対峙 1

 自分の中に蒼空そうくうの竜の加護があるなら、淵黒えんこくの竜の力もまた、存在し続けているのではないか。


 言い伝え通りならば、淵黒の竜は地中深くに骸となって封じられ、もはや原型も留めていないはずだ。

 魔物は、従来から存在する闇の気から生まれている存在ゆえ、淵黒の竜との関連性は薄いとされているが、蒼空の竜の加護を利用して境界線が設けられて以降、長らくその範囲内だけに存在し、稀に出てくるものはあれど、魔石狩りのハンター以外に、遭遇することは殆どなかった。イリユスの神殿に置かれた<蒼き石シエド・アズール>が、竜の加護の継承者によって、その力を安定させている間は。


 継承者がいなくなって、二十年近く。

 魔物は境界線を難なく越えるようになり、町の近くでも遭遇する確率が上昇し、刻々と人々の安全が脅かされつつある。イリユスの神殿でイルギネスとしらかげも属する魔物討伐隊が結成されたのは、十数年ほど前のことだ。



 宿屋に入り、男三人とリナの部屋で別れる前に、啼義ナギはリナに声をかけた。

「リナ、魔の刻石の反応がどの辺なのか、今一度、慎重に探ってみてくれないか」

 もしそれが近くなら、男が見たのはやはりダリュスカインなのかも知れない。そうでないとしても、何かしらの手を打たなければ、得体の知れない被害が広がる恐れがある。

「うん。読み解いたら、そっちのお部屋に報告しに行くわね」彼女は快諾した。


 リナの返事を待つ間、啼義は愛剣の手入れに勤しんでいるイルギネスとしらかげには混じらずに、少し離れた窓辺に立ち、あらためて自分の中に感じる微かな変化を、出来るだけ冷静に状況を分析しようと試みた。

 先ほど幻覚のような光景を見てから、心臓よりもずっと深いどこかが、それとなく疼く気配がある。それが、ともすれば自分を駆り立てようと、不思議な衝動を伴って突き動かそうとしている。


<竜の加護の何かなのか?>

 それはもう、自分の意志だけではない気がした。


 突然──


「大丈夫?」

 リナが至近距離で覗きこんでいたので、啼義は心臓が飛び出そうなほど驚いた。

「わあっ」

 あまりの動転ぶりに、今度はリナが慌てる。

「ごめんなさい。驚かそうと思ったわけじゃないの」

「い、いつの間に?」

「ノックしたらちょうど扉が開いて──イルギネスたちは、外で打ち合ってくるって」

「……」

 啼義は唖然とした。二人が出て行ったことにも、リナが入ってきたことにも、全く気づいていなかった。

「反応に、変化はあったか?」

 呼吸を整えて啼義が聞くと、リナはテーブルに広げられたままの地図の上、一点を指差した。カルムに入ってから手に入れた、この周辺を細かく書き込んだ地図だ。

「波動は今、ソダナより少し東あたりに感じるわ。この先に、集落がある」

 啼義が、地名を口に出して読む。

「ルオ……」

 やはり、真っ直ぐ自分に近づいているわけではない。それどころか──啼義はリナの顔を見た。リナが頷く。

「前から動いている気配を、ざっくりだけどこっちの地図で当てはめてみたの。波動の動きは、集落の位置をなぞっている」

 その数、ルオを入れて三つ。一つがソダナだ。「これは、偶然なのか?」

 偶然にしても、その一つが消滅しているとすると、あとの二つはどうなのだろう。ルオはまだ、無事なのだろうか。

 リナは地図から視線を上げ、啼義を見つめた。

「ねえ啼義。集落を焼き払えるほどの炎なんて、淵黒の竜の伝説みたいだって、言ってたわよね」

 見つめられて、やや高鳴る鼓動を気づかれないよう、啼義は務めて冷静にリナを見返す。

「……うん」

「私、イリユスの神殿で聞いた話で、もう一つ思い出したことがあるの」

「なに?」

「淵黒の竜は、人の魂を糧にするって。助かったあの人が見た、仲間が煙になって吸い込まれた話──もしかしたらそれは、なんじゃないかって」


 啼義の背中を、ひんやりと冷気が撫でた。


 魔の刻石の波動と情報を照らし合わせれば、にいるのはダリュスカインのはずだ。しかし──

 二十年近くもの間、封じられた淵黒の竜を制御している継承者が不在の今、影響は、魔物の増加だけなのか?

 最後に対峙した際の、彼の狂気めいた赤い瞳を思い出す。彼は何か、別のものに魅入られたのではないか。そして、一連の情報を集めて考えられる答えは──

<そんな大事おおごとになってるなんて、考えたくねえな>

 しかし、どう否定しようとしても、残念ながらその推測は核心に近づいてきているように、啼義には思えた。

「ソダナじゃなく、ルオの方へ向かうべきか?」

 冷えた指先を地図に置いたまま、啼義が独り言のように呟く。

「そうした方がいいと思う」

 リナが啼義に向けた眼差しには、迷いがなかった。それを受けた啼義の心からも、不思議と迷いが消えていく。

「イルギネスたちに話そう」

 そこにダリュスカインがいるのか、はたまた別の何かがいるのか──しかし、どちらにしろ進まなければならないのだ。それにこれは自分の使命においても放置できる内容ではないと、本能が警告していた。

<なんだか分かんねえけど、これが竜の加護の何たらだって言うなら、従ってみるしかない>

 リナが一緒に来てくれたことで、それまでどこか無理矢理に言い聞かせて成り立っていた覚悟が、いつの間にか自主的な、確固たる覚悟へと変化していた。そう、リナがいるから、前に進む勇気が湧くのだ。

「あのさ」

 突然、そんな思いを伝えたい衝動に駆られたのは、こんな時だからこそなのかも知れない。啼義は自然にリナに視線を合わせていた。リナが「なに?」と彼の黒い瞳を見返す。

 どう伝えたらいいだろう。啼義はちょっとの間、逡巡した。

<イルギネスみたいに、そのまま言えばいいんだ>

 心の内を。

「リナ、ありがとう。どうなるか分からないけど、リナのおかげで、俺は惑わずに道を選べる。だからこれからも、力を貸して欲しい」

 かえって率直すぎるほどの言葉に、リナは意表をつかれて瞬きをしたが、すぐに「もちろんよ。任せて」と、その瞳に理解を示し、微笑んだ。

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