle

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