闇の誘い 6

 その男は家族の元へ戻り、療養していた。大きな怪我はなかったものの、精神的な消耗が激しく、少しずつ回復は見られるが、ともすれば不安定な状態になる症状は続いているらしい。

 教えてもらった住所は、一般的な居住区内で、そこには石壁に茅葺き屋根の、ごく一般的な民家があった。

 訪れた啼義ナギたちの応対に出たのは、男の妻だ。


「申し訳ありませんが、主人はもう、そのことは話したくないと。見たことに対する恐ろしさもですが──共に行った仲間が帰らぬことになり、とても心を痛めておりますゆえ」

 玄関口で、彼女は丁重に断りの言葉を述べた。

 それはそうだろう、と納得の沈黙が降りる。イルギネスが小さく息をつき、「分かりました。でも、一つ、お伺いしたいことがあります」と神妙な様子で切り出した。

「なんでしょう?」

「ご主人が見たのが、魔物ではなく人だったというのは、本当ですか?」

 すると、彼女は恐る恐る頷いた。

「人には間違いないようです。獅子のような金の髪に……赤黒い外套を纏い──けれどその立ち姿は、この世のものとは思えぬ、不気味な様相だったと」

「その者が、集落を?」

 イルギネスの質問に、彼女は怯えるように目を伏せる。

「仲間を消し去ったのも、その者の仕業と申しておりました。主人は、少し距離がある場所で身を潜めてやり過ごし、なんとか助かったのですが──見殺しにしたのではと、罪の意識で……」

 苦しそうに吐き出された言葉は、凍てつく刃となり、啼義の身体を頭から足元までを、一気に冷やすように駆け抜けた。



 宿を取り、部屋に入るまで、啼義は無言だった。

 男が見たのは、ダリュスカインと見て間違いがないだろう。だとしたらやはり、集落を焼き払ったのも?

<そんなことがあるのか?>

 男の妻の話では、消し去られたと思われる仲間は、一瞬で煙のようになってその者の手に吸い込まれたと言う。そういった類の魔術は聞いたことがないと、リナは言った。ダリュスカインは、魔術ではなく、何か別の手段を使ったのだろうか。だとしたら、何のために? それは、リナが察した魔の刻石の徘徊と関係があるのか。


「ちょっと分からなくなってきたな」

 しらかげが荷物をまとめながら、イルギネスに向かって声をかけた。イルギネスも「うむ」と低く唸る。

「聞いた話が本当なら、俺たちが思っている以上に事態は複雑かも知れん。だが──行動が、人のそれとは思えん気がする」

 イルギネスの言葉に、椅子に座って考え込んでいた啼義が、ハッとしたように顔を上げ反応した。

「それだ」

「え?」イルギネスと驃が、一緒に声を上げる。啼義は立ち上がった。

「人の行動……ってより、ダリュスカインっぽくないんだよ」

 彼の性格のどれほどを、自分が分かっていたのかなど見当がつかない。けれど少なくとも、無関係な範囲まで巻き込んで殺生を重ねるようなことは、彼の行動として腑に落ちないのだ。

 啼義は二人の方に身体を向ける。

「目撃された容姿は、ダリュスカインと一致する。でも」

 言いながら、脳裏にいくつかの記憶がよぎった。その会話の片鱗を集めても、彼の目指していた先はこうではないはずだと、警鐘めいた違和感が膨らむばかりだ。

「あいつは、自分が家族を失ったから、同じ思いをする人間をこれ以上増やしたくないって言ってたんだ。あるとしたら──」

 その彼が、そんな行動に出るとすれば?

 無意識に瞼を閉じた啼義の思考の中に、どこからともなく、ひとつの可能性がひらめいた。


「それはダリュスカインじゃない。姿の似た、別の何かだ」


 そう口にした瞬間──

「あっ」

 身体の奥に妙な熱がこみ上げる感覚が襲った。啼義は胸を押さえる。

「い……」

 急な胸のつかえに思わず目を閉じたはずが── そこは青空の只中だった。自分がいるさらに上空を、影のような何かが横切る。


<黒い、竜?>


 それは蒼い空を踏みにじるように旋回し、啼義を視界にとらえてめ付け消えた。


「どうした?」

 夢から覚めるように目を開けたそこに、しゃがみ込んだ啼義に駆け寄ったイルギネスの姿が映る。

 啼義は小さく呻くと、大きく息を吸って吐き出し、呼吸を整えた。胸の奥の熱は去り、身体には何の変化も起こってはいない。ただ、冷えた汗が、額から一筋伝った。

「大丈夫……よく分かんねえけど、一瞬、なんか変な気がしただけ」

 そうは言ったが、なかなか動悸は静まらない。啼義は今しがた幻のように自分が見た光景を、ゆっくりと思い返した。


 は何だ?


 見たことがある。

 そう、似たようなものを。どこで?

<黒い──竜>

 全ての光を遮るような、くらい影を纏う躯体。憎悪を剥き出しにした、狂気めいた瞳。


 ──今度こそ、お前を葬ってやる。


「あ」

 思い当たり、啼義は愕然とした。


<羅沙ラージャやしろの、淵黒えんこくの竜だ>

 祈りの間の屏風に描かれていたそれと、今しがた脳裏に映し出された竜の佇まいが重なる。あれは、レキが探し出した古い記録に残された図案などを元に、描き起こされていたはずだ。


 屏風の周りに描かれていたのは、燃え盛る炎──

 

「まさか」

 狼狽が、声に出た。

「啼義?」

 まるで意識がどこかへ持って行かれたかのように空を見つめる啼義の肩を、イルギネスが揺する。啼義は答えない。

「啼義っ」強く呼び掛けられ、啼義はやっと我に返った。「え?」

「大丈夫か?」

 驃も、心配そうに覗き込んでいる。

「あ、ええと」

 啼義は二人の顔を交互に見つめ、自分が行き着いた答えを否定しようと首を振ったが、行動とは裏腹に、確固たる形になって、精神の深い場所に根を張ろうとする。

 胸に収めるには耐えられなくなって、吐き出した声が震えた。

「集落を焼き払うほどの威力の炎を操る存在なんて──まるで、淵黒の竜みたいじゃないか」

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