対峙 4
翌朝。
「どうかこの不可思議な事態を解明して、我々を安心させてください」
朝食を届けにやってきた昨日の老夫婦が、恭しく頭を下げた。
その丁重な態度に戸惑いを見せた啼義の隣で、
「大丈夫です。お任せください」
イルギネスも「我々がきちんと始末をつけます。ご安心ください」と穏やかな微笑みを浮かべた。
二人の威風堂々とした姿に、啼義は見惚れる。
<すげえ……格好いいな>
だが同時に、順調に行けば、そう遠くない将来に自分が彼らを従える立場になることに思い当たり、複雑な気分になった。自分が、この二人の上に立つ? 想像がつかない。
イルギネスがふと啼義を見て、「また眉間に皺が寄ってるぞ」と笑った。啼義はハッと我に返り、「うるせえ」とぼやきながら眉間のあたりをほぐす。
この調子だと、そんな日が来ても、自分への彼らの扱いは変わらないだろう。いや、変わらないでいて欲しいと啼義は思った。
でもその前に、乗り越えなければならないことがある──ダリュスカインと会わなければ。
集落の者たちが用意してくれた幾らかの食料を荷物に加え、啼義たちは西へと向かった。
しばらくはなだらかな里の道だったが、やがてイルギネスの言った通り山道に入り、ところどころ険しい、手入れの行き届かない獣道のような箇所も現れだした。
辺りの木々はすっかり紅葉している。空気も冷んやりとして、歩き続けて体温が上がっているうちはちょうど良いが、もし野宿となるとしっかり防寒する必要性を感じた。
「魔物の気配も今のところ感じないし、いたって平和だな」
驃はそう言いつつも、常に抜け目ない視線を周囲に走らせていたが、確かに何も知らなければ、赤や黄の葉の色が美しい山道でしかない。
<こんなに、穏やかな景色なのに>
この先に待ち受けているであろう穏やかならぬ状況を思うと気力が萎えそうになる弱い自分を、啼義は必死に追い払った。
二時間ほども進んだだろうか。山道ながら少し開けたところに簡素な小屋を見つけ、一行はそこで休憩をすることにした。
外には小さな井戸があり、中には丸太を削ったような大雑把な形のテーブルと何脚かの椅子、壁際には横になれそうな台が備えられている。ソダナまでの道のりを行き来する者向けに作られた山小屋だろう。
水筒の水で喉を潤しながら、イルギネスがふと口を開いた。
「リナ。ダリュスカインだか他の魔物だか分からんが、それと思えるものが現れたら、お前はまず身を隠せ」
「え?」
きょとんと目を瞬いたリナに向け、イルギネスは真顔で続ける。
「お前は
「──」
リナは黙った。啼義もイルギネスの言葉に軽い衝撃を受け、言葉もなく彼を見つめる。
「もちろん俺たちは、最善を尽くす。でも、最悪の事態も想定しておかないといけない」イルギネスの青い瞳が、あくまで穏やかに、リナと、そして啼義に向いた。
「そして俺と驃は、お前たち二人を、何がなんでも護り抜くと決めている」
その言葉に感じ取れる覚悟に、言われた方はどう答えていいか分からずに、ただ戸惑うばかりの表情で視線を彷徨わせた。
空気がなんとなく沈みかかったところで、それまで黙っていた驃がにんまり笑った。
「そんな顔するな。俺らが負けるわけないだろう。あくまで心得ておけってだけだよ」
するとイルギネスもいつもの朗らかな表情になって、驃を親指で示し、「ま、こいつに至っては不死身にも等しいからな。殺しても死なんだろうよ」と笑う。驃が心外そうな顔で返した。
「おい、人を化け物みたいに言うなよな」
「常人なら死ぬってほど出血しても、死ななかったじゃないか」
「まあな。でも殺されれば死ぬさ。あんまり無茶な斬り込みはさせるなよな」
「いや、大丈夫だろう」「大丈夫じゃねえよ」
そのやり取りに啼義とリナの緊張も解れ、二人はいつの間にか顔を見合わせ笑い合っていた。そうすると、どんな状況も軽く乗り越えられそうな気がするから不思議だ。
一行はそのまま山小屋で早めの昼食をとり、再び西へと歩を進めた。日が高くなれば気持ちの良い空気と鮮やかな景色に目を奪われるほどだ。
<本当に、この先で何かが起こっているのか?>
信じたくない気持ちも手伝ってか、啼義はこのままソダナまで辿り着けそうな気すらし始めていた。
しかし、その時は来た。
木々の影が落ちる薄暗い山道で、先頭を行くイルギネスが不意に足を止めた。
彼は黙ったまま剣の柄に手を掛けてやや腰を落とし、素早くあたりを一瞥する。そして声を潜めて言った。
「リナ、そこの茂みに身を隠せ」
言い終わったかどうかのタイミングで、矢のような光が木々の深い影が落ちる向こうから飛んだ。イルギネスがそれを間一髪で避け、啼義を隠すように素早く数歩下がったところに、もう一撃が飛んだ。
静寂。
誰一人動かず前方に目を見張っていると──
ちょうど木々が途切れていると思われるあたりに、ふわふわと気配が揺れた。揺れるのは──赤紅色の外套と、波打つ金の髪。
啼義が目を見開く。
左手を真っ直ぐにこちらへ向け立つその姿は、
紛れもない。
それはダリュスカインだった。
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