旅行者のワルキューレなんだけど、どうしてこうなった

ぽてち

第1話「ワルキューレヒルト」 

所は神界アスガルズ。

最高神オーディン様率いるアース神族の世界。

但し神の世界と言っても、最高神オーディン様の趣味なのか、風景は人間界と変わり映えしないと思う。



「私の名はヒルト。

 ワルキューレ戦乙女の一人、アース神族の末席に位置する者の筈なんだけどねぇ」



思わず溜息が出る。



「おお―――い、お姐さん、こっちの席、蜂蜜酒ミードのお替りだ――――」



今宵も酔いどれ達が、大声を張り上げ大酒をあおっている。


そんな彼等は客ではない。


戦死した勇猛な戦士たちの魂は、ワルキューレ達によって選別されたエインヘリヤルに任命される。

つまり彼等は次のラグナロク神々の黄昏に備え、戦場から集められたエインヘリヤル神のための戦士達だ。


オーディンの居城ヴァーラスキャールヴ城が位置するグラズヘイムに建てられた『戦士の館ヴァルハラ』で日々戦闘訓練に励む。

そして戦闘訓練が終わり、一日の疲れを蜂蜜酒ミードで癒す。


そこまでは良い。

オーディンの敷いた制度に文句の付け様は無いと思う。


しかし私にはストレスが溜まりに溜まっている。

いや、溜まり過ぎて爆発寸前といった所。


エインヘリヤル神のための戦士達のために、ウエイトレスの仕事に廻されて1000年あまり。


地上の人族の社会は文明度が変わって、バイキング達が戦わなくなった。

粗野だけど勇猛な戦士ともいえるバイキング達は時代と共にいなくなってしまった。


もう1000年ほどだろうか、エインヘリヤル神のための戦士達は増えていない。

ハルマゲドン同様、いつ訪れるのか解らないラグナロク神々の黄昏を待つ神のための戦士達エインヘリヤル

今やエインヘリヤル神のための戦士達の世代交代が起こらなくなった。

中には年老いて介護が必要なエインヘリヤル神のための戦士達まで出始めている。

エインヘリヤル神のための戦士達というシステム自体が、時代にそぐわなくなったんだと思う。


そんな退役しても良さそうなエインヘリヤル神のための戦士のための介護施設も新設された。

しかし認知症でボケたエインヘリヤル神のための戦士達は、いつまでも戦士気分は抜けていない。

彼等は昔話に花を咲かせ、大酒をあおり、酔って気勢を上げる。




なんでワルキューレ戦乙女がウエイトレスなんかしてるかって?

ワルキューレ戦乙女にも仕事の分担が有るの。


戦場では、エインヘリヤル神のための戦士を選ぶ担当員と、それをガードする戦闘員2名のスリーマンセルで仕事に当たる。

この時、戦士の魂を選別して戦士の館に連れ帰るのも私達輜重輸卒部しちょうゆそつぶの仕事。


戦闘力に優れたワルキューレ戦乙女は、戦闘部隊のワルキューレ戦乙女に配属される。

けど、私のように戦闘力に優れていないのは、輜重輸卒部しちょうゆそつぶに所属させられる。

だから輜重輸卒部しちょうゆそつぶは、戦闘部から戦えない奴と軽蔑される。


「愉快だね 愉快だね 輜重輸卒しちょうゆそつが戦士なら 蝶々トンボも鳥の内 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱に花が咲く」って歌があるくらい。


輜重輸卒部しちょうゆそつぶワルキューレ戦乙女は、戦士の館でエインヘリヤル神のための戦士達の世話もしなくちゃならない。

そんな仕事の一つがウエイトレスだったりする。

そればかりか、介護師の仕事まで発生するようになった。


そんな事だから、私達を神族のワルキューレだと思わない奴が多くなる。




改めて言うけど、そんな状態が1000年ほど続いてる。


こんな職場をブラックって言うんだっけ?

もう本気でやってられないってぇの。






「もう、この仕事辞めたいんですけど」


「ヒルト、気持ちは解るけど私達も神族の一員だから」



同僚のワルキューレが慰めてくれる。

しかし、何とかしなくちゃ永遠にこのままだっちゅうの。

仮にも神族の一員だから死ぬ事はないけど、永遠にお先真っ暗なのは確かだ。

ウエイトレスは、しもの世話までせにゃならん老人介護の仕事より若干マシかもしれないけど。



「おお―――い、お姐さん、こっちの席、蜂蜜酒ミードのお替りだ――――」



またまたかかる酔っぱらいの能天気な声にカチンと来た。

持っていたトレイをカウンターに叩きつけ、踵を返す。



「い―――や、もう耐えられない。

 私は上司に直談判に行って来る。

 待遇改善が成されなければ、私は絶対に退職するのだ!」



私は辞職届を持って、上司のルデグスタ課長の部屋へ突貫する事にした。





  ☆





私は上司の部屋のドアを乱暴にノックして突入する。


室内には書類仕事に追われている上司、ルデグスタ課長の疲れた顔が見える。

しかし、今更上司の機嫌伺きげんうかがいなんてする気もない。

デスクの前にツカツカと歩み寄り、バシンと辞表を叩き付けた。


「ヒルト、これは何ですか?」


「辞職願です。ルデグスタ課長」



ルデグスタ課長はワルキューレ輜重輸卒部しちょうゆそつぶ、エインヘリヤル福利厚生課担当部署の上司だ。

一見して40歳台に突入したお局様ってな空気をまとっている。

ワルキューレは全員が女性だから、仕方が無いっちゃ仕方が無い事だが。


手不足の折、辞職願届けを見て非常に嫌そうな顔をする。


細面で金髪碧眼のルデグスタ課長は美人の部類に入るだろう。

それが今正にポパイのような苦虫を噛み潰した表情をしている。

ルデグスタ課長は理由を聞かずとも、私の気持ちは既に解っている様子。


つまり、こういうパターンは私が初めてじゃないって事だな。



「せめて交代要員が出来て引継ぎが終わってからにして欲しいけど」



ブラックな職場じゃ新神しんじんもあまり来ない。

そもそも戦わないワルキューレになりたい新神しんじんもいないのだ。


ワルキューレだって戦いに花があるから、人気もあるし歓迎される。

しかし人間界では暫く戦争など起こっていない。

戦闘部のワルキューレは余り気味になっていて良いはずだ。

それでもブラックな輜重輸卒部しちょうゆそつぶを希望する者はいない。



「ルデグスタ課長、そうは言いますが、新神しんじんだって長い事入って来ないじゃないですか」


「ヒルトの気持ちも解らんじゃないけど、手不足を補えない以上、こちらも辞表を受け取る訳には行かないのよ」



だからブラック企業では、強引にでも引止めが来る。

時には給料カットという手段や、同僚達による引き留め工作。

上司手ずから飲みに誘って愚痴を聞いて宥めてくれたり、色んな手練手管が用意してある。



「ヒルト、あなたは疲れているようだから、長期休暇くらいは承認しようじゃないか」



やっぱり辞職は認めてくれないようだ。

人族と違って、神族は融通が利かない。

何年の長期休暇をもぎ取れるのか判らないけど。



「ヒルトの代わりを至急入れなきゃならないようね」



ルデグスタ課長は深い溜息をつく。

私の穴埋めの交代要員を戦闘部から、廻してもらえるよう交渉してくれるらしい。


ただし、


普通に頼んでも辞表を出しても誰も応じないだろ。

だから卑怯とも言える手段に訴えるつもりのようだ。


裏から個人情報を入手して、弱点を掴んで囲い込むとか、脅すとか。

戦闘部の上司に手をまわして肩たたきをしたり、迫害を掛けたり。


実は私もそれで輜重輸卒部しちょうゆそつぶの取り込みから、逃げられなかった過去がある。

ブラックな部署は神といえども悪辣なのだ。


ルデグスタ課長の言う言葉には罠がある。

今だって私に長期休暇の許可を出した訳じゃない。

あくまでも申請すると言っているだけだ。

まだ長期休暇が確定した訳じゃない。


正直、悪魔より悪どく酷いんじゃないだろうか。

悪魔より悪い神族の罠に嵌められれば、ブラックな職場から逃げられない。


さすがに今、タコ部屋は無いけど。

ブラックでも奴隷ではないのだ。

いや、奴隷階級と実質変わらないのかも。

曲がりなりにも神族なのに。





  ☆





ルデグスタ課長の申請書類は、最高神オーディン様の決済に委ねられた。


いくら神と言っても統治者である。

だから最高神といっても、神々の長にはそれなりにデスクワークが課せられるようだ。

毎日上がって来る大量の決済書類に目を通し、可否の採決を下す。

そしてアース神族、神々の長オーディンは神族に方針を決定し神々に通達をまわす。



「儂は働きたくないでござる」


「オデンみたいな事言ってないで真面目に取り組んで下さい。オーディン様」



最高神オーディン社長は鍔の広い帽子を被った眼帯の老人だ。

室内にいる今は帽子を脱いでいるが。


彼は片目を代償としてユグドラシルの根元にあるミーミルの泉の水を飲んで知恵を身に付け、魔術を会得した。

また、ルーン文字の秘密を得るために、ユグドラシルの木で首を吊り、グングニルに突き刺されたまま、9日9夜、自分を最高神オーディンに捧げた。つまり自分自身に自らを捧げる荒行をこなして来たという究極のマゾヒストかも。この時は縄が切れて命が助かったらしい。

この逸話に因んで、オーディンに捧げる生贄は、首に縄をかけて木に吊るし、槍で貫く伝統が生まれたという。


そんな主神オーディンは、神々の世界アスガルズにあるヴァーラスキャールヴという城に住み、

フリズスキャールヴという玉座に座り、世界を見渡している最高神なのだが、奇行癖があるようだ。



「また輜重輸卒部しちょうゆそつぶの長期休暇願いが出ているようですが」


「む―――――――――――」



オーディンはデスクの書類から顔を上げ、千里眼で事の一部始終を見通した。



「あ―――――。だいぶ溜まりきっているようだの」



神族の者だから過労死というのは無いだろう。

しかし、いくら神族とはいえ、無限の忍耐力は持ち合わせていない。

仏様でも三度までの忍耐力しか無いようだし。

ヒルトは1000年もよく頑張ったとしか言いようが無い。



「ん―――――。仕方ない、長期休暇を認めよう」



いくら神族の者といっても、精神のリフレッシュは必要だ。


このままでは精神が擦り切れて精神を病むかもしれない。

鬱病にでもなられたら処置無しである。

代替えの利く材は無限にいる訳じゃない。

ワルキューレ戦乙女だって有限の材なのだから。



「では、そのように通達を致します」


「ん―――――。それは良いのだが、何故この案件を総務部や人事部に回さんのだ?」


「ルデグスタも待遇改善を暗に訴えているのだと思いますよ」



鋭いツッコミに返す言葉が無いオーディン。

寿命が無いに等しい神族は出生率が低く、手不足に悩まされているのだ。

ましてや学究肌のオーディンは、ゼウスのような楽天的な精力家でもない。



「あ―――――。またワルキューレが一柱ひとり冒険の旅に出るのか」


「単なる長期休暇ですよ? オーディン様」

「まさか、頭の中で音楽鳴ってませんよね?」



最高神付きの部下達は、永い宮仕えでオーディンの考える事はお見通しのようだ。






かくして私の辞職願いは却下され、代わりに長期休暇が認められた。


長期休暇の許可が出たとしても、神族のワルキューレ戦乙女が寝て過ごすというのは考え難い。

ある程度疲れを癒したら、旅行にでも行って精神的なリフレッシュを計画する。

大体人間でもそういうパターンを踏襲するから、今回もそうなるだろう。

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