第24話 最強投手陣
おそらくNPB史上、現在が一番、突出した実力を持ったピッチャーの数が多い。
上杉から始まって、真田、武史、そして直史と。
それ以外にも本多、蓮池、阿部、毒島など。
160km/hを平気で投げてくるか、それでなければとんでもない変化球を持っている選手が多い。
本格派の頂点が上杉だとしたら、技巧派の頂点が直史だろう。
技巧派の頂点、と称するのにはなぜだか違和感を感じたりもするが。
その中で色々と、惜しい!と言われるのが武史である。
デビュー年にいきなり投手五冠と、鮮烈な記録を達成し、上杉の沢村賞受賞記録を止めた。
翌年以降もレックスのエースとして、毎年20勝前後を上げている。
これだけのピッチャーがなぜ惜しいと言われるかと言えば、これまでに既に七度、一安打のみでノーヒットノーランを逃しているからである。
特に多いのが、まだ序盤の一回や二回にヒットを打たれ、そこからは一本も打たれなかったというパターン。
終盤はむしろ球が走り出し、逆転されることがまずない。
最初からもっと丁寧にいけば、とファンをやきもきさせる。
そんな、美人嫁を持つプロ野球選手の中でも、一二を争う美人嫁を持つピッチャーが、佐藤武史である。
この日もまた、同じようなピッチングが続いた。
初回に連打を浴びて、いきなりの失点。
ただ先制で二点を取っていたので、ここでは代わらない。
点差を詰められてやっと本気になたのか、三振を奪ってピンチから脱出。
そして二回以降、佐藤次男の無双が始まる。
上杉と並んで、いや、打たせて取る技巧を身に着けつつある上杉よりも、奪三振率が高くなってきている。
上杉は自身が先頭に立ち、他の選手を引っ張っていく。
だが武史は誰かが引っ張ってやらないと、だらけて手を抜いてしまう。
なので逆に周囲の人間は、自分がしっかりしなければと考えるしかない。
持ってる男と、散々言われてきた。
色々と惜しいところはあるのは確かだが、それでも一番おいしいところは持っていくと。
確かにそうかな、とは思わないでもない。
だがそれが可能であるのは、執着を持っていないからでは、と思う。
(だって俺、別に野球好きじゃないもんな)
好きでもないものをしっかりと努力し磨き続ける。
それはもう自分が、それで食べていく以外が難しいと気づいたからだ。
(子供も生まれたし、今はやっぱり教育からしっかりしないと)
極めて庶民的な、武史の親としての感情。
(恵美理がピアノとか教えて、あとは水泳教室にでも通わせて、月曜日には俺とキャッチボールする)
俗物でありながら同時に、ひどく卑近な幸福で満足できる。
(兄貴が言ってた通り、下手に生活レベルを上げずに、老後までの資産をしっかりと貯金)
ちなみに保険にはしっかり入っている。
ただし野球選手が怪我で投げられなくなれば、それに対して払われる保険などはないだろうが。
この武史らしくない、将来は堅実に生きようという思考。
これが後に大きく運命を変えることになるのだが、それはまだだいぶ先のことである。
九回を投げて打者29人にヒット二本、そしてフォアボールなし。
三振18個という異次元の数字を残して、まずはレックスの一勝である。
これで本日は一点取られて完封を逃しているのだから、本当に惜しいところである。
だが平均してみれば、エースが無理をせず完封してくれるところは、本当にありがたい。
直史は技術でごまかしているが、武史との圧倒的な才能の差の一番の部分は、耐久力である。
150球までなら球威が落ちずコントロールも乱れない武史は、間違いなく完投出来るエースである。
史上最強チームと言われるような勢いの、レックスの快進撃。
いつかは止まるだろうとは思われるが、今季二度目の八連勝。
せめて佐藤兄弟以外の先発のところで、一勝でもしておきたい。
ただし下手をすると第一線で、打線陣の心が折れている可能性もある。
スターズの打線にそんな弱さはない。
貧打と呼ばれていた時も、ずっと上杉が信じてくれていた。
ただそれとは別に、武史の投げた試合で四月が終わる。
打撃部門では相変わらずと言うか、大介が四割スタートを切っている。
だがピッチャー部門は、直史が圧倒的であった。
上杉をも上回る、防御率0だ。
0点台ではなく、0なのである。
中継ぎのセットアッパーやクローザーでは、時々起こることもある。
だが五試合を投げて45イニングで無失点。
しかもパーフェクトとノーノーを達成している。
上杉も六先発して五勝0敗と、ほぼ完璧な数字であった。
だがパーフェクトリリーフで26人を封じ、その次の試合でパーフェクトを達成し、さらにはノーヒットノーラン。
ピッチャーの指標の一つである、WHIP、つまり平均して一イニングで何人のランナーを出したかというものだが、これが0.13となっている。
だいたい1.05以下であれば、エース級と評価されるこの数値。
ヒットも打たれなければフォアボールもないという、異次元の数字となっている。
ちなみに武史の0.29というのも、充分に異次元の数字である。
5登板4先発5勝。そして無失点。
月間MVPの投手部門に選ばれた。
ザ・パーフェクトなどとも呼ばれ「パーフェクトは一回しかしていないのになぜだ」などと本人は首を傾げた、それはさすがに分かっていない。
この10年でパーフェクトを達成したのは、上杉の一度だけ。
真田や武史、MLBに行った柳本や東条でも、パーフェクトはやっていないのだ。
三連戦の第二戦、レックスの先発は他球団であれば確実にエースクラスの金原。
高校時代最後の夏、瑞雲に勝って白富東と対戦したものの、金原がパンクして投げられなかった。
そこから奇跡の復活を果たした、八位指名のエース。
対するスターズは、これまた160km/hを投げられる大滝である。
両者共に、一年目から一軍で投げたという点では共通しているが、大滝は崩れると一気に点を取られることが多い。
その球速などのスペックに比較すると、成績が残せていないのだ。
別に樋口や直史でなくても、その理由はおおよそ推測できる。
速いだけで、そのストレートに個性がないのだ。
それほど速くはなくても、キレがあり伸びるストレート。
速いくせに全くキレがなく、内野ゴロを量産するストレート。
大滝のストレートは球速に対するスピンや回転軸が、あくまでも平均的なのである。
だから高校時代は球速で圧倒できても、プロではかなり打たれてしまう。
大きく負け越すことはなく、それなりに完投能力もある。
なので一軍のローテから落ちることはないのだが、成績は平凡で大きく貯金を作ることもない。
さすがにそれに気がついてきて首脳陣は、変化球とストレートのコンビネーションを指導する。
だがアマチュア時代の成功体験から、どうしても最後はストレートに頼ってしまうのだ。
対するレックスは、樋口がとにかく容赦なく冷徹である。
「五回まで投げて勝ち投手の権利持ってたら、あとはつないでいって勝とうか」
レックスの勝ちパターンとしては、七回から豊田、利根、鴨池で勝利の方程式となっている。
確かにこの三人はホールドやセーブを記録し、今のところリリーフ失敗が一度もない。
「六回はどうするんだ?」
「外国人で新しいのが入ってきたから、それを使うかな? 点差によっては越前とか」
こう言われると金原は、六回まではなげるつもりになる。
大量点差であれば星に長く投げてもらってもいいのだが。
第三戦は直史が先発なので、リリーフを使う必要はないだろう。
そんなことを考えている樋口であるが、確かに直史が完投してしまうと、リリーフが休める。
中継ぎを酷使しないで済むチームは、優勝に近いチームである。
そして先発が100球以内に完投勝利するなら、負担もなく中六日で回せる。
実のところは中五日でもいけるのではないか、と思っている直史であるが、そこはまだプロ一年目。
いきなり無理して故障者リスト入りしてしまっては、大介との対決が遠くなってしまう。
この試合もレックスが勝利し、九連勝となる。
勝率がまたもどんどんと上がっていって、マジックが最速で点灯するのでは、などとも言われている。
そして予告先発は、レックスが直史で、スターズが玉縄。
そこそこ因縁のある対決となった。
高校一年生の秋、直史たち白富東は、順調に県大会を制して、関東大会に出場した。
初出場の決勝戦で対決した神奈川湘南のエースが玉縄であった。
試合自体は同点のまま延長に入ったのだが、当時の直史はそこを投げ続ける体力がなかった。
そして結局は負けたわけだが、案外根に持つ直史は、あの敗戦を忘れてはいない。
玉縄もまた、安定感では抜群のピッチャーであった。
上杉に続いて一年目からスターズのピッチャーが新人王獲得と、まさにあの頃がスターズの一番強かった時代と言える。
それ以降のスターズが強かった時代は、スターズではなく上杉が強かった時代だ、などとも言われる。
そんな中でも玉縄は実績を残し続け、10年目の今年には、100勝するであろうと思われている。
上杉が規格外であるので勘違いされるが、プロで100勝するというのは、とんでもなく難しい。
まずもって先発ローテを守る必要があるし、毎年安定した成績が必要だ。
一年目は吉村と新人王を争ったが、離脱した吉村に比べると、とにかく玉縄は安定していたのだ。
それからも毎年10勝以上をすることが多く、貯金を作っていた。
だが、最後に対戦してからもう10年。
今の直史相手では、完全に立場が逆転している。
玉縄はいいピッチャーなのだから、多少はローテを崩してでも、レックス以外のカードに使うべきであった。
いやレックスでも、せめて直史以外の相手に使うべきであった。
神奈川スタジアムで投げるのは初めての直史であるが、別に緊張したりはしない。
相手が上杉であるならともかく、プロの世界のピッチャーというのは、チームのエースでも何点かは取られてしまうものだ。
二点先制してもらえば、樋口のリードの幅は大きくなる。
その幅が大きくなれば、ボールはコントロールとコンビネーションが重要になって、球威は少し落としてもよくなる。
ひょっとしたら打たれるかもしれない、まさかこんなところには投げてこないだろう。
その選択が採れるようになれば、ピッチャーのコンビネーションはさらに広がるのだ。
ただ、いつもいつも、思い通りにいくわけではない。
先攻でありながらも、レックスは初回無得点。
大介のような、打てる球なら打つというバッターはいないので、当然ながらこういうこともある。
レックスは特に序盤に攻勢を強めるのだが、それがいつも上手く行くなら、野球はつまらないスポーツになるだろう。
そしてスターズの攻撃で、マウンドに直史が登る。
観衆のざわめきは、単純にスターズを応援するというものではない。
直史がマウンドに登っただけで、何かが起こるのではないかと期待してしまう。
勘違いしている。
直史がマウンドに登ると、何も起こらないのだ。
三者凡退で一回の裏を終わらせた直史。
だがスターズの意図はある程度見て取れた。
追い込まれるまでは待って、追い込まれてからはカットする待球策。
それでも直史はほとんどゾーンに投げ込むので、さほど多い球数にはならない。
「14球か」
「少し多かったな」
直史と樋口は、わずかに言葉をかわす。
もしも一イニングあたりを15球以内で終わらせれば、完投して135球となる。
直史はだいたい、100球以内の完封を目指している。
パーフェクトやノーノーを目指すのは、それが必要である場合。
一人当たりに四球使っていたとしても、合計で108球となる。
全員を三者三振としても、81球。
実際のところは直史は、81球以内の完封がベストだと思っているが、現実的には100球以内が限界だと思っている。
もちろん相手のレベルが低ければ、それよりも少ない球数で終わらせることも出来る。
大学時代は普通に100球以内で終わらせていた直史であるが、プロだとそれはそこそこ難しい。
何よりも一つの試合で、全てのコンビネーションを使わないようにするからだ。
本当はあまり使いたくないんだよな、とは樋口も思う。
リードしている状態ならともかく、同点では万が一の一発があるからだ。
高めのストレート。
フライボール革命以来見直されているのが、高目への力強い球だ。
角度をつけてアッパースイングをすることが難しいこの球は、狙いを外せば空振りが取れる。
ただアッパースイングをしなくても、レベルスイングでスタンドに持っていくことも出来る。
なのでどうしてもコンビネーションの中では、使用頻度が少なくなる。
二回の表にもレックスは点を取れなかったので、その裏も万一を考えたピッチングとなる。
カーブとスライダーを主体に、ムービングで打たせて取るというピッチング。
追い込んでからはストレートかカーブを使えば、大体三振か内野フライとなるのだ。
三回の表、自分の目の前で攻撃が終わり、プロテクターを着ける樋口。
直史もそれをのんびりと見ているわけだが、キャッチャーがいないと投げられないので仕方がない。
「玉縄さんは安定してるよな」
「お前ほどじゃないけどな」
この三回の裏を無失点で抑えて、四回のクリーンナップからの攻撃に入る。
樋口としてはここで点を取らないと、ホームランを打たれないコンビネーションでは、難しくなってくるのだ。
相手が七番から始まるこのイニングも三人で抑えた直史であるが、球数はやはり多めになっている。
(39球か)
樋口は頭の中でしっかりと、球数は数えているのだ。
(実際のところどこまで投げられるのかは、試しておいた方がいいんだろうな)
100球という制限は、直史が自らに課しているだけで、別にコーチなどから言われたものではない。
だがWBCを思い出せば、MLBでは厳密な球数制限が行われている。
NPBとMLBでは登板間隔が違うため、球数制限ももう少しゆるめでいいのだ。
それに上杉などは150球ぐらいであれば平気で完投する。
持って生まれた肉体と、それを育て上げた歴史。
これらもまた、才能と呼ぶべき範囲のものなのだろう。
四回の表、先頭打者の樋口がクリーンヒットで塁に出る。
現在打率でリーグ三位の樋口に、安易に勝負にいってはいけない。
とは言っても歩かせても同じようなものだろう。
樋口はそこから、盗塁を決めることが出来るのだ。
ただし今日は相手が悪い。
玉縄のクイックと、福沢の肩。
リーグ内でも屈指の組み合わせに、樋口はファースト付近で動き回るだけだ。
こちらに少しでも注意を逸らして、バッターに期待するしかない。
塁に出てもなお、こちらの思考を読みつつ、揺さぶってくる。
樋口はランナーとしても、とにかく厄介な選手なのだ。
玉縄も福沢も、そうそう動揺するタイプではない。
だがそれでも動揺させてしまうのが、ランナー樋口なのである。
この回はサードまで進み、そこからタッチアップで先取点。
ピッチングのコンビネーションを広げられる、先制点を奪ったのであった。
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