北へ 2

 男ばかり三人での旅から帰還した、翌日。

 啼義ナギは朝の鍛錬を終えてひと休みすると、イルギネスに声をかけて、港へ向かうことにした。海に落ちた時に借りた服を返しに、朝矢トモヤが乗る羅真丸を訪ねるためだ。

 朝矢は返さなくていいと言っていたが、啼義は単純に、彼に会いたい気持ちもあった。

「もう少し、休んだほうがいいんじゃないのか? 足の怪我だってまだ多少痛むだろう。しらかげにも、容赦なくしごかれたあとだし」

 イルギネスは、鍛錬で新たな痣を作っている啼義を心配したが、彼は首を振る。

「大丈夫。このくらいなら多分、動いてても今日中に回復する」

「そうか」

 穏やかに微笑んだ啼義を、イルギネスは眩しげに見つめた。

<なんだかここ数日で、すっかり逞しくなったな>

 瀕死の状態で助けた時、自らの置かれた状況に戸惑い打ちのめされていた啼義の姿が、瞼の裏をよぎった。あれから半月ほどだが、目の前の青年は今、困難を乗り越えようと、強い意志で着実に前を向いている。



 啼義とイルギネスが羅真丸が停泊している波止場に着くと、ちょうど舳先を掃除していた朝矢が二人を見つけ、頭上から大声で呼んだ。

「啼義っ!」

 嬉しそうに手を振る幼馴染みに、啼義も手を振って答える。朝矢は「今行くから、そこで待っててくれよな」と言うや否や、ひょこっと姿を消した。

 ちょっとの間があって、船と波止場の渡し板に姿を現した朝矢が、駆け足で向かってくる。

「服を返しに来たんだ」

 啼義の言葉に、朝矢は「いいって言ったのに。律儀だな」と白い歯を見せて笑い、続けた。

「どっちにしろ、俺ももう一度会いたかったから嬉しいよ」


 朝矢の誘いを受け、またしても、甲板で木箱を卓がわりにした簡素な茶会となった。明朝に船出が控えているせいか、前回来た時より、船内は少し慌ただしい。

 ほどなくして現れたのは、船長のデュッケ・アドスだ。彼は、和気藹々と大きな薬缶やかんで茶を注ぎ合っている三人をぐるりと見渡し、不意に、秀麗な顔に不釣り合いないかつい表情を浮かべた。

「おい、朝矢! 掃除は終わったのか?」

 相変わらず怒号のような勢いで問われ、思わず息を呑んだ朝矢と啼義だったが、デュッケ・アドスは翠色の目に楽しげな光を浮かべ、「なんてな! ようこそお二方!」と豪快に笑った。

「よっしゃ。俺も少し混じろうかな」

 彼はイルギネスの隣にどっかりと胡座を組む。

「よう、また会えたな船長」イルギネスも嬉しそうだ。

 デュッケ・アドスは自分で空の銅製のマグカップに茶を注ぐと、一気にグビグビと飲み干した。

「ああ、美味いな! ちょうど休憩したかったんだよ」

 そのまましばらく、他愛もない、しかし啼義にとっては未知の航海話に花が咲いた。羅真丸は、このエディラドハルドの大陸周りと、周囲の島々に物資を運んでいる。ミルファは大陸の少し中に入った湾の突き当たりに位置し、湾を出て東へ回るか西へ回るかは、その時によるそうだ。

 啼義がふと、尋ねた。

「イリユスにも、行ったことがあるのか?」

 朝矢は「うん」と頷く。

「いいところだぞ。気候も穏やかだし、羅沙ラージャのような厳しい寒さとは無縁だ」

 朝矢の褒め言葉を受け、イルギネスが得意げに付け足す。「酒も食い物も美味いぞ」

 デュッケ・アドスも続いた。「いい女も沢山いる」

 その言葉に、イルギネスと朝矢が「いやあ、間違いない」と合いの手を入れて盛り上がりだしたので、啼義は呆れながらも、どこかでほっとした。

「そうか」

 啼義は空を見上げて、まだ見ぬイリユスに思いを馳せた。もし辿り着けたら、おそらくそこが、自分の新たな居場所となるのだろう。果たして何が待ち受けているのか──不安は尽きないが、そう聞くといくらか楽しみな気もする。

「イリユスに立ち寄ったら、ぜひ訪ねてくれ。船着場に連絡所があるから、そこに言付けてくれればいい」

 イルギネスが当たり前のように彼らに告げる様子に、啼義は、昨日のイルギネスの言葉を思い出していた。


『大丈夫だ。強く信じるんだよ。いつだって思いの強さが、困難を打ち破るんだからな』


<大丈夫>

 きっと、切り抜けられる。

 そうしてまた朝矢とも会って、こんなふうに、離れていた間の話で盛り上がるんだ。

 啼義は言葉には出さずに、心の中で強く誓った。



 別れ際、朝矢と啼義は「またな」と固く握手を交わし、互いの姿が見えなくなるまで、何度も振り返っては手を振り合った。いよいよ最後かと思った時、朝矢が叫んだ。

「啼義ー! 頑張れよーっ! 俺、祈ってるから!」

 反射的に息が詰まって、啼義は胸を押さえた。それをグッと飲み込み、半ば強引に笑顔を作って振り返る。

「お前もな!」

 朝矢が拳を掲げ、啼義も同じように応えた。その手を開き、今一度大きく振る。朝矢が、まるで何かを受け取るように開いた手のひらをひと振りしたのを見届けると、啼義は身を翻し、イルギネスの瞳をしっかりと見つめて言った。

「行こう。俺たちも進まなくちゃ」

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