第154話 AWARDS

 11月末、本年度のNPB AWARDSが東京にて行われた。

 今年のプロ野球を代表した選手たちを表彰するものであるが、それよりも直史周りの話題が大きい。

 上杉が墜ち、大介が渡米したこの年、間違いなく日本プロ野球界の主役は佐藤直史であった。

 それがまたもポスティング移籍。


 昨今の選手はちょっと成績を残すとすぐにアメリカに行きたがる、と囀る老害がいる。

 確かにそれで全く通用しなければ、帰ってきたときに笑えばいいのだ。

 だがここでもうやるだけのことは全てやってしまった人間が、同じ舞台で何をするのか。

 西郷にだけは、何かを言う資格がほんの少しあるかもしれない。

 だが一本のホームランだけを盾に何かを言うほど、彼は恥知らずな人間ではない。

 薩摩人という生き物である。


 直史は法の守護者である弁護士でありながら、やたら反体制的だとかレッテルを貼られることが多い。

 甲子園で永遠に残る記録を残しながら、プロには目もくれず大学へ進学。

 そして大学でも永遠の記録を残しながら、プロには目もくれず勉強。

 野球よりもとにかく、勉強を優先する学生であった。

 大卒で本当にプロ志望届を出さず、完全に野球の世界からは離れたかと思われた。

 そこから急にプロに入って、これまでのブランクはなんだったのかと、並み居るプロのバッターを全て封じつくした。


 大介は13打席で13打数勝負してもらい、たった一本のヒットを打っただけ。

 あの天才が全く手も足も出ないという時点で、完全に野球の世界を甘く見ていたと言うか、下に見ている雰囲気はあった。

 もっともこの、完全にアウトロー的な道をたどりながら、それでも最強であるピッチャーは、多くの新しいファンを招き入れた。

 レックスの人気は急上昇し、樋口や武史、西片、金原に佐竹などなど、他の選手のグッズもどんどんと売れるようになった。

 完全に合法的ではあるが、なぜかアウトローの雰囲気を持つ男。

 それが佐藤直史である。


 


「なあ、レックスってどうしてアウトローの雰囲気があるんだと思う?」

「俺のせいにしたいのか?」

 心温まるバッテリーの会話であるが、その因縁ももう長くはない。

 樋口が入って武史が入って、レックスはその球界内での立場を上げた。

 それはシンプルに、強いということだ。

 直史が入団するまでも、ペナントレース自体では、三年連続の優勝。

 もっともクライマックスシリーズで、二年連続でライガースに下克上を許していたが。


 短期決戦はピッチャーが強くないと勝てない。

 まさにそれを証明したのが直史である。

 日本シリーズ一人で四勝。

 昭和の時代ではないのだ。


 あの頃のピッチャーは戦争の空気を知っているだけに、本当に強かったと言われる。

 だがそれと比較しても、直史は特別すぎる。

 27勝という、年間無敗としては、上杉の記録を本年更新。

 野球のシステムが変化していく中で、一人だけ半世紀前の野球をしていた。

 そしておそらく、もうこの記録を塗り替えることは出来ない。

 野球というスポーツが、ルールの根底から変化でもしない限り。


 当たり前のように、シーズンMVPに選ばれる直史。

 ベストナイン、ゴールデングラブ、日本シリーズMVP。

 また既に数字で出ているので当然だが、各種タイトル。

 これまた既に選ばれているが、沢村賞。

 他にはリーグ特別賞や、正力松太郎賞なども選ばれている。

 予想していたよりも、これでインセンティブは多くなった。


 直史は基本的に、イグノーベル賞などのブラックジョークの利いたもの以外は、表彰などは好きである。

 特に金銭が加えられていると、頑張ったなと自分を誉めたくなる。

 ただ今年はやりすぎたせいか、他のチームの選手がなかなか近寄ってこない。

「ナオ兄」

 ファルコンズの淳のような身内は、さすがに別であるが。

 今年のパの中では、こっそり最高勝率のタイトルなどを取っていた。

 よくもあの打線の援護で、取れたものである。


 色々ともらいすぎて、本当にピッチャーはもう、直史一人でいいのではないか。

 昭和の野球のような使い方もされて、人間をやめた領域にいるとさえ思われる。

 本人は単純に、頑張っているだけなのだが。




 この場において、直史はスピーチを求められている。

 本当にこいつに喋らせて大丈夫なのか、と思う人間も少なくはない。

 だが安心していい。

 直史は空気が読める男だ。

 読んだ上でぶっ壊すことも多いが。


「本日はこの盛大な場において、スピーチの機会を与えられて、まずは感謝をいたします」

「私、佐藤直史は今季、日本プロ野球のシリーズにおいて、様々な栄誉の賞を受ける幸いに恵まれました」

「ここで私は今、幸いと申し上げましたが、これは謙遜でもなく、心から正直に出た言葉であります」

「もちろん人間は努力や才能、そして正しい訓練によって、その肉体的、精神的技能を高めることによって、世の中にその姿を見せることがあります」

「また学究的な分野や職人的な分野では、日夜その学問や技術の研鑽にいそしみ、まだ成果を得ていない人もいるでしょう」

「私が言いたいのは、あなた方がまだ栄誉を得ていないのは、運のめぐり合わせにより、その時を得ていないということです」

「野球というこの競技において私は小学生のときに出会い、中学生のときにもプレイしておりました」

「しかしご存知の方もいるかと思いますが、過疎化の進んだ学校では公式戦未勝利」

「それが私の中学時代の野球でした」


 その時代のこいつと戦っておきたかったなあ、と遠い目をするプロたちであった。


「私が胸を張る成績が収められるようになったのは、人との出会いという運があったからです」

「運があればどうにかなるわけではない。ただ運が回ってくるまでは、その真価を発揮する舞台にはならない」

「そしていざその時がやってきたなら、今までに研鑽した全てを、そこで発揮するべきです」

「ここにいる皆様方は、既に研鑽をし、さらに研鑽をし続ける人々で、またこのスピーチを聞いておられる方もいるでしょう」

「そのような方に伝えたい。今やっていることは無駄ではないのだと。そしてやろうかどうか迷っているのなら、その迷いを捨てて進むべきなのだと」

「今そこに選択肢があるのは幸運であると考え、その道を進むべきなのだと。やらない理由を見つけるのではなく、ただ少しでも前に進むことが本当に大事なことなのだと、それだけは忘れないでほしい」

「最後に、このような機会を与えていただいた日本プロ野球界とそのスポンサーの皆様に感謝を述べ、スピーチを終わらせていただきたいと思います」


 頭を下げた直史に、思ったよりも多くの拍手が送られた。

 いや、その拍手はかなり大きなものであった。

 このスピーチをテレビで見たナオフミストなどは、思ったものである。

「大サトーってけっこうまともな人間なんだな」と。

 だまされてるよ、君たち。




 偽善者。

 直史はその言葉が嫌いではないし、そう呼ばれることで怒りを覚えることもない。

 しかし嘘はいけないな、と思っている。

「お前の倫理観的に、あのスピーチはどういう折り合いをつけて考えてるんだ?」

 もはや瑞希の次ぐらいには直史を理解している樋口は、そんなことを言った。

 彼もまた今年も、ベスト9とゴールデングラブには選ばれている。

 打者としては首位打者だ。


 直史は好きな言葉がある。

 社会的幸福の最大化、というものである。

 ぶっちゃけ人間は、前向きに生きているだけでそれなりに幸福になれる。

 幸福とは比較ではなく絶対値だからだ。

 あの犯人が幸福な人間であれば、イリヤは死ななかった。

 その後の犯人の背景を調べて、アメリカでは報道されているのだ。


 樋口は政治によって、幸福を願う。

 野球は彼にとって方便でしかない。

 直史は法によって、幸福を願う。

 野球はやはり、手段に過ぎない。


 だが野球は、与えてくれたものが多すぎる。

 法曹の道に進むべきだと思ったのは、瑞希との出会いがきっかけであった。

 そして瑞希と出会ったのは、野球がそのきっかけだ。

 真琴の命を救ったのは、野球で稼いだ大介の金だ。

 そしてこの二人と違い、経済原則で幸福を追求するのがセイバーである。

 それぞれ野球を道具としか考えていない三種類の人間。

 だがその三種類の人間を結びつけたのは、道具でしかないはずの野球なのだ。

 

 道具の価値は、実は使う人によって決まるのだろう。

 つまりはそういうことだ。




 直史はイメージ戦略に理解がある。

 そして本人的には、常識がある。

 確かに達成している成績が非常識なだけで、犯罪につながるのではというような非道からは離れた存在である。

 まあ一定以上の犯罪を犯してしまうと、弁護士資格が止められるので、そこは慎重で当たり前なのだが。


 努力した者が全て報われるわけではないし、報われるべきだとも思わない。

 ただ努力や、新しい道に踏み出す勇気が否定されてしまうと、直史としても困るのだ。

 アメリカの成功への同調圧力もすさまじいものであると聞くが、今の日本人は全体的に、逆に上昇志向がなくなりすぎていると思う。

 安定志向が強すぎると、一部の人間がリスクを負いすぎてでも、社会を引っ張っていかなければいけなくなる。

 プロ野球選手になりたがる子供が減ったりしているのは、その不安定さへの認識が高まっているからだ。


 実のところ大学に進んでからプロ入りしたりするのは、引退後の経歴としては重要なことなのだ。

 かつてプロ野球がもっと盛んであったころに経験した人間が指導者となると、自分たちの時代のやり方でやってしまう。

 そんな時代錯誤なやり方を今でもするから、人気自体がなくなっていく。

 それでもまだ野球は、特に高校野球は、甲子園があるだけに人気の低下はあまりないのだが。

 一時期注目された大学野球は、直史たちの卒業と共に、一気に人気は鎮火した。

 今はまた小川がいることで注目されているが、それでも甲子園を頂点とする高校野球の比ではない。


 直史が野球界の人間に言いたいことは、結局一つだ。

 もっと野球以外のこともやらせろ。

 人間は価値観の軸を複数持たなければ、一つだけでは不安定なのだ。

 むしろ一つのことにこだわりぬくことを、日本は美徳とする傾向がないわけではない。

 だが人生においてはリスク管理は大切なのだ。

 特殊技能が一つだけでは、それが失われたときに、単純労働だけしか出来なくなる。

 直史のような例はさすがに、人間性能のレベルが高すぎるだろうが。


 下手に実家に戻ると、マスコミがついてくる。

 本当にああいった連中はしぶとい。まだ会社に紐付いている人間はいいのだが、フリーの記者などは会社からの制約がない。

 なので断絶は諦めて、選別する。

 芸能事務所や、あるいは瑞希とつながりのある出版社など。

 やはり人間は一人では集団に対応するのは難しく、直史の持つ才能であっても、それは極めて限定的なものなのだ。


 たった一人の人間の影響力という点では、イリヤはやはり凄かったな、と思う直史だ。

 彼女の音楽はその場にいた人間を、失神させるほどの武器になった。

 それだけに魅了されて、彼女を手に入れようと歪んだ人間が生まれ、その手によって殺されてしまったわけだが。

 たとえそれが大統領であろうと、一人の人間が世界を変えていいわけはない。

 イリヤは下手をすると、宗教の教祖のような立場にさえなったはずだ。




 東京にいる間に、出来ることはしておかなければいけない。

 レックスはなんだかんだと言いながらも、直史を売り飛ばした金でホクホクである。

 確かに直史の年俸が三年で3000万ドルなのに対し、レックスが受け取った移籍金は5000万ドル。

 これでいくらでも補強は出来る、と思っているのだろう。

 そもそも直史は既に来年29歳のシーズン。

 二年間で二度の優勝を運んできてくれたと考えるなら、これも悪くはないはずなのだ。


 樋口とはAWARDSの後にも会った。

 彼もまた今年の成績で、かなりのインセンティブが発生したのだ。

 そもそも基礎となる年俸が、直史よりも高い。年季が長いので当たり前だが。

 インセンティブが7000万円発生。

 契約更改で五億を超えた。 

 元々それぐらいはもらってもおかしくない成績なのだが、直史が抜けたこととポスティングの金が大きかったのだろう。


 レックスはライガースと違って、親会社の資本がそれほど大きくない。

 また親会社の資本と言うなら、スターズと比べてもそうだ。

 しかしこの数年のペナントレース連覇、そして二年連続での日本シリーズ制覇は、球団の財政状況を大幅に黒字化させている。

 直史の力は確かに大きいが、中四日で投げても先発ピッチャーは年間30試合程度まで。

 やはり野手のスタープレイヤーは必要で、それが樋口であり、またベビーフェイスの小此木であったりするのだろう。

「先発が一枚抜けるぐらいなら大丈夫か」

「分かってて言ってるのか? お前が抜けるのはセットアッパーも二枚抜けるのと同じぐらいの意味がある」

 直史はほぼ完投をする。

 つまり最近では七回まで投げれば充分な先発にプラスして、セットアッパーとクローザーの役目も果たしていたのだ。

 先発の役割は近年では、完投はもうあまり重視されない。

 ただMLBに比べると、日本の先発はかなり恵まれていると言えよう。

「嫁と娘に会いにくいのは辛い」

 ここは素直な直史であった。


 NPBの場合はたとえば広島に遠征に行くにしても、そこで投げるローテでないのなら、先発は東京に残ったままあであることが多かった。

 シーズン後半や、順位の入れ替えがある時は、少しエースクラスに無理がかかっていたが。

 MLBの場合はチームとほとんど帯同する。

 一度遠征に出れば、ビジターでの試合が長く続くからだ。


 もちろん練習はするが、調べたところMLBの先発ピッチャーは、かなりシーズン中の練習の負荷を弱めている。

 ポストシーズン進出のために、倒すべきチームをしっかりと倒さなければいけないのだ。

 大介の試合などを見ていても驚いたが、同じチームと何度も戦う。

 それはNPBでも同じことだが、MLBの場合は30もチームがあるのだ。

 全く戦わないチームもかなりある。

 その中に大介の所属するメトロズも含まれていたりするのだが。


 セイバーの手配によって、大介はメトロズに、直史はアナハイムに所属することになった。

 このあたりのことを、彼女は考えていたのだろうか。

 二人が対決するとしたら、それはオールスターかワールドシリーズとなる。

 確かに決戦には相応しいだろうが、162試合のシーズンの中では、直史は一人でチームをワールドシリーズまで連れて行ける自信はない。

 だが戦力分析をする限りでは、絶対に無理というわけでもなさそうだ。

 ただやはり、かなりの運が必要になる。




 ロッカーから全ての荷物を取り出し、不要な物は欲しがる人間に与えたりした。

 思えばこの二年間、神宮で試合をしてきた。

 大学時代も合わせれば、六年間だ。

 高校時代に神宮大会に来たこともある。


 大介は甲子園の申し子であったが、直史は神宮の申し子だ。

 たださすがに、これでもう神宮でプレイすることはないはずだ。

 グラウンドに一礼して、直史は神宮を後にする。


 日本からも出て行く直史に対しては、東京近辺の戦友や旧友が挨拶に来たり、逆にこちらから挨拶に行ったりもする。

 マンションも退去の準備をして、そのあたりの様々な手続きは、ある程度瑞希もしている。

 そもそも直史は、遠征に出ることも多かったのだ。

 MLBにおいてはよりその頻度は多くなる。

 年の半分がシーズンであり、そのうちの半分は遠征。

 なんとも、マグロ漁の漁師や、あるいは潜水艦乗りのような生活サイクルではないか。


 特殊な職業だな、と直史はつくづく感じる。

 MLBのスタープレイヤーが散財するのは、そのあたりのことも考えられているのかもしれない。

(アメリカではホームパーティーをするとかも聞いたしな)

 ただ日々のスケジュールを確認すると、そんなことをしている暇もないと思うのだが。


 これから引退するまでは、アメリカと日本の往復になる。

 まず自分のことよりは、先に瑞希に友人が出来るのを祈る限りだ。

 英語の練習もしっかりとしていた瑞希だが、アナハイムはそれなりに日本人もいて、インターナショナルスクールもある。

 本人はおそらく、執筆活動がメインになるのだろうが。


 東京。

 日本のこの首都にて、直史は長い時間を過ごした。

 もちろんこれからも、首都であるからには何度も来ることがあるだろう。

 だがおそらく、ここで生活するのは終わりだ。

 ただしかつて故郷から大学に進んだときのような感傷はない。

 今は郷愁が直史を包んでいた。

 日本での日々は過ぎていく。

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