第37話 記録
交流戦が主となる六月が終わった。
直史は四先発で四完封勝利、うち一つはノーヒットノーラン。
投手部門の月間MVPを三ヶ月連続で受賞した。
チーム力の差が、上杉との差として表れている。
あちらも四勝0敗であるが、一試合は交代後に逆転されて、直史ほどの数字は出していない。
ここまでで直史は、13登板12先発12勝0敗。11完投11完封。120.3イニング188奪三振。
他にいくつか数字を挙げていけば、防御率0、WHIP0.13 QS率100% HQS率100% 四球0 被安打16 K/BB測定不能 K/9 14.06 BB/9 0
色々とおかしい。
13登板であるのに、なぜ120イニングも投げているのか。
全て完投したとしても、117イニングである。
これは上杉との対決と、蓮池との対決で、延長まで投げきったからである。
フォアボールで歩かせたことが一度もないため、K/BBやBB/9は測定できないか0となる。
これが武史であるとまだ、数字としては理解できるものになる。
それでも一試合あたりのフォアボールの数は、1を切る。
そしてK/9は直史よりもひどい17.3となる。奪三振数も直史を上回る193個となる。
実は接戦を制しているという点では、武史は直史よりも経験を積んでいる。
直史の接戦は、上杉との『神話的一戦』となった12回相互パーフェクトに、真田に勝った1-0の二試合となるが、武史は1-0で勝利した試合が四つもある。
本多、荒川、阿部、淳と、これらのピッチャーを相手に投手戦となって、1-0の完全なる投手戦を制したのだ。
10試合完投の8試合完封。
開幕戦で一つのアウトも取らずに降板したが、それ以降は驚異的な数字を残している。
この兄弟二人で、22勝0敗という数字を残しているのだ。
それはもう、レックスが歴史的な勝率を記録していても、おかしくはないだろう。
チームとしても14連勝を二回も記録。
そしてNPB記録の18連勝へ、その歩みを続けていく。
七月、暑さが湿り気を含んで、体にまとわりつく季節。
アウェイでカップスとの三連戦を制し、レックスは17連勝。
プロ野球の連勝記録三位タイとなった。
過去の連勝記録では、18連勝のチームが二チーム。
戦力均衡がある程度成立している現在、こんな記録が破られるとは思っていなかった。
そして次は、先発が直史でフェニックスとのアウェイでの試合。
多くの人々はピッチャー有利のNAGOYANドームで直史が負けるはずはないと思っていたが、ちょっと待って欲しい。
この試合はアウェイではあっても、当初予定としては、浜松球場で行われるはずであったのだ。
せっかくドームなどの球場を持っているのに、なぜに地方の球場で公式戦を行うのか。
それは日本の各地にある、二万人以上も収容可能なスタジアムなどを、有効に活用するためというのもある。
いついつの試合は例外的にホームではない近くの球場で行うというのは、実はどの球団も行っていることである。
そんなわけで直史は、この暑い中で夕暮れ時から投げる予定であった。
しかし運がいいのか悪いのか、雨天で試合は中止。
翌日のNAGOYANドームでの試合に、直史の先発はずれこんだのである。
本格的な夏場にプレイするなど、もうずっと直史はやってこなかった。
そんな状況でプレイするというのは、さすがに何かが起こってしまうと思う者もいたのだが、よりにもよって雨天で中止。
直史としてはありがたい、ドームでの試合が、18連勝となる試合に変わったのである。
直史は自分の力で切り開く人間であっても、偶然のように何かに導かれるタイプではない。
だがこの18連勝がかかっている試合で、まさか天候のために、直史の有利なドーム球場での試合に変わるとは、やはりヤキュガミが楽しんでいるのか。
そもそもこの日本タイ記録がかかっている試合には、多くの観客が集まるのは分かっていたことであった。
それが観客が四万人は入るドームに変更になったことは、むしろありがたかったのかもしれない。
不敗のピッチャーが投げる試合が、プロ野球タイ記録となる。
ドラマチックすぎて、今年のヤキュガミ様は働きすぎだと思われる。
目の前で記録の並ばせてなるものかと、フェニックスの選手は気合が入っている。
レックス陣営はほどよく気が抜けていた。
なぜなら直史がここまで、既に色々と記録尽くしであったので。
一番プレッシャーがかかっているはずの直史も、特に何も感じていない。
これまで色々な記録を、自らの手で切り拓いてきたので。
むしろ問題は、新記録更新がかかる、明日の試合になるのではと直史は思っている。
順番どおりであれば吉村が先発だが、雨でズレこんでしまったため、古沢の可能性もある。
それはどちらでもいいことだが、日本新記録がかかった試合で投げるのは、かなり大変ではないのか。
タイ記録であるなら、別にどうということもないと考える、直史の感覚は根本的におかしい。
色々と条件が都合よくなっている。
夏場に向けて体力の心配をしていた直史だが、天候によってドームで投げることが出来るようになった。
そして対戦相手のフェニックスは、エース格の津末。
その津末から、一回の表に二点を先制した。
緒方を一塁に置いて、四番浅野のツーランホームラン。
アウトにはなったものの粘った樋口の後の打席なので、最初のストライクを安易に取りに来てしまった。
「18号か。うちの四番もそれなりに頼りになるな」
直史はそう言うが、打率と打点では、樋口の方が上回っているのがレックスの打線陣である。
攻撃力は高いが、長打力ではかなりライガースに劣る。
それでも点を取ることが一番であり、ホームラン数は気にするべきではない。
大介のように、守備のいないスタンドを狙った方が、アウトになりにくいなどと言っている選手はいない。
二点を初回に入れたことにより、既にレックスが勝利確定モードに入ってきている。
だがフェニックスの一番打者、ここのところ安打製造機になっている哲平を相手に、直史は油断はしない。
(ショートじゃなくてセカンドの方が、競争率低いだろうに)
近々行われるオールスターにおいて、ショートは大介の定位置となっている。
それでなくても守備力の高いショートは、セであればレックスの緒方に、スターズの芥などがいる。
このあたりは守備力が高いだけではなく、バッティングのセンスも相当に高い。
哲平は打率こそほぼ三割程度であるのだが、出塁率が四割もある。
ただフェニックスは今年、直史にパーフェクトをされた経験がある。
あの時は三番であった、去年までは二番であった哲平が、今度は一番に抜擢されている理由。
それは少しでも直史に詳しい選手を、という理由があるのではないか。
スローカーブとシンカーの後に投げたストレートで、三球三振。
後輩相手にも、当たり前のように容赦のないピッチングである。
(フェニックスはあと、冬川ぐらいを注意していれば大丈夫か)
別に油断をしているわけではないが、直史はそう考えている。
この試合は、記録に残る試合になる可能性がある。
おまけにもう一つ、記録を作ってもいいのではないか。
少し球数を多目にしても、パーフェクトを狙っていくべきか。
だがそんなエゴを消して、明日もベンチに入ろうかと思っている直史である。
球数を少なめにして、もしも明日の試合で終盤にリードしていたなら、そこから抑えに回ってもいい。
火消し以外の役割であれば、精神的な負担は感じない直史である。
この一回の裏も、三番冬川をセカンドフライで片付ける。
球数はわずか七球である。
半世紀以上も昔に達成された18連勝の中身を、直史は全く知らない。
下手に意識しても意味はないし、どのみち自分の試合では、全て勝つつもりだからだ。
二回の表にはベンチに座りながら、どういう試合展開をすべきか考える。
「監督、明日の試合、リリーフに入った方がいいですか?」
直史の、あまりに気が早すぎる言葉に、木山はぎょっとしている。
今日勝っても、まだタイ記録であるのだ。
明日勝ってようやく、歴史を塗り替えることになる。
「まさか明日も投げるのか?」
「不可能じゃないです。高校時代も大学時代も、連投はありましたから。ただリリーフ陣を休ませるために、今日も完投した方がいいかなって」
レックスのリリーフ陣は、勝ちパターンの時は、豊田、利根、鴨池という順番で投げている。
この中では豊田が、クローザーに回るときもある。
防御率は他チームのリリーフ陣と比べても、圧倒的に優れている。
ただ直史のように、0行進を続けているわけではない。
自分の手で歴史を作るという、そんな野望に木山は駆られる。
だがそれで選手に無理を強いたりするのは、本意ではない。
ただこの連勝記録というのは、己のものだけではない、球団全体への利益だ。
達成する価値は、間違いなくある。
幸い昨日が雨で中止となったため、リリーフ陣は休めている。
直史が球数を減らすためには、ある程度の点差が離れているなら、リリーフ陣につなげてしまってもいい。
完投記録自体は、ライガースとの対決で一度途切れているからだ。
木山は考える。ただこの試合が、どういう点差になるかが問題だ。
「この試合の展開を見て、点差がつくようなら考えよう」
「分かりました」
だがその返事を聞いて、直史は今日も完投かな、と思わないでもない。
立ち上がりが悪かった津末であるが、竹中ならそれを修正してくるだろう。
ロースコアゲームであれば、最後まで直史が投げた方がいい。
ならば直史は、限りなく球数を制限し、明日も投げられる状態にしていきたい。
そんな会話を樋口として、呆れられる直史である。
「この試合は勝てばいいだけなのか?」
「記録としてはもういいだろ」
直史は野球に対しては無欲であるため、これ以上のノーヒットノーランなどは必要としない。
完封はするべきだと思うが、大事なのは勝つことだ。
プロとして働いているからには勝って、そして魅せなければいけない。
直史は派手なパフォーマンスなどは苦手である。
いや、お前の存在自体が派手だ、という認識はさておいて。
完封して、球数を少なくして、明日も投げられるようにする。
実際には明日は出番は必要ないかもしれない。
ただフェニックスは最近復調の傾向があるため、切り札を用意しておいた方がいいだろう。
直史は自分の体調もコントロールしているため、リリーフとはいえ連投するのは、少し危険がある。
だが一度ぐらいなら大丈夫だという、確信があるのだろう。
ならば樋口としては、条件を満たすリードをするしかない。
「まあ、ある程度点差が開けば、向こうも敗戦処理にかかるかもしれないしな」
樋口の考えも、合理的ではあるが、非常識になってきている。
単打は打たれるかもしれないが、ホームランだけは避ける。
三振など一つもなくていいから、とにかく球数を抑える。
そう考えていたのだが、実際にはその考えで、確実にアウトを積み重ねていく。
二回以降の津末はテンポよく投げて、追加点を許さない。
そしてそれ以上のテンポで投げる直史は、試合をどんどんと進めてしまう。
ボールをキャッチしてプレートに戻って、サインを見て投げる。
その間があまりにも短すぎて、バッターは集中しきる前にボールが投げられる。
完全にタイミングを外されて、凡退することが続く。
今日はあまり三振を奪っていかない、早め進行の直史である。
一度はパーフェクトを食らっておいて、フェニックスはまだ甘く考えていたのか。
一本や二本のヒットは打たれるだろうなと思っていたバッテリーであるが、フェニックスのバッターの緊張がすごい。
少し甘いところに投げても、その緊張のままに打ってしまって、ゴロばかりを積み重ねていく。
一人二球までに終われば楽だな、と直史は考える。
どうしてこいつらはそんなに早打ちをするのだ、と樋口も不思議に思っている。
自分たちが今までに、やってきたことを考えればいい。
ツーストライクまで追い込んでしまえば、このバッテリーは決め球を投げてくる。
それは外に逃げていくスライダーやシンカーかもしれないが、沈む球を打たされることもある。
こうなるとまた、エラーでも出ない限りは、パーフェクトの達成が見えてくる。
実際のところはかなり打たせているため、ヒットが出てもおかしくはないのだが。
津末が球数が増えたため、リリーフ陣に交代する。
全く逆転の可能性が見えないため、この判断は正しいだろう。
しかしリリーフ陣は最初から士気が低い状態で表れたため、レックスのそれなりに強力な打線に追加点を取られる。
四点差ともなれば、あと二イニングぐらいは、任せてもいいのではなかろうか。
「本当にいいのか?」
まさかここまで、パーフェクトピッチングが続くとは思っていなかった直史である。
別に疲れているわけではない。今日は球数を少なく終わらせるのが、課題であったからだ。
直史としては構わない。
パーフェクトはまた、他の試合ですればいい。
とりあえず優先するのは、連勝記録の更新である。
パーフェクトを維持したまま、直史はリリーフ陣に交代する。
ネットの中では、またもパーフェクトのまま降板と、色々ねところで言われたりした。
だがこれでいいのだ。
明日の試合に、リリーフで投げる。
そして勝利して、歴史を塗り替えるのだ。
まあ吉村が頑張ってしまって、直史の出番はないのかもしれないが。
リリーフ陣は一点を取られはしたが、それでもレックスは勝利。
日本記録タイの18連勝となった。
明日の試合で勝てば、日本記録の19連勝となる。
出来れば本拠地で達成して、色々と売り上げに貢献したかったのだが。
七回を投げて、打者21人に対し、60球。
無安打無四死球無失策。
どれだけ省エネを心がけたら、こうなるのかという球数である。
完封記録は五試合で途切れたが、まだ先はある。
とにかく登板した試合では、引き分け一つを除き、全て勝ち星がついている。
オールスター前に13勝目。
あるいは明日、プロ入り初セーブが記録されるかもしれない。
直史にクローザー適性があるのは、誰もが知っていることである。
ワールドカップに大学時代のリーグ戦と、記録を積み重ね続けてきた。
監督の木山としては、もちろんそれ以外の選手で達成してもらいたいが、直史の出番があるとしたら、この日パーフェクト継続中ながら、途中で降ろした意味もあるというものだ。
翌日、歴史の変わる瞬間を求める野球ファンは、ベンチ入りメンバーの中に直史の名前を発見し、ざわめくことになる。
このために昨日の試合はパーフェクトを捨てたのかとか、それはチームの、監督のエゴだろうという声も上がった。
だがレックスは本気で、記録の更新をしにきたことは分かった。
二強とは言われながらも、それでもライガースにゲーム差をつけているレックス。
その本気度合いは単純に優勝だけではなく、他の様々な記録への、挑戦でもある。
レックスとライガースで、それぞれ非常識な記録が達成され続ける今年のシーズン。
まさにこれこそ、お祭り騒ぎと言うのであろう。
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