第35話 洗礼

 試される大地の球場で、レックスは最初の三連戦を行った。

 ローテは佐竹、武史、金原と、エースクラスの三枚。

 ウォリアーズもエース島などを当ててきたのだが、それでも完全にレックスが優勢。

 武史は普通に完封し、佐竹と金原もリリーフ陣をある程度休ませるように投げて、完全に好調を維持している。

 戻ったその日に神宮で神戸と対戦する予定だったのだが、あいにくの雨で順延。

 直史はここでローテの日を一日、後ろにずらすことになった。


 これが普通のピッチャーであれば、一度ローテを飛ばされたりもする。

 だが直史レベルであると、一日ずらして後ろで投げるのだ。

 これが直前に一日前とかなら困るのだが、後ろであればどうにかなる。

 そういった調整を、直史は行っている。


 対戦相手の神戸オーシャンは、もう長らく暗黒期を東北ファルコンズと共に過ごし、最下位争いを演じている。

 この五年パ・リーグのチームではこの二つが、最下位とブービーを独占しているのだ。

 そんなファルコンズに入った淳も大変だろうなと直史は思ったものだが、弱い球団であるとチャンスがすぐに回ってくる。

 左のアンダースローという特徴を活かして先発ローテに入ると、試合を崩さない先発として重宝されるようになった。

 佐藤兄弟の中でも最も平凡と言われるが、入団二年目に20先発もしていれば、立派な戦力である。

 防御率が三点台前半であるのに大きく負け越しているのは、はっきり言って首脳陣の責任だ。

 それでも一点も取られずにチームを勝たせるのがエースなのかもしれないが、そんな化け物は上杉ぐらいである。


「いや、お前もだよな?」

 一日空いたために改めて分析などをしていると、樋口が直史にそう言った。

「そういえばそうだった」

 自己認識が疎かな直史である。


 オーシャンの先発は本来であれば、エースの中路のローテであるはずだった。

 だが順延になったことで、大浦が先発と変更されていた。

「懐かしい人だな」

 直史はワールドカップのことを思い出すが、あまり大きな印象はない。

 津軽極星からプロ入りしたが、あのワールドカップのメンバーの中では、唯一対戦経験のない相手であった。

 今年でプロ10年目なわけだから、立派な生き残りであり、左投手ということもあって、そこそこ貴重な存在だ。

 だが一度は戦力外通告を受け、そこから台湾へ渡り、また自分を切った球団に入ったという、わけの分からない部分はある。

 そのあたり粘り強いはずなのだが、打線の援護が少ないため、防御率の割には勝ち星が少ない。


 今から思えばあのワールドカップのメンバーは、本当に豪勢なものであった。

 直史が入ったことで全員がプロ入りし、そして新人王などを取ったり、MLBに行ったりと、タイトルホルダーも多い。

 故障で長期離脱している者もいるが、引退している者はいないのではないか。

「まあ福島さんがちゃんと復帰できるかが微妙だけどな」

「リリーフだとやっぱり辛いものかな」

 カップスの福島は、トミー・ジョン手術を受けている。

 初年度から中継ぎで結果を出し、三年目には間違いなくセットアッパーとして使われていた。

 ただし投げることが多いリリーフは、消耗も激しい。

 

 


 先発とリリーフ、どちらの消耗が激しいか。

 基本的にはリリーフである。

 それもセットアッパーやクローザーよりは、便利に使われる中継ぎの方が、より顕著である。

 単純に投げる球数が違う。

 イニング数などを見たら先発のローテでがっつりと投げる方が球数は多くなるが、前提条件が違う。

 リリーフは肩を作るために、ブルペンで投げる球数が多いのだ。


 肩をブルペンで作って、マウンドでは最初から全開で投げる。

 打たせて取るのではなく、三振がほしい場面が多いため、直史のように手抜きのピッチングが出来ない。

 また下位打線であろうと、確実にアウトを取っていかないといけない。

 ブルペンで肩を作ることを考えると、球数は少なくはないし、肩を作っても結局、最後まで投げない試合もあったりする。

 そのくせ先発と違い、連投で投げることが圧倒的に多いし、登板間隔も短い。

 レックスの場合もセットアッパーで使われることが多い豊田は、今期は四連投などをしている。

 対して先発陣は、中五日は必ず空いている。もっともシーズン終盤や、プレイオフに入れば、そんなことも言っていられなくなるが。


 他にもリリーフが短命な要因は、奪三振にもつながることだが、肘などに負担のかかりやすい、決め球を持っているかにもよる。

 豊田の場合はフォークで、スプリットと同じであるが、肘に負担がかかると言われている。

 もちろんピッチャーにとって一番負担が大きいのは、全力のストレートではあるが。

 福島はルーキーイヤーからリリーフとして大車輪の活躍をしていたため、ここいらで故障するのは全くおかしなことではなかった。

 元々肘の痛みで何度かは二軍に落ちていたことはあるのだ。

 ただし靭帯をやってしまったのは、かなり致命的である。


 肘というのは故障しやすいのだ。

 たとえば世間一般で言われているストレートだが、あれは正確にはわずかにシュート回転がかかっていたりする。

 このねじれを生み出すのが肘で、直史も高校一年生の夏には、肘の炎症を起こしている。

 もっとも肩に比べれば、致命的になる場合は小さい。

 特に靭帯はトミー・ジョン手術が一般的となり、今ではかなり復帰の確率は高くなっている。

 もっとも全盛期のピッチングが出来るかは、また別の問題であるが。


 直史は究極的に言ってしまえば、壊れても構わない。

 壊れるほど投げてしまえば、それはもうやり切ったと言えるからだ。

 ただ現在の直史は、省エネピッチングに球数も抑えめと、故障する要素がない。

 大学やクラブチームでの知識で、壊れないようにどうすればいいか、学んだことが大きい。


 そもそも直史のような体格は、故障しやすいのだ。

 細く見える体から、それでも150kmオーバーのストレートを投げる。

 ブレーキのための筋肉が足りていないはずなのだ。


 直接球速に関係する、アクセルのための筋肉。

 それに対するブレーキの筋肉は、発生したパワーを受け止めて、腱や靭帯にダメージが行くのを防ぐための筋肉である。

 直史の場合は肩の駆動域を大きく取るため、ブレーキの筋肉を最小限にしか鍛えていない。

 インナーマッスルにそれを任せているため、実はパワーピッチングを続ければ故障しやすい。

 それを自分で分かっていても、このスタイルを選択したのが直史である。

 球速はそれほど必要ないのだ。




 雨で順延となった翌日、直史の姿は神宮のマウンドにあった。

 せっかくの交流戦なのだから、DHのある状態で投げてみたかったな、と思う直史である。

 湿度もほどよく、夏の気配がたっぷりと含まれた空気の六月。

 直史は軽々と投げて、140台半ばのストレートに、ムービング系のボールをからめていく。


 さすがにプロの世界ともなれば、初めて対戦する選手が多いのだが、情報自体は豊富になっている。

 10年選手のスラッガーよりも、二軍から上がってきたばかりのノーデータのバッターの方が、直史は怖い。

 それに対しては変化球を主体に、かわしていくコンビネーションで対決する。

 その構えやスイングから、得られる情報は多い。

 ただそれとは全く別に、緩急をつけてどんな人間にも克服できない弱点を攻めていく。


 0の数字が続いていく。

 レックス打線は順調に得点していくが、相手の大浦も悪いピッチングではない。

 だがあのワールドカップからもう10年。

 どれだけの差が、途中でクラブチームなどに入っていた、この一年下のピッチャーとの間についてしまったのか。


 直史はこの試合も、打席の奥に立って打つ気を見せない。

 投げて抑えることが、自分の仕事。

 それにしても限度というものはあるだろうに、0の行進がこの態度を許してしまう。

 3-0まで安定して点差を広げ、そこで大浦には代打が出て降板。

 まだ投げられそうではあったが、追いつける未来が見えない。

 それにパーフェクトピッチングを破るためには、代打でとにかく一本のヒットが欲しかった。


 こういう代打というのが、直史には一番困るのだ。

 キャッチャーの樋口は、直史以上にバッターのデータを頭に入れているが、それでも全てのバッターのデータを知っているわけもない。

 すると一般的なコンビネーションを使って、最悪でもホームランだけは打たれないようにする。

 このバッターも内野フライを打たせることに成功した。


 そう、サードへの内野フライ。

 球場に緊張が走ったが、村岡は無事にそれをキャッチしてアウト。

 安堵のため息をついた人間が、日本中で100万人はいただろう。

 ともあれこれで、六回まではパーフェクトを継続中。

 神宮の観客はまたも、奇跡を見ることが出来るのかもしれない。




 四点差となった七回の表。

 直史としてはここが鬼門かな、と思っている。

 一番から始まる好打順だが、直史にとってはあまりそれは関係ない。

 実際に一番と二番は、さっさと打ち取ってちまった。

 三番の谷が厄介なのである。


 一打席目は内野フライ、二打席目は外野フライと、完全に打ち取ってはいる。

 だがフライの飛距離が伸びているというのが、無視してはいけない要素であろう。

 大学時代には法教の四番打者として、武史からホームランを打った。

 武史は大学時代、二回しかホームランを打たれていないのだから、その価値もわかるというものだ。

 西郷の卒業後に、リーグ戦でホームラン王にもなっている。

 それがプロ五年目にはもう主軸として、去年も30本は打っているわけだ。


 典型的なアッパースイングでホームランを狙ってくるが、打率も二割八分はある。

 これまでの二打席もそうであったが、タイミングを上手く崩してきた。

 緩急を使って打ち取るという方針は変わらない。

 樋口のサインに直史は頷く。


 初球のストレートは、本日一番の150km/hを記録した。

 高めのそれを空振りした谷に、考える暇もなく次のボールを投げる。

 外れたスライダーに手を出して、ファールグラウンドにボールは飛んでいく。

 スナップが強ければ、今のボールもフェアグラウンド内に飛ばせるかもしれない。

 だがそのあたりも計算して、直史はボールを投げているのだ。


 追い込まれたところから、ボール球で空振りを取ることも出来るかもしれない。

 谷は最近のスラッガーと同じく、三振王でもあるのだ。

 だがバッテリーはあっさりと、内角に投げ込んだ。

 ストレートを高めに。わずかにゾーンに入るように。

 内野フライはまたもサード村岡のところに飛んだが、これも簡単にキャッチアウト。

 いちいち安堵する画面の向こうの視聴者が、脳裏に浮かんでくるレックス陣営である。


 村岡としてはさすがに、こんなフライでエラーをするとは思われたくない。

 だが前科がある人間というのは、どうしてもそういった目で見られてしまうのだ。

 ともあれ七回も投げて直史のパーフェクトは継続中。

 伝説の樹立なるや、と観客たちはざわめきだしていた。




 一シーズンに二度目のパーフェクトなど、大学時代には普通に達成してきた直史である。

 だがプロのシーズンでそれを二度というのは、規格外にもほどがある。

 そもそもこれまで、選手生活で二度のパーフェクトを達成したピッチャーというのはいないのだ。

 もっとも直史の場合は、開幕戦のリリーフと上杉との投げあい、二度のパーフェクト的な成績は残しているのであるが。


 条件を全て満たさなければ、パーフェクトにはならない。

 夏の甲子園のパーフェクトを、二回も参考記録で達成している直史には、かなり酷な話である。

 しかしここで、あと二回を抑えれば、パーフェクトピッチングの達成となる。

 またも緊張感に包まれるレックスベンチ。

 直史は全くピンチなど招かないピッチャーなのに、どうしてここまで守備陣の心臓に悪いことをするのか。


 簡単な内野フライならまだいい。

 だがゴロによるイレギュラーなどを考えると、レックスの守備陣はグラウンドの守備範囲を、しっかりと踏み固めていく。

 レックスベンチの首脳陣も、生唾を飲み込む八回の表。

 ここを乗り越えれば後は下位打線で、代打攻勢となるだろう。

 ノーデータのバッターが出てきては、直史としては投げにくい。


(まあ、この四番を打ち取るのが、大変ではあるんだけどな)

 シングルヒットまでに抑えれればいいのなら、もっと楽にリードが出来る樋口である。

 だがパーフェクトに三振か内野フライと考えると、そのフライが外野にまで飛んでいきそうで怖い。

 現在の主流は、飛ばせるバッターはフライを打て、である。

 内野と外野では広さが違うので、それだけヒットになる可能性もあるのか。

 それでも直史ならば、三振を奪うコンビネーションも使えるのだ。


 今日は球数も増えていないし、少し凝った組み立てにするか。

 そう考えて追い込んだ樋口は、最後に落ちる球を要求する。

 スルーが低めのボールに外れていくが、スイングはそれを追いかけることが出来ない。

 だがバッターは無理にバットを戻そうとして、そして樋口のミットに当たった。

「あ」

「あ」

「あ!」

「あああ!」

 審判までもが深く吐息し、打撃妨害のジェスチャーをする。

 名手樋口が、痛恨のミスである。

 思わず天を仰いで、時間が巻き戻らないかな、と涙する樋口であった。




 思わぬところからノーアウトのランナーをもらったオーシャンは、意気消沈のバッテリーを畳み込もうと画策する。

 キャッチャー樋口はマウンドに向かうこともなく、直史もボールを要求した以外は、特に反応を見せない。

 五番だがバントで送って、一点を取りに行くべきか。

 だが一点を取ったところで、試合の趨勢には影響はないのか。


 いや、パーフェクトが途切れたのだ。

 しかも要のキャッチャーのミスによって。他の誰のエラーよりも、ピッチャーは堪えているはずである。

 ここは打っていって、一点を取る。

 パーフェクトは防いだものの、ノーヒットノーランもまた、達成されたら恥な記録ではあるのだ。


 バッテリーのサイン交換は長かった。

「あ」

「あ」

「あ!」

「あああ!」

 ため息をついた直史は頷き、そっとセットポジションの体勢から、振り向きざまに一塁へ牽制。

 それは完全にランナーの隙を突いたものであった。

 下手をすればファーストでさえもミスしたかもしれない、素早すぎる牽制球。

 それをもらったファーストは、ランナーにタッチしてアウトにする。

 審判のコールを聞いた直史は、別にガッツポーズなどを取ったりはしなかった。


 八回は呆然としたままの相手を、ポンポンと三振でしとめる。

 そしてレックスの打線陣でさえ、あまりにもあっさりと消えたランナーに、呆然としていた。

 樋口は直史に対し、悪いな、と一言謝っただけである。

 直史が、ああ、と言って頷いただけなので、それでいいのかとベンチの中の皆が思ったが。


 九回を27人に投げて96球。

 エラーで出たランナーを牽制で殺したため、27人でパーフェクト未達成という、不思議な試合になった。

 そして直史としては、今季三度目のノーヒットノーラン。うちパーフェクトが一度。

 完全に封じられた神戸オーシャンの動きは、次の試合も鈍いものになるのであった。

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