出会い 3

「お、ちょうど良さそうだな」

 部屋に戻って来たイルギネスは、ひと通り身だしなみを整えてベッドに戻っている啼義ナギを見て、前の椅子に腰掛けると、満足そうに言った。

「……うん。まあ……」

 言われた本人は、どうもしっくりこいない様子だ。上体を起こしてはいるが、まだ本調子とは言えない。この場の雰囲気が慣れた空気と違うことも、彼を困惑させていた。日が出ているせいもあるだろうが、秋らしい気配のあった羅沙ラージャの地域とは違う、長袖を着るにはいささか暑いくらいの気候。

「ここは、どこなんだ?」

 思わず尋ねていた。先ほど啼義が投げた果物ナイフで、テーブルの上にあった林檎の皮を剥き始めていたイルギネスは、「ああ、そっか」と呟き、手を止めずにこう続けた。

「ダムスの街だ。俺は、もう少し北の方からここを目指して南下してきてたんだが、途中、お前がぶっ倒れてたんで、担いできたわけさ」

「は?」

 啼義は驚いた。街の名前に覚えがないのはもちろん、さらっと言ってのけたが、倒れていたから担いでここまで来た、だと? 旅の荷物もありながら、人一人担いで歩くのには、相当の労力を要したことだろう。

「全く……覚えていない」

 イルギネスは「そりゃそうだろう」と笑った。

「死んでるのかってくらいの昏睡状態だったからな。それにしても重かった。お前、見た目より筋肉質なんだな」

 言われて、啼義はまた赤面した。自分はこの男に、初対面からどんな姿を晒したのか。

「ははは。まあ気にするな」イルギネスは人好きのする笑顔で言ったあと、「ところで」とふと神妙な表情になって、啼義を見つめる。啼義も、イルギネスを見つめ返した。今まで出会ったことのない、深い青の瞳──

「魔物にでも襲われたのか? 茂みの中なんかに倒れこんで、運が悪けりゃ、誰にも発見されずに逝ってたかも知れんぞ」

 心配したんだぞ、という感情がその目に浮かんでいる。啼義は、また胸の奥が震えるのを感じた。自分の最後の記憶と今の状況が、あまりにかけ離れていて、どこまでが本当だったのだろうという思いに駆られる。

「……うん」やっとそれだけ答えた。

「他に、仲間とか……家族は? 一人でいたのか?」

「……」

 言葉に詰まり、啼義は俯いた。

「いや、いい。今はとにかく、回復することを考えよう」

 イルギネスは柔らかく微笑んだ。思えばこの男は、先ほど自分にナイフを投げられたというのに、まるで気にしていないのだろうか。

「なんで……助けてくれたんだ?」

「え?」

「その……得体も知れないのに……放っておこうって、思わなかったのか?」

 啼義の問いに、イルギネスは手を止めて不思議そうな顔をした。

「そりゃあお前、生きてるのを見つけちまったからには、見捨てて行けんだろう。旅は道連れってやつさ」

 そして、屈託のない笑顔で言った。

「大丈夫だよ。獲って食ったりしないから」

「そ、そういう心配は……してねえけどっ」啼義は慌てた。自然に、信用を宣言しているような流れになっている。

「まあ、思ったより怪我の治りが早いみたいで安心したよ。拾った時は、かなりズタボロに見えたからさ」

「──」

 治りが早い、の言葉に、無意識に身体が強ばった。今も全身のあちこちが痛むが、見る限り致命傷なほどのものはない。あれだけ出血していたのに。いや、思い違いだったのだろうか。

 その時、鼻を突く匂いに気づき顔を上げると、自分の足先の向こう、部屋の隅に置いてある黒っぽい塊が目に入った。

<あれは>

 間違いない。かつて自分が身につけていた装備品だ。それは確かに、血と泥にまみれて、正視するのを躊躇ためらうような猟奇的な状態だった。

<夢じゃ……ねえんだ>

 背中を、冷たいものが走った。やはり、あの戦いは現実だったのだ。どうしてか分からないが、とにかく自分は一命を取り留め、今ここにいる──たった独りで。

「ああ、とりあえずさ。無断で捨てるのも悪いと思って。服はもう無理だが、肩当てとか剣とかは、汚れも落ちたし、大丈夫そうだぜ」

 イルギネスが言った。啼義は黙って、イルギネスに視線を戻す。を身につけていた自分を、何の躊躇もなく担ぎ上げてきたのか。普通は厄介ごとに巻き込まれることを恐れて、放置しておくのが妥当と思うところだ。この銀髪の男──見た目は柔和だが、存外、肝が据わっているのかも知れない。それとも、少し感覚がずれているのか。そんなことを考えていると、イルギネスが口を開いた。

「お前、行くあては?」

 突然聞かれて、啼義はまた言葉に詰まる。行くあてなど──「ない」。

「え?」

「よく、分からないんだ」正直な気持ちだった。

「──そうか」

 イルギネスは、皮を剥き終わった林檎と果物ナイフを皿に置くと、腕を組んで天井を仰ぎ、少し思案した。しかしそれはほんのひと時で、「うむ」と納得したように頷き、啼義の黒い瞳を楽しげに覗きこむと、こう言った。

「じゃあ、俺と一緒に来るか」

「えっ?」

 突然の提案に、啼義は目をしばたたかせた。

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