破邪の光 1

 イルギネスとしらかげは生きていた。

 驃は鉄鎧のおかげで、あの怪力で握りしめられてもあばらをへし折られるのは回避できた。それでも全身を打ち付けて見えざる刃を受け、あちこち打撲と切り傷だらけだ。だが、少しするとしっかり立ち上がり、「油断したぜ」とぼやいた。

「でも、ざまあねえな……すまん」悔しそうに唇を噛み締める。

 片やイルギネスは──やはり全身を打った衝撃が、身体の何箇所かに激しい損傷を与えているのは確実で、殊に捻り上げられた右腕は、どう見ても重篤だった。激しい痛みにさすがに取り繕う余裕もなく、身を横たえたイルギネスには苦悶の表情が浮かんでいる。革のバンダナを破って切りつけられた額からの出血と汗が混じり、それが沁みて彼は小さく呻いた。白に近い銀髪を染める赤の鮮やかさに、見ている啼義ナギの血の気も引きそうだ。

「リナ。どこまで治癒がかけられる?」

 啼義が尋ねると、リナは唇を噛み締め、今にも涙が溢れそうなほど瞳を潤ませながらも、気丈に答えた。

「ギリギリまでやってみる」

 しかし、待ったをかけたのはイルギネスだ。

「やめとけ」

「え?」

 彼は辛そうに目を閉じて息を吐き、言った。

「さっき繰り出した魔撃で、相当の魔力を使っただろう。俺はいい。啼義のためにとっておけ」

「でも……」啼義が狼狽うろたえる。イルギネスは痛みに顔を顰めながらも続けた。

「ダリュスカインは弱っている。追いかけて仕留めるなら今しかない」

「──」

「大丈夫だ。行ける」イルギネスが立ち上がろうとするのを──「待て」と驃が止めた。

「なんだ?」イルギネスが不服そうに問うと、驃は上半身を起こしたイルギネスの肩を支え、険しい表情で親友の顔を覗きこむ。

「イルギネス、お前はもうここにいろ」

「なんだと?」

「その右腕は使い物にならん。どうやって戦うつもりだ」

 すると、イルギネスは反論した。

「俺だって左も少しは使える。魔気の付与をすれば威力も上げられる」

「怪我は腕と額だけじゃないだろう。あんな派手に投げられて」

「まだ動ける。戦える限界まで──」イルギネスの言葉を、驃が手で遮る。「そうじゃねえよ」

「なんだって言うんだ」

 不満を露わにする親友に、驃は「分かんねえのか」と苛立ったように答えた。


「お前には、待っている相手がいるだろう──ディアが」


 驃の口から出た恋人の名に、イルギネスの瞳が揺れた。それを受け、ふと驃の目元が和らぐ。

「俺にはいない。だからこういう時は、俺が行くんだよ」彼は柔らかな声で言った。

「驃……」

「あとな」

 驃は口の端を上げる。そこに浮かぶのは、こんな状況で傷と泥に汚れていても、頼もしく凛々しい笑顔だ。

「啼義にはこれから、傍に信頼できる相棒が必要だ。お前がいなくてどうする」


 啼義は何も言えずに、二人をただ見つめた。

 驃の言うことはもっともだ。しかしイルギネスはまだ、納得できない顔で啼義を見上げる。

 

 決断しなければならない。


 確かに、あの右腕を切り離したことで、ダリュスカインの力をある程度は削いだのだろう。自分を仕留めずに逃げ出すほどに。そして、大地を震わすほどの魔術を使った今、彼の魔力もそれほど残っているとは思えない。それでも、勝算があるかと言えば──


 啼義は、イルギネス、驃、リナの順に視線を巡らせ、おもむろに告げた。


「イルギネスとリナは、一緒に残ってくれ」

「そんな……啼義」

 抗議の声をあげたリナに、啼義はあくまで落ち着いた口調で指示を下した。

「日が落ちたら動けなくなる。気温も下がるだろう。せめてさっきの山小屋なら、夜の寒さもなんとかなるし、井戸もある。あそこで結界を張って夜をやり過ごして、俺たちが戻ってこなかったら──残る魔力ありったけでイルギネスに治癒をかけて、引き返すんだ」

 リナの顔が、悲痛な思いに歪む。

「そんなこと、できるわけないじゃない。啼義たちを置いて引き返すなんて!」

 声を昂らせたリナの肩に手を乗せ、啼義はしっかりと、彼女の紫の瞳を見つめて安心させるように微笑んだ。

「大丈夫。必ず戻ってくるから」

 リナの潤んだ目から一筋こぼれ落ちた涙を、啼義の指が拭う。彼は、リナの手をしっかりと握った。


<大丈夫だ。この手の温もりがあれば、俺は行ける>


「行ってくる。イルギネスを頼む」

 啼義は立ち上がった。驃も隣に立ち、剣を引き抜くと儀式のように颯爽とひと振りして構え、「俺が一緒なんだから案ずるな」と、自信に満ちた笑みを浮かべる。

「万が一、俺に何かあっても、啼義は絶対に生きて返す。いや──必ず二人で帰ってくるさ」


 足を踏み出した啼義は、一度だけリナとイルギネスを振り返り噛み締めるように頷くと、一切の負の感情も断ち切るように身を翻し走りだした。驃がその後に続く。二人の姿は、ほどなくして、土煙の向こうへと消えた。

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