第118話 KKK!

 この時代、凶悪な性能を誇る野球選手として、上杉、大介、直史がおおよその場合名前を挙げられた。

 武史はえげつなさにおいて三者に及ばないため、そこまでの脅威を感じるものは少なかった。

 この時点では、だが。


 MLBに行って明らかな故意の死球を投げられた大介は、報復としてピッチャー返しをした。

 幸いにも今のところは、今のところは、今のところは死者は出ていないが、脳震盪で昏倒する者は出ている。

 いつかは死人が出てもおかしくないし、それでなくてもバックスクリーンのビジョンなどを破壊しているので、大介は危険極まりない。

 それに比べると直史は、危険球退場が一度だけはあったが、それ以外は一度もデッドボールを直接与えたことはない。

 つまり危険性においては、大介の方が直史よりも上である。直史は優しいのだ。


 あくまで見える範囲では。


 心の傷は目に見えない。

 直史にボコボコにされたウォリアーズが、その次の試合も青砥に完封をやられたように、直史は相手のメンタルを殺す。

 人を殺すのではなく、その怨念でもって殺すのだ。

 どちらが性質が悪いかは、なかなか区別が出来ないものであろう。

 もちろんそれぞれの被害者は、俺の方がひどいと言うだろう。

 大介にデッドボールを投げて報復を食らったピッチャーは、実際に肉体の傷だけではなく、しばらくはイップスになったものだ。


 さて、そんな目に見えない合法的な精神的外傷を、直史はどうつけていったか。

 簡単な話で、とにかく三振を取りまくったのだ。

 普段は打たせて取ることを良しとし、省エネで済ませる直史。

 その九回までを投げての最多奪三振は、昨年のプレイオフでのライガースを相手とした、22奪三振である。

 この日は明確に、それを上回ることを目的としていた。


 ヒットを打たれることはともかく、フォアボールでランナーを出すことをついに解禁したのだ。

 ゾーン内で勝負するよりも、ボール球を振らせる方が、空振りは取りやすい。

 だがもちろんそれを見極められれば、ボール球が嵩んで歩かせることにもなる。

 それが嫌いな直史は、常にコストパフォーマンスを考えて投げている。

 セイバー・メトリクス的に考えれば、フォアボールでランナーを出すことは、単打でランナーを出すよりも、球数が嵩んでより悪い。

 いっそのこと単打まで、あるいはホームラン以外であれば、フォアボールは極めて少ないほうがいいのだ。

 だが今日はその制限も撤廃する。




 外角を狙うバッターには、外角のボール球と内角で勝負する。

 高めをひたすら待つならば、さらに高めを投げて振らせる。

 緩急を考えていそうなら、速いボールばかりで勝負する。

 インハイのストレートはなかなか、直史のスピン量では打てないのだ。


 緩急をあまり使っていかない。

 それよりは変化球の変化量を意識する。

 懐に突き刺さるツーシームを投げられた後だと、アウトローは見逃すしかないバッターも多い。

 プロであっても基本的に、三割打てればいいバッターだ。

 だが直史は、当てさせるのさえファールカウントになるツーストライクまで。

 デスサイズなどとも呼ばれたパワーカーブは、伸びのあるストレートと交互に使われると、バットがついていかない。


 そして両チームが、同じぐらいのタイミングで気づいた。

 口にしたのは、レックスの布施の方が早かった。

「あいつら、ノーサインでしとらんか?」

 明らかに樋口のサインがなく、直史も頷かず、そして樋口はミットをどこかのコースに構えない。


 バッターがスルーを空振りする。

 年間に二球ぐらいしかパスボールをしない樋口が、ボールを見失う。

 ランナーとして振り逃げで出るが、普段は牽制の恐ろしい直史が意識をしない。

 しかし盗塁をしようというタイミングの前に、クイックで投げてしまう。

 走れない。

 ランナーの方を見ていないのに。


 悠木がかろうじて内野安打で出塁し、ノーヒットノーランも防いだ。

 だが今日の直史のテーマは、ノーヒットノーランでもマダックスでもない。

 無四球ピッチングはしているが、これはあくまでも結果論。

 本日のミッションは、とにかく奪える限り、三振を奪ってしまえというものだ。

 そして振り逃げでランナーが出たことは、むしろ望ましいことだ、

 なぜならその分、さらに三振が奪えるから。


 直史の本来のピッチングの到達点は、27球で27個のアウトを取るというものである。

 この間のウォリアーズ戦のピッチング、77球での完封というのが、プロ入り後は理想に一番近いものであった。

 昭和の大投手江川卓は、高校時代に全てのアウトを三振に取れないか、挑戦したことがあるという。

 いや、常にそれを理想としていたと言うべきか。

 さすがにプロに入ると、普通に打ってくるバッターがいて驚いたそうだが。




 直史も今日は、とにかく三振を取ってやれと考えた。

 一回にフライアウトがあるため、27奪三振は無理だと思った。

 だが樋口が後逸をしてくれた。

 ここで27個目の三振を取る可能性が出てきた。


 ノーサインで投げているため、クイックの速度も極端に上がり、一塁にランナーがいても走るタイミングがない。

 お前はそこでおとなしくしてろ、というわけだ。

 ただ、直史にも限界はある。

 それは人間には限界があるのと同じぐらいの意味で、限界があるというものだ。


 内野安打で出た悠木が一塁にいるとき、サードに強いゴロが打たれた。

 村岡はそのまま、二塁ベースに送球してフォースアウト、小此木もファーストに送球してダブルプレイ。

 27個の奪三振の夢は、本当に夢のままで終わってしまった。

 それにファルコンズは安堵したかもしれない。

 さすがにサードゴロをヒットにしてくれとは、言えない直史である。




 キャッチャーに専念している今日の樋口は、打撃の方にリソースを振っていない。

 なので中軸の樋口が打たないため、なかなか点も入らない。

 ただそれ以外の部分で、今年のレックスはかなり打線が整備されている。

 樋口が抜けたときもあったが、今では当初の予定通りの得点力となっている。


 八回を終えた時点で、スコアは3-0とレックスのリード。

 おそらく九回の裏の攻撃は、回ってこないだろう。

 珍しくも疲労のため息を吐きながら、キャッチャーボックスに入る樋口。

 そしてマウンドに立つ直史を見て、足を小鹿のようにぷるぷると震わせてバッターボックスに入る、いかついプロの男ども。

 完全に心が折れてしまっている。


(それにしても、フォアボールが出ないな)

 今日の直史は、フォアボールが出ることも許容して、三振を奪いにいっている。

 振らなければボール球、というのがそこそこあるのだ。

 ただ、ほとんどのバッターは振ってしまっている。

 間違いなく直史の、早すぎるクイックの効果だ。


 バッターボックスに入って、のんびりとしていたらあっという間に三振になってしまう。

 それを避けたいと思って振っても、ゾーンから逃げていくボールが多い。

 こんな状態だからこそ、待球策は効果的だと思うのだ。

 だがそれをやってしまうと、あっという間にツーストライクに追い込まれてしまう。


 九回の表の攻撃は、八番バッターから始まる。

 ファルコンズは代打を送っても良さそうだろうに、なぜそうしないのか。

 これ以上バッターの死体蹴りをするのは、樋口としても本意ではない。

 ベンチの中の、まだ生きているバッターの、精神を殺しておきたいのだ。


 だが、八番は三振となる。

 完全にタイミングを外したカーブを、そのまま振ってしまったのだ。

 九番のピッチャーのところには、さすがに代打が送られた。

 普段ならパのチームはピッチャーはバットを振らない。

 だが交流戦で神宮側の試合となると、バッティングの機会があるのだ。


 その代打に対しても、直史はスルーとカーブとストレートで、三振を取っていった。

 ツーアウトになって、この試合で唯一のヒットを打っている悠木に、第四打席が回ってくる。

 今日は樋口のパスボールの一人と、悠木の内野安打だけが、直史の許した出塁だ。

 もっとも悠木は走塁のタイミングが計れないために、ダブルプレイでアウトになってしまったが。

 あのせいで直史は、アウト全てを三振で奪うことを、諦めざるをえなくなったのだ。


 最後の打者としても、どうにかしてヒットを打ちたい。

 それが贅沢ならば、内野ゴロなり内野フライでの、三振以外のアウトになりたい。

 ここまでに直史の奪った三振の数は、なんと24個。

 大学時代にまで遡れば、実は24個の奪三振で完全試合をしたことが、二度ある直史だ。

 もちろんその時の相棒は樋口であった。


 ただ六大学の記録となると、武史が25奪三振をやっている。

 情け容赦のないことであるが、直史に人のことは言えない。




 最後の悠木はチェンジアップを空振りし、ワンバンした球を樋口が捕球し、タッチアウト。

 これにて25奪三振の完了である。

 九回28人に投げて、129球。

 直史にしてはかなり多い球数だが、それでも完投したにしては、充分に少ない球数だった。


 ピッチャーの一つの形としては、全てのアウトを三振で取るというのは、理想の一つであるのかもしれない。

 フェアグラウンド内に一球も飛ばさないということは、守備が他にいらないということである。

 今日の場合はダブルプレイの処理のため、村岡、小此木、モーリスを使い、ファールフライのアウトに浅野を使ってしまった。

 しかしそれ以外の野手は、プレイの中ではボールに触っていない。


 ひどすぎる虐殺であった。

 まさにプロ野球選手としての、心を折って砕いて粉々にするような試合であった。

 だが直史は優しいから、同じような攻略法をしてこない相手ならば、こんなピッチングはしない。疲れるし。

 途中からは普通に打ってきていたような気もするが、おそらく気のせいだろう。

 三振を取ることを狙っていたので、相手がどう動いているかなどは分からなかった。


 虐殺と言うべきか、蹂躙と言うべきか、抹消と言うべきか。

 ここからしばらくファルコンズの野手は、バッティングだけではなく守備や走塁なども、ボロボロになってしまうのだ。

 ある程度戦力は整ってきたのに、一気に戦乱のパ・リーグで順位を落としていく。


 これが、大介と直史の怖さの違いだ。

 もちろん大介も、まともに勝負したら、高確率でホームランを打ってくる。

 だが大介が相手であれば、申告敬遠で逃げることが出来るのだ。

 かつてはホームラン王争いのために、相手の強打者を敬遠しまくる、消化試合の時代があった。

 今ではクライマックスシリーズのおかげで、そういってものが少なくなっているが。


 直史からは逃げられない。

 ピッチャーのボールは、何をどうしても打ちにいかなければいけないからだ。

 見ないふりをして見逃していれば、そのまま三振となる。

 今日は見逃しよりも空振りの多い、よりショックの多い三振が多かった。




 試合後のインタビューで、直史は普通に答えたものだ。

「ファルコンズの作戦が厄介だったので、積極的に三振を奪いにいきました」

 直史が奪ったのは三振ではなく、ファルコンズ打線のプロとしての誇りであるだろう。

 選手だけではなくコーチ陣なども、死んだような土色の顔色で、インタビューに答えていたのだから。


 内野安打を打った、ある意味一矢を報いた悠木であるが、最後のバッターにもなってしまった。

 先頭打者としてはかなり攻撃的なバッティングをする悠木は、この試合の後にかなりスタイルが変わり、そしてしばらくはスランプに陥る。

 もっとも他のバッターも、ほとんどがスランプに陥ってしまうのだが。

 そこそこチームの育成がしっかりしてきたファルコンズは、その時間を一気に元に戻されたか、さらに深いところに突き落とされた気がしただろう。

 世の中には、絶対に怒らせてはいけない人間がいる。

 いや、普通の作戦を採用しただけで、それで怒るというのもひどい話なのだが。


 佐藤直史の怒りは、常に冷徹な仮面をもって行われる。

 それを多くの人間が、再認識しただろう。


 当然と言うべきか、ファルコンズはこの三連戦、全てを落とすことになった。

 それどころか三試合連続で一点も入れられず、連続無得点イニングが始まる。

 本当に、絶対に、間違いなく、この世にはどうしようもない、不条理の形をした人間はいるのだ。


「佐藤は本当は、プロに来てくれなかったほうが、良かったんじゃないか」

 苦々しくとか、そんなレベルではなく放心した無表情で、この試合結果を見る者もいた。

 たとえば上杉や武史も、20奪三振前後は奪うことがある。

 だがそれはストレートの空振り三振が多いもので、直史のような緩急やコースの自在さはない。

 どこかのコースに、おかしなタイミングでボールが投げられる。

 それを打たないといけないのだから、バッターのスイングが完全に崩壊することは、確かに当たり前のことなのだ。




 これに続いて先発として投げた金原と青砥は、かなり楽な試合をさせてもらった。

 ただ同じチームメイトでありながら、あまりにもひどいと思ったことも確かだ。

 同じ人間の心がないのか。

 あるいはこんなことを恐れたからこそ、直史はプロの世界に入ってこなかったのか。

「ホラーだ……」

 二戦目の負け投手になった淳は、改めてそう思った。


 考えてみればここまで、一度も負けたことがないというのが、プロのピッチャーとしてはおかしなことなのだ。

 上杉や武史も一年目、無敗のシーズンを送っている。

 だが直史ほどに、どの試合もほとんどノーヒットノーランに近いなどということは起こっていない。

 それはまあ二人の活躍の時期には、大介がいたから苦労したというのもあるだろうが。


 久しぶりにたくさんの球を投げた直史は、その翌日も普通にキャッチボールをしていた。

 調整のためのランニングをする直史を見て、拝んでいる選手もいたらしい。

 やはり神宮球場には、物の怪が棲んでいるのだ。

 甲子園のマモノとどちらが恐ろしいか。

 判断は人それぞれだが、神宮の物の怪は、確実に人の姿をしているのであった。



×××


 ※ 大学二年生春 対法教大学 129球24奪三振 完全試合

   大学四年生秋 対慶応大学 134球24奪三振 完全試合

 ただし慶応戦は延長12回までを投げており36のアウトのうちの24個が三振のため、正確には24奪三振は一度だけとも言える。


 ※ 高校編185話はそろそろ、東方編小此木君の出番が増えてくるらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る