第148話 ゾーン

 二回の表、レックスの攻撃は惜しい当たりもあったのだが、三者凡退で終わる。

 とりあえず言えるのは、MLBのバッターであっても、別に人外の領域にあるというわけではないということだ。

「いや、そりゃ白石があんだけやってるんだしな」

 別れ際に樋口はそんなことを言っていたが。


 直史は慎重な人間である。

 だが杞憂に溺れる人間ではない。

 そろそろ認めるべきであろう。

 少なくとも現在のMLBのレベルは、NPBより明らかに優越しているわけではないと。

(まあ世界で一番高い年俸を出すリーグなんだから、いい選手が集まるのは当然なのか)

 人は高きを求める。

 向上心と言うか、常勝意欲と言うか。

 あるいはもっと俗っぽく優越感と言った方がいいのか。


 メトロズの今日の四番は、DHで入っているシュレンプ。

 36歳の大ベテランは、情報は多く集まっている。

 問題はだから、その分析によるのだ。

 セイバーはこの試合に関しては明らかに、日本寄りと言うか直史を贔屓にしている。

 樋口に渡したデータも、完全に数値などの分析は済んでいる。

 もっともそこからさらに精査するのが、樋口のリードであるのだが。


 シュレンプ相手にまず樋口が要求したのはスライダー。

 直史は投げたが、やはり少し曲がりすぎて、シュレンプのバットが止まる。

 どうせ来年からはずっと使うのだからと慣らしてきたMLBのボールだが、やはりバランスが日本のボールよりも悪い。

 ただし使いやすい変化球も、それなりにあるのだが。


 シンカーがふわりと浮かんで、滑るように胸元に突き刺さる。

 だがこれはストライクのコールがされる。

 遅い球を内角に投げる。

 シンカーのような曲がり方をすれば、審判の目にはストライクに見えるのだ。


 パワーヒッターなのに、ちゃんとボールを選んでバットが止まる。

 ならばもう打たせて取るという方針は、諦めたほうがいいか。

(これを打てるとは思わないが)

(打てるバッターもいるかもしれないしな)

 直史としても、少しぐらいは気になっているのだ。


 MLBは全体的にピッチャーの球速が速い。

 その中では速く動く球に慣れたバッターも多いはずだ。

 シュレンプなどはその、代表的なものと言える。

 スルーであってもジャイロボールが正体なのだから、打てるバッターがいてもおかしくないのではないか。


 そこに投げられたスルー。

 真ん中高めの打ち頃のところから、下に伸びていく。

 シュレンプはかろうじて当てたが、前に飛ぶこともなく樋口のミットに。

 ファールチップである。

(当てるのか)

 直史としては、必殺技がなくなってしまった気がして、少し寂しい。


 ただこれで、ツーストライクと追い込んだ。

 樋口が決めていたのは、この球である。

(これがたぶん、MLBの右打者相手には必要な球だ)

 直史の投げたボールは、わずかに外れるアウトロー。

 しかしそれが、わずかにバックドアでゾーンに入る。

 それでも際どいところであったが、そこは樋口がフレーミングの技術を使う。

 審判はストライクのカウントを取った。

 ツーシームが上手くコントロール出来た。




「とんでもないピッチャーだ」

 見逃し三振をしたシュレンプだが、その分ちゃんと実力を把握してきたらしい。

「俺も長くメジャーにいるが、あそこにツーシームを投げ込めるやつは、たぶん五人といない」

 直史の決め球は、カーブとスルーが多いのだが。


 シュレンプはとりあえず本気になってくれた。

 彼の言葉で、他のバッターも本気にはなるだろう。

 だがそれでは足りないのだ。

 ポストシーズンの中での、己の存在を削っていくような勝負。

 アレぐらいをやってくれないと、直史相手にはかなわないだろう。

 

 そんなシュレンプから三振を奪って、ホッと一息の樋口である。

 あのコースを打っていけるなら、かなり厳しいと思ったのだ。

 だがやはりMLBの現役トップレベルでも、直史ならば通用する。

 ベテランとして実績を残していたが、直史の変化球は通用するのだ。


 五番打者はシーズン途中までは、四番を打っていたペレス。

 やや守備力は高いが、それだけにシュレンプはバッティング専念のDHということなのだろう。

(内角のストライクゾーンが狭いっていうことは、それだけ内角には投げられることは少ないか)

 ペレスは左バッターなので、また違う攻略を考えないといけない。

 だが内角のツーシームは、かなり腰を引いてしまうらしい。

 縦のカーブを使って、緩急差で見逃しの三振。

 やはり変化球のコンビネーションで、三振も取っていける。

(でも、ストレートでも三振は取りたいな)

 だが六番バッターは、ストレートを内野フライ。

 三者凡退ではあるが、三者三振とはならなかった。




 三回の表となる。

 レックスも今日はDHを使っているため、直史の打順はない。

 そして打順は、八番が山中で、九番が小此木。

 打率などの打撃指標は、小此木はそれなりに高い。

 だがラストバッターに入っているのは、出塁したときに上位打線に上手くつなぎたいからだ。

 山中の方が長打力はやや高い。

 だからこそつなぐという意識の高い小此木を、九番に置いている。


 山中は今年、西片の代わりにセンターとして出場し、守備面では充分な活躍を見せた。

 今日は肩を変われて、パットンの代わりにライトを守っている。

 打撃に関しても及第点は取っていて、30歳を過ぎてからようやく、プロの一軍スタメンという座を築いている。

 おおよそプロ野球選手を名乗って恥ずかしくないのは、年俸が3000万を超えてからだという声もある。

 実際のところはプロの金だけで食っていくのは、年俸が二億に達し、その前後もそれなりに活躍できていないと厳しいという意見もあるが。

 それは生活のレベルをどうするかという問題だ。


 山中は粘ったが内野フライに倒れる。

 そしてバッターボックスには、まだプロ二年目の小此木。

 大介の見る限りでは、小此木の持っていたのは、単純な力ではない。

 なんと言うか、運命的に愛された選手とでも言おうか。


 甲子園で活躍した選手であり、高卒で取るからには、もちろん期待はしていたのだろう。

 だが一年目から一軍でスタメンになるとは、さすがに誰も思っていないのではないか。

 クラブチームからプロ入りした山中とは、エリート度が違う。

 舗装された道を歩いてきた、と言ってもいいだろう。

 だがその舗装された道も、数多くの選手が競争をしていたものだ。

 そこで勝ち抜いたことは、己を卑下する理由にはならない。


 オットーのボールに合わせて、内野の頭を越えたところにポトリ。

 ランナーがいる状態で、上位打線につなぐ。




 小此木の欠点と言うか、もっと早くに修正しておくべきであった点というのがある。

 それは右バッターであるということだ。

 左バッターならそれでいいというわけではないが、小此木タイプの選手であれば、左で足を活かした方がいいのだ。

 だいたい俊足のバッターは、左打ちを多くしている。

 それだけ一塁への一歩が近いのだ。


 それでも今年、一番を打つことが多かった。

 西片としては一番打者を譲るのは、まだ早いかなと思っている。

 ただもう一軍に定着して、今更打席の変更は難しいだろう。

 まあ高校時代に、無理に左にしなかったというだけでもいいのか。

 やたらと左バッターやアンダースローの好きな指導者は、いまだに多い。


 今度は自分が進塁打を打って、小此木を二塁に進める

 しかしツーアウトになって、そして二番の緒方。

 打率三割に出塁率も四割近く、そしてショートを守りながら年に10本ほどはホームランを打つ。

 これもまた打撃力のある現代の二番バッターと言えるだろう。

 樋口と勝負したくないと考えたバッテリーが、無理に緒方を抑えにいって打たれる。

 レックスにおいてはよくある光景だ。

 そして似たようなものが、樋口との勝負を嫌って塁に出し、浅野に長打を打たれるというものだ。


 緒方は狙った時は長打を打つが、基本的には後ろにつなげるという意識が強い。

 高校時代には甲子園でも複数のホームランを打っているから、長打力がないわけではないのだが。

 ショートというポジションのため、変にパワーをつけるのではなく、体のバランスと柔軟性を重視する。

 同じショートに化け物が複数いることが、おそらく現在のショート観を壊しているのではないだろうか。


 樋口につなげる。

 それを第一に考えた緒方は、MLBのスピードボールに反応して弾き返す。

 素直にレフト前となった打球であったが、残念ながらランナーは三塁でストップ。

 あの肩を見ていれば、それも当然と思うだろう。

 レフトは本来、ライトほどの肩を求められるポジションでない場合が多いのだが。




 回ってきた。

 ツーアウト一三塁。単打で一点の場面。

(ホームランを打てば、まあ今日は勝つだろうな)

 たださすがに、そこまで読んで打つことは難しいか。


 一回の攻撃も得点には結びつかなかった。

 あれには正直驚いた。

 MLBのプレイには確かに雑なところがあるが、それでも通用してしまうぐらい、身体能力が優れているのだ。

 ここはワンヒットで必ず点が入る。

(そのあたりを考えて、最初はボール球から投げてくるかな)

 それを打とう。


 好球必打がバッティングの基本である。

 普段ならば樋口も、ゾーンから外れた球をわざわざ打とうとは思わない。

 だが予想してそれを打つなら、やはり好球必打の範囲内だ。

(アウトロー、ややボールといったところか)

 それをライト方向に強く叩く。

 スタンドまでは届かないだろうが、ライトの頭を越えてライン際をイメージする。


 全ては予想通りの球が来たらという話だ。

 そして実際に、その初球を樋口は打った。

 ゾーンから外れていくスライダー。

 バットのヘッド近くで打ったため、スピンがかかっている。

 着地するのを見るまでもなく、ツーアウトなので三塁から小此木が生還。

 そしてこれなら、一塁ランナーの緒方も帰れるかな、と思ったところである。


 緒方が三塁ベースを蹴る。

 足の速さは並より少し上程度だが、緒方はベースランが上手い。

 なので普通なら、これはもう一点取れるなと思って二塁にまで進んだ樋口だが、ホームでのコールはアウト。

(あのタイミングでか? どういう強肩だったんだ?)

 おそらく二塁に送られていたら、自分がアウトになっていただろう。

 もちろんそんなことをすれば、塁間にはさまれている間に、緒方がホームを踏んでいただろうが。


 MLBのフィジカルを見せ付けられた思いだ。

 バッティングは封じているし、ピッチャーへの対応も出来ている。

 だがこんなところで、明らかなレベルの差を感じる。

(ただ、これで一点だ)

 おそらくメトロズのバッテリーがこのままの組み立てをするなら、まだ追加点が取れる。

 そして点差が広がれば、ピッチングのコンビネーションはより広がる。

 素早くプロテクターをつけて、樋口がキャッチャーボックスに入る。

 メトロズには出来るだけ、思考の時間すら与えてはいけない。




 この三回の裏、メトロズは下位打線。

 ただその下位打線であっても、バッターには一発がある。

 ショートの大介が最大の大砲というのが、野球の常識的に考えればギャグである。

 しかし器用さが目立つセカンドや、守備力重視のキャッチャーでさえ、パワーは充分にある。


 当たらなければどうということもないのだ。

 また当たったとしても、それがミートされていなければ、やはり問題ではない。

 レックスの二遊間はかなり守備力があるため、ゴロを打たせてあとは任せればいい。

(カーブを軸に)

 樋口の要求に、直史は完全に応える。


 MLBのボールを使っていると、カーブの変化量にも差が出てくる。

 かつてルール改正の中で、その力を失ったカーブ。

 スプリットや新型のチェンジアップ、ムービングの中でもツーシームなど、その時代のトレンドに合った球種というのはある。

 今はそれがカーブと、高めのストレートと言われている。


 アッパースイングでホームランを狙っていく状況。

 打率が低下しても、出塁率と長打で補う。

 だがバットを下から振っていくアッパースイングでは、高めのボールに間に合わない。

 そのあたりが三振の増加ともセットになっているのだが。


 打たせて取る球であっても、強引にホームランにしてしまうホームランバッティング。

 それはMLBだけではなく、NPBでもパワーヒッターにはよくあることだ。

 ただ二冠を制したパワーヒッターの西郷は、打率でも三割は軽く超えていた。

 今のNPBの中で、一番三冠王に近いのは西郷なのだろう。




 下位打線でも危険な、メトロズの打線。

 しかしそれを、ボール球のストレートで釣って、緩急をつけて打ち取る。

 三振は取れなかったとしても、内野ゴロになってしまう打球。

 直史としてはそれで充分なのだ。


 この回もまずは二人を、内野ゴロに打ち取る。

 一つはピッチャーゴロで、直史は難なくこれをさばいた。

 ただ三人目のラストバッターは、明らかに粘ってくる。


 プロなら前に飛ばせよ、と思わないでもないが、そろそろ異常さを実感しているのかもしれない。

 まだ一人もランナーが出ていない。

 そもそもゴロしか打てていない。

 大介の打った大飛球は、ファールにしかなっていない。


 ツーストライクへ早めに追い込んでから、粘りを見せてくる。

 ボール球には釣られない。

 なんでこんなバッターがラストバッターなのかとも思うが、おそらく長打がないからだろう。

 あとは今日の打順を考えれば、大介の前にランナーがほしいというのもあるのかもしれない。

(さて、じゃあここで打ち取るか)

(そこでか? 見極めてくるんじゃないか?)

(任せろ)

 樋口のサインに、直史は頷く。

 おそらくMLBのバッターには、これは振っていけないだろう。


 アウトロー、ストレート。

 これは低いと見逃したが、コールはストライク。

 見逃し三振に思わず審判に声をかけたくなるが、これはエキシビション。

 まさかそこで審判から退場を食らうなど、恥ずかしい真似をしてはいけない。


 実際のところは審判の責任ではなく、樋口のフレーミング技術が優れているだけである。

 ミットを動かすのではなく、体を動かす。

 そしていい音をさせれば、それはストライクになるのだ。

 ロボット判定が導入されたら、ゾーンを通過したボールは全てストライクとして、むしろ野球は面白くなくなるだろう。

 直史のカーブなどかなりの部分が、ゾーンを通過していてもボール判定されるのが、今の野球だからだ。


 直史のピッチングは、対決するのはバッターだけではない。

 いかに審判を錯覚させるかも、ピッチングの技術だ。

 そもそも現役バリバリのメジャーリーガーのバッターでも、その視力がスピードボールに対応出来るのは40歳前後。

 それよりも年上の審判などであったりすると、純粋にボールを見極めることは出来なくなる。

 だがその判定が、間違っているというわけでもない。




 四回の表、レックスの攻撃は四番の浅野から。

 しかしここでメトロズ側は、ピッチャーを代えてきた。

 確かにフィールドと隣接しているブルペンでは、動きが活発になってきていた。

 だが三回を投げて、まだ50球も投げていないピッチャーを代えるとは。


 ある意味これは、メトロズにとっての球数制限なのだろう。

 エキシビションで試合をして、万一にも故障などされれば困る。

 よってピッチャーの球数は、絶対に問題のないところで交代する。

 そもそも継投をしていって多くのピッチャーを見せる方が、エキシビションらしいではないか。


 そして二番手に出てきたのがモーニング。

 今年のメトロズの勝ち頭であり、サイ・ヤング賞の候補にもなっている。

 もっともMLBでのサイ・ヤング賞は単なる勝ち星や防御率で決まるわけではない。

 セイバー的に優れたピッチングをしていた、見る目のある記者たちの投票で決まるのだ。

 あとは沢村賞と違うのは、時々ではあるがクローザーなどが選ばれることもある。


 ブルペンで準備をしていたモーニングは、160km/hを投げてくるだろう。

 だがその程度のスピードになら、レックスは対応出来る。

 そんな味方の攻撃の間にも、バッテリーは次の守備のことを考えているのであった。



×××



 ※ 微妙に人気のある小此木君が、高校編で頑張っていたりします。

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