第63話 100勝

 昔に比べれば交流戦などもあり、試合数が増えたこともある。

 だがそれでも、これは歴史に残る記録であった。

 レックスのシーズン勝利数が、100勝を超えた。

 そしてその時点で、まだ試合数は11試合残っていた。


 どこまでこの記録を伸ばしていくのか。

 ちなみに勝率は0.757で、これも一時期に比べたら落ちたものだが、それでも歴代一位の数字である。

 記録に自分の名前を残したい、と考えるのは名声欲とでも言えばいいのか。

 ただし後世の野球関係者は、ピッチャーの防御率を見て、正捕手樋口の手腕に気づくだろう。


 22勝0敗の直史は、このあたりになるとマスコミの取材の中でも、MVPの声などが聞こえてくる。

「MVPとっても出来高変わりませんから」

 正直すぎることを言ってしまう直史であるが、マスコミとしてはいやいや、と首を振る。

「来年の年俸に影響するでしょう」

「う~ん、年俸は2000万ぐらいでいいから、出来高で2億ぐらいつくような契約にしたいですね」

 とんでもないことを言うな、とまではマスコミは思わない。

 上杉は二年目、出来高払いを含めておよそ二億。

 大介も二年目、出来高払いを含めて三億という高年俸になっていたのだ。

 年俸はいいから、成果報酬のような出来高を多くしたい。

 弁護士として成功報酬案件を担当していた直史は、弁護士時代はあまりそういった形では受けていないが、プロ野球選手としてはこうやって、実績で評価してもらった方がいい。


 五年間でどれだけ稼ぐことが出来るか。

 直史は金の大切さを思い知っているだけに、清貧になろうなどとは思わない。

 だがプロ野球における年俸に関する話を聞いていると、成果報酬型にしておいた方が、外部から色々と言われなくて済むのでは、とも考えていた。

 既に報酬が確定しているのに、あえて高い成績を残そうとする。

 直史にはなかなかモチベーションがつけにくいものであるのだ。

 複数年契約の高年俸選手が不良債権などと呼ばれたりする例も見ている。

 だから完全にインセンティブ制の方がいいだろうと、直史は考える。

 もっともこれは球団のシステムを知らない直史の考えで、球団としては困ってしまうものなのであるが。


 


 シーズンの終盤はもう、選手たちは調整機関に入っている。

 もっとも若手の選手で数字がキリのいいところに行きそうな選手は、ちょっとした無理はしていく。

 それは仕方のないことだ。

 プレイオフ査定というのもあるが、それは確約されたものではない。

 優勝査定もあるが、それはそれで数字を残した方が、より高く評価されるのは当たり前だ。


 直史が考えるのは、最終先発の相手がどこになるかだ。

(フェニックス相手か、それともライガースか)

 合理的に考えるなら、相手のホームである甲子園で勝ったのだから、そのイメージのままでプレイオフに入りたい。

 いやそれは合理的ではなく感覚的だろう、と即座に脳内で反論する。

 もっとも起用法を考えるのは、直史ではない。

 各コーチに話を聞きつつ、監督が判断することなのだ。


 なのでこういうのは困る。

「どちらに登板したい?」

 フェニックス戦か、ライガース戦か。

 なんでピッチャーにそんなことを聞くのか。

 好意的に見れば、ピッチャーの意見を聞いていると考えるべきなのだろうが。


 監督室に呼ばれてコーチたちの集まる中、こうやって尋ねられる。

「私の意見で決まるのですか?」

 自分のことを、こういう場所で私というプロ野球選手など、ほとんどいない。

「最終的にはピッチャーの気持ちで、試合は決まったりするからな」

 精神論であるらしい。


 直史は精神論というのは、あくまでも結果から見るべきだと思う。

 まずは合理的な理由をいくつもつけた上で、いざ試合でメンタルを問題とすればいい。

 最初から精神論で起用を決めるというのは、直史には理解しがたい。

「最終的な目標は、日本一でいいのですね?」

「それはもちろん」

「ならフェニックス戦です」

「……理由を聞いてもいいかな?」

 正直なところ首脳陣は、直史のことを理解しきれていない。

 一緒に樋口を連れてきているか、そもそも正捕手の樋口に聞けば、答えなどは最初から出るものであろうに。


 おそらくちゃんと理解しているであろうに、どうしてこんな手順を踏むのかと、直史は不思議に思う。

 そのあたりやはり、野球人ではないのだ、直史は。

 セイバーであればあっさりと理解したであろう。

「ピッチャーとバッターは、対戦回数が少なければ少ないほど、ピッチャー有利です」

 そのあたりは確かに言われることだ。ただ直史の本当に言いたいことはそれではないが。

「それとライガースを完全に抑え込むのは消耗が激しいので、プレイオフ前には体調を整えておきたいですね」

 首脳陣は少し気が抜けたような顔をする。


 ここでやはりエースとして、自分が行くという姿勢を見せてほしかった。

 いや、なら最初から言えよということなのだ。直史は投げろと言われれば文句も言わずに投げるのだから。

 起用の責任を選手にも負わせるという、自覚はしていないだろうが、とにかく直史とは価値観が違う。

「興行面でライガース戦に投げるのか、それとも奥の手を出さずに確実にプレイオフで勝つのか、どちらかです」

「奥の手……そんなものがあるのか」

「ないですよ。だけどあるように見せることは出来ます」

 やはり直史の思考回路を、たどるのは難しい首脳陣であった。

 そういうことで直史のレギュラーシーズン最終登板は、フェニックス戦と決まった。




 クライマックスシリーズの登板予定を考えていく首脳陣。

 どちらが来るかは、一応ライガースが優勢と見ていいだろう。

 第一戦を誰に先発させるか。

 ライガースはファーストステージの展開次第で、誰が来るかは変わるだろう。


 レックスとしては当然ながら、この一戦目に勝っておきたい。

「佐藤兄で」

「異議なし」

「異議なし」

「異議はありませんが、この呼び方変えないんですか?」

 コーチの一人が、どうでもいいが根源的な質問を発した。

 複雑な顔をする他の首脳陣である。


 確かに最初から言われていたし、そもそも佐藤という名字は日本で一番多い。

 レックスの二軍にも佐藤は一人いるので、いっそのこと誰かが登録名を変えてくれたら、呼ぶ方も分かりやすい。

 だが直史は「別にいいです」と一顧だにしない。

 コーチ陣が馴れ馴れしく名前で呼ぶと、嫌そうな顔をしてくる。

 そのくせ選手から「ナオ」で呼ばれるのは構わないらしい。

 複雑な性格をしている。プロ野球選手には珍しいことではないが。


 せっかく登録名を変えるなら、武史の方がいいのではないか。

 だが武史も登録名を変えることには抵抗があるようだ。

 かなり鈍感でおおらか、そして天然のところもある武史であるが、名字にはこだわる。

 何か理由があるのかもしれない。佐藤一家には。

 ただ本当に、今はどうでもいいことだ。


 ファイナルステージでライガースは、真田や山田を出してくることが出来るか。

 日程的に二勝、または一勝一分になれば、その時点で進出が決まる。

 ただスターズは上杉を第一戦に出してきて、確実に一勝を取りにくるだろう。

 これに対してライガースは、山田を出してくるか真田を出してくるか。


 単純に勝つことだけを考えるなら、二人よりはやや落ちる阿部を出してきてもいい。

 阿部に上杉という最強のカードを当てて、残りの二試合を勝つ。

 だがこれをやると、球場が冷える。

 エースにはエースを当てていかないと、ファンも熱気を失うのだ。

 勢いというものが、ある程度は必要になるのがプレイオフ。

 計算どおりに何事もいくものではない。


 どれだけ計算して、ライガースが山田か真田を出してきても、直史なら勝てる。

 レックス首脳陣の分析と言うか、計算がそれである。

 直史だって全勝ではないと言う者もいるかもしれないが、公式戦で最後に負けたのがいつなのか、もう忘れられてさえいる。

 あとは二戦目以降をどうやって戦っていくかだ。


 レックスの投手陣は最強である。

 ライガース相手には負け越していると言っても、エース級の成績を見れば、むしろ勝率はいい。

 直史は例外としても、武史が4勝1敗、金原が1勝1敗、佐竹が0勝1敗。

 負けがついている投手を見ると、越前に3敗がついているが、全て一点差の試合だ。

 勝ちパターンの時の789回のピッチャーで負けているのは、豊田の一回のみ。

「それほど悪いピッチングじゃないんだが、古沢は0勝3敗か」

「相性が悪いんでしょうね」

 去年までのデータを見ても、やや負け越しの印象が強い。


 古沢もここまで10勝6敗と、充分に貯金を作れている。

 小さな怪我での離脱はあったものの、ここまで18先発。

 しっかりと勝敗がついているという時点で、素晴らしいピッチングだと言えよう。

「あとはチームのシーズン成績か」

 首脳陣は首脳陣で、色々と悩むことがあるのだ。




 今年のレックスは史上最強のチームと言われるが、反論はちゃんとある。

 交流戦も圧倒的な勝率で優勝しているが、ライガースにだけは勝ち越していない。

 フロントからの要請としては、ライガースにも勝ち越して、史上最高の勝率を残してほしいというものがある。

 どれだけ欲張りなんだと現場の者は思うのだが、フロントはフロントで球団の利益を最大化しようとしているのだ。


 史上初の100勝球団。

 だが勝率はまだ、史上最高勝率が確定していない。

 プロ野球史上最高の勝率は0.75で、今のレックスの勝率は0.757と、わずかに上回る。

 だが最終三連戦でライガースと当たるのだ。天敵のライガースである。


 直史はフェニックスに登板させると決めた。

 あとはどうやって、ライガースを直史以外のピッチャーで攻略するかだ。

 139試合を消化した時点で、レックスの勝ち星はとんでもないことになっていた。

 105勝。弱いチームがすさまじく負けることは多いが、強いチームでもこれだけ勝てるのは異常である。

 弱いチームは他のチームより、圧倒的に弱ければそれでいい。

 だが強いチームは、他のチームより圧倒的に強いというのは、戦力均衡上考えにくいからだ。


 首脳陣は残り試合、対戦相手がライガースであるということを、しっかりと考えている。

 そして勝率記録の更新は、現実的ではないと判断した。

 フェニックス戦に直史が勝っても、ライガースとの三連戦で、勝ち越さなければ勝率の記録は更新できない。

 今さらだがフェニックス戦を他のピッチャーで、ライガース戦に直史を投げさせたらとも思うが、ここで無理はしないでおこう。

 既に100勝という、前人未到の大記録は達成したのだ。

 ピッチャーを酷使してライガース相手に勝ち越しにいくのは、優勝することよりも優先順位は低いと考える。

 欲張ると最終的な目的を見失う。

 過去二年、レックスはリーグ優勝をしながらも、ライガースにプレイオフで負けて日本シリーズに進めなかった。 

 今年もライガース相手の戦績を見るならば、目先の勝利よりも、万全の体勢を整えることを考えた方がいい。




 対フェニックス戦、25回戦。

 直史はピッチャー有利のNAGOYANドームのマウンドに立つ。

 登板間隔から考えて、直史はライガース相手の最終三連戦では投げない。

 それに失望する者もいるだろうが、逆にこれで直史の勝ち星が、23勝に到達することも考えられる。

 ルーキーの無敗記録は、武史の持つ22勝。

 それを上回るために、強い相手と戦うのを避けたのか、などと邪推されたりもする。


 直史は大介と勝負するためにプロに入ったわけだが、単純に勝負して勝てばいいというわけではないのも分かってきた。

 ピッチャーとしての引き出しを、どんどんと見せればいいというわけではない。

 単純に試合に勝つのではなく、日本一を賭けて戦うのだ。

 単純に毎試合ごとの勝負とするなら、一年間でどれだけの対決が成立するか。

 だがチームとして見た場合には、重要な試合に確実に勝てばいいのだ。


 プレイオフにおいて、大介を封じる。

 そこだけはどう考えても、避けられない対決だ。

 第一戦目と、最終第六戦目。

 中四日だが、そこで投げる覚悟を、直史は考えている。


 そのためには今日の試合も、怪我には気をつけた上で、完封程度に抑えていけばいい。

 球数を少なくして、どれだけ勝てるのか。

 フェニックスを相手に直史は、投球練習のようなピッチングをする。

 球数は出来るだけ少なく、しかし追い込んでしまえば三振を奪う。

 打たせて取るが、向こうがカットしてくれば、それに対応するのだ。

 レックス戦以降大介は、ややバッティングの調子を落としている。

 あの強引なカットの連発が、響いていないとは言えない。


 内野ゴロと内野フライがほとんど。

 大学時代は打球の処理に、ピッチャーとキャッチャーだけで終わらせた試合もあった。

 プロの舞台であると、さすがにもっと難易度は高くなる。

 大学野球の中でもトップレベルの選手しか、プロでは活躍しない。

 もっとも星のような、チームの投手陣を回していく上で、使いやすい選手もいるが。


 三球以内で終わらせる。

 それが今日の、直史と樋口のプランである。

 だが打たせて取れば、それがたまたま内野の間を抜けていくことはある。

 それを上手くダブルプレイにしたり、牽制で殺したりするのが、このバッテリーである。

「いまさら言うまでもないけど、今年の最優秀バッテリーだろうな」

 守備に入っているナインを見ながら、監督の木山はそう言った。


 九回28人を84球10三振。

 二安打一失策、なれどダブルプレイ一つにキャッチャーによる牽制死一つ。

 この年直史が完封勝利した試合の中では、最も球数の少ない試合となったのであった。


 さてこれで今年のレギュラーシーズンは終わり、あとはプレイオフかと思っていた直史であるが、首脳陣から非情の宣告が下る。

 残り三試合、ブルペンに入っているようにというものである。

 ライガース相手の終盤、一点差で勝っていて、相手が大介でなければ、抑えることは難しくない。

 直史は高校時代から、先発もやれば抑えもする。

 ただ中継ぎはめったにやったことがない。なので、出来ることは出来るのだ。

(セーブの数が増えても、あまり関係ないんだけどな)

 昭和の頃のエースのように、色々なポジションで投げることは出来る直史である。

 だがだからと言って、実際にブルペンに入ることになるとは。


 出来ることならクライマックスシリーズを前に、少し実家の方に顔を出しておきたかった直史である。

 最近は真琴もぐんぐんと大きくなって、あの生まれたときの心配はなんだったのか、というぐらいに元気らしい。

 愛する娘の成長を毎日見ることが出来ず、まるで単身赴任のお父さんだ。

 もっとも一年目は、自らが望んだことであるのだが。

(さっさと優勝して、もう来年は寮からは出るぞ)

 正直便利なことは間違いないのであるが、妻子が待つ場所こそが、直史の帰るべき場所であるのだ。 

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