第80話 答え

 直史には直史なりの目論見がある。

 大介に打たれたとしても、単打までならOK。

 いやホームラン以外なら、後続をなんとか抑えてしまおうという考えである。

 ただし不安要素はある。

 このまま味方が点を取ってくれなければ、さらにもう一度大介と対決する可能性があるということだ。


 レギュラーシーズンにヒットを一本打たれたが、打点すら許していない直史。

 上杉でも点を取られていることを考えれば、大介を相手にしてはナンバーワンのピッチャーだと言えよう。

 また上杉が不調だったこの年に限っては、まさにナンバーワンピッチャーだったと言っていい。

 ただ老害とも言われるご意見番は、一年間の成績だけで評価できるものではないと言うかもしれない。

 ならば一年だけ日本にやってきて、特別な数字を残してアメリカに戻る選手などはどうなのか。


 直史としては、そんな外野の声はどうでもいい。

 基本的に興味があるのは、チームの勝利だけである。

 ただし大介との対決は除く。


 珍しく迷いがある。

 それはここで全力を出していいのかということ、つまり延長に備えて色々と温存しておくべきではないかということ。

 全力を出せばいいなら話は簡単だ。とにかく持っている札を全て、効果的な順番に使えばいい。

 だがまさかここまで、真田も好投するとは思わなかった。

 高校時代を思い出す。真田がもう少しでも打ちやすいピッチャーであったら、参考ではなく本当のパーフェクトが記録されていただろう。

(そもそもこいつが九回までに打ってくれてたら、俺もあそこまで無茶しなくてよかったんだよな)

 バッターボックスの大介を見て、ようやくそう恨みの心を出してくる直史である。


 パーフェクトに抑えながらも、味方が一点でも取って勝利していなければ、それはパーフェクトとして成立しない。

 主砲の大介が一発打ってくれていたら、それでもう成立していたのだ。

 二年目の決勝などはさらに悪い。

 15回もパーフェクトピッチを続けて、どうして勝利投手になれなかったのか。

 まあ次の日にちゃんと得点してくれたので、三年の夏は忘れるべきなのだろうが。


 考えてみればWBCでは悪いことをしている。

 それまで圧倒的な打撃でMVP間違いなしと言われていた大介から、決勝でマダックスをしただけで、直史はMVPに選ばれたのだ。

(いいことも悪いことも、お互いに色々としてるわけだ)

 とにかく言えるのは、自分たちは同じチームでは、車の両輪であったこと。

 一人ずつであれば、甲子園もワールドカップも、頂点には手が届かなかった。

 

 西の甲子園では共に戦い、頂点を手に入れた。

 東の神宮では、お互いに争って頂点に手をかけている。

(妹を二人とも嫁にしてるし、親戚でもあるんだよな。いったいどういう因縁があるんだか)

 まだこの先もずっと、この縁はつながっていくような気がする。

 とりあえずここは、単打までに抑える。

 そして九回まで、大介の第四打席が回らないようにする。

 10回以降に打たれたとしたら、さすがにそれまで一点も取っていないチームの責任にしよう。

 ただ、10回以降の勝負でも、負けるつもりはない。




 バッターボックスの中で、大介は静かに待っていた。

 これが最後の対決になるかもしれない。

 いや、最後のつもりで挑まなければ勝てない。

 真田は直史ではないのだから、都合よく12回まで完封などはしてくれない。

 九回が限度だ。そこまでに一点を取って、その一点をガソリンにして、真田には燃えてもらう。


 上杉と違って、直史を相手にするときは、間合いとでもいうべきものが見えなくなる。

 上杉はただ立っているだけで、そこに熱量や圧力を感じる。

 巨大な山や、台風を思わせる、存在感や猛威。

 直史にはそれがない。


 直史にあるのはなんだろうか。

 スポーツにおいて人々が熱狂するのは、そこに原始的な闘志を見るからだろう。

 殺し合いや殴り合いよりは、よほど洗練された肉体で表現する芸術。

 そう、バレエが見せるのが芸術であるように、直史のピッチングはそれに近いものになりつつある。


 投球術というのは、ベテランが使うものだ。

 若い頃の力がなくなって、それから経験によって磨くのだ。

 ただ直史は、コントロールと力の調整を、最初に習得してしまった。

 その部分があったので、そこからコンビネーションを身に付けてしまうという、普通とは違う順序で力を身に付けてしまった。

 そんな直史のことを、大介は不思議な人間だとは思っている。

 明らかに特別な才能はあるのに、それが才能だとは認めない。

 そんな直史だからこそ、自分のバッティングのその先に、到達する未来があるのだと思っている。




 初球に何を投げるべきか。

 それは既にベンチの中で、樋口と共に話し合っている。

 状況が変われば、考えることはどれだけ増えていくか。

 樋口は普通なら教えないであろう、キャッチャーの技術の深奥を、岸和田には教えている。

 どうせ使いこなせないだろうと思って。またそれは正解である。


 キャッチャーのリードというのは、ピッチャーのスペックとバッターのスペックだけを比べて考えるものではない。

 状況と蓄積された情報を、どう分析するかによるのだ。

 一点を取られてもいい場面なら、そしてピッチャーの能力が足りないなら、あえて打てるコースに投げてもいい。

 またどうせ細かいコントロールがつかないなら、球威とボール球で組み立てるしかない。

 基本的に樋口にとって、選択肢の多い直史というピッチャーは、万能ツールに近い。

 ただし想像力の乏しいキャッチャーは、ピッチャーの球威に頼って組み立てることもある。

 そういうキャッチャーに需要がないわけではなく、基本的にベンチからサインを出してもいいなら、そして球威だけで押せるなら、それでも構わないのだ。


 直史が最初に選んだのは、ヒットまでは許しても、まずホームランにはならないボール。

 普通に振ればボールの頭の上を振る。

(全力で投げる。ゾーンの甘いところに入っても、伸びで内野ゴロか、悪くてもカットさせる)

(よっしゃ)

 岸和田のミットはど真ん中に構えられる。

 スルーが鋭く落ちすぎたら、後逸する可能性もある。

 だがランナーもおらず、フルカウントでもないここでなら、パスボールになっても――。

(閃いた)

 直史は初球を投げる前に、岸和田をマウンドに呼んだ。

 サインが成立したのに、なぜ呼ぶのかと、少し困惑した顔をしている。

 そんな岸和田の耳元で直史は囁いた。


 疑惑、不審、困惑、納得、そして驚愕。

 大介に背を向けている岸和田の表情は、伝わっていないはずだ。

 岸和田は直史の顔を見て、驚嘆すると共に慄然としていた。

(そこまでやるのか)

 だがこの一打席、そしてキャッチャーが岸和田という状態であれば、成功するだろう。

 あとは岸和田の能力次第。


 にやり、と岸和田も笑った。

 作戦開始。共謀する二人である。




 直史は全力で投げてくるだろう。

 それは間違いない。問題は直史にとって、全力というのはどういうものであるかだ。

 単純に一番速いストレートか、一番曲がるカーブか。

 あるいは初球は外して、布石にしてくるかもしれない。


 岸和田を呼んで話し合ったあたり、完全に直史が組み立ててくるのだろう。

 あるいは事前に考えていたものを、完全に利用するか。

 そして初球は、速い球が来た。

 伸びながら落ちる球、大介はそれをスイングする。


 ボールはバットの下を潜り抜けた。

 おそらく最大変化で最大速度のスルー。

 かすりもしなかったが、後ろの気配が大きく動いた。

 岸和田が見事にスルーの落差に、あるいは伸びについていけず、後逸してしまったのだ。

 バウンドした球なので、審判がボールを交換する。

 その球を直史に返す岸和田の顔は、屈辱に染まっていた。


 なるほど、と大介は少しだけ読む。

 スルーを使って、ストライクカウントを取りに来る。

 キャッチャーが後逸するほど全力のスルーでも、ツーストライクまでは投げられるだろう。

(最悪でもパスボールで振り逃げだけで済む、とか考えるかな?)

 大介を三振に取って、それで振り逃げでランナーとなる。

 これを直史は、勝利だと考えるだろうか。

(延長まで続くかもな)

 ツーストライクに追い込まれてからが勝負だろう。




 二球目、とんでもなく遠いところから、そこそこ遠いところに変化してくるスライダー。

 さすがにこれを打とうとは思わない。

 直史であっても大介相手に、全てゾーンで勝負しようとは思わない。

 三球目もまた、シンカーで遠くに曲げていった。


 遅いボール球が続いた。

 普通ならここでストレートを投げてくるだろう。だが大介は、そんな簡単な組み立ては反応でカット出来る。

(インハイ、あるいは高めに大きく外した球。アウトローをほんの少し曲げてくるか)

 そのあたりであろうかと思ったら次に投げられたのはスルー。

 二度目のスルーはあまり伸びがなかったが、それでもゾーン内に入ってきて、岸和田はプロテクターで前に落とした。

 これでストライクカウントが二つ。数字だけを見るなら大介は追い込まれている。


 だがバットを振ったのは、初球のスルーだけである。

 そしてここまで、ストレートを投げてきていない。

(アウトローかインハイで、フライを打たせるつもりかな)

 あるいは今のスルーがあったので、チェンジアップを投げてくるか。


 どのみち変化球ならば対応してカットする。

 投げてくる可能性が高いのは、ボールゾーンのストレート。

 ワンナウトからならば、まだ大介をランナーに出したくないはず。

 三振が難しくてフライを打たせたいなら、やはりストレートのはずだ。

 それも高め、欲張らずに外野フライを打たせてくる。

 もしも低めに投げてくれば、内でも外でも掬い上げてスタンドに持っていく。

 ただし高めであっても、ファールにすることは可能だと思う。

 

 もう一つ、落差のあるカーブぐらいをボール球として投げてくるか。

 それもまた、大介としてはホームランにはしにくい

 この対決も重要だが、試合の勝敗も大切だ。

 長打で三塁まで進めれば、西郷が内野ゴロでも外野フライでも打ってくれれば、それで帰ることが出来る。

 ただし外野はかなり深めに守っているので、ツーベースがやっとだろう。

 やはりホームランを狙わなければいけない。

 スピードのあるボールを打ちたい。

 カーブを投げてくれば、明らかにボールの球以外は、カットしていかなくてはいけない。




 並行カウントだ。

 直史はあと一つ、ボール球を投げられると、大介は思っているだろう。

 そして投げるとしたら、それはかなり大きく変化する遅い変化球。

 それを捨石にして、フルカウントから勝負してくる。

(そんな風に考えてるんだろうな)


 確かにそれは、追い込んだように見せて、相手を追い詰めたものとなる。

 だが直史は、次で決めるつもりだ。

(ストレートを投げてないこの打席、ストレートに逆に絞ってるんだろ?)

 並のバッターであったら、その待望のストレートを、打ちにいって空振りするだろう。

 なにせゾーンの中には投げないからだ。


 幾つか考えていた強打者を打ち取るパターンの中でも、これは使えないと直史と樋口が捨てたパターン。

 だがこの場合は、それが使える。

 そしてそれで、大介を打ち取る。


 五球目だ。

 これは今の大介には、予測できないボールのはず。

 直史はその指先に集中して、渾身のスピンをかけた。




 指先からリリースされた瞬間、それが速い球だとは分かった。

 速い。伸びる。

(ストレート! ゾーン内!)

 頭の中に描いていた軌道に、合致するものがある。

 ピッチトンネルをくぐったこの球は、ストレートかスライダー。

 そして大介はストレートと結論付けて、正しくその軌道にバットを合わせていく。


 だがボールは、沈みながら伸びた。

 二球目のスルーよりもよほど鋭く、まさに下に伸びて行ったのだ。

 大介のバットは空振りするが、これを岸和田は捕れるのか。

 一球目は後逸し、二球目も体で前に落とした。


 だが岸和田は膝を閉じて、びたりとスルーを前に落とした。

 捕ることは出来なかったが、俊足の大介が走っても、一塁には間に合わない。

 ボールを握って、そのまま大介にタッチアウト。

 三打席目の勝負は、大介の三振で終わった。




 返球しようとした岸和田であったが、直史はマウンドでうずくまっていた。

 何かトラブルかと駆け寄ろうとしたが、それは手で制せられる。

 ふらりと立ち上がった直史は、大きく深呼吸する。

 そしてグラブを開いて、岸和田からの返球を待つ。

 音が戻ってきた。

 大歓声が直史の世界に戻ってきた。

(まだこれからだ)

 強打者のあとの打者に、一発を打たれる。

 直史はそんな間抜けにはなりたくない。


 スルーで決めてきた。

 それも二球目どころか、初球のスルーよりも鋭い変化をした。

 樋口ではない岸和田は、それを二球ともしっかりと捕れなかったのに。

 マウンドでうずくまっていた直史を、大介は見ていた。

 そして立ち上がったその顔には、わずかだが得意げな感情が見えた気がした。


 ベンチに戻る大介は、あの配球の意味が分からない。

 いや、樋口がキャッチャーならばともかく、岸和田はスルーを後逸し、また弾いていた。

 それで大介が振り逃げするところまでは、許容していたというのか。

 確かに一年の夏のように、振り逃げで三塁ランナーが帰ってくるような状況ではなかった。

 だからそれでも構わない、と思えたのかもしれないが。


 天啓のように、大介は閃いた。

 自分はどうして、スルーで決めにこないと思ったのだ?

 これが樋口であれば、スルーは決め球の選択肢として入っていただろう。

 だが岸和田がミスをしたことにより、大介はそれを選択から外したとまでは言わないが、かなり可能性は低いと判断してしまった。

(わざとか!)

 岸和田だからこそ、捕れなくても当たり前。

 だがこの試合では、他にもスルーを投げている場面がある。

 ワンバンの球でも、捕れなくても後逸はしていない。

 ただ直史は、あそこまで鋭いスルーは投げていなかったはずだ。


 スルーを詮索しから外していた大介は、最大出力のスルーに対応できなかった。

 全てはわざと、意図的に大介から選択肢を隠した。

 逆にこれが樋口であれば、どれだけスルーを弾いたとしても、絶対に罠だと思っただろう。

(最初からスルーで決めるつもりだったのか)

 その通りである。




 大介は天才であるから、反射でだいたいのボールはカット出来てしまう。

 それでも完全に意識から消せば、おそらくは打ち取れるだろう。

 キャッチャーが正捕手の樋口ではなかったことが、逆に欺くために役立った。

 ただしこれでアウトに出来なければ、他の手段をここから考えていく必要があったが。


 この打席は完全に、最後に打ち取る球から、逆算して組み立てることが出来た。

 これこそまさに投球術である。

 直史は力が抜けてしまったが、ここからまだあと一人打ち取らなければいけない。


 西郷を凡退させれば、あとはそれほど怖いバッターはいない。

 もちろんここで気を抜いてしまえば、ホームランを打ってくるのがライガースだ。

 音が戻ってきて、集中力がまた普通のものとなっている。

 神宮球場の中は、大歓声を直史に浴びせ続ける。


 試合の中に、流れというものは本当にあるのか。

 あるかもしれないな、と直史は思っている。正直に言えばどうでもいい。

 どんな時でも、自分がその流れを止めてしまう。それが直史だ。

 西郷のホームランならば、一気に流れを変えてしまうことが出来る。

 そもそもまだ試合は、両者無得点。

 まだ何も終わっていないし、大介の四打席目は来るかもしれない。

 しかしとりあえず、西郷も外野フライで打ち取ることが出来た。




 七回の攻撃には点が入りやすいというが、それは単なるイメージ。

 だが直史が大介から三振を奪ったこの回、レックスは勢いがある。

 それを刈り取るのは真田。

 やや多めに球数は使ったが、それでも三振を含む三者凡退で終わらせる。


 二番から始まる好打順であったのに、やはり点は取れないのか。

 逆に言えばここで点を許さない真田も、物語の敵役としては充分な器を持っていると言っていいだろう。

(あと二イニングか)

 あの甲子園ほどではないが、両者ワンヒットずつの完封。

 これもまた伝説の試合となるのだろうか。

 直史は呼吸を整え、集中力を引き絞って、マウンドに登った。




×××



 ※ この話の裏に当たる観戦者の記述は、飛翔編52話となります。

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