第132話 24
NPBの歴代シーズン無敗記録は、勝ち星の多さでは上杉の記録した26勝である。
直史の八月最後の登板は、24先発目。
上杉と違うのは、ここまでの試合全てで勝ち星を上げているということだ。
勝率100%というのは、年間無敗に送られる言葉だが、直史の場合は全ての試合に勝ち星がついている。
さすがにこの記録は、上杉も成し遂げたことはない。
26勝した年も、31先発しているのだ。
八月の六先発目は歴代二位タイの無敗シーズン記録となるが、同時にこの試合でノーヒットノーランをすれば、連続月間ノーヒットノーラン記録の更新となる。
と言うか、そんな記録を持っているのが直史しかいないのであるが。
セ・リーグは精神的支柱のいなくなったスターズが最下位で、カップスがブービー。
タイタンズは個人技でどうにか、四位をキープしているといったところか。
ただ三位フェニックスまでの差は大きい。
カップスとしてはスターズが落ちている間に、どうにかまたAクラス入りをしておきたい。
だが現在の打撃力では、直史から点を取るのは難しい。
初めてのホームランを打って初失点を食らわせた初柴も、それ以降は全く歯が立っていない。
直史は一度負けた相手に二度も負けるのは嫌いなのだ。
負けたくないと思うだけで勝ってしまうのはもちろんおかしい。
前のタイタンズ戦は東京ドームだったから、神通力が通じなかったのだ。
だが今日は本拠地神宮が舞台である。
神の座す球場において、直史は投げる。
とりあえず一回の表は、三者凡退に終わらせた。
この試合を見に来ているのは、特にレックスと言うよりは、直史のファンが多い。
そもそもレックスのチケットは、去年から既に毎試合完売だ。
若手選手の活躍もあるし、渋いベテラン西片など、そして顔だけはいい樋口もいるので、女性ファンも増えている。
なお樋口の場合基本的に、関東圏で愛人を作ることはしない。
性欲魔人樋口は、この試合もしっかりと仕事をしている。
得点圏打率がかなり高い樋口だが、得点圏の打点、具体的に言うと内野ゴロや外野フライを必要に応じて打つのが上手い。
このあたりは打点の増加につながっている。
とは言っても、三回までは試合は動かない。
三回の裏、カップスのフィルダーチョイスの間に、レックスは一点を先取した。
応援スタンドが盛り上がってくる。
だが同時に、奇妙な緊張感も漂ってくる。
連続月間ノーヒットノーラン記録などという、訳の分からないものでマスコミが煽ったりするからだ。
今日はあまり、打たせて取るピッチングはしない方がいいかもしれない。
いや、やはりそれをしないと、球数が増えてしまうのだ。
早々にヒットを一本でも打たれて、この奇妙なプレッシャーが消えてほしいものだ。
カップスとしては直史について、とにかく分析はしている。
してはいるがそのピッチングの幅が広すぎて、おおよその傾向さえ掴めない。
球速は最低で90km/hから152km/h。
ただし実際は、もう少し最低球速は上げている。
いざというときの、この60km/hもある緩急。
これにタイミングを合わせるのは、スピードボールに慣れたプロには至難の業だ。
基本的には変化球で、打ち損じを狙ってくる。
手元で動くツーシームやカットボールの他に、タイミングを外したカーブ。
そのカーブに数種類があるため、タイミングを合わせることが出来ない。
そしてカーブだけを狙っていても、まるで見抜いたように他のボールを投げてくる。
基本となるストレートも、単純にそれなりのスピードがあるわけではなく、フォームからリリースの瞬間が見にくいようになっている。
力のある球を投げるのではなく、バッターのタイミングを外すことを重視したクイック。
それでしっかりとスピードを出してくるのだから、バッターとしてもタイミングでは打てない。
さらにサイン交換が早いため、構えてからすぐに投げてくる。
バッターとしてはどうしても、タイミングが外されるのだ。
直史はこれを、もちろん意識的に行っている。
この間合いを外す技術は、中学から高校時代、そして大学にかけて完成させていったものだ。
究極のところは、打とうと思っていないバッターは、確実に打ち取ることが出来る。
全く動けないか反射で手を出してしまって、凡退するしかないからだ。
バッター心理も読めば、それで確実に勝つことが出来る。
ただ時々、バッターの狙いとタイミングが合ってしまって、打たれることはある。
ピッチングに完璧はない。
だから完璧に、近づけていくのだ。
一番確実なのは、上杉のように「分かっていてもどうしようもない」球を投げることなのだろうが。
それが出来なくても、人間が反射的には打てなくなるコンビネーションはある。
あとはどれだけ、それを正確に投げていくかだ。
カーブやカットボールは、基本的には当てるぐらいは出来る。
それでもそれをジャストミートすることは難しい。
チェンジアップにしても、変化の仕方が色々とある。
速い球には詰まってしまうが、遅い球には泳いでしまう。
コントロールとはコースだけではないのだ。
狙いを絞って、打つことは可能だ。
ただしそれも、ゾーン内に投げているという前提がある。
おそらくは狙っているボールでも、ゾーンを外してしまえば、ファールでカウントが取れる。
そしてスイングによって、狙い球が分かる。
ならばそこから逆の性質の球を投げれば、確実に打ち取れるというものだ。
カップスのバッターは現代野球とは思えないほど、バットをやや余して持ってきた。
長打を捨てて、ヒット狙いのスイングにしてきたのだ。
連打による得点というのは、直史相手にはむしろ非現実的なのだが、タイタンズ戦のようなこともある。
エラーが重なり進塁打が上手く打てれば、得点にはなるのだ。
そもそもプロの世界の守備に、そんなエラーを求めるのが、都合が良すぎるとも言えるが。
直史が考えているのは、まずこの試合の勝利。
そして七回まで二失点以内に抑えること。
そうすればハイクオリティスタートで、インセンティブが100万円発生する。
万が一の逆転で、勝ち星100万円のインセンティブが消滅しないよう、最後まで完投もしたい。
だがカップスは、かなりいつもよりも執念深い。
直史のインセンティブには、ノーヒットノーランやパーフェクトに関しては、何も決められていないのだ。
そもそもそんなもの、狙って出来るものでもない。
なので実は直史的には、完封で勝てばノーヒットノーランやパーフェクトは必要ないのだ。
それでもあえて完璧を目指していくのは、相手の心を折るため。
大介のいない今、全身全霊を賭けて抑えるべきバッターは、もういないと言っていい。
あとは確率で、打ってくるかもしれないバッターばかりだ。
そう、ノーヒットノーランも、パーフェクトもいらないのだ。
それなのに七回を終えた時点で、直史はパーフェクトピッチングをしていた。
「なんで今日はこんなに球数が多いんだ?」
文句というわけではないが、樋口に尋ねる。
「球種を絞ってコンパクトに振ってくるからだろうな」
「ならゴロを上手く打たせたら?」
「ゴロを打つぐらいなら、潔く空振りという感じか」
多少の差こそあれ、直史を攻略しようとしたことは、前にもあったことだ。
そしてその時は、問答無用で三振を奪いまくった。
この試合もかなり、三振は多めになっている。
ただ直史はやはり、いくら三振を奪ってもインセンティブはつかない。
奪三振王についても、登板イニングが極端に多いため、獲得はほぼ決まっている。
ただ味方の追加点が入っていないので、どうしても確実にアウトを取っていきたい。
「あと二点ぐらいはほしいな」
直史は小さく呟くが、今日のレックスは打線がつながらない。
こういう日もあるのだ。
そしてそういう時は、一発で点を取ってくれるバッターがありがたい。
レックスの五番モーリスによるソロホームラン。
二点差となり、勝利は近づいてくる。
パーフェクトが続いてくると、樋口としてもピッチングの幅を、ある程度考えていかなければいけない。
だが同時にあちらの打線も、なんとしてでもパーフェクトは避けたいと思ってくる。
そういう時に利用するのは、直史はボール球をほとんど投げないという思い込み。
それを利用してボール球で、スイングストライクを取る。
樋口も別に、パーフェクトにはこだわっていない。
大学時代から何度、直史のパーフェクトピッチングに付き合わされたことか。
樋口は組むピッチャーに恵まれている。
同時にそれらを活かす、大任を任されてもいるが。
今日は球数がやや多めだな、というのが気がかりであった。
だがパーフェクトを続けているため、下手なリードもしづらい。
観客はなぜか打たれたときはキャッチャーのリードが悪く、抑えたときはピッチャーの力が優れていたと言いたがる。
樋口はそんなことはあまり気にしないが、ただ彼もまた完璧主義者であった。
それに応えてしまう、直史も直史だ。
あるいはここで多めに球数を投げてしまえば、次の試合に疲労が残っているかもしれないのに。
だがバックを信じて、打たせて取る。
そして追い込んだら三振も狙っていく。
最も多くのノーヒットノーランを達成した投手。
同時にそれは、最も多くのノーヒットノーランを達成させた捕手も生むのだ。
やがて球場は、期待が満ちて雑音が減っていく。
何か巨大な虫の大群がやってくる前のような、耳が痛い静寂。
その中で直史は、アウトカウントが増えるたび、無言で守備陣に指を立てる。
ノーヒットノーランもパーフェクトも、バッテリーの力だけで達成するものではないのだ。
守備の力が脆弱であると、むしろ失点までしてしまう。
特に内野ゴロの処理は、内野守備陣の見せ場。
外野にまで打たれるのは怖いので、主にゴロを打たせるピッチングとなる。
時折混ぜるストレートは、スピン量が多く軸が美しく、ホップ成分を多く持つ。
それは高めに外したら空振りが狙えるし、ゾーンの中でもフライを打たせることが出来る。
ポテンヒットはこういうとき、一番怖いものだろう。
だが直史はヒットを打たれることを恐れない。
自分の持つボールのコンビネーションをしっかりと幅広く使っていくのだ。
九回の表、カップスは七番からの攻撃。
プロの選手として見逃し三振はしないように、しっかりと直史のボールも見ていく。
直史はそれに対し、ゾーンとの境目ぎりぎりを狙って投げる。
審判もそこに投げられたら、ストライクを取ってしまうのだ。
直史は失投しないという信仰が、ここにも存在する。
最後には代打が出てきたが、いきなり出てきて打てるものではない。
それでも外角を中心に、ストライクカウントを増やして追い込む。
そして追い込んだら、ストレート。
高く打ち上げられたボールを、マウンドで他の野手には任せず、直史は自分でキャッチした。
パーフェクトゲームの完成。
五ヶ月連続で、パーフェクトを含むノーヒットノーランの達成。
そんな頭のおかしな記録が、またここで生まれたのであった。
九回を投げて127球。
確かに直史にしては、少し多い球数であった。
19奪三振とはいえ、消費したスタミナは大きい。
予定通りであれば、また中四日で、次はやはり神宮でフェニックス相手に投げることとなる。
野球というスポーツがここまで、一年を通じて熱狂的に騒がれる。
それは去年の、上杉、大介、直史がいた頃にも同様のことであった。
だが今年は直史が、圧倒的な記録を残し続ける。
四月に西郷にホームランを打たれてから、自責点は0のまま。
そして投げるイニングが多いため、去年よりも防御率は低くなっていく。
マスコミはおおいに騒いでいるが、直史自身がそれにあまり協力的ではない。
去年の武史の怪我のことといい、悪い印象を持っているのが確かだ。
あまりにマスコミがひどいと、警察がやってきたりもする。
報道の自由が~などと言われても、マスコミは報道しない自由を行使することが多いのだ。
八月が終わる。
八月の直史は、六先発して六勝。
当たり前のように月間MVPに選ばれて、そして24連勝。
残りの九月も、このままなら30勝に到達する。
しかしこの時点で既に、イニング数は200を超えて投げている。
奪三振も300を超えた。
あとはタイトルの行方だが、それもおそらくは問題ない。
ここから直史が崩れていくというのは、あまり現実的ではないのだ。
ここまでは圧倒的に非現実的な数字を残しているが。
直史はデビューしたのが27歳であったので、さすがに通算で大きな記録が残せるとは思われていなかった。
しかしパーフェクトの達成回数、ノーヒットノーランの達成回数、完封の達成回数。
どれもこれもシーズンの記録を塗り替えていく。
「それでも奪三振は上回れないんだからなあ」
上杉の持っている年間の奪三振記録に追いつくには、まだまだ100個以上足りない。
なんなら去年の武史の数にすら届かないだろう。
だがそれが、直史のピッチングのスタイルだ。
ここまで無茶苦茶なことをしてくれたのだから、もういっそ九月もパーフェクトをしてくれ。
そんな無茶な期待が、直史にはかかってきている。
もしもこんな調子で勝ち星を上げていったら、10年もしなくても200勝に到達する。
直史がそんなことは望んでいないのは、一般には知られていないのだが。
海の向こうのアメリカでは、大介が圧倒的な数字を残している。
単純に野球という枠ではなく、社会全体を動かすぐらいに。
だがそんな大介に対し、直史はほぼほぼ勝っているのだ。
直史は大介から、一度も逃げていないのに。
大介が日本に戻ってくることは、しばらくないだろうと思われる。
ならば二人の対決は、直史が渡米しなければ成立しない。
ただし直史は、忘れられがちだがまだ二年目だ。
ポスティングの移籍を承知しないだろうと、無責任にネットでは言われていた。
そもそも直史は、プロの世界に来ること自体、不本意ではあったのだが。
しかし契約を知っている球団関係者は、このオフの直史の移籍を確信していた。
あとは直史を売った金で、どこまでの補強が出来るかだ。
そうは言ってもレックスは、ピッチャーは足りている。
そのピッチャーの中心が抜けるのだ、という話ではあるが。
残りレギュラーシーズンは一ヶ月。
直史がどれだけ信者を増やしていくか、恐ろしい一ヶ月がまだ残っているのだ。
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