六章 世界への助走
第92話 成果報酬型
秋季キャンプをやる球団はやって、やらない球団はやらない。
直史の場合は当然ながら、もうずっと休んでいなさいという状態だったのだが、軽くランニングをしてストレッチなどは毎日行う。
将来の肥満を防ぐため、完全に勉強しがしていない間も、ストレッチはやっていた。
この習慣がなかったら、果たして復帰など出来ただろうか。
一年目ながら戦力となった小此木などは、国外のウィンターリーグに送り込まれたりもした。
ルーキーながら妻子持ちの直史は免除である。
日本シリーズ直後は多かったマスコミの露出は、大介の海外移籍で話題が移っていった。
そもそも大介の移籍をどう思うかなどと訊かれても、マスコミの過剰な報道が原因としか答えられない。
直史は怒りを爆発させるタイプではないが、実際の事件や裁判の判決を知っているだけに、下手につつくと危険なのだと分かった。
寮を出た直史は、親子三人で神宮と法律事務所に通うのにいいあたりのマンションへ引越し。
そして契約更改がやってくる。
ただ直史を前にして、GMや編成部長など、現場ではない人間が主に接することとなった。
監督の木山の後任人事はまだ決まっていない。
普通なら直史のように大きく金額が動く選手は、もう少し後に回ることが多い。
だが直史の特殊性のために、先に決めてしまうのが今年のレックスだ。
契約書にも完全に入れてある、来シーズン終了後のポスティング許可。
困った顔を並べて、直史一人と対峙するレックス経営陣である。
「まずは来年の年俸だが」
提示された金額は、一億1000万円であった。
予想を二通りしていた直史だが、片方に合っていた。
「実力次第でいくらでも、と言いますが、実際はこういうものですね」
全く表情を変えない直史だけに、球団側も意図が分からない。
「ではインセンティブの話をしましょう」
それはつまり、基本の額はそれでいいということである。
プロ野球選手というのは球団に雇われている、特殊な個人事業主である。
特殊なとつけざるをえないのは、雇用先が現実的に一つしかないからだ。
そして成果報酬型でもない。
純粋に成績だけにつけるならば直史の年俸は一気に10億ぐらいになってしまう。
だがこれは球団がケチというわけではなく、むしろ球団は年俸に減額制限をしている。
それは税金が関係しているからだ。
対して年俸の上げ幅は、大介が日本記録を持っているが、上げ幅タイの記録を持っている選手は他にもいる。
ただ純粋に成績の数値だけを拾っていけば、直史の年俸が二億以下になることはありえない。
だが実際には年俸は、過去の実績を信用として、積み上げていくシステムになっている場合が多い。
この二年目の金額は、大介の二年目を上回るNPB史上、日本のドラフト選手としては最高だ。
つまり球団としては、ライガースよりも貧乏でありながら、それだけの選手だと認めたからである。
それに来年は出て行く選手なのだから、ここで上げておいた方が、売るときにも高値をつけやすいという打算がある。
この実績を続けていけば倍々ゲームでとんでもないことになるが、それを考えなくてもいいのは幸いである。
元々直史は、よほど低い金額でない限りは、年俸の基準額には文句はつけないつもりであった。
逆に球団としては、ポスティングで売りに出す選手に、安い年俸を出すわけにはいかないという見方をしていたのだ。
そこで過去最高の二年目年俸となったのだが、あとはここからが交渉となる。
入団するにあたって、直史が提示したインセンティブの条件は、防御率2以下というものであった。
そんなに厳しいものでいいのかなと球団側は思ったものだし、さすがに厳しいのではとも思った。
まさか余裕で1どころか0.1を切るとは思わなかった。
クローザーでもありえない数字に、球団関係者はドン引きしたものである。
直史は普通に金銭を必要とする俗物なので、阿漕なことは言わないが、適切な報酬はほしいと考えている。
そこでインセンティブなのであるが、来季に自分をどう使うか、それで条件が変わってくる。
普通に考えれば今年と同じく先発であるが、今年も一試合だけリリーフとしてセーブを上げることがあった。
もしも規定投球回などというインセンティブをつけていて、クローザーに回されたら困る。
ただ木山の後任が、まだ決まっていないらしいので、選手の起用は現場の判断が必要となる。
一番困るのが、前半までは先発で起用していて、後半にクローザーが離脱してブルペンに回るということだ。
これではどちらに数値目標を設定していても、どちらも達成できなくなる可能性がある。
あとはタイトルにインセンティブを付けても、クローザーに回れば取れるのは最優秀救援投手のみ。
沢村賞もクローザーに回れば取れない。サイ・ヤング賞ならクローザーも対象になるのだが。
戦力を整えるのはフロントの役目。
だが選手起用は現場の判断だ。
それにたとえば直史をクローザーとして使った場合、登板数の数だけは増える。
試合の終盤に出てきて終わらせるクローザーは、直史としても嫌いな役割ではない。
だがそれによって年俸が下がるというなら、話は別である。
フロントとしては当然先発だと思っていたのだが、確かに直史はクローザーの実績も充分にある。
それでも普通なら先発として使いたいと思うだろうが、クローザーではないにしろ、ポストシーズンの豊田の離脱は痛かった。
直史としてはインセンティブの内容を決めなければ、とても更改は出来ないというわけである。
ただフロントとしても、かなりの金額になるであろう直史の契約を決めないと、他の選手に響いてくる。
全て先発で運用されることを前提に、どういうインセンティブになるか、それだけは決めておかないといけない。
実際に判子は押さないが、条件を決めておくのは直史も異論はない。
そして事前に準備していた、インセンティブ案を提出する。
その多さに引きつるフロントだが、内容を見てみれば確かにこれはインセンティブを付けてもいいかな、と思えるものだ。
さすがの直史も、さすがの直史も、さすがの直史も不可能だと思う条件が多いが、おそらく全てを達成したら、二年目とは思えない金額になる。(大事なことなので三回書いた
タイトルに関しては分かりやすいインセンティブだが、一勝ごとにいくらとか、そういうことを書いてある。
防御率などのように数値が上下するものは難しいが、勝ち星などのように積み上げていくものは、インセンティブも予想しやすい。
そして直史も無茶なことは言わない。
10勝までは特にないが、それ以降は一勝ごとに100万円だの、20勝してもプラス1000万円にしかならない。
それならば編成側も分かりやすいのだ。
ただ勝ち星などというものは、打線の援護がなければつかないものである。
なので直史は、ハイクオリティスタートの達成数も契約に入れた。
球団としても、まあ1-0で日本シリーズを二試合勝ってくれているので、仕方がないかという感じである。
またなんらかの理由でローテをつめて使われる場合、その試合にもインセンティブをつけてくれるように頼む。
いちいちもっともな要求ではあるのだが、そこまで細かく考えるか、と球団側は大変である。
実際のところは代理人を雇えば、かなり細かいところまで契約をしてくれる。
だが直史の持ってきた細かさは、それを簡単に上回る。
今日のところは検討してもらうだけであるが、球団としては直史のあの日本シリーズのピッチングは、あれだけでも伝説になるものだった。
それに日本シリーズをほとんど一人で戦ってくれたようなものなので、他のご祝儀増額はやや抑え目であると言える。
それでもほとんどは増えるので、問題はないと思うが。
直史は一度目の交渉後、記者会見などは開かなかった。
だいたいスター選手は記者会見を行うもので、大介などはその年俸の多さに毎年話題になっていたものだ。
ただ直史は取材陣に、あっさりと答えた。
「年俸は一億1000万円で決着しました。今はインセンティブの内容を見直してもらっていて、来年の起用法まで含めて、次で決まると思います」
日本の場合は年俸は推定で、これがけっこう当たっていたり、全く当たっていなかたりする。
だが直史は、大介がそうであったように、あっさりとその金額は公表した。
ドラフトから入ってプロ二年目の選手としては、過去最高の大介を塗り替える。
資金がライガースほど恵まれていないレックスとしては、よく大盤振る舞いしたな、という感想を持たせる金額であった。
本命はインセンティブの方で、レックスの首脳陣が決まってからでないと、自分の起用方法についても決まらない。
だから先にそちらを決めてもらうという、直史の言葉は分かりやすかった。
しかし今年のような成績を残していけば、直史の年俸はどれだけ高騰するのか。
球団とのポスティングの密約を知らない、マスコミたちは色々と話し合うことになる。
直史との話を終えた球団は、改めて二軍監督を昇格させて、一軍の監督をさせることとなった。
一軍の首脳陣はほとんどが辞めるか、二軍や編成に回ることとなる。
やはり直史の日本シリーズの使い方がまずかったのであろう。
そしてそのあたりも決まってから、大型契約も決まっていく。
球界内が驚いたのは、FA権を持った佐竹に、レックスが交渉をしていったことである。
本年はFA前の最終年で、レギュラーシーズン中は立派な成績を残したが、ポストシーズンで故障した。
軽度の肩の炎症で、特に選手生命を左右するものではなかったが、故障をしたということで、FAを宣言しても値切られるのではないかという予想はあった。
そこへレックスのフロントは下交渉をし、複数年契約を提示したのである。
佐竹としては、これ以上にまだ先発が必要なのか、と思ったものである。
武史はFAまで間があり、金原とは複数年契約、そして直史の密約を知らなければ、この三人が三本柱として強力だと思うのも無理はない。
怪我をしたことに加え、佐竹は樋口以外のキャッチャーに投げた場合、成績が悪化するのを心配した。
樋口もまだFAまでに年があるが、レックスとしては絶対に必要な選手だ。
樋口と組んで投げた方が、他の球団で投げるよりも、年俸は上がりやすいと判断したのだ。
来年もまた、レックスは投手王国になりそうである。
去年のレックスはポストシーズン、明らかな打力不足が浮き彫りとなった。
樋口が自分の打席だけでなく、全体の流れを見て、ケースバッティングをしていたのがはっきりした。
だがルーキーの小此木が終盤から、いきなりセカンドをこなしたのはありがたい誤算である。
一発を期待した外国人選手が、結局ポストシーズンでは一発がなく、それが苦戦した原因とも言える。
ここでセイバーは、安くて日本向きの選手を、アメリカのマイナーから引っ張ってくる予定である。
そして直史のインセンティブの内容も、首脳陣とフロントの話し合いで、起用法が決まったことで話し合うことが出来る。
元々レックスは鴨池というクローザーがいて、リリーフ陣も安定している。
どちらかが故障しても、イニングイーターである直史をリリーフに回すのはコスパが悪いというものだ。
よって直史は、インセンティブをしっかり決めることが出来た。
・勝利数は11勝目からは、1勝ごとに100万円
・ハイクオリティスタート(七回二失点)ごとに100万円
・臨時にリリーフをした場合、ホールドもセーブも一つで100万円
・タイトル各種は主要四大タイトルはそれぞれ1000万円
・シーズンMVPと日本シリーズMVPと沢村賞はそれぞれ3000万円
・他の表彰はGGとB9がそれぞれ1000万円
・20登板以上で3000万円
これに今年の直史の成績をあてはめると、以下のようになる。
・勝利数は23勝で1300万円
・ハイクオリティスタートで2200万円
・セーブ一つで100万円
・タイトルは勝利数・勝率。最優秀防御率の三つで3000万円
・シーズン、日本シリーズのMVPで沢村賞も合わせて9000万円
・ゴールデングラブとベスト9で2000万円
・20登板以上で3000万円。
合計で二億600万円が、今年のような成績を残せばインセンティブとなるわけだ。
年俸と合わせてほぼ三億である。
大介の三年目と同じぐらいだ。
直史はこのインセンティブも、普通に公開した。
球団としてはあまり赤裸々に公開してほしくはないのだが、むしろ公開しておかないと何か言われそうで嫌なのが直史である。
それに来年のポスティングは、この金額と成績を元に、球団は売値を決める。
なので球団にとって一方的に悪いことばかりでもない。
ちなみに樋口や武史の方が、年俸は直史よりもずっと高い。
特に樋口は来年大介がいなくなれば、首位打者や打点王あたりは狙っていけそうである。
樋口も武史もインセンティブはあるのだが、いくら興行収入が増えているとはいえ、レックスは随分と金を使っているのではないか、と思う。
打線さえどうにか補強に成功すれば、連覇を狙ってもおかしくはない。
そしてこの頃になると、大介のMLB球団との契約も合意にいたる。
案外安い契約で、球団側有利だと思ったが、インセンティブがたっぷりついているのだという。
大介といい直史といい、白富東の人間はインセンティブ契約がどれだけ好きなのか。
もっとも樋口も相当に好きではあるが、樋口の場合は打つべきときに打つために、あるていど狙いを絞っているため評価が難しい。
それこそ大量点差で勝っていれば、盗塁を刺すことはしないからだ。
あれこれとあったが、それもようやく終わる。
NPB AWARDSが開かれて、そこで選手が表彰されるわけだ。
今年はセの選手がやはり突出した。
大介が相変わらずのタイトル独占で、来年はもういなくなる。
ホッとしたセのチームはピッチャーだけではなくバッターもだろう。
投手タイトルはセではレックスがほぼ独占した。
奪三振のタイトルは武史が取ったが、他の三つの先発に与えられるタイトルは直史が取っている。
そしてこれ以前に沢村賞も取ってあるし、日本シリーズだけではなくシーズンのMVPも取った。
ベストナインにもゴールデングラブにも選ばれて、せっかく上杉が離脱しても、そうそう最強投手の座は奪えそうにない。
303奪三振を超えて奪三振王に輝いた武史は、ある意味とんでもない。
これを取れれば直史は投手五冠であったのだが。
契約更改が終わっていない選手などはまだまだいる。
またMLB挑戦とは言いつつ、大介と違ってまだ交渉中の者もいる。
FA宣言をしつつまだ話し合っており、次のチームが決まっていない者もいる。
また選手だけではなく、首脳陣の人事もまだ白紙なチームもないではない。
だがそれらは全て他人の話。
直史の一年目のシーズンは、やっと終わったのであった。
だが翌年、WBCがまた開催される。
結局シーズンが終わっても、緩みきるわけにはいかないことが分かって、うんざりする直史であった。
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