第142話 フルスロットル

 アドバンテージの一勝と、さらに引き分けを得たレックスであるが、まだ安心は出来ない。

 だがこの試合まで引き分けることが出来れば、残りの試合は四試合。

 さらに引き分けていけば、アドバンテージの一勝で日本シリーズに進める。

 もちろんそんな引き分けなど考えず、勝ち星を増やせばいい。

 ここから二勝すれば日本シリーズに出られるというのは、確実なものなのだ。


(少なくとも負けはない)

 武史のボールを受けながら、樋口はそう考える。

 やはりクライマックスシリーズの熱量もあるのか、さすがに鈍感な武史も、肩が暖まってくるのが早い。

 40球を数えたあたりから、ストレートが魔球になってきた。

 振ったバットの上を通るバックスピンのストレート。

 そのホップ成分が尋常ではないのだ。


 最初の九つのアウトを全て三振で奪うという力業。

 やはり西郷へのあのボールが、リードのミスだったな、と樋口は思う。

 既に一点を先制していたのだ。

 西郷相手に投げれば、武史の肩もより早く暖まる。

 そこから改めて勝負すれば、あの一点を決勝点に出来たかもしれない。


 大介が抜けたにも関わらず、ライガースはまだ強い。

 いや、大介が抜けたからこそ、そう簡単に負けてはいられないと考えたのか。

 高卒二年目の森田は、バッティングなどはともかく守備だけならば、かなり大介の代わりが務まっている。

 まずは守備を補うというのは、野球における基本かもしれない。


 点の取り合いが野球であるが、内野の特に二遊間は、グラウンドボールピッチャーにとっては生命線。

 フライボール革命は逆説的に、ゴロを打たせて確実に処理することの有効性も示している。

「うちもまあ、センターラインは強いしな」

 そう呟いて、ランナーなしから三打席目のバッターボックスに入る樋口である。




 一点あれば勝てるだろうか。

 少なくとも西郷の二打席目は、上手く内野ゴロでしとめることが出来た。

 三打席目はおそらく、最後にはフォーシームストレートで勝負する。

 ライガースは打順を間違えたな、と思う樋口である。


 MLBでは厳密なデータから、二番打者に最強の打者を置いている。

 だが樋口も西郷を、二番に置けとは言わない。

 西郷には足がないから、出塁しても帰ってくるのが難しい。

 だが今年の成績から見れば、毛利を一番なのはいいとして、二番に山本を三番に西郷を置くべきだ。

 四番打者にしてしまうことによって、ランナー三人までは出せるという無茶な計算が成り立つ。

 今日の武史の調子なら、西郷の一発の他は、もう一人か二人ランナーを出すだけで済ませてしまいそうだ。


 そんなピッチングを武史にしてもらうとして、自分たちはどうすればいいのか。

 樋口としてはやはり、バット一振りで一点は取ってしまいたい。

 だが山田と孝司がそれだけは防ぐ配球をしてくる以上、もっと深く考えていかないといけない。


 樋口としてもフルスイングで一発を狙うことは、出来なくはないのだ。

 だが自分の能力を計算したとき、それよりも相手を引っ掻き回す手段がある。

 普通のスラッガーと違い、樋口には足がある。

 あまり危険な走塁はするなと言われているが、山田に関しては元チーム名との西片とも共有し、かなり投球のタイミングを取ることが出来るようになっている。


 先頭打者であれば、先頭打者としての役割をする。

 樋口は軽く合わせてレフト前に運び、ノーアウトのランナーとなった。




 全く嫌になる。

 直史や武史、そして味方ながら大介などは、間違いなく化け物だ。

 だがレックスはこの樋口も、十二分に化け物なのだ。

 新人としての一年目後半からほぼ正捕手に定着。

 そして二年目からは一度も、打率が三割を割っていないし、ホームランも盗塁も二桁を記録し、打点ではリーグ五指に入っている。

 キャッチャーがトリプルスリーを三回も達成するな、と言いたい。

 あとは100打点も、ほとんど毎年達成している。

 ピッチャーが特殊職だとして除くとしたら、リーグで一番の選手はこの樋口かもしれない。


 キャッチャーとしてはライガースのコーチ島本も驚くほどの洞察力を持っているし、戦略眼も確か。

 打てるキャッチャーではあるが、同時に走れるキャッチャーなど、過去を見てもまずいない。

 運動能力を考えて、また肩の強さや瞬発力も考えるなら、ショートを守れるタイプの選手なのだ。

 それが試合を俯瞰して見るために、キャッチャーをやっている。


 いいキャッチャーはピッチャーを活かし、さらに育てる。

 キャッチャーが良くても必ず勝てるとは限らないが、チーム力を一番簡単に底上げするのがキャッチャーの力だ。

 それが分かっていて、山田は打たれてしまった。

 厳しいコースを突いたつもりなのだが、それでもバットを合わせてヒットにしてしまうことが出来る。

 こいつも長打を捨てたら、四割は狙えるのではないかと思うのだ。


 そんな樋口に背中を見せて、山田は四番の浅野と対決することになる。

 浅野は打点マニアと呼ばれるぐらいに、その打点には犠飛が多い。

 ただしタッチアップが可能なところまで飛ばせる力は、もう少し力を入れれば外野の頭を越える。

 長打力もそれなりに高く、なんだかんだと30本のホームランを打っているのだ。

 外野フライであればそれが簡単になるので、確実に打ってくる。

 よって打率もあまり下がらない。


 初球からどう動いてくるか、と山田は思っていたが、モーションに入るのと同時に樋口がスタート。

 スチールかと思ったが、ボールは浅野のバットに打たれている。

 センター前に打たれて、そして樋口は三塁へ。

 やや深く守っていたために、こういった形でランエンドヒットをかけてくる。


 ノーアウトで一三塁。

 三振と内野フライ以外は、ほとんどなんでも点が入る状況だ。

 打者は助っ人外国人のモーリス。

 これまた外野フライまでを打つのは、大得意なバッターである。


 先頭打者としてバッターボックスに入ってから、この状況までを予測していたのではないか。

 樋口もまた、野球界の人間とは、かなり異質な感じがする。

(ここで一点を取られて、まだ挽回できるか?)

 三振か、浅いフライ。

 それを期待して投げた山田であるが、モーリスの打球は外野まで飛んでいく。


 体勢を整えた樋口は、コーチャーの合図と共にスタート。

 ヒット二本で状況を整えてから、外野フライで一点。

 全く理想的な得点の戦術だ。




 2-1とまた点差がついた。

 たったの一点差だが、同点と一点差では大違い。

 三打席目の西郷を抑えれば、四打席目は回ってこない可能性が高い。

 武史はそのために、西郷の前のバッターを打ち取っていく。

 ワンナウトランナーなしで、四番の西郷。

 確率はともかく、念を入れるならここで歩かせてしまった方がいい。


 これが直史なら、自信を持って打ち取りにいっただろう。

 だが武史は二打席目は、カットボールを使って上手く打ち取っている。

 ゴロとは言え村岡のほぼ正面に飛ばなかったら、内野は抜けていた可能性があるが。


 ここで西郷を歩かせてしまうと、ダブルプレイでアウトにしない限りは、あと一人ランナーが出たら西郷に四打席目が回ると考えるなら、一発逆転の場面で回る可能性が高い。

 樋口としてはそれなら敬遠してしまえばいいと考えるのだが、監督である布施などは安易に勝利だけを目指さない。

 打たれてもいい経験と考えるタイプなので、やはりここで勝負をしておくべきか。

(育成の手腕もあるし、戦術眼もあるんだけど、なんだかんだロマン派の人間なんだよな)

 勝利に徹する以外に、魅せることがプロの役目と考えている。

 二軍監督時代は純粋に、育成に試合を使っていたものだが。


 監督指示とあれば仕方がない。

 結果的に歩かせるかもしれないが、勝負の路線で行く。

(まずはこれで)

 初球は外へのストレート。

 ボール球だが、西郷がこれにどう反応するか。

 わずかにバットは動いたが、振りにはいかない。

 変化してゾーンに入ってきても、見逃していたのだろう。


 西郷の各種コースの打率と、変化球の割合と、その前に投げた球。

 二球目のサインにわずかに武史はためらったが、頷いて投げる。

 ナックルカーブがど真ん中に入ってくる。

 だがこれも西郷は見逃した。


 西郷がミスショットしやすいのは、インローのボールだ。

 サウスポーのスライダーが入ってくると、左に切れていく打球になりやすい。

 だが外を捨ててきて、ナックルカーブを狙ってもいなかった。

 おそらく内角のボールを狙ってきている。


 武史のボールなら、ストレートに強い西郷からも、空振りが取れる。

 しかしそれはちゃんと手順を踏んだ話であって、そして西郷は下手に手順を考えても、意外とそれを読んでくるのだ。

(同じチームで三年やってたからなあ)

 正直なところ、西郷は地頭は良かったが、大学で樋口や直史の練習台になって、よりそのバッティング能力を高めたと言える。

 将来的にこんな形で対決するとは思っていなかったが、向こうもこちらの手の内を分かっているはずだ。


 分かっていても打てない配球。

(ツーシームをぎりぎりに)

(難しいことを)

 真ん中あたりから逃げていくツーシーム。

 西郷はこれにも反応したが、振りはしなかった。

 外角に決まってツーストライク。

 これで追い込んだと言える。


 内角を待っているのか。

 おそらく自分の弱点である、インローに投げられるのを待っていたのだろう。

 だがここからは外角でも、カットぐらいはしてくる。

 アウトローにストレートを投げたら、それで打ち取れるだろうか。


 白い糸を引くような、アウトローへのストレート。

 確かにそれは、基本中の基本であり、そして絶対正義の配球だ。

 それだけに西郷なら打ってくるか、最低でもカットはしてくるだろう。

 逆に考えるのだ、逆に。

 これまでずっと西郷は、真ん中から外寄りのボールを見てきた。

 内角待ちと分かっていても、果たしてこれが打てるものか。


 ここまでは樋口の計算通りであるが、西郷も覚悟していたであろう。

 ならばその想定を上回る。

 樋口のサインに、武史はいとも簡単に頷いた。

 危険ではあるが、それは武史の最高のボール。


 ゆったりとした動作から、リリースされるボール。

 雰囲気からして西郷は、最速のボールが来るとは分かっていた。

 だがそのボールのコールは予想外だった。

(高い!)

 内角高め、持っていけばホームランになるボール。

 西郷のスイングは鋭く、しかしボールはバットの上を通り過ぎて、樋口のミットに収まった。


 キャッチされた位置を、西郷は見る。

(ボール球だったか)

 高めであったため、さらにボールはホップしていった。

 正直軌道から外れて、最後の瞬間には見えていなかった。

 高めい力の乗ったストレートは、168km/hを記録。

 これでさすがの西郷も空振り三振。

 一番のバッターを打ち取って、レックスは有利な形になっていった。




 西郷を空振り三振で打ち取ったのは大きかった。

 調子に乗りやすい武史は、そこからも奪三振を量産。

 ぽんぽんとゾーンに投げてきて、そしてアウトローか高めのホップするストレートで打ち取る。

 打たれても浅めの外野フライがやっとで、ランナーは出なくなっていた。


 ライガースも諦めているわけではなく、七回まで二失点だった山田の後を、レックスの次に強力なリリーフ陣でつないでいく。

 本来なら勝ちパターンの時の継投策であるが、ここで点差が広がっては追いつけない。

 武史のストレートを打つには、フルスイングでは間に合わない。

 特に高めに浮いた球は、本来ならホームランにしやすいのだが、樋口はあえてボール球にして、空振り三振を取っていく。


 高めのホップ成分の多い球は、本来のストレートの軌道からだいぶ外れる。

 動体視力に優れたプロのバッターでさえ、かなりその視界から外れてしまうことがある。

 消える魔球、というやつだ。

 もちろん実際は、目が追いついていないだけ。

 傍から見たらボール球を、振りに行っているだけなのだが。


 カウントをツーツーにしてしまえば、もうこのストレートで空振り三振が取れる。

 頭では高めのボール球と理解していても、ホップ成分が他のピッチャーのストレートとは違う。

 インハイであればボールは途中で消えるし、外よりでも空振りしてしまう。

 頭では分かっていても、これまでの野球人生で蓄積した野球回路が、自然とボールの軌道を計算してしまう。

 そしてストライクと判断して、振りにいっては空振りか内野フライ。

 理想的なフライボールピッチャーのピッチングと言える。


 力が入りすぎて、高めに大きく外れたボールもある。

 しかしだいたいはムービング系と組み合わせて、内野ゴロと三振を量産する。

 そして九回には、20個目の三振を奪いスリーアウト。

 ネクストバッターサークルの西郷の目の前で、試合は終了した。

 2-1とわずか一点差。

 そして西郷に打たれた以外は、フォアボールが二つだけの武史。

 これであのホームランがなければ、ノーヒットノーランであったのだ。


 肝心なところでやらかすということに、定評のある武史。

 しかし一番大切なのは、試合に勝利するということのはずだ。

 九回を完投し、2-1で勝利投手。

 リリーフ陣を全く使うことなく、勝利を掴み取った。




 アドバンテージを含み、レックスは2勝0敗1分。

 残り四試合のうち、一つでも勝てばそれで、日本シリーズの進出が決まる。

 パの方ではジャガースとコンコルズが、お互い譲らぬ対決。

 だがセの方では、やはり今年もレックスが強い。


 去年は怪我人も出て、万全ではなかったのだ。

 だがそれでも優勝したのだから、故障離脱のない今年は、かなり安心して試合を運ぶことが出来る。

 第三戦は、レックスは佐竹で、ライガースは阿部が先発。

 レックスが勝てば、これでもう日本シリーズ進出が決まる。


 ライガースはここからは、もう全てが負けられない試合だ。

 だがこの阿部まではともかく、この先はもう確実なピッチャーなどはいない。

 レックスはそれに比べると、まだ金原がいる。

 直史が12回までを投げきったのでここで使うことは避けたいが、ライガースも強いピッチャーを使い切っている。

 あとは大原や村上といったところで、殴り合いに持ち込むしかない。


 投手の人的資源的に考えて、レックスが圧倒的な有利となった。

 古沢や青砥といったところの他に、なんなら星あたりを先発に持ってきてもいい。

 得点力では上回っていても、短期決戦はピッチャーの質と枚数が重要。

 ここで山田が負けたことによって、ほぼライガースの勝利の目は消えたのだ。


 あとはどうやって勝っていくか、勝ち方の問題だ。

「スタメンに岸和田を使ってください」

 樋口の案としては、この難しいポストシーズンで、岸和田の経験値を無理やり多く取らせる。

 ただしあまり活躍させすぎると、トレードなりなんなりで、岸和田を欲しがるところが多くなるかもしれないが。


 元々岸和田はかなりの期間を一軍のベンチで過ごしている。

 しかし試合に出ることは少なく、機会に恵まれていないのだ。

 だが強いチームとは、控えのキャッチャーも強くなければいけない。

 それを実感したのが、去年の日本シリーズであったはずだ。


 このあたりの判断は、なかなか難しいものがある。

 確かに日本シリーズ進出は、もうほぼ決定したようなものだ。

 だがそれでも隙を見せないためには、樋口のままで行くべきではないのか。

 しかし岸和田を使って、樋口の故障などの危険を防ぐ。

 それもまた一つの考えではある。


 何より布施は、鍛えて育てる監督だ。

 来年以降もレックスの強さを維持するためには、控えのキャッチャーは重要なのだ。

 もっともFA制度などの変更の噂も聞こえてきて、そのあたりの判断は難しいのだが。

「よし、やってみるか」

 そして去年に引き続き、岸和田はこの重要な場面で、マスクをかぶることになったのであった。

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