第38話 プレッシャー

 あえて誤解を恐れずに言えば、ピッチャーなどという人種は、誰もがとんでもなく傲慢な自信家である。

 自分にはなんでも出来るという自信を、折れても折れても再びつなげる。

 繊細さとふてぶてしさを持った人種でなければ、ピッチャーにはなれない。

 稀にけっこう例外はいる。


 レックスのサウスポー吉村は、典型的な自信家だ。

 だがそれは別に努力をしないというわけではない。

 己の中の才能を、削りだしていく地道な作業。

 そういうことを努力というのだと、自分なりに認識している。


 プロ10年目の吉村であるが、レックスにおいてはもう最古参のピッチャーとなっている。

 自分より年上はいるのだが、ほとんとは移籍組か、大卒で自分よりキャリアは少ない。

 そして球団のエースクラスとしても、既に上回る成績を残しているピッチャーが、何人もいる。

 そこそこ故障して離脱することもあるが、それでも年間に15試合から20試合は先発で投げている。

 だが先発としてのポジションを維持するためには、移籍も考えなければいけないかなとも思っている。


 完全に先発型のピッチャーで、サウスポーの武史がいる。

 他にも先発型のピッチャーは多く、基本的には球団も、先発で使えるピッチャーこそを欲しいのだ。

 吉村は、先発でなければいけない。

 肘の耐久力を考えると、肩を作って年間50登板もするような中継ぎでは、おそらく数年しかもたないだろう。

 左の中継ぎであれば、いくらでも需要はある。

 だがそうやって自分の選手生命を削るわけにはいかない。

 妻子ある身としては、出来るだけ長くたくさん稼がなければいけないのだ。


 レックスはとにかく投手王国で、左も豊富である。

 バランス的には一人、中継ぎに回してもいいぐらいだ。

 ただし肩肘に不安があるのは、同じ左の金原もそうで、基本的には先発型である。


 FA権は持っているが、行使しなかった吉村。

 そもそも地元が東京なだけに、他の球団に行こうとは思わなかった。

 同じ東京ならばタイタンズがあるが、今はあそこは球団内の政治で、ドロドロの様相らしい。

 それでも直史が入ってきてしまって、先発の枠は埋まっているのだ。


 セならばスターズは投手は抱負だが、左の先発は弱い。

 パであれば、ジャガースもマリンズも欲しがるだろうが、あまり関東を離れたくないという気持ちもある。

 ただスターズにいると、出場機会は減る可能性が高い。

 どちらにしろ今するべきは、自分を高く売るために、成績を上げること。

 今年はシーズン序盤こそまだ仕上がらなかったが、五月からはローテの一角に復帰。

 ここまで五勝一敗という成績を上げている。

 まだ最長で七イニングまで、基本は六回で交代しているが、その分数字はいい。

 防御率は2.57で奪三振率も11.78と、後ろにリリーフがそろっていれば、安定した成績を残せる。

 問題は肘の状態を、悪化させないことだ。


 本当はこのまま、レックスにいるのが一番ありがたい。

 しかしプロ野球選手として、着実に長く稼ぐためには、FAも考えるしかない。

 そしてそのためには、ここで負け投手となるような、イメージを悪くすることは絶対に出来ない。

 普通のピッチャーでさえプレッシャーに押しつぶされるであろうこの試合、吉村はさらに大きなプレッシャーに晒されているのであった。




 ベンチ入りメンバーに直史の名前を見たとき、おそらくフェニックスは絶望を感じたであろう。

 だが同時に、怒りを覚えた者もいるかもしれない。

 今季直史によって、完全に抑えこまれているフェニックス。

 そのフェニックスが勝つためには、単純な作戦などでは足りない。

 ひたすら感情的な何かが、その力を引き出してくれなければいけない。


 レックスのベンチの方も、完全にいつも通りというわけではない。

 この試合に勝てば、日本のプロ野球史に刻まれることとなる。

 これまで半世紀も更新されていなかっただけに、今後は100年以上残るかもしれない。

 そんな試合であれば、緊張するなという方が無理であろう。


 だが中には、そんなことはどうでもいいと、醒めている者もいる。

 その筆頭であるのがキャッチャーの樋口であるというのは、レックスにとっては幸いだ。

 ブルペンの直史は少しだけ体を動かしたあと、ベンチの様子を見る。

 予想通りに緊張でガチガチになっている者も多く、それは若手だとかベテランだとかは関係ない。

 西片と樋口あたり、それと外国人勢はあまり関係ないか。

 ただ村岡あたりはひどく緊張している。


 色々とネットでも言われているし、守備の間にも声は聞こえるだろう。

 だが今日の先発は直史ではなく吉村であるので、普通にヒットぐらいは打たれる。

 とりあえず必要なのは、先取点だ。

 リードした状態で七回まで到達すれば、残りは直史が投げればいい。

 ワールドカップの時のような安心感を、吉村は感じている。




 一回の表、先頭打者の西片は出塁。

 フェニックスも先発の諏訪は、相当に緊張している。

 そんな内心の動揺がボールに出てしまったのが、よりにもよって初回の先頭打者を歩かせる。

 続く二番は緒方で、初球の甘く入ってきた球をジャストミートした。

 ノーアウト一三塁で、バッターは三番の樋口。

 絶対に先制点がほしいところで、勝負強さではナンバーワンとも言われる樋口の登場である。


 先頭打者をフォアボールで歩かせてしまって、次の打者には甘い初球をゾーンに投げて打たれた。

 典型的な初回の失点パターンであり、フェニックスの竹中ならどう考えるか。

(俺なら歩かせるな)

 樋口の考えた通り、申告敬遠はなかったものの、完全にゾーンを外れた球で勝負された。

 外野フライでも打てたらタッチアップで、一点は取れるだろう。

 だがここは満塁にして、四番の浅野に任せる。


 ノーアウト満塁は、大量点のチャンスではあるが、意外と点が入らないことも多い。

 フォースアウトが使えるため、内野ゴロではホームゲッツーが取りやすいからだ。

 バッターボックスに入った浅野としては、ちょっと怒りもある。

 樋口に対しては明らかに勝負を避けて、四番の自分と対決することにしたからだ。


 長打を打てれば、一気に試合を決めてしまうことも出来る。

 そんな機会であるが、浅野は冷静だ。


 四番打者に求められることは、点をほしい時に点を取ること。

 ここは三振や内野フライ、内野ゴロではいけない。

 外野に飛ばして、フライでもいいから定位置よりは遠くに飛ばすこと。

 西片の足を考えれば、それで充分に一点が入る。


 アウトローに投げられたボールは、コンビネーションを考えても一級品。

 だがあえて浅野はそれを打って、ライトの定位置よりも遠くに飛ばした。

 悠々と追いつかれはしたが、これまた悠々と西片はタッチアップでホームに。

 フォアボール二つにヒット一本、そして犠牲フライという、ピッチャーにダメージを与えるタイプの、先制点の取り方であった。


 二塁の緒方も三塁まで進んでいたため、続く外野フライでまたも一点。

 さすがにそこまでで得点は止まる。

 だがレックスとしてはぜひほしかった二点を、最初の攻撃で得ることが出来たのであった。




 初回に二点のリードをもらった吉村は、下手に完投しようなどとは考えない。

 まさかの直史をベンチ入りメンバーに入れて、19連勝目を狙ってきたのだ。

 確かに昨日は余裕で勝利をしたが、それでも60球を投げている。

 パーフェクトピッチングを捨ててまで、チームの記録の方にこだわった。


 吉村にすると樋口や直史は、組織の歯車的に動いているように思える。

 その判断は冷徹で、どちらもすさまじいパフォーマンスを見せながら、個人記録を作っていく。

 だがエゴを感じさせることは少ない。

 単純に自分の力に自信を持っていて、それをそのまま発揮してチームを勝たせる。

 この二人の働きが、間違いなく今年のレックスを引っ張っている。


 直史以外にも今年のレックスは、リリーフ陣の安定感がすごい。

 六回まで投げて先発がリードしていた場合、そこから逆転された試合は一つしかないのだ。

 今日の自分は、五回までを投げきればいい。

 そしたらあとは、リリーフ陣が一点ぐらいまでの失点に抑えてくれるだろう。


 そんな吉村のピッチングを、ボールに込められた意思で樋口は感じている。

 心配なのはまた力を入れすぎて、故障しないかということだ。

 高卒のルーキーイヤーから二桁勝利し、新人王の候補には上がっていた。

 残念ながらあの年は、勝ち星の多かった玉縄に取られてしまったが。

 10年目の今年、上手く投げられたら100勝に到達する。

 この大切な試合を任されたことを除いても、年俸が一億を突破している現在、吉村には頑張ってもらわないといけない。


 吉村自身はFAを考えているが、樋口はそれには反対である。

 そもそもバッテリーを組んでいても、そんな相談はされたことはないが。

 おそらく吉村の選手生命は、もうそれほど長くはない。

 毎年のように肘の調子を悪くして、完全にはローテを回せないのだ。


 だが生え抜きのレックスの選手として、このまま投げていった方がいいとは思っている。

 同じ左の先発として、金原は明らかに移籍かMLBへの挑戦を視野に入れている。

 金原は九年目であるが、途中で離脱していた期間を計算すると、海外FA権の発生は来年になる。

 今年ポスティングを球団に願うだろうと、樋口は見ている。

 その時は吉村は、年間20先発をするローテのピッチャーとして、確実に必要になる。

 またレックス一筋で終われば、引退後のポストも用意されるだろう。

 吉村はレックスで終わった方がいいと、樋口は考えているのだ。

 もっともこのあたりの意思疎通は、吉村が樋口に相談していないので、伝わっていない。

 金原は年が同じなので、少しはそういう話もするのだが。




 五回を投げて、吉村は一失点。

 ただ球数を多くしてでも確実に抑えにいっているので、もう100球ほども投げてしまっている。

 それもただ投げているのではなく、全力投球が多い。

 六回からはリリーフに投げさせれば、それでいいだろう。


 お疲れと言われた吉村だが、ベンチ裏に引っ込むことはなく、その隅で試合の行方を眺める気であった。

 六回の裏、フェニックスの攻撃から、直史がマウンドに登る。

 吉村としては、クローザーとして使わないのかと、少しだけ不思議に思った。

 ただ七回に投げることが多い豊田に、六回を投げさせることは、わずかだが調子を崩させてしまう可能性がある。

 なのでここで直史なのか、という納得はあった。


 ただ、吉村の予測は間違っていた。

 六回の裏を三人で終わらせた直史は、七回のマウンドにも立つ。

 そしてそこでも三人で終わらせて、二イニングを投げることになったのだ。


 考えてみれば、もし本当に投げられるのだとしたら、防御率0の直史が最後まで投げることが、失点の可能性が一番少ない。

 昨日は先発で投げて、今日はリリーフとして最後まで投げる。

 それは無茶な投手の起用法であるが、昭和の頃には普通に行われていたのだ。

 直史としては本当に無理であれば、はっきりとその点は言う。

 だが昨日の試合は省エネで投げて、スタミナは充分である。

 また肩や肘の疲労もなく、最後まで投げる気は満々であった。


 精神的な面でも、フェニックス相手にはこれは有効であった。

 直史が投げている限り、点を取れるはずがない。

 論理的ではないが、それは事実である。

 バッターのスイングに、そのメンタルは表れてしまっていた。

 首脳陣はそれに激を飛ばそうにも、何かを言えるものがいない。




 八回が終わった。

 レックスは直史の打順で代打を出さず、それはフェニックスには明確なメッセージとなった。

 今日はこのまま、直史に投げさせる。

 それに気づいたフェニックスは、どうしても士気が落ちてしまう。


 レックスはそこに乗じて、追加点を取りにかかる。

 直史の理想とする六点差などではないが、追加点を一点取れば、それだけ勝利への道は正しく舗装される。

 直史は樋口と計算の上で、カーブを主体とするピッチングを行った。

 内野ゴロが多く、とりあえずスタンドまでは飛ばないコンビネーション。

 そんなピッチングによって、フェニックスのバッターは片付けられていく。


 パーフェクトリリーフを目指すのではなく、一点も取られないピッチングを目指す。

 そのため内野の間を抜けていく打球が、二つほどあった。

 しかしそれがセカンドベースを踏むことはない。

 牽制球で一塁に釘付けにして、そこからバッターと勝負する。

 ここで内野ゴロを打たせて、ダブルプレイでランナーを消してしまう。


 九回の裏がやってきた。

 スコアは3-1で、やや多めにボールを投げてきた直史は、ここまで37球。

 球場内の緊張は最高に高まっていて、応援の声は耳鳴りのように聞こえてくる。

 直史にはプレッシャーはない。

 似たようなことを何度もやってきたというのは、よい経験になっているのだ。


 カーブやシンカーを、上手く沈めていく。

 打ち損じは内野ゴロで処理し、ツーアウトとなる。

 ランナーなしで最後のバッターには、代打が送られてくる。

 しかし直史の緩急を活かしたピッチングには、とてもついていけなかった。


 吉村から直史へつないだ、最後のボールはピッチャーゴロ。

 かくしてレックスは勝利し、日本記録である19連勝を果たしたのであった。




 ちなみにこの後も、レックスの連勝記録は伸びた。

 武史が九回を完投し、次に佐竹がHQSで勝ち進んだのだ。

 しかしそれほど長く、伸び続けはしなかった。

 人間の作る記録なのだから、いつかは人間によって止められてもおかしくはない。

 ましてスターズはなんだかんだ言って、上杉以外でもかなりの勝率を誇っていたチームであるのだ。

 スターズとの第三戦において、珍しく序盤で崩れた金原が、リードを許した展開で降板。

 その後のピッチャーも打たれて、勝利の方程式の出番すらなかった。

 21連勝で記録は止まったのである。

 それは奇しくも、オールスター前の最後の試合であった。

 だがこの記録がいつまで残るかは、誰にも分からないことであった。


×××


 ここからはオールスターもあるため、飛翔編とエピソードが交雑します。

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