第141話 二番手のエース

 エースとはなんなのだろうか。

 エースには何が求められるのか。

 エースとなるにはどうすればいいのか。

 別にエースになりたくはなかったが、とにかく一番勝利に貪欲なのが、エースとなるのには近いのだろう。


 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第二戦。

 レックスの先発は佐藤武史で、ライガースは山田。

 本来ならば武史の方が格上扱いされるが、今年は復帰してからまださほどの時間が経過していない。

 二ヶ月以上の離脱があったのに、15勝1敗。

 投球イニングは規定にわずかに満たなかった。


 この試合ではどういう結果になるか。

 それは西郷対策にかかっているかもしれない。


 ピッチャー同士の能力比較であれば、武史が優っていると出る。

 だが一点ぐらいは取れなくはないのがライガース。

 そしてレックスが山田から大量点を奪うのは、これもあまり考えにくい。

 だが山田は完投能力はそこまで高くはない。

 終盤のリリーフ陣は、間違いなくレックスが上だ。

 もっとも武史の場合は、リリーフ陣があまり必要ないのだが。


「タケの使い方をどちらにするかだ」

 布施は簡単に説明した。

「最初から全力を出すためにアイドリングをかけておくか、それとも完投のために立ち上がりの危険を許容するか」

 相手のピッチャーが山田と考えると、援護点もそう大量には望めない。

 レックスは基本的に、弱い者苛めが得意な打線なのだ。

 爆発力ではライガースの方が優る。


 


 武史は今年、一度だけ敗北している。

 怪我からの復帰二戦目で、まだ完調ではなかったからだとも言われる。

 だが実のところ調子が完全でなかったのは、肉体面ではない。

 あの日、イリヤの死を知らされたからだ。


 兄である直史と違って、アメリカに行くこともなかった。

 ツインズがそれぞれ大変ではあっても、ローテのピッチャーが二人も抜けるのはまずいと思ったからだ。

 だがイリヤとの付き合い自体は、武史の方が直史よりも長く親密であった。

 なにせ二人は、同じ年齢であったのだから。


 留学生・帰国子女枠であったため、イリヤは勉強に関してはあまり優等生ではなかった。

 武史も入学後は学業はサボっていたため、イリヤと共にツインズの指導を受けていたりする。

 一緒にいた時間は、確実に直史よりも長い。

 だからだろうか。まだ電話をかければ、普段どおりの声で出てくれる気がする。

 死んだのではなく、どこか連絡のつかない遠くで、まだ生きているような。

「死」とは何か。

 武史は無駄に感傷的に頭を使って、それが負け星の理由になっている。


 今でもまだ、イリヤの生きていた気配が消えていない。

 大学を卒業してからは、かなり会う機会は減っていたが、恵美理が会うこともあったのだ。

 会う回数はそれほど多くなくても、生活の中にイリヤの気配があった。

 彼女の死後の恵美理は、しばらくは放心していた。

 幼少期の挫折を与えてくれた、しかしながら憧れた存在。

 それが失われてしまったのだ。


 もっとも人の親をやっていると、喪失感に浸ってはいられない。

 新しい若い命を育むために、日々世話をしていかなければいけない。

 こちらの心を配慮することなく、ただ食欲や睡眠欲のために泣き喚く子供。

 それはむしろ、現実に引き戻してくれるものだ。




 武史はマウンドに立つ。

 対するライガースは、今年のセでは最も高い打撃力を誇る。

 長打、本塁打、打率、打点。

 このあたりがトップのチームと、戦わなければいけないピッチャーは大変だ。

 だが兄はもう、それをやってしまったのだ。


 ライガースの先頭は毛利。

(考えてみればこいつともけっこうな因縁だよな)

 一年の夏はともかく、秋からはもう大阪光陰でスタメンを張っていた毛利。

 大阪光陰が本当に強かったのは、プロ入り四人を輩出した、真田たちが三年の時だとも言われる。

 確かにあの春と夏は、白富東と大阪光陰が、共に決勝で戦ったわけだが。


 長い甲子園の歴史を見ても、三季連続で決勝の対戦が同じカードになったことはない。

 それだけこの両チームには因縁があったと考えるには、その後には一度夏の決勝でしか当たっていない。

 チームと言うよりは、人間の宿命であったのか。

 そう考えると甲子園でボコボコに打ってくれた西郷に、プロの舞台ではリベンジしまくるチャンスである。

 同じ大学の先輩として接していて、あまりもう過去の因縁などは感じていないののだが。

 武史は基本的に、根に持つタイプではない。執念が足りないとも言える。


 毛利に対しては、最初はストレートで押す。

 165km/hオーバーでもそう簡単に空振りを取れる相手ではないが、ジャストミートして前に飛ばすことは難しい。

 序盤の武史は、まだしも打てる。

 結局首脳陣は、そちらの選択をした。

 毛利は当ててはいったのだが、前には飛ばずにツーストライク。

(来るか)

 ナックルカーブが来たら、左の自分には打てない。

 そう思ったところに、投げられたのはツーシーム。

 わずかに逃げて沈んでいくファストボールに、空振り三振した。


 


 武史には野球での勝負で因縁が生まれることなどないし、生まれたとしてもすぐに忘れる。

 健全と言うか、非常に楽観的で前向きな性格である。

 二番黒田、三番山本と三者三振にしとめて、レックスの攻撃を見る。

 ライガースの山田ももう、34歳というベテラン。

 育成からの出身と言うなら、ライガースでは間違いなく最高の成功と言えるだろう。


 大介が入って数年、ライガースはまさに黄金期であった。

 ただそれは大介だけではなく、他にも多くの選手の才能が花開いたからだ。

 金剛時や島本といった、これまでのライガースを支えていた選手が引退し、若返りにも成功した。

 ドラフトで獲得した選手が見事に開花し、新人王を取る者も複数現れた。


 あれからもう、10年になる。

 山田もまた、そろそろ自分のキャリアの終焉が見えてきた。

 30歳になる前に引退するのが多いプロ野球選手であるが、一度完全に主力となれば、逆にその引退年齢は大きく伸びる。

 それでも30代の半ばから後半が、肉体と技術のバランスのピークであろう。


 そしてこの試合、レックスはスタメンに、西片を持ってきていた。

 今年は故障離脱の期間が長かったが、それでも40歳という年齢を前に、出場した試合では活躍していた。

 山田のことは、育成時代から良く知っている。

 真田は左殺しなのでスタメンで出るのは避けていたが、ライガース戦を相手にしかもピッチャーが山田となれば、それはもう敵としても味方としても良く知った存在だ。


 初回の初打席から、山田の球には食らいついていく。

 育成から上がってきた頃は、まだボールのパワーに頼っていたが、それでもどんどんと成長していった。

(壁を越えたんだな)

 それは一軍の壁ではなく、プロとして成功するという壁でもなく、プロとして野球に関わっていくということ。

 自分自身がプロ野球の一部になることだ。


 ピッチャーは故障でどうにかなるか分からないが、山田もぎりぎり200勝に到達するかもしれない。

 袂を分かったことを後悔しているわけではないが、再び野球を通じて、一緒に働きたいと思えるのが山田であった。

(でも今日は俺が勝つけどな)

 フォアボールを選んで、ノーアウトから出塁する西片であった。


 


 山田を良く知る西片が盗塁を成功させ、二番緒方が進塁打を打ち、三番の樋口。

 この樋口に対して、ライガースはやや勝負を避けるかのような配球をしてくる。

 確かにワンナウト三塁のため、単打で一点が確実に狙える。

 首位打者樋口に対して、勝負はあまりにも危険。

 四番の浅野よりも、こちらの脅威度の方が高いと判断された。


 ワンナウト一三塁。

 ここで浅野は、己のやるべきことを分かっている。

 外野フライだ。無理に外野の頭を越えることは考えない。

 もちろん普通のヒットでもいいわけだが、ミートを重視して打っていく。


 合わせて打ったボールは、そのままレフトに。

 微妙な当たりで西片は、ホームには突っ込めない。

 ここで本来なら、ハーフウェイで待つのが正しい判断だ。

 しかし西片の能力からすると、それは間違っている。


 レフト大江は打球をダイビングキャッチする。

 浅い位置である。しかし大江は完全に体勢を崩している。

 こういう時の判断を、西片は間違えない。


 三塁スタートした西片に、大江は膝をついたままショートへと送球。

 それを中継していくが、それでも西片の足の方が速い。

 タッチをかいくぐって、その左手がホームベースを叩く。

 ヒット一本もなく、レックスは一点を先取した。




 今季の武史の防御率は0.9と、一点あればだいたい勝てる成績を残している。

 完投した13試合の中で、完封が6とかなり結果を見ればそれもありうる。

 ただ九月に入ってライガースを相手に三試合26イニングを投げて、三失点している。


 完封勝利した試合の中でも、1-0で勝った試合はない。

 2-0というのが一度あるが、それ以外は全て二点以上の援護をもらっている。

 要するに一点だけのリードでは、西郷に一発打たれたら追いつかれるということだ。


 二回の表は、その西郷が先頭打者。

 出会い頭の一発が怖いことは、バッテリーの双方が知っている。

 武史は最初の甲子園で、西郷の率いる桜島に、ポンポンと盛大に打たれた。

 大学では頼りになる先輩として、ポンポンと援護点を取ってもらった。

 ここで勝負するか否か。

 鈍足の西郷なら、ランナーとして置いておくのも悪くはない。

 だが先制したすぐその後に、ノーアウトからランナーを出すのか。


 統計的には逃げ気味のピッチングで問題ない。

 西郷の一発の価値は、この試合では普段よりも大きい。

 ただ冷静な計算だけで、勝負を決めるべきだろうか。

 

 樋口としてはベンチの指示通りに動くだけであるし、

 武史としても樋口のサインに従うだけである。

 ただここで布施は、勝負を選択した。

 歩かせてしまう方が、安全だとは分かっていても。


 二回の表から、ランナーなしで四番を歩かせる。

 そんなことをしていいとは布施は思わない。

 少なくとも昭和の野球を知っている布施は、その良い面も悪い面も知っていた。

 だからこそここで、武史には真っ向から勝負をさせる。

 観客や視聴者が見たいのは、そういった勝負なのだろう。




 ベンチからの指示があれば、あっさりと歩かせていた樋口である。

 特に指示がなくても、勝負を避ける方向で組み立てるつもりであった。

 だがここで勝負の指示が出る。

 武史と西郷では、それなりに危険性がある。

 直史であっても、出来ることなら勝負は避けたいのだが。


 速球派の武史は、大学時代に西郷と何度もフリーバッティングやシートバッティングで、試合ではないが勝負をしている。

 もちろんその時のキャッチャーは樋口であった。

 あれからもう、それなりの年月が経過している。

 西郷は上杉とも勝負してきた。

 もちろん武史も、ピッチャーとしては成長している。


 試合の序盤で、点差はまだ一点なのだ。

 ここから試合が動くことを、ベンチでは当然のように考えている。

 樋口としてもこの勝負で、西郷の一発が出る可能性は低いと思っている。

 だが西郷を歩かせても次でダブルプレイが取れる可能性は充分にあるのだ。

 つまり総合的には、勝負したくない。

 だがベンチの指示には従うのが樋口である。


 まずは膝元へのカットボール。

 160km/hを超えて変化するこのボールを、西郷のバットは捉えた。

 しかし打球は左方向、ファールグラウンドへ飛ぶ。

 二球目はアウトロー。だが外れる。

 西郷は反応はしたが振らなかった。


 速球の後にはまた内角に、チェンジアップ。

 もっとも武史のチェンジアップは、140km/hを超えて沈んでいくボールなのだが。

 これも西郷は、膝を柔らかくして捉えた。

 打球は同じく左方向へのファールフライ。


 ストライクカウントは二つ稼げた。

 だがチェンジアップで空振りを取れていない。

 西郷の中にはちゃんと、遅い球もあったのだ。

 ならばここは、速い球で最後の空振りを取る。


 樋口の判断は、やや拙速であったと言えるだろう。

 まだボール球が使えて、そしt相手は西郷なのだ。

 ナックルカーブをボール球にして、それから勝負という手もあったはずだ。

 しかしチェンジアップで、西郷の意識を引いたのは充分と思ってしまう。


 直史ならば首を振ったろう。

 それに武史であっても、もう少し試合が進んでからなら、確かにその選択で良かったはずだ。

 だがイニングはまだ二回。

 武史はアイドリングが済んでいない。


 アウトハイへ、ボール球になるようなストレート。

 166km/hのストレートへ、西郷は手を出した。

 バットはボールの芯を食わず、大きなフライがライト方向へ。

 普通なら打ち取ったを思うところだが、樋口としては予定外だ。

(まずい)

 甲子園ならば、これは外野フライだ。しかしここは神宮だ。

 西郷は必死で走っているが、フライが落ちてこない。


 打球はぎりぎりでスタンドに入った。

 レックスが一本のヒットもなく一点を取ったのに対し、ライガースは一本のホームランだけで一点。

 まさに対照的な序盤の展開である。




 昨日の直史のピッチングの影響が、自分に残っていたのか。

 樋口は己に腹を立てながらも、武史のフォローに回る。

「すまん。先走りすぎた」

「他の球場ならだいたい外野フライですよね」

 こういう時に武史は、めったいにホームランなども打たれないくせに、下手にひねくれてしまうことが少ない。

 ピッチャーとしての美質なのかもしれない。ただこだわりのなさが、将来的にはどう影響するか。


 ここで落ち込まない武史は、これはこれで才能だ。

 残る打者を三振でしとめて、これでアウト全てを三振で取っている。

 投げるごとに球威が増していって、ライガース打線でもなかなか捉えられるものではない。

 パワーだけで外国人助っ人も抑えてしまうあたり、まさに上杉の後継者とでも呼ぶべきか。


 西郷と勝負したのは失敗だったか、とベンチの首脳陣も考える。

 だが滅多に頭を下げない樋口が、ここで謝ってきた。

「すみません、手順を省きすぎました」

「次は、どうかな?」

「純粋に一対一の対決なら勝ちます」

 樋口もまた燃えているように、首脳陣は思えた。

 お気楽な武史の代わりに、樋口が相手の打線を抑えようとしているのだ。


 正捕手の樋口がそう言うのなら、その通りなのだろう。

 それに武史のボールが本来の威力を発する、無敵状態にまだ入っていない。

「よし、お前に任せる。もちろん試合の状況によるが」

 ここで負けても、まだレックス側が有利。

 そもそも点数においては、1-1で同点であるのだ。


 二回の山田はレックス打線を三人で封じる。

 山田もまた立ち上がりこそ一点を取られたが、崩れて打たれたわけではない。

 この試合はロースコアゲームになるだろう。

 ならば樋口の判断を信じる。




 武史の球威が完全になるのは、球数が50球を超えてから。

 そしてここまで既に、六奪三振を上げている。

 一発を打たれてはしまったが、あと少しの球威が上がっていれば、充分に打ち取れたはずだ。

 それをあそこまで持っていく西郷が、やはり日本人としては規格外のパワーなのだが。


 大介がいなくなっても、まだリーグナンバーワンの打力。

 ペナントレースではだいぶ勝ち越していたが、それでも甘く見ていいものではなかった。

(まずはまた勝ち越してやる)

 キャッチャーとしての役割を強く感じながらも、自分のバッティングで点を取ることも考える。

 今日の樋口は昨日のことを考えても、全体的に積極に戦うつもりであった。

 三回の表、ライガースは下位打線からの攻撃。

 それを武史のアイドリングに使うことを、樋口は決めていた。

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