第64話 大人の事情
クライマックスシリーズが作られたのは、大人の事情がそれなりにある。
過去にはリーグ優勝が決まったら、日本シリーズまでの試合は全て消化試合。
クライマックスシリーズを作ったことで、三位までに入るかどうかということが、重要な意味を持つようになってきた。
これである程度の消化試合が、消化試合ではなくなった。
ただ昔から、消化試合でも注目を浴びる試合はあった。
タイトル争いや記録のかかっている試合である。
その意味ではライガースとの試合が最後になった時点で、レックスは恵まれている。
直史がブルペンにいるというのも、期待を持たせている。
あるいは試合の勝負どころで、リリーフとして出てくるのか。
もしもクローザーとして投げるなら、伝説の再現なるのか。
「投げなくていいからな」
木山監督は明確にそう言った。
投げるかもしれないという可能性。
それは間違いなくライガースの選手に、圧力となって襲い掛かる。
そもそも第一戦は武史が先発。
現在のNPBで、実は一番完投数が多いのは、直史ではなく武史であったりする。
この試合も3安打1四球で完封勝利。
なお大介からは二打席ほど逃げ回ったようである。
直史が投げるかもしれない。
武史と違って金原や佐竹は、それなりにリリーフを必要とするピッチャーだ。
金原は三試合、佐竹も同じく三試合と、佐藤兄弟に比べると完投能力はかなり落ちる。
正確に言うとリリーフの能力が、彼らの完投能力を上回るのだが。
直史は19試合、武史は21試合の完投を経験している。
実は完投数ならば武史の方が直史より多い。
ただ完封した試合であると、直史が18試合、武史が14試合と逆転するが。
武史の投球イニングは、直史よりもおよそ一試合分ほど少ない。
だが球数を数えてみれば、年間で直史の方が、500球ほど投げている球数は少ない。
他に奪三振の数では、武史が圧倒している。
もうシーズンの出番はないが、今年は上杉が離脱したこともあって、圧倒的な奪三振を誇る。
その数はなんと376個。
ルーキーイヤーも多かったが、今年はさらに多い。
もうちょっと頑張れば年間401個という最多記録を更新できるような気分さえしてしまう。
そんな化け物のような弟よりも、さらに化け物の兄。
三振の数が少ないのは、奪わなくても問題ないため。
少ないと言っても280個を奪っている。
武史と上杉がいなければ、このタイトルも取れていたであろう。
そもそも21世紀以降のNPBで、シーズン300以上の奪三振を記録しているのは、この二人しかいないのである。
特に上杉などは、やりようによっては歴代記録の更新も充分可能であると思われている。
なぜか武史は期待されていない。今年の奪三振王は確定しているのに。
直史が出てくるのかと、期待させるだけで視聴率や視聴数が増える。
もし出てくるならクローザーではないかと、解説が当たり前のことを言っている。
今年も1Sを記録している直史であるが、このシーズン終盤にブルペンにいるという意味。
プレッシャーをかけて、ライガースの打線を抑える。
さすがにないと思うが、プレイオフのファイナルステージ、直史しか勝てなければ、中四日で投げてもライガースが勝ってしまう。
そんな流れを完全に絶つために、ここで佐竹と金原の二人にも、勝利経験を与えておきたい。
だが、あくまでも直史はブラフとして置いてあるだけだ。
本当に寝てていいぞ、と言われた直史は、試合が始まっても寝ていた。
そして第一戦は、完全に寝たままで終わった。
武史が完投したからである。
直史も、どうせ完投するだろうと思っていた。
試合においてもレックスが勝利。
レックスの勝率は歴代で最高のままである。
単に話題づくりのためであって投げさせないよ、と監督たちは言っていた。
だがこの記録を作るという誘惑。
これに果たして、あらがえるものだろうか。
史上初の100勝という圧倒的勝利。
そして残り二試合のうちどちらかを勝てば、歴代最高勝率も更新する。
当初の予定では、首脳陣もそれは無視して、プレイオフへの調整に全力を注ぐはずであった。
この二年、レギュラーシーズンでは優勝しながらも、クライマックスシリーズでは下克上で敗退している。
直史が加わった今年は、意地でも勝ちたいはずなのだ。
そもそも日本一になっていないことを理由に、首脳陣が解任されかねない。
リーグ優勝をもう三年も続けながらも、監督交代の声が出ているのは、木山の長期政権化が問題である。
プロ野球というのは長い期間を活躍し続けるスーパースターが存在し、それと相反するように選手の新陳代謝が行われていかなければいけない。
主役はずっと主役であっても、脇役や敵役はある程度代わらないと、飽きられるのと同じようなものだ。
なお、かつての敵が今は味方ムーブは、味方になった途端に弱体化したりもする。
そんな中で木山は監督として、レックスが弱い頃からの長期政権を担ってきた。
そろそろ勇退でいいのでは? という話も出ている。
木山はフロントの機嫌を損ねることを恐れている。
だがフロントの指示の全てを聞いているだけでは、そもそも野球をやっている意味がない。
だいたい監督の期間が長すぎるな、とは自分でも考えていたのだ。
(佐藤兄弟と樋口がいたら、他がどうなろうとある程度の強さは維持できるだろうしな)
金原に豊田を複数年で引き止めているので、そこもポイントである。
あとは勝ちパターンのリリーフではないので数字はさほどでもないのだが、すさまじい便利屋の星などもいる。
西片はさすがに数年で引退だろうが、今年も投手陣では泊に越前がルーキーとしてはかなりの試合で投げているし、小此木もこの終盤で存在感を見せている。
特に小此木は高卒野手であったので、もっと時間がかかると思っていた。
レックスのウィークポイントであるセカンドにはまったのは、この終盤でありがたいことだ。
第二戦、レックスの先発は佐竹。
今年はここまで24試合を先発として投げて、18勝3敗の3完投。
ただし完封はしていない。
今のNPBにおいて完封というのは、それほどまでに難しいことなのだ。
上杉も勝てる点差のついた試合ではリリーフに任せることがあるので、ルーキーイヤーなどに比べたらそれほど完投数は多くない。
佐藤兄弟の完投数が異常なのである。
残り二試合のうち、どちらかに勝てば史上最高勝率の更新。
同時に大介のホームラン記録もかかっている。
大介がここ数試合、微妙に調子を落としているのには気づいていた。
上杉相手とはいえ四三振というのは、これまではありえなかったことだ。
また昨日の試合でも、武史を相手に連続三振。
そこから樋口は歩かせることを前提のリードに変更していたが。
ライガースを相手に確実に勝つなら、自分が武史の代わりに投げて、大介の調子を徹底的に崩せばよかったのかもしれない。
だが大介は、何をきっかけに爆発するか分からない。
追い詰めすぎたら真の力に覚醒でもしそうな理不尽さを持っている。
直史はそれがよく分かっている。
この二戦目、レックスはライガースの先発大原から、ある程度の点を取る。
佐竹と大原では佐竹の方がもろもろの数字は上であるが、対戦する打線の力はライガースの方が上だ。
ただレックスは打率やホームラン数に対して、効率よく点を取っていくシステムを確立している。
別に樋口が打てなくても、外国人バッター二人を後ろに回しておくと、大原のようなピッチングスタイルからは、ホームランを打つことが出来るのだ。
佐竹もライガースが相手となると、なかなか全力で飛ばしていくしかない。
なにしろピッチャーを除けばほぼ全員が、打率は0.250を超えている打線である。
唯一それ以下の五番グラントは、ここまで38本のホームランを打っている。
得点期待値的には、打率の高いバッターよりも恐ろしい。
それでも樋口は上手く、ライガースの打線をつながらないようにしてリードした。
終盤は同点の場面からライガースは勝ちパターンの継投を始め、これは本当に自分の出番が来るのではと思う直史である。
だが寝ていていいぞ、と言った首脳陣の方針はブレなかった。
ライガースもまた大原から、防御率のいいリリーフ陣につなげていく。
だがここの勝ちパターンのピッチャーの強さは、先発の四枚よりもさらに強力かもしれない。
豊田、利根、鴨池の三人のリレーは、今季負け星がついたのは四人合わせても四つ。
移籍組の利根はともかく、豊田と鴨池は複数年契約などで球団はしっかりと確保している。
今年のレックスは外国人を四人入れてはいるが、実際に役立っているのは打線の方ばかりである。
当初先発ローテの一人として期待されていたコーエンは、五月に戦線離脱し、今年はもう全休だ。
それも五先発していて3勝2敗はともかく、防御率が4を超えていることは問題だろう。
ただしもし今年のオフ、佐竹の引止めに失敗すれば、来年の戦力にはなる。
野手二人はほぼずっと試合に出ていたが、外国人枠を使い切れていないレックスであった。
そのあたりは補強の余地があるのだが、基本的にレックスはあまり補強に金が使えない。
球団の経営が、せっかくホームでも満員御礼となっても、神宮では収容人数に限界があるからだ。
もっともチャンネル契約などで、この数年、特に今年は一気に伸びた。
樋口と武史に高額年俸を払って、中心選手も高額になっていても、それでもある程度の外国人に金を使えるだろう。
試合はレックスが勝利し、ついに年間勝率を塗り替えることとなった。
直史は寝ていたところを起こされたが、球場の方ではずいぶんと盛り上がっている。
これで年間の試合は142試合を消化。
残るはあと一試合で、最後の先発は金原である。
ライガースの先発は青山。
誰だっけ? と直史は思った。
大卒三年目の青山は、高校は帝都一の出身である。
直史とは一年高校時代にかぶっているが、記憶からは消え去っているのか、それともそもそも憶えていなかったのか。
ただ左のサイドスローということは、どこかで聞いたな、と思った直史である。
実際に思い浮かんだのは、明倫館出身の品川であったのだが。
今日の試合に勝っていれば、ライガースももっと重要なピッチャーを最終戦の先発に持ってきたのかもしれない。
だがレックスが勝ってしまって、記録の更新を阻止することは出来なくなった。
ならばあまり投げていないピッチャーを使ってみるか、とそういうことらしい。
大卒で三年目、主な活躍の場はリリーフ。
ただ左のサイドスローは、ライガースには品川がいる。
スタイルがかぶってしまっているため、リリーフとしてではなく先発の一枚に入れたいのだろう。
他人の、しかも他チームの選手の事情にまでは、あまり興味のない直史であるが、ライガースの今年のオフに大きな動きがありそうなことは知っている。
真田がFA権を取得するのだ。
大介のように信念を持った単年契約ではなく、真田は複数年を求めていない。
つまりFA権を行使するつもりがあるのだろう。
行使した上で残留という手もあるが、真田が何を考えているか、直史には分からないでもない。
大介との対決だ。
高校時代に真田は、白富東に甲子園でことごとく敗退した。
五回の敗北のうち四回が、白富東が相手である。
そしてその中でも特に、大介に打たれた記憶が大きいのだろう。
投げ合いで負けた直史や武史相手は、プロで対決することが出来ている。
だがライガースにいる限り、大介と対決することは出来ない。
移籍する理由というのは、人によって色々だ。
レックスの中では西片は、家庭の事情で出身地の関東に戻ってきた。
これは家庭の事情と言いつつも、関東に戻ってくることも大きな理由ではあったのだろう。
関東でコネクションを広げておけば、引退後に何かの仕事を得る機会も多い。
もちろん愛妻家であるというのも、嘘ではないのだろうが。
レックスは西片に直史、武史、そして樋口と愛妻家が多い気がする。
樋口は絶対に誰も認めないだろうが、直史からは愛妻家に見える。
とにかく真田は、セパどちらのリーグであっても、大介と対決することを選ぶのだろう。
真田のスライダーが左打者殺しであるというのは、統計的な間違いのない事実だ。
もしもスターズあたりが獲得すれば、プレイオフで上杉と一緒に、ファーストステージならば確実に勝つことが出来る。
色々な動きがありそうだな、とはこの時期になると聞こえてくるらしい。
今年一年で成績を上げ、そしてFA権が発生となれば、確かに金以外の目的でも、行使したくなるだろう。
真田の代わりの左腕など、それこそ球界全体を見ても、ほとんどいないとは思う。
だがどうにかしてそこを埋めなければ、ライガースは来年、確実に五つは勝ち星を落としてくるだろう。
直史が見るに金原や豊田は、MLBにも相性は良さそうに見える。
しかしポスティングをしようともせず、複数年契約をしたのは、双方それなりに理由がある。
金原の場合は、故障である。
高校時代に故障した金原は、プロに入ってからはあまり故障していないが、それでもMLBの環境でやっていくのには不安が残る、と世間では言われている。
豊田の場合は家庭の事情だそうで、噂によると複数年契約の中に、在京球団以外へのトレード禁止の項目を入れたのだとか。
もっともこれらの中で、一番名前が出てくるはずなのは、大介である。
今年が高卒九年目なのだから、海外FA権が発生する。
そして本人はルーキーイヤーからずっと、単年での契約を通している。
ただ金はもちろんほしいが、それよりも純粋に野球を楽しむ大介は、MLBには行かないだろう。
日本において充分に、その遊び相手がいるのであるから。
(そもそもあいつにアメリカに行かれたら、俺も困るからな)
大介がMLBに行った場合、翌年にポスティングを許可するよう、直史は契約の中に入れている。
直史としても別にMLBに興味はないし、そもそも大介がいなければNPBにさえ来なかったのだから、日本にいたいのは当たり前だ。
直史は大介や上杉以上に、日本大好きの地元大好きなのだから。
ともあれ、そのあたりの事情は、まだ全く関係ない。
明日の最終戦にて、どのような試合が繰り広げられるか。
直史は完全に他人事気分で、試合の経過を見守りもせずに居眠りをする予定である。
気分はもう、プレイオフに完全に移行しようとしている。
そして直史はなんとなく、周辺の空気が変わってきているのにも気づいている。
大学のリーグ戦とは、完全に違うのだ。
全日本や神宮もあったが、それでもこの雰囲気は、それらとは違う。
似ているのはもちろん、甲子園だ。
一発勝負ではなく、ちゃんと勝ち星を積み上げていくわけだが、それでも空気はそれに近い。
(ポストシーズンはこんな感じなのか)
そう思いながらも、やはり個人としての気分は、さほど緊張状態にもならない直史であった。
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