第81話 ラストダンス

 どちらのチームが、日本シリーズに進出するべきなのか。

 もちろん勝った方が進出するのだが、現在の両チームの戦力は、ライガースの方が強いのではないか、と思われている。

 樋口が離脱した結果、三試合を連続で落としている。

 もちろんそれでも強力な投手陣を抱えているが、安定感はかなりなくなっている。

 それよりも切実なのは、得点力の低下であろう。

 ジャガースにも強力なピッチャーがいて、そしてセットアッパーも強力だ。

 クローザーまで回らず、試合を決めることがシーズン終盤には多かった。


 ただライガースもライガースで、投手陣の疲労が微妙である。

 日本シリーズまで今年は四日間の間隔があるが、この間に回復しきるのか。

 特にこの試合で力投している真田が、かなりの消耗度だろう。

 だが第三戦以降なら、かなりの期間を休める。


 どちらの方がジャガース相手には有利かなど、直史は考えない。

 四日休んで初戦に投げて勝ち、三日休んで四戦目に投げて勝ち、最終戦に投げて勝つ。

 その間にどうにか、他のピッチャーでも一勝ぐらいは出来るだろう。

 大切なのは、一点もやらないこと。

 一点もやらなければ、どうにか一点ぐらいは、このチームなら取ってくれるだろう。


 八回の表、ライガースの攻撃は、長打力のあるグラント、黒田、孝司の打順。

 だが全て凡退させて、球数は84球。

 八回の裏はレックスも、長打は打てる五番から。

 しかしここから村岡を挟んで、真田は二奪三振を含む三者凡退で終わらせる。


 九回の表、ライガース首脳陣がどう動くか。

 真田に代打を出すなら、むしろレックスは他のピッチャーから打てる可能性が高まる。

 八回までに102球を投げている真田は、代え時と言えば代え時だ。ライガースもいいセットアッパーとクローザーはいるのだ。

 だがネクストバッターズサークルにはそのまま、真田が入っている。

 この試合、ライガースで唯一のヒットを打っているバッターなのだから、それも当然だろう。

 それに真田はここまで、ヒットを一本しか打たれていない。


 ライガースとしては、二人出れば大介の四打席目が回ってくる。

 ここまで封じられた以上、やはり大介の一発に期待するのが自然であるとさえ言える。

 ただし直史も、それは分かっている。

 10回の表が回ってきたとき、楽な状況で大介と対決するためにも、

 八番石井を空振り三振にしとめて、真田と対決する。

(長打を狙ってくるなら、むしろ与しやすい)

 直史はシンカーで体を泳がせ、そして内角にストレートを投げ込む。

 ファーストゴロアウトで楽に片付けたように見えても、またもエネルギーを消耗していく直史である。


 一番に戻って毛利。

 粘られたらしぶといが、逆に言えば積極性がない。

 コースと球種に気をつければ、九割の力でツーストライクまでは取れる。

 そして最後はストレートで空振りを取った。


 九イニングを投げきった。

 球数はまだ92球で、肉体的なスタミナは心配ない。

 問題は脳がちゃんと働いてくれるかだ。

 10回にはまた、大介に打順が回る。

 同じ手は二度は通じない。だが咄嗟の思いつきで考えた策で、一打席を打ち取っている。

 だから準備していた札を、また切ればいいのだが、果たして通用するのかどうかが微妙だ。




 休みたいと思ったが、八番の岸和田から始まるので、次のバッターは直史である。

 もうバットを持って立っているだけのつもりで、真田と岸和田の対決を見つめる。

(そういえば――)

 岸和田は、何かを考えていたはずだ。

 それを思い出した直史の目の前で、岸和田のバットは真田のボールを捉えた。


 ストレートであった。

 ここまで全く手が出なかったように、見せていた。

 正直なことを言えば、キャッチャーとしての役割を果たすので精一杯だった。

 だから10回の表に、もう一度大介と対戦したくない。

 フェンスまで届いた打球は、やや浅く守っていた外野が追いつくのが遅い。


 三塁のコーチャーが腕を回す。三塁まで行けるのだ。

 ライトからの返球が、わずかに逸れた。

 サードがボールを捕球したが、タッチに行くまでもなくセーフ。

 立ち上がってユニフォームの埃を払った岸和田が、ガッツポーズをした。


(なるほどな)

 真田の投げた球は、失投というわけではない。

 単純に岸和田を甘く見て、安易にストレートを投げ込んだだけなのだ。

 岸和田は元々、打てる捕手ということで、レックスの取った期待の大卒キャッチャーだったのだ。

 樋口がキャッチャーとしては凄すぎて、その代わりというのがほとんど出番がなかった。

 だが調整で二軍に降りるときは、ものすごい勢いで打点をつけていたのだ。


 ここまでおとなしくしていたことを、素直に感心する直史である。

 だがおかげで、単純に三振するわけにもいかなくなった。

 念のためにベンチを見るが、もちろんここで代打などは出さない。

 ただ打てともスクイズともサインは出ない。

 そのまま三振してこい、ということなのだろう。


 直史が三振しても、まだ一死三塁となる。

 チャンスは続くが、そこで左打者の西片となる。

 真田の左打者に対する優位は、誰もが知っている。

 ただしそこで西片に代打を出したりすると、センターをどうするのか。


 西片であれば内野ゴロ程度は打てるかもしれない。

 ただ岸和田は本来、それほど足の速い選手ではない。

 代走を出したいところだが、10回の攻防を考えると、キャッチャーを代えるのも無理がある。

 せっかくの無死三塁が、なかなか上手く活かせない。

 やはり西片に、ベテランの意地でどうにか決めてもらうか。

 二死からでは二番、高卒ルーキーの小此木となる。さすがにこの場面では荷が重いか。


 樋口が離脱してから、とにかく攻撃でほしい時に点が取れない。

 直史はそれぐらいはどうにかしろと、一応は構えてはいるが、完全に足一つはベースから遠ざかっている。

 ライガースが勝つには、直史にぶつけてしまうのが、一番楽なことかもしれないからだ。

(外三つで片付けるぞ)

 真田に対して孝司もサインを出し、直史はバットを動かして打ちそうな気配を見せる。


 だが外のボールを、素直に見逃した。

 二球目も見逃して、そして三球目に、踏み込んでバットを振った。


 当たり前だが真田は知らないだろう。

 直史はちゃんと、バッティングの練習もしているのだ。

 ただしその時間は短く、限られたボールにだけ対応出来るようにしている。

 真っ直ぐを三球。

 その打球は、グラブを伸ばしたセカンド石井の頭の上を抜け、ライト前に落ちた。


 直史はこの一年、まともな当たりでヒットを打ったのはたったの三度。

 内野安打なども含めても、打率は0.03を切っていた。

 だがこのヒットで、岸和田は帰ってきた。

 直史は一塁に歩くこともなく、その場で岸和田を待っていた。

 ライトが大急ぎで返球するも、間に合うはずがない。

 ホームベースを踏んで、一点が入った。

 つまり、サヨナラである。




 何が起こったのか、分からない者も多かっただろう。

 事実としては、舐め腐って同じコースにストレートを投げた、真田のボールを打っただけである。

 それがヒットになったのだから、当然三塁ランナーは帰ってくる。

 直史が一塁まで行かずにアウトになっても、それは関係なくこの一点で試合は終了。

 日本シリーズへ進むのは、大京レックス。

 三年ぶりの日本シリーズ進出であった。


 真田はレックスベンチから選手や首脳陣が飛び出てきてから、ようやくその場に崩れ落ちた。

 忘れていたのだ。

 佐藤直史はピッチャーとしてだけではなく、人間としても油断していない男だということを。

 第一戦も、そしてこれまでの対決でも、当たらないためにバッターボックスの隅に立っていた。

 それがわざわざベースに近いところまで出ていたのだ。

 打つ気がないように見えても、本当に打つつもりがないなら、隅っこで震えていればよかったのだ。


 ホームベース付近で熱狂するレックスのメンバーを見ながら、内野も外野もマウンドに集まってくる。

 そして大介が、真田の右肩をポンと叩いた。

「参ったなあ」

 一人で試合を決めてしまったと言っていいのか。

 だが真田のピッチングも、ほぼ完璧なものであった。


 あの即席バッテリーにやられたと言えばいいのだろう。

 それは真田だけではなく、大介にも他のライガースの選手にも言えることだ。

 年間を通してみれば、直史を擁するレックスに、全ての球団がやられた一年であった。

 樋口が離脱して一気に三連勝したが、あの大介の最後の打席は、完全に岸和田の未熟さを逆手に取ったものであった。

 一年間では直史を分析して丸裸にするには時間が足りなかった。

 来年にリベンジするしかない。


 しかし真田はおそらく移籍する。

 フェニックスが濃厚と、既に今の段階で言われているが、おそらく真田が加わっても、フェニックスはまだ戦力が足りない。

 チーム力の劣ったチームで、レックスに勝てるのか。

 投手戦になっても、援護は少ないだろう。

(意外とこいつ、残るのかな)

 優勝したいというだけなら、既に真田は優勝経験がある。

 果たして彼の中の価値観がどうなのか、大介は思慮の及ぶところではない。




 大騒ぎの後に、クライマックスシリーズMVPが発表される。

 これはもしレックスが連勝して決めていたら、樋口が選ばれた可能性も少しある。

 だが二試合に投げて、18イニング被安打2の完封。

 そしておまけにサヨナラ打も打った直史が、選ばれないわけがないのだ。


 他にも色々と表彰はされたが、直史としては正直、もう帰って寝たい。

 しかしこれから記者会見もするし、ホテルに行って簡易な祝賀会もあるし、調子に乗った選手は街に繰り出したりもするのだろう。

 直史は現在27歳で、ルーキーだが社会人経験はある。

 飲みに誘われれば、ある程度は応じたりもする。

(野球だけやってたら楽なんだけどな)

 大介と違って、基本的に塩対応の直史である。

 もっとも慇懃無礼に、当たり障りのない対応ぐらいはする。


 今の日本における強者は、法律ヤクザである。

 直史はその法律ヤクザであり、武器は法律と契約だ。

 その契約の中に、直史は球団イメージを損なわないこと以前に、競技者としてのパフォーマンスを維持することを書き加えている。

 こんな選手は今後も増えたら、さぞ球団は嫌だろうなとは思いつつ、そんな選手は増えないだろうとも思っている。

 代理人は法律知識にも明るいが、基本的には年俸をはじめとして待遇などは、既にテンプレートが存在するのだ。


 さすがの直史も、空気を読んだ。

 そもそも樋口が日本シリーズでも使えない状況で、周囲の人間を味方につけておいた方がいい。

 審判も人の子、どちらとも取れる場面なら、嫌いな人間は渋い判定をされる。

 ちなみに直史は最初から、審判にはある程度嫌われている。

 プロ野球という世界を、そもそも舐めていると思われているからだ。

 高卒でも大卒でもなく、クラブチームでもない。

 もっとも昔は、公務員を指名した球団もあったりしたが。


 レックスのみが一位指名という事態は、明らかにどこかで接触があったはずだ。

 しかし証拠はないし、証言もない。

 レックス側が何かアンフェアなことをしたとも言えないのだ。

『日本シリーズに向けて、何か一言』

「特にないですね。やれることをやるだけです」

 記者泣かせの凡庸な言葉であるが、それを口にしているのが直史なのだ。


 このクライマックスシリーズ、二試合を投げて二試合ともあと一歩でパーフェクトになるところであった。

 むしろ一本ずつヒットを打たれているのは、守備陣が緊張しないための配慮ではないかとも思われる。

 第一戦は22個の三振を奪ったが、第六戦では9個と半分以下。

 ただし球数は多めであった第一戦も、104球しか投げていない。


 様々な視点から、残している数字がおかしい。

 もちろんこれは、薬物を使ってどうにかなるというものでもない。

 一試合の球数は、半分以上が100球以内に抑えられる。

 12回まで延長完投をして、102球しか投げていない試合もあるのだ。


 上杉と大介が現れた時、周囲のマスコミは単純に喜ぶだけで済んだ。

 それは二人があくまでとんでもないパワーを持っていても、従来の野球の延長にいる存在だったからだ。

 直史はそうではない。

 彼にしか見えていない何かを基準に、ピッチングを行っている。

 古いファンは、違和感を拭えない。

 だが新しく、こういった野球選手もいるのか、と裾野を広げているのも確かである。




 記者会見が終わり、ホテルで用意していた簡易なパーティーが行われ、夜の街に繰り出す選手たち。

 直史はそこから、パワフルな選手と別れて帰るのみである。

 小此木が飲酒をしないよう、それだけは周囲に注意していたが。


 残ったのは、直史と樋口である。

 樋口は怪我があるため、アルコールを摂らないようにしている。

 車の運転もせず、球団関係者までマンションに送ってもらう予定だ。

 それから車を寮に向けて、直史を届ける。

 中核選手二人を乗せる運転手は、けっこう緊張しているかもしれない。


 車の中で、二人は会話する。

「岸和田はかなり狡猾だったな」

「真田も疲れてたからな」

 あれはライガースの継投失敗だろうと、直史は判断している。

 そしてバッテリーの方も、かなり思考停止に近かった。

 

 真田の球数は100球そこそこだったが、第六戦の最終戦の終盤だったのだ。

 もちろん岸和田があそこまで狙い打ちをしたのは意外であったろうし、直史が決めるとも思っていなかっただろう。

 直史と、左の西片を抑えるところまでは期待していたのか。

 せっかくの優秀なリリーフ陣を、使わずに終えてしまった。


 終わったことはもういい。

 直史にとっては日本シリーズはおまけで、次の本番は来年のシーズンになるのだが。

 ただここまで勝ったからには、どうせなら日本シリーズも勝っておきたい。

 日本一になれば、年俸も一気に上がるだろう。

 新人賞に各種タイトルにMVPに日本一。

 割と貧乏なレックスだが、この数年は収益も黒字になっている。

 やはりシーズンを通して強いと、それだけ観客も増えるのだ。


「ジャガースが相手だけど、どうなる?」

 直史の端的な問いに、樋口はさほども考えない。

「投手陣と打線を考えれば、普通なら勝てるはずだが……」

 岸和田がどうするか、というところがポイントかもしれない。

「お前は中三日で三回登板か、あるいは二回登板した後クローザーかもな」

「打線はどうなると思う?」

「あまり援護は期待できないから、どれだけピッチャーが踏ん張って失点を減らすかだな」

 リリーフ陣は今日も投げていないので、五日間は休める計算になる。

 ただジャガースはそれ以上に、投手陣を休ませている。


 打線については、レックスの場合樋口がいなくなったことで、本当に上位打線がつながらない。

 それでもライガースに比べれば、ジャガースの打線は劣る。

 やはり投手陣がどれだけ踏ん張れるかで、勝負は決まるといったところか。


 日本シリーズで三回投げて優勝すれば、間違いなくMVPである。

 シーズンMVPも直史であろう。大介の可能性もあったが、この直接対決での印象が影響しないわけがない。

 上杉や大介と、ほぼ同じぐらいの評価だ。

 武史はそれより、ほんの少し劣る。

 これで来年は年俸一億に行くだろうか、と考える直史。

 年俸はさほどでもいいが、出来高の方を高く設定してもらうつもりである。


 ただ、まずは日本シリーズだ。

 日本一になることは、もちろん年俸に関係してくる。

 直史の場合はインセンティブ契約は、防御率が2を切って5000万という、とんでもなく高いと思われるハードルであった。

 実際のところは、普通に歩いていて達成できる数字であったが。


 去年こそ久しぶりのBクラスに沈んだが、今年は早くも戦力を再建し、シーズン優勝から勝ち上がってきたジャガース。

 打線を見てもそれなりに、厄介なバッターはそろっている。

 省エネピッチングで、三試合を投げきるか。

 それが出来れば、レックスの日本一が決まるだろう。

(おまけだけど、日本一ももらっておこう)

 わずかな休息期間で、試合に備えようと考える直史であった。




   四章 了  五章 投神無双 へ続く




×××




 ※飛翔編53話に続きます。完全に物語的に続きになっています。

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