第93話 課題?
※ さほど問題ではないですが時系列は飛翔編65話が先です。
×××
一年弱世話になったレックス寮から、直史は完全に荷物を移動させる。
新しく住む場所は、元々東京に近い千葉であり、去年から瑞希は真琴と一緒に住んでいる。
もっとも瑞希が働くのは父親の弁護士事務所なので、直史が地方に遠征している時などは、ほとんど瑞希は実家に戻っていたのだが。
この冬には直史の実家で過ごすことになり、長男とその嫁と長女の三人は田舎の広い家に戻ってくる。
特に直史はシーズンが始まる前、キャンプから一度寮に戻って以来、なかなか本格的に実家に戻ってくることはなかった。
武史と恵美理、そして大介とツインズまでやってきてと、久しぶりに佐藤四兄妹がそろった。
なお淳はもう仙台の方に戻っている。
赤ん坊が三人もいると、やたらと騒がしい。
この中では武史の長男が一番年上であるが、学年的には一年上でも、その生まれは一年も離れていない。
大介の場合はツインズはもう外に嫁にいった扱いなのだが、大介自身が実家では肩身が狭いため、こちらの方にやってきたりする。
惣領息子の義弟にあたり、またその活躍は全日本に知られている。
だが佐藤家の親戚にとっては、よくもまああの凶暴な双子を両方とも抱え込んだものだ、という畏怖がある。
直史は来年、海を渡る。
大介とは違いポスティングを利用することになるため、交渉の手順は多少変わってくる。
また他方で武史は、年俸の方が気になっている。
武史も契約更改を終えて、来季の年俸は3億7000万となる。
五年目の大卒選手としてでも、とんでもない高額だ。
だが大介が五年目の時は、ほぼ倍になる七億でプレイしていた。
やはり球団の資金力の違いというのもあるだろう。
「俺もMLB行こうかなあ」
レックスフロントが聞いたら卒倒しそうなことを武史は呟く。
大介と上杉の年俸は、やはり特別すぎるのだ。
この二人の年俸が突出していて、ライガースには他にも真田や西郷などのスタープレーヤーはいるが、評価の基準がそもそも違う。
二人は既に球団を象徴するような選手であり、広告としての効果が傑出しているのだ。
その意味では「特別な」選手は武史や樋口ではなく直史になるだろう。
純粋な年俸以外に、CMやスポンサーとして、大介は数億の契約をしていたりもする。
直史はこのオフの間に、そういうことを話し合っていく必要があるだろう。
「そういや大介さん、スポンサー契約とかどうなったの?」
武史の感覚としては二股発覚は、立派なスキャンダルである。
だが大介ではなくツインズがふんすと鼻息を荒くした。
「民事、刑事問わず訴訟を起こされる事態になった場合、イメージの低下による損失を与えたとして違約金が発生するの」
「それで今回、誰か訴訟を起こした人はいたかなあ?」
「き、汚ねえ」
ツインズの万全の契約対応に、さすがと言うかなんと言うか迷う武史である。
ただ実際あれは、騒ぎにはなったがさほどイメージ低下などはなかったというか、一部がやたらと騒いでいただけとも言える。
年末年始の三日を明けると、もう直史の感覚は実戦に向けて切り替わる。
今年は大介がアメリカに行くということで、高校時代のチームメイトを合同で自主トレをしないかと誘った。
淳だけは既に先約があったものの、他のメンバーはアレク以外はそろう。
アレクはそもそもブラジルにいるわけで、寒いこの季節の日本で調整をする意味などはない。
なおこの様子を見学したいと、実家に戻ってきたジンがやってきたりもした。
高校野球の監督としては、プロのトレーニングを見たいという気分もあったのだろう。
その内容に付き合ってもみたが、さすがに現役には及ばない。
ゆっくりとしっかりと、体を作っていく現役選手たち。
ただしピッチャーに対してキャッチャーが少ないので、球を受ける機会などは発生する。
岩崎、直史、武史と三人のピッチャーがいる中で、一番球速があるのは武史である。
そして岩崎、直史と続いていくのだが、同じストレートでもやはり、球速以外に特徴がある。
三振を奪えるピッチャーは、武史が一番となる。
だが直史は変化球にストレートを絡めてくるので、それで三振が奪いやすくなる。
配球による奪三振。
樋口と組んでいる直史は、確実にレベルアップを続けている。
ピッチャーがキャッチャーを育て、キャッチャーがピッチャーを育てる。
その話は本当だなと、高校生の球を受けるジンはつくづく感じる。
大学野球に比べると、格段にレベルの落ちるピッチャーしかいない。
だがそれは当たり前のことで、むしろジンは大学時代よりもさらに高校時代の方が、ピッチャーのレベルは高かったと感じてしまう。
ピッチャーとしてプロに行った選手が、何人もいるからだ。
直史の成長は直接この目で見てきた。
また武史もパワー以外はかなり微妙なところからスタートした。
左のアンダースローなども経験している自分は、下手なプロのブルペンキャッチャーよりも経験は豊富であるのかもしれないと思う。
去年の成績は、とにかく直史のピッチング成績が異次元の数字であった。
だが話してみると、やはりそのピッチングには進化が見られる。
樋口と組んだ大学時代だけではなく、クラブチームの影響もあるのだろう。
優れた者から学ぶことは当然だが、劣った者からも学ぶ。
直史が手に入れたのは、その投球の幅だ。
大介相手に、適当な球速のストレートをど真ん中に投げる。
あれは計算どおりなのか、チェンジアップの投げそこないなのか。
直史としては簡単に言ってしまえば、相手が予測していない球さえ投げれば、最悪でもホームランにはならないというものだ。
コントロールを良くしてギリギリのところに投げられるようになるコマンド。
それとは全く別に、緩急だけを意識して甘いボールを投げる。
高校時代に考えていた、完璧なコントロールよりもさらに、投球の幅は増えるのだ。
ホップする回転軸の、伸びのある球はピッチャーにもキャッチャーにも指導者にも好まれる。
だが実際のところは伸びのない沈む球は、バッターの打ち損じを狙える。
フライボール革命が浸透する前のMLBでは、いかにバッターの打ち損じを狙い、球数を制限するかが重要だった。
その頃はムービング系のファストボールが必要だったのだ。
今はホームラン狙いのスイングが多いため、ブレーキのきいた大きな変化球と、高めに投げるストレートが有効になっている。
三振はどんどん増えているが、ホームランを狙うその意図は、統計的には正しいと証明されている。
ジンがわずかな休暇を終えまた兵庫に戻り、大介はニューヨークに行ってから先にキャンプ地で自主トレをする。
直史はキャンプ入りまでは基本的に、SBCでの練習とトレーニングを主なものとしていた。
だがさすがに限られた人間だけに、ピッチングの練習をするわけにもいかない。
よって新潟から戻ってきている樋口を誘って、埼玉のレックスの寮を訪れたりもする。
今年もまた、新しいひよこたちが合同自主トレなどをしている。
それとは別に既に寮に戻っている選手たちを、バッターとして借り出してくる。
バッターをボックス立たせた状態でのピッチング。
直史はこのオフに、ちゃんと課題をもって取り組んでいた。
直史の課題とは、球速である。
散々ピッチングの要諦は球速ではないと言いつつ、そこが分かりやすい問題点だ。
来年にはMLBに行くことになっている直史の、唯一傑出していない点。
それが球速だ。
ほぼ二ヶ月ほどは球速のための筋力増を考えたが、あまり上手くいかなかった。
そもそもの話、NPBならば現時点でのピッチングで充分であるし、MLBにはまた違ったピッチングが必要になる。
使うボールが変わって、WBCの時のものになるのだ。
あの時は短期決戦であったからともかく、次は162試合のシーズンだ。
そして一試合当たりの球数は100球程度で、七回まで投げれば上出来。
完投などせずに最多勝ということすらある。
そして最大の問題は、中五日か中四日という登板間隔。
直史の課題は集中力の持続になるだろう。
せめてキャッチャーのリードが優秀ならば、もっと楽は出来る。
だがMLBのピッチングはこれまた統計で、その統計を逆にどう読むかで配球は変わる。
MLBを意識したピッチングを、試しておく必要がある。
ただレックスは先発が充実していて、直史が無理をする必要があまりない。
他人からは無理に見えているかもしれないが、直史本人は無理をしていない。
なんだかんだ週休二日以外は、毎日トレーニングをするオフであった。
ただ去年と違って、今年はまだしも余裕があったことで、直史は家族と過ごすことが出来た。
そして二月も目前、二年目のキャンプが始まろうとしている。
直史が今年で抜けるので、レックスはFA権を得るピッチャーの引きとめにかかった。
佐竹と、また吉村もFAになるのだが、吉村としては怪我がちなことや地元であることも考えて、優勝後のご祝儀年俸で割りとあっさりと確保出来た。
本人としても上杉の抜けたスターズや、内部抗争が聞こえてくるタイタンズへ行くのは、あまり気がすすまなかったのだ。
マリンズという選択肢もあった。マリンズは去年もなかなかの内容でAクラスを確保していたが、それよりは余裕のあるレックスで、余裕のあるピッチングをすることを選んだ。
吉村は今年で29歳になるが、ピッチャーとして長くやっていくのは難しいと分かってきている。
だがだからこそ、どの選択をすればもっとも長く現役でいられるかを考えたのだ。
佐竹は複数年契約を提示されて、特に文句はなかった。
自分までさらに引き止めるのは、いったいどういう理由があるのか、と考えたぐらいである。
そして勘違いであるが、武史のポスティングの可能性に思い至った。
メジャーリーガーの中に混ぜてもほぼ最強レベルの球速を持つ武史。
大卒の武史は今年が五年目であるが、来年のシーズン終了後にポスティングするなら、確かに佐竹は残しておきたい。
あとは純粋に日本一にまでなったことで、興行収入が増えて使える金額も増えたのだ。
またFAやトレードで放出はなかったが、獲得もなかった。
ただアメリカの3Aから、打てそうなバッターを取ってきた。
去年はプレイオフで、樋口の故障後に打線が機能不全を起こしたので、それを考えての補強だろう。
また去年のドラフト組は、小此木以外も育ってきている。
ドラフトはピッチャーと野手を半分ずつ取った。
これ以上投手力を強化するのかとも思うが、戦力の継続は大切なことである。
そして野手を取ったのは、外国人補強での当たり外れがあるからだ。
出来れば打てる野手は育成して、自前でそろえてしまいたいというのが本音だ。
だがおかげでキャンプインの時点では、圧倒的な優勝候補として挙げるものが多かった。
ライガースは大介がいなくなり、スターズは上杉がいなくなった。
投手陣が変わらず、樋口も無事に治癒し、そして打線の底上げを狙ったレックスが、確かに最強と思われるのは当たり前だ。
今年のセの優勝候補は、ほとんどの人間がレックスを上げて、ごく一部がライガースを上げた。
それも条件として、樋口の故障が完治していないか、あるいはまた起こる可能性を口にしたのだ。
「実際のところ、どう思う?」
直史は樋口に対して、そう質問した。
「選手の戦力はそろってると思う」
樋口はそう答えた。その答え方から、問題点がどこにあるのかは直史にも分かった。
「首脳陣がな」
そこである。
直史の酷使の責任に、優勝の勇退も含めて、木山は監督を辞任した。
そしてそれと共に、一軍のコーチはほぼほぼ全員が配置転換された。
外部から新しい監督を入れるのではなく、二軍監督を昇格させたのだ。
直史は一年目のキャンプから一軍帯同だったため、あまり人柄などは知らない。
「どういう人間だ?」
「俺を開幕時点で一軍に上げようとしなかった人間だ」
樋口はプロ入り一年目、開幕からしばらくは二軍でスタートしている。
無能というわけではない。
また樋口の能力を見抜けない曇った目の持ち主というわけでもない。
ただ年齢は木山前監督よりも上で、考え方が保守的だ。
目の前の事実よりも、自分の経験に判断を置いてしまう。
「そういうのを老害と言うんじゃないか?」
直史の言葉は辛らつであるが、樋口もその気配はするな、と思っている。
ただ人格の方がおかしいわけではないので、かろうじて二軍なら任せられる。
経験からしっかりと選手を育成する能力は、それなりに優れているのだ。
だが育てるのはともかく、勝つのはあまり得意ではない。
樋口としてはそういう評価だ。
樋口の評価が直史と異なることはほとんどない。
そしてこの二人は、両者共に古くからの野球脳が嫌いである。
「せめて投手起用に耳を傾けてくれれば、それだけで充分に勝てると思うんだけどな」
そこが難しいのだと、樋口は言いたげであった。
前年、過去最高の勝率に、数々の記録的な勝利を残したレックス。
やや微妙と指摘された打線も、かなりの強化がされているはずだ。
ただ最強の覇者は最強であるがゆえに、それなりの課題も抱えていたのである。
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