第147話 世界一

 よくもまあこんな試合を成立させることが出来たな、と直史は思う。

「よくもまあ、こんな試合を成立させたよな、あの人」

 樋口が直史が内心で思ったのと、似たようなことを口にした。

「ニューヨークでもラッキーズの方だと、オーナーを動かすのが難しかったんだろうな」

 だからほぼワンマンオーナーのメトロズに、大介を入れた。

 その時からこの絵図面を描いていたということだ。

「あるいは高校時代から、かな」

 直史はそう呟くが、さすがにセイバーもそこまでのことは考えていない。


 一つのことを深く複雑に考えるよりも、多くの単純なことをいくつも用意しておく。

 リスクを分散するのは、資産管理の基本である。

 いくつもの策を用意しておいて、その中の一つが成功した。

 そういうものなのだ、世の中の企画というのは。


 カメハメハ・スタジアムには試合前に一万人ほどが集まっていた。

 そこからどんどんと、試合が近づくにつれて増えていく。

 最終的には三万人が満員になるのかもしれないが、当日券ありの低価格試合である。

 エキシビションでもこれでいいのかと思われるが、この試合の放映権はそれなりに高く売れた。

 なにせ日米の頂点に立ったチーム同士の対戦なのだ。

 あくまでも交流戦で、完全に本気のパフォーマンスが見られるかは別である。

 しかし、少なくとも日本側では、直史と大介の対戦だけは、楽しみにしていた。


 一年間をMLBで過ごして、適応するどころか記録を破壊しまくった大介。

 そして競争者の少なくなった日本で、これまた記録を破壊していった直史。

 この二人だけは、少なくとも本気で対戦するだろう。

 二人の因縁の中には、WBC前の日本代表と大学選抜の対決もあった。

 あの時も直史は、壮行試合なのに完全に本気を出していたのだ。

 佐藤直史は勝負と名のつくものには、徹底して全力で挑んでいく。

 実際のところは少し違うのだが、そんな印象を持たれている。

 クラブチーム時代の紅白戦などは、球種縛りをして、それなりに打たれたりはしていたのだが。


 時が来た。

 そして試合が始まる。




 ホーム扱いは、一応ハワイはアメリカなので、アメリカチームとなっている。

 ハワイは日系移民の子孫もいるし、日本人にとってもバカンス地としても好まれているので、東洋系の観客も少なくはない。

 メトロズの先発はオットー。

 日本人選手は速球に弱い場合が多いということで、先発陣の中から選ばれた。

 大介としては、いやいやその程度の球速差は意味がない、と言ったのだ。

 武史の168km/hは別にしても、昨今のエースクラスは普通にオットーと同じぐらいの球速は出してくる。

 それよりはモーニングの、手元で曲がるボールを使ったほうが、有利だというのが大介の考えだったのだ。


 MLBのボールを使うということで、ピッチャーの方にばかり考えがいっていた。

 だがMLBのボールを使うと、NPBのボールより変化が置きやすい。

 これは縫い目が高いからだと言われているが、だからモーニングのムービング主体のボールの方がいいと思ったのだ。

 もちろんそれはあくまでも参考意見で、決めるのはFMであるが。


 そして決められたオットー。

 今年は29試合に先発し11勝5敗。

 ポストシーズンでも四試合に先発し1勝1敗と、これだけの数字を見たらモーニングやスタントンを選びたくなる。

 だがセイバーのトラッキングシステムを使うと、オットーの各種数値指標が他のピッチャーよりも優位と出る。

 レックスのデータを見る限りでは、投手の強力なチームだと分かる。

 なので先発に持ってきたのだが、相性的には悪いと大介は思うのだ。


 この試合、レックスのセンターには西片が入っている。

 おそらくこの先こんな試合はないだろう。

 現役でいられるのは、あと何年か。

 あるいは怪我をしてしまえば、そこで終わりになる可能性も高い。


 全力で、悔いのないように。

 現役の終わりを感じるようになってくると、その精神は高校時代に遡る。

 甲子園を目指して、ひたすら夢中であったあの頃。

 今度は野球の現役引退を近くに感じて、その郷愁が高校時代に似ているのだ。

 人生はまだ、折り返し点を過ぎたところ。

 だがここからは西片にとって、長い余生のようなものだ。




 オットーのボールは、西片に対してはスピードに任せて投げられるものであった。

 年齢を重ねると眼球の筋肉の収縮が弱くなり、スピードボールに対応できなくなる。

 過去にあったドーピングというのは、単純にパワーを得るためだけではなく、こういった部分の筋肉を動かすためのものも多かったそうな。

 確かに目がついていかなければ、どんな強打者も打てなくなる。

 だが今の西片には、まだ余命が残っていた。


 オットーの奪三振率は高いが、四球を与えることもそこそこ高い。

 西片のように粘って出塁するタイプは、彼にとっては苦手なのだ。

 そして二番の緒方。

 MLBはエキシビションマッチなら送りバントはしないが、日本ならする。

 これが毎年行われるオールスターなら、さすがにすることは少ないだろう。

 だが次にいつ機会があるか分からないとなれば、やってしまうのが日本人だ。


 ある意味、MLBを認めているのだ。

 だからこそ勝利のためには、やれることはなんでもする。

 もちろんビーンボールなど、そういったものは当てはまらないが。

「バントあるぞ!」

 ショートから大介は声をかけ、オットーの「マジで?」という顔を向けられる。

 それに対して力強く頷く大介である。


 日本の野球は古くから、軍隊的であると言われている。

 いまだにそれを美徳と思っている指導者もいる。

 そもそも一般人でさえ、そういうものだと思っていたりまでする。

 だがアメリカでは、プレイボールと試合を始める。

 野球は楽しむものなのだ。


 のびのびと、したいことをする。

 エキシビションマッチとはそういうものではないのか。

 ただ日本人的価値観からすると、チームの勝利への貢献が高く評価される。

 アメリカ人はスーパースターのフルパワーのプレイが見たいのだろうが。




 バントがあるぞと大介は英語で言ったが、MLBの試合をかなり現地中継で見ることもある緒方は、実は聞くだけならけっこう英語が分かったりする。

 ならば仕方がないな、とバントでの進塁は諦める緒方は、あっさりと進塁打を打った。

 地味ではあるが、そして打率を下げてしまうが、確実に進塁打のゴロを打てること。

 このあたりもアメリカ的には分からない価値だろう。


 そして三番の樋口。

 今年の首位打者であり、ホームランや盗塁でも五指に入り、打点でも三位。

 間違いなくレックスの得点源であり、さすがにこれには注意しろよ、と高校時代に痛い目に遭った大介は何度も言ってある。

 オットーとしてももちろん警戒はしている。

 なので意外性も含めて、初球に内角に投げた。


 樋口にしても計算違いは起こる。

 この試合の審判は地元の人間であり、ハワイのマイナーの試合をジャッジする者だ。

 アメリカのストライクゾーンは全体的に外に広い。

 なので意識的にベース寄りに立っていたら、想像以上に内角へ。

 回避が間に合わずエルボーガードに当たってしまった。


 一塁が空いていたので、実のところこれはメトロズにとっては悪い選択ではない。

 足のある西片が二塁にいると、単打でも帰ってこれる可能性がある。

 そのあたりの判断が上手いのがベテラン西片だ。

 しかしこれが一二塁になると、ダブルプレイも取りやすい。

 もちろんランナーが増えたという意味では得点の確率は高くなるが、その中でも一番マシな状態と言える。


 四番の浅野。

 外野フライを打つことには定評のある浅野は、MLB的に見ても分かりやすいバッターだ。

 三振が少なく、それでいて外野の深くまでフライを飛ばす。

 今年はホームランも樋口以上に打っているため、四番らしい四番と言える。

 ただ前にランナーがいると、樋口が先に返してしまうことが多いが。

 ランナーがいない場合、樋口は出塁を優先するので、そこから盗塁で二塁まで行くと、浅野にもそれなりに打点が付く可能性が高まる。


 打った打球はレフトフライへ。

 やや深めに守っていたレフトは、充分に追いつく。

 そこからセカンドベースに戻っていた西片は、タッチアップを敢行。

 レフトフライで三塁タッチアップだったが、ここにも油断はあったろう。

 タイミング的にセーフになると思ったが、レフトからの送球は三塁ベースでストライク。

 西片は進塁出来ずにタッチアウトになった。


 レフトであっても肩はあると分かってはいたが、体験してみるとそれ以上に強肩であった。

 こういった一つ一つの要素は、やはりMLBのパワーはNPBより高いことが多い。

 西片としてもレフトの体勢を見て、これなら大丈夫だと思ったのだろうが。

 実はタイミング的にはともかく、まさにサードベースにしっかり投げられたのは、かなり偶然であったりする。


 ともあれランナーは出したものの、MLBの実力の片鱗を見せられて一回の表は終わった。

 そして一回の裏、一番大介からメトロズの攻撃は始まる。




 大介が打つ打順は、NPB時代はほぼほぼ三番に固定されていた。

 ルーキーイヤーのオープン戦や、オールスターなどに加えて、ごく一部の試合では一番を打っていたりもした。

 この試合も一番を打つのは、当然ながら一番多くの打順が回ってくるからである。

 一人で点を取られるバッターがいるなら、それは一番に置いておくべきだろう。

 さほど間違った考えでもない。


 樋口が考えるにこれは、完全に直史対策である。

(大学時代もそうだったなあ)

 日本代表との壮行試合で、大学選抜との対戦があった。

 あの時は大介は一番であったが、もしシーズン中のように三番を打っていたら、四度目の打席は確実に回ってこなかっただろう。

 あれは直史の気まぐれというか、当時はプロに行くはずもなかったので、その詫びとかの意味があったのだと思う。


 正直なところ樋口は、この試合はさすがの直史であっても、無失点に抑えるのは難しいと思っている。

 最強のバッター大介がいるというのもあるが、それ以上にデータ分析の精査が足りていない。

 このカードが決定するまで、かなりぎりぎりだったというのもあるが、たとえ無駄になるとしても、もっと先にデータはほしかった樋口である。

 もちろんこれまでにも、全くデータがないチームと戦ったことが、ないわけではない。

 ただそれはせいぜいが高校生までで、高校の段階でも既に、ある程度の事前情報は得ている。

 それに比べればMLBのデータは充分に集まってはいるのだが、それを樋口が消化しきる時間が足りないのだ。


 ざっと計算したところ、メトロズの打線の得点力は、ライガースよりも上だ。

 大介のいない今年のライガースではなく、大介のいた去年のライガースと比べてもだ。

 そもそももっと打てるバッターが後ろにいないのなら、大介はもっと敬遠されていただろう。

 それでもNPB時代より、はるかに多く敬遠されていたのだが。


 大介に関しては、単打ならばOK、ホームランさえ打たれなければ許容範囲。

 ただし歩かせることはしない。

(スライダーがウイニングショットには使えないんだよな)

 直史の変化球は、どれを取っても一流だ。

 だが超一流のものとなると、左打者に対するスライダーは使いにくいし、スプリット系はどうせ使うならスルーにする。

 チェンジアップもスルーとの組み合わせは強力だが、それ以外はカーブを使った方がいい。


 どれもこれもが、プロで充分に通用する変化球。

 だがウイニングショットにするには、限界はあるのだ。

(まあカウントを取るのには使えるんだが)

 初球はこれかな、と樋口が要求したのはカーブ。

 遅くて落差のあるカーブを、大介は完全に見逃した。

(狙い球ではなかったか)

 ただ遅い球で最初のカウントを取れたので、ここからは少し楽になる。


 カットボールで内角。

 日本のゾーンならストライクで、アメリカならボールになるところ。

 やや危険性は伴うが、現在の大介のストライクゾーン、特に内角を把握しなければいけない。

 MLBの映像で確認したものではなく、直史と対した時の。

 外角は危険なのが分かっているので、それ以外のところをだ。


 直史の投球動作は変わらない。

 危険だと分かっていても、動揺しないメンタル。

 このメンタルコントロールは、ボールのコントロール以上に重要なことなのだ。

 直史のボールは、樋口の想定よりもさらに内に入る。

(当たるか!?)

 そう思ったが大介は体を開いて、この日本のゾーンでもボールの球を打っていった。

 鋭い打球はスタンドへ、ただしライト側のファールスタンドだ。

(危なかった。元のコースだと絶対に持っていかれてた)

 そしてそれを、直史は予想していたのだ。


 まだ甘く見ていた。

 樋口は反省しながらも、続く組み立てを考える。

 ツーストライクまで追い込んでしまったのだから、あとはボール球でも使っていける。

 ただし大介はボール球でも打てるし、内角なら簡単にカットするだろう。

(外に意識を向けさせて、内で勝負というのはセオリーだけど)

 樋口はここで、三球勝負を選択する。

 もしこれをカットでもされたら、ボール球を中心にフォアボール覚悟で組み立てなおそう。


 投げられたボールはストレート。

 それもインハイだ。

 大介のバットが早すぎないタイミングで振出が開始される。 

 打たれるか、と樋口は思ったし、実際に打たれた。

 ただし打たれると言うよりは、当てられたというぐらいか。


 ファーストへの内野フライ。

 そう思ったボールがどんどんと高く上がって、そしてこちらに向かってくる。

 最終的にはキャッチャーへのファールフライ。

 スピンがきいていて、キャッチするのが意外と難しかった。


 あそこで内角のインハイストレートを投げて、それでも当てることは出来るのだ。

 どうにかフライまでには打ち取れると思ったが、空振りしてくれれば最高であった。

(結局見逃した変化球以外は、空振りは取れなかったわけだ)

 カットボールはあんなコースでもジャストミートしていったし、インハイストレートは当てられた。

 外のボールで布石を打って、最後にインハイの方が良かったのか。

(読んではいなかったはずだよな)

 樋口としてはあれを反射で打たれては、なかなか封じるのは難しいと思うのだ。




 二番のカーペンターと、三番のシュミットもいい打者だ。

 だがカーブを曲げてスルーを使えば、簡単に内野ゴロになった。

 その内野ゴロにするスイングのスピードも、NPBよりは速かったが。

(基本的にはフルスイングか)

 MLBのバッティングは三振が多く、日本人の目からすると大味に思える。


 だが統計的に見て、全ての打者はホームランを狙っていくのが、バッティングとしては正しいらしい。

 あくまでもこれは統計であって、一度きりの短期決戦では、統計から外れた選択をどう使うかがポイントになる。

 それなのに大介はともかく後の二人も、ホームランを狙うようなフルスイングであった。

 特に二番のカーペンターは、そこまでの長打力はなく、足で引っ掻き回す出塁タイプであったはずだが。


 ただこれも、樋口には分からないでもない。

 直史が失点した、ここまでの試合。

 エラーなどの要因が重ならない限りは、ホームランでの失点となるのだ。

 そこから逆に、ホームランを狙ってくるのか。

 確かにホームランは出にくいが、出たら一発で一点だ。

 ツーベース二本などとは、圧倒的に価値が違う。


 一発狙いを防ぐとなると、ゴロを打たせるグラウンドボールピッチャーとしてのピッチングをしてもらわないといけない。

 直史は万能型ではあるが、そもそもはそういうタイプではある。

(今のも内野ゴロではあったし、想定の範囲内ではあるな)

 ただパワーに優れたMLBバッターのゴロ打球だと、内野の間を抜けていくことは、充分に考えられることだが。


 とりあえず三者凡退のスタートにはなったのだ。

 ここからまずは、先取点を取っていくこと。

 スピードのあるボールであれば、フリーバッティングなどで武史に投げてもらうことのある、レックスの選手ならなんとかなりそうだと思うのだ。

 そうは言っても二回の表のモーリスは、アメリカから持ってきた助っ人であったりするのだが。

(チーム同士の対決なのか)

 考えてみればメトロズには大介がいるのだから、アメリカ代表よりも打撃力が危険なのは、当たり前のことであった。

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