吾輩は犬になった。

冬雪乃

第1話

 ソイツは突然やってきた。


 僕、咲衣渉さきいわたるは転勤族であったがやっと父の仕事が落ち着いて両親念願のマイホームが誕生した。

 これで最後の転校先になるんだろうな。高校二年生にもなって恥ずかしい話だが、僕は本当に友達が居ないのだ。

 元々友達作りが苦手な僕は転校を繰り返すうちに友達とは疎遠になる。

 ラインで繋がってても所詮端末の中の友情だ。

 今度こそ友達を作りたいと生き込み、新築の匂いがする部屋を眺めた。

 流石一軒家、マンションより部屋が大きい。前の部屋の家具を置いても解放感がある。


 不意にリビングから犬の鳴き声がした。隣の家、犬なんて飼ってたっけ。

 それにしてもよく聞こえるので気になって階段を降りてリビングへ足を運んだ。

 するとなんと、箱の中からぴょこんと子犬が顔を出しているのだ。


「い、犬…?ちょっ、え、聞いてないんだけど」


 今までペット禁止の賃貸に住んでいて、犬を飼いたいとは言っていたが、まさかそんな…僕に相談もせずに引っ越し早々犬を迎え入れるとは。そんなワケで今日から咲衣家の仲間入りになったのだ。


「前からずっとお迎えしたかったの。遂に夢が叶ったわ、頬擦りしてあげちゃう」


 犬に頬擦りしてる…。こんな上機嫌な母さんを見るのは久々だった。

 父さんも僕の考えと同じ様に呆れている様な、柔らかく笑っていた。


「さて、今日の夕飯の買い物行ってくるから、子犬ちゃん、頼んだよ」

「お父さんも今日はカウンセリングの予約入ってるから夜には帰ってくるよ」


 早々に一人と一匹になってしまった。人間同士なんかじゃないのに何でこんなに気まずいんだろう。

 犬なのにそんな鳴かないし僕の目をじっと見ている。

 なんか、犬がみせる視線じゃない何かを感じる…のは気のせいか?

 なぜか人間といるみたいだ…。

 そんな沈黙を破ったのは犬の方だった。


「おい、腹が空いた。メシを出せ」


 確かに目の前の犬の口から発した言葉だった。

 フリーズしてる僕にさらに追い討ちをかける様に犬は語りかける。


「おい、何無視してるんだ?――俺の言葉がわからないのか?」


 うん、そう言う次元じゃないよな。冷静に考えて可笑しいよな?

 いや、僕がおかしくなったのか?元々犬は喋る生き物だっけ?

 …いやおかしいだろ!犬は僕を反応を呆れるようにあくびをしながら待っている



「うーん…いや、分かる。分かるよ、とてもよく分かるだって日本語だもんね」

「だよな、じゃぁ俺の言ってることが分かる…」

「うんそうことじゃない!僕人間、君は犬!犬は日本語はおろか、言語なんて喋れないんだ!何で犬が喋っているんだ」


 うーん、一旦整理しよう。

 我が家に新しい家族がやってきた。それも可愛い子犬だ…。だめだ整理もクソもない。まだここから何も進んでいない。

 頭が混乱して頭痛がしてきた。後で鎮痛薬飲もう。

 改めて犬を見てみる。どこからどう見てもただの可愛い小さな子犬だ。だただ一つ、人語を喋ること以外は。

 意を決して話しかけてみることにした。なんてことないのに何故か初対面の人と話す様な緊張感がする。


「あ、あの…何で君は僕たちの言葉がわかるの…?」


 犬は僕の慌てぶりに飽き飽きしたようにあくびをしながらこういった。


「前世人間だったんだよ。どう言うわけか、記憶も一緒にこの世に持ってきちまったみたいだ」


 どうして人間の言葉が喋れるかはこの際置いておこう。

 前にテレビで犬や猫が話せないのは生物的構造(喉など)が根本的に違うからから、みたいな事を聞いたような気がする。そんなに真剣に見てないので正確なことは分からないけど、僕はこの状況をやっと受け止められるくらいには落ち着きを取り戻していた。

 犬は僕の表情をずっとみていた。と言うよりかは、「目」を見ていた。アイコンタクトをとっている様な気がした。

 そう言う時は、目を逸らしたら負けだと父さんに教えてもらったことがある。目の前の子犬は僕の次の発言を待っている。


「わかった、とりあえずお前が喋れるクレイジー 犬だと理解した」

「言い方を考えろ」

「まんまでしょ。こんなこと、漫画の世界だけだと思ってたよ…」

「俺さ、殺されたんだ。人間に」


 突拍子すぎて一瞬聞き流すところだった。思わず言葉が喉をつかえて出てこなかった。

 人に殺された?てことは殺人…ってことか?

 情報量が多すぎて頭がパンクしそうだ。人間の言葉を喋る上に前世人間で死因が殺人…?

 ここまでくると夢だと錯覚してしまう。試しに自分の頬をつねってみた。当然痛かった。

 このまま沈黙は気まずい、何か言わないと…。


「こ、殺した人覚えてないの?」


 いささか直球すぎたか?デリカシーないやつだなとか、犬に思われたらどうしよう。

 犬は表情豊かだとテレビで見た事あるが、本当なんだなと思った。

 目が違うのが分かる。気まずい沈黙がゆっくり歩くように流れていく。

 一呼吸おいて犬は発した。


「…覚えてない。俺を殺した人間。笑えるよな、肝心なところ覚えてないんだ」


 サスペンスみたいな展開だな。でも、ただ、何となく他人事のように感じている自分がいるような気がした。

 まぁ、実際他人事なんだけど。いや、他犬事か?こんな事考えてると怒られそうなのですぐに頭の隅に投げ捨てた。


「それで、僕にどうしたいの?漫画みたいに犯人を探せとかそう言う感じ?」

「身も蓋もねえな。なんていうか、冷めてる奴だな」


 失敬な奴だ。割と表情豊かな方だと思っていたのに。

 犬にこんなことを言われるなんて思いもしなかった。おそらく世界で僕1人だけだろうな、なんてちょっと可笑しくなって笑ってしまいそうになる。


「かと思えばニヤつきやがって、気持ち悪い奴だな。いや、一周回って面白い」

「何なんだお前!てかお前子犬の格好なんてしてるけど精神年齢絶対ジジイだろ!」

「言い方に気をつけろクソガキ!俺はまだ二六歳だ!好きで子犬になったんじゃねえ!」

「外見子犬には変わりないよ!ああもう、何なんだよ…」


 やっぱり子犬の年齢ではなかったんだ…!て言うかクソガキってなんだ、こいつめっちゃ口悪いな!

 ギャップとかそういう問題じゃないぞ。ベビーフェイスの青年が実は口が悪いとかそう言うギャップならまだ現実味がある。ていうかそれが現実であってほしかった。

 ふと顔に光がさして思わず目を細めた。午後三時、西日が強くカーテンの隙間から光が漏れていた。

 そういえば母さん買い物に出かけてたな、もうすぐ帰って来る頃だろう。

 仕切り直すように僕は咳払いをして口を開いた。


「とりあえず、君が喋れるってことは僕と君だけの秘密にしよう」

「当たり前だ。中身は人間なんだ、人間の常識くらい犬の頭でも知ってらあ」

「もうすぐ母さんが帰ってくる。君は…」

「その、君って言うのやめろ。気持ち悪い。…一応前世の名前は覚えてる」


 一言余計なんだよなこと犬…。


「なんて言うの?流石にそのままの名前…ってわけにもいかないでしょ…」

「人間だった時の名前は、望月紡もちずきつむぐだった」


 だった。という過去形の言葉に改めてこいつは一回死を経験してるのか、と何ともいえない気持ちになる。

 ペットの名前決めとは、みんながワクワクするだろう。

 となると、コイツ…いや、望月さん?は新しい名前を望んでいるのだろうか。


「名前、どうするの?お母さん達に決められた名前でいいの?」

「良いかどうかって言われるとやっぱり違和感はある」

「だよね…」


 どうしようか考えてるうちにガチャリとドアが開く音がして、ただいまと母の声が聞こえた。

 大きなレジ袋を抱えた母は買ってきたものを冷蔵庫に入れながら鼻歌を歌っていた。


「ねぇ渉、子犬ちゃんの名前、どうしよっか」


 母さんは笑顔で振り返って僕に問いかけた。そうだ、僕にも一応候補権利はあるんだった。

 父さんの意見も聞きたかったけど、何となく、僕が考えたかった。


「…つむぐ。母さん、この子の名前、つむぐって名前がいい」

「やっぱり渉が決めちゃうかー」

「やっぱりってなにさ、わかってたの?」


 分かりやすくニヤついて母は言った。

 その時母には聞こえないくらい小さな声で「ニヤつた顔、母譲りだな」と隣から聞こえたが僕は無視した。


「そんな簡単に僕が決めちゃって良いの?てっきり三人で決めるのかと思ってた」

「一応考えたりしたけど、渉に付けてもらうのも良いよねって」


 まぁ、僕が考えたって言うより横にる犬の前世の名前なんだけど。

 本人も納得したような顔してる気がするので大丈夫だろう。


「なんでつむぐって言うの?」

「え、あ、えっと…好きなキャラクターの名前だよ。可愛いかなって」

「へぇ、良いじゃん!よろしくね、つむぐ君」


 つむぐは犬っぽく「ワン」と鳴いて見せた。

 多少どもってしまったが別に気にする素振りもなかったので安堵した。

 改めてつむぐを見てみると、サラッとしてふわふわしてる毛並みに凛々しい顔をしている。

 少し眉のところの毛が茶色くて、不覚にも可愛いと思ってしまった。中身は可愛くないのに。

 喋れることに驚いて忘れていたけどまだつむぐの犬種を聞くのを忘れていた。


「ねえ、つむぐって犬種なんなの?小型犬?」

「つむぐはね、ボーダー・コリーっていうとても賢い犬種なの。成犬になると結構大きいんだよ」


 膝の位置くらいまで手を下げて大きさを示している。なるほど、漫画みたいに枕にして一緒に寝れるような…。


「へぇ、今こんなに小さいのに結構大きくなるんだね」

「成長早いから、子犬のうちに写真たくさん撮っておかないと!」


 なるほど、スマホで調べてみたら相当賢い犬種らしい。そしてやっぱり成犬は結構大きいな。

 黙ってると可愛いのに…なんて犬に思ってしまう。漫画とかだったらすごい仲良くてハッピーな作品が多いのになぁ。

 初対面でクソガキ呼ばわりされたら可愛さなんて半減もいいところだ。

 クソ、さっきから中身が年上のいけすかない奴のせいで犬への可愛さが混乱してしまうじゃないか。


「さて、お母さんご飯作っちゃうから早速つむぐのお散歩お願いできる?ついでに新しい土地に来たんだから迷子にならない程度にね」


 時間を見て見てみると午後五時過ぎだった。ふむ、これでつむぐとも人目を気にせず話ができそうだ。

 散歩ルートは考えなきゃいけないけど。できるだけ人が少なそうなルートをあることを願って新しく揃えたであろう散歩グッズの箱から必要なものを取り出した。確かリードにウンチ袋…あとはなんだ?まぁ最初はこれくらいでいいだろう。

 ゆっくり話もできそうだし、フリスビーみたいなおもちゃなんてつむぐは絶対怒って噛んできそうだと身震いした。


「そうだね、それじゃつむぐ。散策しがてらゆっくり歩くか」


 つむぐも僕の考えてることを理解しているようだった。コクリと首を縦に振った。分かりやすくて非常に助かる。

 しかし、つい好奇心でつむぐの前でフリスビーをかざしてみた。案の定、分かりやすいにように眉間に皺を寄せいた。

 噛まれる前に僕はすぐに箱に直して玄関で靴を履いた。

 つむぐの首元にリードをつける時僕に負けじとニヤっとして「お前、嘘下手だな」と鼻で笑われた。

 おそらく名前の理由でどもった時のことだろう。


「恥ずかしいから蒸し返さないでよ。ほら、行こう」


 新しいドアに手をかけ扉を開くと秋の訪れのような枯れた葉っぱの匂いが風とともに流れていく。

 このまま気持ちい風を堪能していたかったが優先順位が先だ。つむぐと僕は一緒に外へ踏み出した。

 周りを見渡して見たが、平日の夕方にしては人が少ないような…まぁ、土地それぞれなんだろう。前の近所はこのくらいになると学生は下校時間だから少しはいるのかと思ってたけど。まぁいいに越したことはない。

 スマホで近くの公園を探してみるとラッキーなことにすぐ近くに小さな休憩所とも言える場所を見つけた。

 すぐにベンチに腰をかけ、つむぐも同様横に座った。


「ふぅ、これちゃんとつむぐと話ができるね」

「家だと母親がいつ食いついてくるかわからないしな。これからは散歩の時と家族が寝静まった頃にまた話そう」


 なんか秘密の作戦会議みたいなだ。自分の受け入れっぷりに驚いてないと言ったら嘘になるが実際に起っている事なんだ。逆に面白くなってきた。こうなりゃやけだ、ノってみるしかない。こんな経験二度とないかもしれないしな。


「やけに食いついてくるじゃん。サスペンスを見過ぎじゃないの?」

「いつかその喉仏噛み切ってやるからな」

「冗談だって。じゃぁ本題に入る前に一応確認なんだけど、つむぐは本当に事故なんかなく人間に殺されたって事であってる?」

「何度も言わせるな。間違ってない。殺される瞬間、その目は虚だった。逆に俺なんて眼中にないような、どこか遠くを見つめてた」


 顎に手を乗せ思考を巡らせる。本当に殺されたのはさて置き、その何者かによって殺害された事は間違いなさそうだ。

 虚な瞳だったっていうのがどうも気になる。つむぐを殺そうとしているのに本人を見てなかったって事だろうか。

 つむぐはただの障害物に過ぎなくて本当はその奥にいる誰か別の…いや、そんなことあるわけないか。

 きっとサスペンスの見過ぎだな。


「犯人って捕まったのかな。殺人を犯したんだ、ニュースとかにならないのかな?」

「さぁな。俺の人生はそこで終わってんだ。その後なんて知らねえよ」


 流石大人と言うべきか、冷静だなぁ。いや、性格とかにも寄るんだろう。

 しかし生まれ変わりといのはどのくらいの期間で生まれ変われるんだろうかとふと疑問に思う。


「望月紡の生年月日はいつなの?」

「生年月日?…そうさなぁ…平成七年の七月七日だ」

「ラッキーセブン過ぎでしょ。てか七夕だ!織姫はいなかったの?」

「お前にしてはいい嫌味だな。生憎俺は生涯独り身で織姫様とは縁がなかったよ」


 自嘲染みた声色でつむぐは地面の蟻を見ており、子犬の顔ではなかった。

 その時、つむぐと話すときは顔を見ずに声に耳を傾けて話した方がスムーズに話せることを僕は学んだ。


「殺されたのはいつなの?確か前世は二六歳なんだよね?アラサー待ったなしだね」

「うるさいクソガキ。アラサーはそう言うのに敏感なんだ。それにまだアラサーじゃねえ」

「敏感になる前に死んでて良かったんじゃないの?」

「お、お前には人の心はないのか!」


 つむぐは喉をグルルと鳴らして怒りを表していた。流石に少し言い過ぎたと自分を叱咤した。

 いつ生まれ変わったのかは多分今年だろうな。つむぐはまだ子犬だ。

 話が逸れてしまったがいつ殺されたのかによって生まれ変わるまでの時間を割り出すことができるだろうから、帰ったら母さんに聞いてみよう。

 まだ彼のことを何も知らない。当然だ。

 家に帰るまでの波なき道はイチョウが黄色なら色ずに始めていた。

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